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2008年11月28日

27・28・29

 今日は「28日」ということで、こんな題をつけてみた。前後に「27」と「29」の数字があるが、これは昨日が11月「27日」で、妻と私の「29回目」の結婚記念日だったからである。もう1つ「27」について言えば、妻も私も27歳のときに結婚した。そんなわけで、27日には、私たちは休日の木曜日を利用して、新婚生活の思い出がある横浜まで足を延ばし、ひと時を過ごした。

 横浜をめぐる私たちの若い頃の話は、2005年の5月と7月の本欄に少し書いたから、興味のある人はそちら(5月18日同19日同23日7月7日)を参照してほしい。今回の記念日は、あいにく雨模様の寒い1日だったが、私たちは雨がかからない「みなとみらい地区」で散歩や食事をしたり、車の中から日本大通りや海岸通りの黄金色のイチョウ並木を鑑賞した。
 
 横浜市は来年、1859年(安政6年)の開国・開港からちょうど150周年を迎えるというので、みなとみらい地区をメイン会場とした「開国・開港Y150」という大イベントの準備に大忙しの様子だった。これでまた周囲の風景が大きく変化することになると思うと、古い記憶を懐かしがる(私のような)ご仁には、ますます眩しい場所になっていくのかもしれない。
 
Mtimg081128_2  昔、横浜港の遊覧船に「赤い靴号」というのがあったが、今はなくなり、代りに市営観光バスの「赤いくつ号」というのが走っている。桜木町からみなとみらい地区、山下町、中華街、元町、山手あたりを回る。この「赤い靴」とは、野口雨情が作った「赤いくつはいてた女の子~」という歌の発祥がこの辺だということで、横浜ではいろいろの用途に使われている。これにちなんだチョコレート菓子もあり、私はそれを土産として買って帰ったのである。

 谷口 雅宣 

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2008年11月27日

生長の家大神の姿 (3)

 前回、本欄の最後の方で書いた言葉は重要なので、ここでもう一度繰り返そう--特に生長の家は、「万教帰一」を教義の中心に据える宗教であるから、生長の家大神の姿は具体的には表現しないのである。これと同じことは、昭和6年4月に下された「万教帰一の神示」に明確に書いてあるので、憶えている読者も多いに違いない。この神示は、こんな言葉で始まる--「われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである」。さらに、神示はこう続く--「信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず…(中略)…。本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である」。

 また、『真理の吟唱』(谷口雅春著、日本教文社刊)に収録された「観世音菩薩を称うる祈り」には、「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩なのである」と書かれている。このことと、生長の家大神に一定の姿かたちがないことは、密接に関係している。なぜなら、観世音菩薩とは「世の中の一切衆生の心の音(ひびき)を観じ給いて、それを得度せんがために、衆生の心相応の姿を顕じたまう“観自在の原理”であり、…(中略)…三十三身に身を変じてわれわれを救いたまう」(同祈り)存在を指すからである。つまり、「生長の家大神」という呼称は、神道的な表現を使った一種の“仮称”であり、仏教的には「観世音菩薩」と呼ばれているものである。
 
「三十三身に身を変じる」とは、実質的には「無限の形に変化する」ということであり、「千変万化する」という意味だ。そうなると、神道や仏教のみならず、キリスト教の伝統の中にも何らかの形で生長の家大神は現れていることになる。これが「七つの燈台の点燈者」と呼ばれているものだ。昭和6年5月の「新天新地の神示」には、神示の啓示者自らが、そのことをこう表現している--

「もっと兄弟たちに、『生長の家』を伝えよ。神の愛は貰い切りではならぬ。頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。『生長の家の神』と仮りに呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い」。

 ここにある「七つの燈台の点燈者」とは、聖書の『ヨハネの黙示録』に出てくる「七つの金の燭台の間を歩く者」のことである。聖書は、この不思議な存在者を人間としてではなく、一種の“霊人”のような姿形で次のように描いている--

「ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つを星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎが出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった」。(『ヨハネの黙示録』第1章12~16節)

 読者に気がついてほしいのは、ここで描かれている“霊人”は、前回の本欄で図や写真によって描かれた“神姿”と多少異なるということである。「白い衣を裾まで垂れ、ヒゲを胸までたれた」という点では似ているかもしれないが、胸に金の帯をしめてはおらず、右手に七つの星をもたず、口から鋭い剣は出ていない。しかし、神には一定の姿かたちはないということと、観世音菩薩は無限の形に変化するということを理解していれば、聖書にあるこの記述が、無限の表現の中の1つにすぎないという理解に読者は到達するはずである。

 最後に1つ付け加えよう。それは、生長の家で「七つの燈台」と呼んでいるものが、聖書ではなぜ「七つの燭台」なのかということだ。実は、現行の口語訳と新共同訳の聖書ができる前に使われていた文語体の聖書では、この部分は「燈台」となっていたのである。英語版の聖書でも、ここは「candlesticks」(ろうそく台)とか「lampstands」(燭台)となっている。だから、原典であるギリシャ語の聖書では、恐らくここは「燭台」の意味に近いギリシャ語が使われていたと思われる。しかし、谷口雅春先生は、そのことを知りながらもあえて「燈台」という日本語を選ばれた、と私は推測する。
 
 聖書のこの箇所では、この霊人は「あなたが見ていることを書きものにして…(中略)…七つの教会に送りなさい」と命じ、その後に、この「七つの星は七つの教会の御使いであり、七つの燭台は七つの教会である」という奥義を明らかにしている。「教会」は人間の所属する組織であると同時に、建物も意味する。それを「燭台」によって象徴することはもちろんできる。しかし、「燈台」という言葉で表すほうが、島国である日本の文化的環境ではより親しみやすく、また解釈により広がりをもたせることができる--谷口雅春先生は、こう考えられたからではないかと私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月26日

生長の家大神の姿 (2)

 私は前回の本欄で、生長の家大神の神姿について「谷口雅春先生ご自身は、この神姿をはっきりとご覧にはなっていないようだ」と書いた。が、雅春先生が神姿を拝されたと思われるケースが、1つある。それは、『生長の家』誌の昭和7年3月号の表紙に「白い衣を裾まで垂れ、ヒゲを胸までたれた」神姿が描かれていて、その解説文にこうあるからである--
 
<表紙画の由来
 
Snigod  天を視るに幾万の天使たち身に羽衣の如きものを着け、手に巻物を持ちて打ち振り何事かなすものの如し。第一の天使地上を瞰下(かんか)して宣う--「この地も兵火にかかるべきか」。第二の天使答う--「この地は最も迷いふかき地なれば最も甚だしき十字砲火に晒されん。されど神縁ある人々は悉く救われん。ひとりとして誤りて殺さるるものなけん。時は来た。殺さるるものは殺され、焼かるるものは焼かれん」。地を視るに、火災、砲炎、阿鼻叫喚、日本人あり、支那人あり、あらゆる国の人々あり。天使たちの手に巻せる物には『生命の實相』と書かれたり。と見る、其の巻物より白き霊の糸の如きもの無数蜘蛛の糸の如く下りて光を放つ。霊の糸の先端に黒き書物あり、三方より光を放つ。大涛の如き天使の声聞こえて「生命の実相を握るものは炎の中にあって焼けず、死を超えて永遠に生きん」(1月5日の霊象に基き本号の表紙画をかえました。)>
 
 この時の表紙画をここに掲げるが、その“神の顔”は、現在の本部会館にある神像の顔とはやや異なるのである。また、髪の毛の感じもLordofsni何となく違う。このように、具体的に絵や彫刻として形づくられた神は、どうしても「似ている」とか「似ていない」という問題が出てくるのである。そうすると「似ている」ところに注目して「同じ神だ」と考える人と、「似ていない」箇所に注目して「別の神だ」と感じる人が出てくる。同じ国の人の間でもそういう違いが出てくるのだから、別の国や別の文化圏では、「神を見た」と言っても、それぞれの神はそれぞれの文化の“色メガネ”を通して観たものとなるから、具体的な表現はたいてい異なることになる。こうなると、“同じ神”を信仰しているはずの人々の間で、文化が異なるというだけの 理由で争いが生じることになる。だから、“神姿”や“神像”や“聖者”を具体的な形に表現することは、危険を伴うということを知るべきだろう。
 
 イスラームでは、神を具体的な形に表現してはならないことになっている。預言者のモハンマドの顔を描くことも一般的に禁じられている。それは、こういう危険をよく知っているからだろう。その一方で、イエスの顔や姿は昔から数多くの絵画などに描かれてきた。否、キリスト教文化圏では、神の姿さえ繰り返し描かれてきた。すると、西欧では神やイエスは“白人”の風貌となり、アフリカでは“黒人”のようになり、ラテンアメリカでは“ラテン系”の姿で描かれる傾向が生じるだろう。それは、同一文化圏では人間に「親しみを感じさせる」というメリットを生じるが、異なった文化の間では、同じ神やイエスでありながらも、“外国の神”とか“外人イエス”という印象を深めることになり、差別や争いの原因になっていくのである。
 
 こういう諸々のことを考えると、本来姿形のない神を、具体的な“神像”や“神影”に表現しないということは、大変当を得た、思慮深い方針だと私は考える。特に生長の家は、「万教帰一」を教義の中心に据える宗教であるから、生長の家大神の姿は具体的には表現しないのである。この意味は、生長の家の信仰者が神を絵や彫刻に描くことを禁じるのではない。それは、それぞれの人間の創作であるから「現象」である。そのことをしっかり理解していれば、描くことは自由である。が、教団として、あるいは宗教法人として「これが生長の家大神のお姿である」と示すことはしない。神は本来、1つの像の中に押し込められるものではないから、そうすべきではないのである。ここに掲げた神像は、だからそれぞれの作者の表現物--つまり、心の作品にすぎない。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月25日

生長の家大神の姿

 ある人から最近、「生長の家の大神の写真をウェブサイトで使いたい」という要望が寄せられた。私は、誰かが生長の家の大神の写真を撮ったという話を聞いたことがなかったので、何のことかと思って確かめてみると、東京・原宿の本部会館の円塔の外壁に据え付けられた“神像”の写真のことだった。この神像を生長の家の大神だと理解している人がいることを知って、私は少し驚いたのである。この像については、谷口雅春先生がいろいろのご著書の中で説明されているが、生長の家大神そのものではなく、1つの「イメージ」であり「象徴」であり「表現」である。この違いは重要なので、少し説明しよう。

 『生長の家』誌の昭和27年11月号の「明窓浄机」欄で、谷口雅春先生はこの像のことを「右手が天を指し、左手に聖経の軸を手にせる聖者の立像は本部会館円塔部の入口直上に安置せられる“七つの燈台の点燈者”を象徴せられる聖像」だと書かれている。注意してほしいのは、雅春先生はこれを「“七つの燈台の点燈者”の聖像」とは書かれずに「点燈者を象徴せられる聖像」と表現しておられる点である。つまり、「七つの燈台の点燈者」は過去に様々な形象として人間の前に現れてきたから、特定の姿に留めることはできない--そういう認識が、この表現の背後にはあるのである。もっとはっきり言えば、この神像は人間の創作ということである。

 具体的には、これは同年8月14日に彫刻家の服部仁郎氏が粘土で完成した像をもとに、拡大して製作された像である。昭和30年8月号の「明窓浄机」で、雅春先生は「あの像は誰も知る服部仁郎氏の彫刻になるところの、生長の家創始時代に神想観中に往々信者たちが見た神姿を表現したもの」だと書かれている。ここでも先生は「信者たちが見た神姿である」とは仰らずに「神姿を表現したもの」だと書かれている。この神姿は何人もの人々が見たと報告しており、それぞれが全く同一の姿を見たかどうかは分からない。が、共通しているのは「白い衣を裾まで垂れ、ヒゲを胸までたれた」ところらしい。実は、これを最初に見たのが、谷口輝子先生だったという。その時の様子は、『生命の實相』頭注版第2巻にこう描かれている--

 「『生長の家』誌の第一集第四号を執筆している頃『光明の国』というわたしの霊感的長詩を家内が校正してくれましたとき突然神憑りとなったのであります。わたしは審神者(さには)として、その時いろいろ神告を聞いたのでありますが、この神はわれわれの祖先の霊でも、われわれ家族個人の守護神でもなく、家のうちに祭祀してある神でもない、名はいうに及ばぬ、また祭祀するにも及ばぬ、光明輝く実相の世界に住む神である…(中略)…などという意味のことがあったのであります。ところが今まで家内には霊眼がひらけたということなどは全然なかったのでありましたが、その時突然天空高く白衣を裾まで垂れ、鬚髯(しゅぜん)を胸までたれた尊き神姿を拝したのでありました」。(p. 135)

 谷口雅春先生ご自身は、この神姿をはっきりとご覧にはなっていないようだ。『生命の實相』頭注版第20巻自傳篇で、雅春先生は“神の声”に導かれて悟りへ至った際の体験を、次のように描かれている--

 「わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲(みなぎ)った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま座っている自分をそこに見出したのであった」。(p. 136)

 私はここで、雅春先生のこの時のご体験を、モーセが燃える柴の中から神の声を聴いた時の体験と比較したいという誘惑に駆られる。聖書にはこうある--

「ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーセは言った、“行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう”。主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、“モーセよ、モーセよ”と言われた。彼は“ここにいます”と言った。神は言われた、“ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである”。また言われた、“わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である”。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した」。(『出エジプト記』第3章2-6節)

 谷口雅春先生は、数々の神示を霊感によって得られている。この際は、“声”--もちろん、耳で聴く普通の肉声ではない--が言葉を発するのを聴かれるのである。モーセも、燃えさかる炎の前で“声”によって神の声を聴く。神姿は恐らく見えていない。こういうように、神に“声”によって触れる人と、視覚的に--この場合も、もちろん肉眼の視覚ではない--“神姿”を拝する人の別があるのだ、と私は思う。

  谷口 雅宣

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2008年11月22日

生長の家の秋季大祭が終わる

 21日から長崎県西海市の生長の家総本山で行われていた秋季大祭と記念式典が終った。21日の午前は「第28回龍宮住吉霊宮秋季大祭」が行われ、午後には「第31回龍宮住吉本宮秋季大祭」がしめやかに挙行された。この日は朝から小雨が降る寒い日で、霊宮前にはテントが張られていなかったから、参列者が濡れたり風邪をひかないか心配だった。が、御祭が始まる頃には青空が出て日も差す好天になったことは、誠にありがたかった。その後また天気は崩れたが、午後の本宮大祭は室内で行われたため問題はなかったようだ。両大祭において、私は斎主として祝詞を奏上し、宇宙浄化の祈りを唱え、玉串を奉げさせていただいた。同本山の菅原孝文総務によると、この日の参拝者は1,511人で、昨年より81人増えたということだ。

 22日は快晴の小春日和となり、午前には「谷口雅春大聖師御生誕日記念・生長の家総裁法燈継承日記念式典」が約1,600人の参列者を迎えて鎮護国家出龍宮顕斎殿で行われた。私はこの日も祝詞を奏上し、そのあと挨拶をした。予定より長く話してしまったので、後の進行に多少影響を与えたことが悔やまれる。式典では、去る10月28日に昇天された生長の家総裁、谷口清超先生へ感謝の思いを込めて、参列者全員が30秒間の黙祷を奉げた。その後は、例年通りのプログラムで進行した。重苦しい雰囲気にならないか心配だったが、参列者の多くは全国の幹部の方々であったためか、盛んに拍手が出る明るく、朗らかな式典になった。「生命は不滅」という参列者の信仰の強さが肌身で感じられる、よい式典だったと思う。
 
 私の挨拶については、後に『聖使命』などで報道されるだろう。少し込み入った内容の話をしたので、ここにはその概略を掲載しない。その代り、21日の午後に描いたスケッチをご披露しよう。紅葉が美しかったのである。旧オランダ村の入り口前のイタヤカエデはもちMtimg081121 ろん、総本山の前を走る道路沿いのナンキンハゼの葉は、黄色から赤に染まり、行く人の目を惹きつける。道路に新しく「脇見運転は危険」という意味の縦長の看板が立てられていたが、恐らく紅葉に見とれて事故を起こすなという意味だろう。
 
 私が描いたのは、そんな道路沿いの木々ではなく、公邸の庭から大村湾を挟んだ対岸に見える建物である。旧オランダ村の建物群の1つだが、まるでヨーロッパの城のようなたたずまいだった。周囲にはまだ緑の木々も多いのだが、その合間に紅葉や黄葉が点々と覗いているのが美しい。それを見ていると、思わず昔のGS時代の歌が唇を突いて出る……「森と泉に囲まれて、静かに眠る、ブルーブルー、ブルー・シャトウ……」。その城は青くはないから、私は密かに「シャトウ・ルージュ」と命名したのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月21日

良心的な人は長寿?

「憎まれっ子世にはばかる」という諺があるが、人に憎まれるような人間が、世間ではかえって幅をきかすという意味で、これは「悪者は長生きする」という意味にも解釈できる。英語の諺にある「Ill weeds grow aspace.」(雑草ははびこりやすい)というのと似ている。だから、いわゆる“善い人”や“良心的な人”は長生きしないと考えている人がいるかもしれない。ところが、良心的な人はそうでない人よりも長寿だということが、このほど8900人が関係する調査で明らかになった。10月25日号のイギリスの科学誌『New Scientist』(vol.200 No.2679)が伝えている。

 それによると、カリフォルニア大学リバーサイド校のハワード・フリードマン氏(Howard Friedman)とマーガレット・カーン氏(Margaret Kern)は、既発表の20の研究データの中の8900人の良心的な傾向とそれらの人々の死んだ年齢の関係を調査した。すると、どんな年齢層でも、良心的傾向が弱い人は強い人よりも、50%死ぬ確率が高いことが分かった。この違いの大きさは、寿命に影響があるとされる「社会的地位」と「知性」によっても説明しきれない幅だという。両氏は、さらにこのデータの内訳を細かく調べたところ、「社会的に成功した人」が長生きする確率が最も高いことが分かった。これらの人々は、社会的に尊敬され、自分の時間とエネルギーを社会のために注ぎ込み、同僚や隣人とよく協力し、信頼されているような人々だという。こういう人たちの生活は、より安定していて、ストレスが少ないというのが、長寿の原因の1つらしい。

 考えてみれば当り前のことかもしれないが、「社会的な成功」を早く得ようとして不正や不義を働く人が結構いるところを見ると、「社会的成功」は人生の目的ではなく、良心的生活を実践したことの結果であり、それに随伴して「長寿」というもう一つのご褒美もやってくる--こう考えればいいのである。つまり、「憎まれっ子世にはばかる」という諺は短期的には真理のように見えても、長期的には成立しないのだ。そう言えば、福岡県の米菓会社の和菓子に殺虫剤を混入した人は、良心の呵責に耐えかねて自殺したという。新聞報道によると「40代の男性社員」ということだ。和菓子に殺虫剤を入れてから良心を発動させるのではなく、入れる前に良心の囁きを尊重してほしかった。そうすれば、死ぬことはなかったのである。
 
 また、音楽的才能が豊かで若くして大いに富み、社会的成功をおさめた音楽プロデューサーのK氏(49)が、経営において失敗し、詐欺の容疑でつかまった。K氏は取り調べ中に反省し、係官にこう語ったという--
 
「生活が豪奢になり、お金がどんどん入るそばから思うように使っているうちに“裸の王様”になってしまった。誰にも意見をされず、そんな生活を疑問に思いつつ、ずっと続けた」。(『朝日新聞』)

 この反省を今後の生活の指針にし、“内在の神”の囁きである良心をくらますことなく生きていけば、K氏にも再び社会的成功の道は開けるに違いない。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月20日

日本の温暖化対策は間に合うか? (2)

 11日の本欄で触れた環境税の問題について、環境省が考えている新提案の内容が明らかになってきた。私は11日に『日本経済新聞』の記事をもとにして、それを「現行のガソリン税などのエネルギーにかかる税金を、税率はそのままにして、名前だけを“環境税”と言い換えることで環境税にしてしまうという方法だ」と書いた。今日(20日)の『朝日新聞』には、もう少し詳しい、そしてもう少し野心的な新提案の内容が報じられている。それによると、現在、化石燃料にかかっている税金の割合(税率)を、それぞれの燃料が排出するCO2の量に応じたものに改めていく、というのである。つまり「温暖化防止を理由に税率を引き上げながらそろえていく」(『朝日』)という中期的なねらいがあるようである。

 これは、化石燃料の税率引き上げによる実質的な“炭素税化”である。それが可能ならば、私は大いに賛成する。『朝日』には、各化石燃料を燃やした際、CO2が1トン排出される量にかかる現行の税額が一覧表で載っている。それを見ると、ガソリンは2万4052円、軽油は1万3034円、重油753円、石炭291円、天然ガス400円である。つまり、CO2排出量を基準として化石燃料にかかる現行の税率を見た場合、ガソリンと石炭のあいだには82.6倍もの不公平があるのである。言い換えると、炭素税を実施するならば、石炭には現行の82.6倍の税金をかけるべしということだ。同じように計算すると、天然ガスには60倍、重油には32倍、軽油には1.8倍の税金が必要となる。では、ガソリンの「2万4052円」が炭素税として高すぎるかというと、現在イギリスでは4万5543円、ドイツでは4万5388円、デンマークでは3万8651円の税金がかかっているから、それほどでもないことになる。
 
 ただ、日本経団連は環境税や炭素税の導入に強硬に反対してきたから、この“実質炭素税化”を簡単に容認するとは思えない。また、この不況下では、「経済優先」を唱える麻生首相の同意も簡単には得られないだろう。
 
 ところで、国レベルではなく県レベルになると、神奈川県が炭素税を独自に導入する方向で検討に入ったらしい。今日付の『日経』が伝えている。それによると、同県では知事の諮問機関である地方税制等研究が炭素税の導入案のたたき台をまとめたという。そこでは法人だけでなく個人も課税対象とし、ガソリンや灯油だけでなく、化石燃料を使って製造する電気やガスについても、料金に上乗せする形で新税を徴収するらしい。
 
 一方、私の住む東京都は、来年度の都税への環境税(炭素税)の導入を見送った。その代り、工場やビルでCO2排出削減につながる最新の設備を導入した場合には減税する仕組みを実施するという。今の経済の状況と、国の動きをにらんでの判断らしい。私としては、神奈川県と足並みをそろえてほしかった。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月19日

右脳と左脳

 今年5月に出させていただいた拙著『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)の中で、私は“右脳”と“左脳”の働きについて専門家の研究などに触れながら、少し詳しく書いている。研究の内容は難解なので読者には不評を買っているかもしれない。が、簡単に言えば、案外単純なことでもある。それは、我々の脳は解剖学的に右と左に大きく分離されていて、それぞれが異なった役割を担っているが、普通の場合、右側の脳は感覚の受容に優れていて、左側の脳は言語の働きで優れている--そういうことだ。この左右の脳の役割分担については、「左脳は論理的思考」「右脳は直感的思考」などという表現が使われることもあるが、だいたい同じ意味だろう。
 
 このような分析と発見を前提にして、次の段階へ進めば--左脳が得意とする論理的思考はコンピューターによってある程度肩代わりできるから、人間は右脳の働きを磨くことでもっと向上する、と考えることもできる。2005年に『A Whole New Mind』(新しい全体脳)という本を出したダニエル・ピンク氏(Daniel Pink)は、そう考えた。彼によると、コンピューターを使った情報時代を何世代か経験した我々は、論理的思考にばかり慣れ親しんできたおかげで、高度な直感を得るような右脳の能力が委縮してしまっているから、再び鍛え直す必要があるというのである。なぜなら、プログラミングや経理処理などの左脳的な仕事は、欧米で始まり、欧米で発達してきたものの、今やそれらの多くはインドや中国などの人件費の安い国々に移転してしまっているし、移転しないものはコンピューターで代用できるからだという。

 これもまた『太陽はいつも輝いている』の中で触れているが、右脳で絵を描くための具体的方法を開発した人に、ベティー・エドワーズ氏(Betty Edwards)がいる。この人はカリフォルニア州立大学の美術教師だったが、1998年に退職して息子のブライアン・ボマイスラー氏(Brian Bomeisler)に後を譲っている。このボマイスラー氏のところには毎年、フォーチュン誌のトップ500社に入る企業の研修やワークショップの申し込みがあるという。今年4月7日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、ボマイスラー氏が教えるのは「箱の外で考える」ことだという。「絵を描くことを通して、私はまったく新しいものの見方を教えます」と彼は言う。「彼ら(教わる人々)は自分の箱から抜け出して、そこに本当にあるもの--その複雑さと美しさのまるごと--を吸収するのです。研修後に彼らが決まって言うことの1つは、“世界がすごく豊かに見える”ということです」。

 こんな脳の話と宗教と、いったい何の関係があるか--と読者は考えるだろうか? サイエンスライターの竹内薫氏は、10月11日の『産経新聞』で興味ある話を書いている。竹内氏は今、脳卒中で倒れた脳科学者の体験記を翻訳しているそうだが、その脳科学者は、左脳の言語野が出血で侵され、言葉がしゃべれなくなり、他人の言葉も「犬の鳴き声みたいに聞こえた」という。このように左脳の機能が低下し、右脳の機能が目立つようになった時に感じる世界について、竹内氏は次のように描いている--
 
「物事を論理的に筋道だって考えることができなくなる。他人の言っていることが理解できない。身体の境界がわからなくなり、周囲と渾然一体となり、まるで“流れる”ような感覚に陥る。つまり、空間の感覚が消えてしまう。また、過去・現在・未来という直線的な時間もなくなり、あるのは“今”だけ。……(中略)……また、宇宙と一体化し、とてつもない幸福感に浸れるそうだ」。

 宗教的な体験の中には、上に描かれたようなものが確かにある。が、これだけでは、日常生活に支障が出る場合があるだろう。だから、左脳が得意とする言語による表現や論理的思考も、我々はおろそかにしてはいけないのである。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○B.エドワーズ著/北村孝一訳『改訂新版 脳の右側で描け』(1994年、エルテ出版)

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2008年11月17日

南カリフォルニアが燃えている

 異常乾燥が続いていたカリフォルニア州南部では今、複数の山火事が発生して大きな被害が出ている。17日付の『ヘラルド朝日』紙によると、現地時間の先週の木曜日に、まずロサンゼルス市の北西145キロにあるモンテシート(Montecito)で山火事が発生し、ハリケーン並の強い風に煽られて燃え広がった。さらに金曜日には、同市北部にあるシルマー(Sylmar)で新たに火の手が上がり、65軒の住居と500の移動式住居を燃やし、約100軒の住居に損害を与え、土曜の午後までの延焼面積は、約2千6百ヘクタールに及び、住民1万人に避難命令が出された。土曜日の午後には、同市より内陸に50マイル入ったところにあるコロナ(Corona)で、3番目の火事が発生した。これは2千エーカーに燃え広がり、その日の夜までに94軒に損害を与えたという。シュワルツネッガー知事はロサンゼルス郡に非常事態宣言を出し、火事のために電気が通じなくなる可能性を警告したという。
 
 カリフォルニア州では例年、この時期に山火事が起こる。特にロサンゼルス地区では、ここ数週間というもの異常な暑さに見舞われていた。今年に入ってほとんど雨が降っていなかったという。だから、乾燥した森林や山地はちょっとした火ですぐに山火事になる恐れがあったという。
 
 ロサンゼルス市といえば、郊外のガーデナに生長の家のアメリカ合衆国伝道本部がある。勅使川原淑子・教化総長から17日朝(日本時間)にもらった報告では、伝道本部では16日の日曜日に役員改選を行う予定だったが、難しい情勢という。同本部のウエダ理事長の住む家はブレア(Brea)という所にあり、火事があった高速道路の反対側にあったため、風向きしだいでは危険となる。このため、理事長のご主人は自宅で待機し、理事長だけが伝道本部に出てきたという。また、地方講師会長のミズタニ氏はコロナ(Corona)という所に住んでいるが、この自宅とは電話連絡がとれないそうだ。また、アナハイム(Anaheim)、サンタアナ(Santa Ana)、ヨーバリンダ(Yorba Linda)に住む幹部との電話連絡もとれないでいる。プラトンに住む幹部からは、「空から灰が降っているし、空気はきな臭く、交通が渋滞している」との情報が寄せられた。また、ローランド・ハイツ(Rowland Heights)の幹部からは、「火事はかなり迫っているが避難命令はまだ出ていない」という報告があったという。
 
Scalfires2008  同教化総長から送られてきた地図をここに掲げるが、中央右寄りにあるピンク色の領域は山火事を表し、その西側の青い部分が避難地域、赤い十字型は幹部の住む場所を表している。また、地図の左端にある「SNI」という赤文字は伝道本部の位置を示している。山火事は鎮火の方向へむかっているというが、幹部・信徒に被害がないことを祈っている。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月16日

人獣混合で問題は解決しない

 胚性幹細胞(ES細胞)と共に、人のあらゆる細胞や組織に変化する能力があるとされるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究の成果が最近、矢継ぎ早に報道されている。が、その中で、倫理的に問題があると思われる種類の胚の研究についても、規制のタガが緩みつつあるように見えるのが気になる。人のES細胞を使う研究について、政府の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会は、先月末、規制緩和の方針を決めた。(10月31日『朝日新聞』)これまでは「作成」と「使用」の双方について研究機関と国とで二重の審査が義務づけられていたものを、使用については審査を簡略化するか、国の審査を廃止して報告だけにするなどが考えられている。
 
 また、10月22日にイギリスの下院を通過した法律は、2001年に制定された細胞の核移植に関する法律やその他の生殖補助医療についての規制を塗り替え、同国の胚研究許可庁(Human Fertilisation and Embryology Authority, HFEA)が監督する研究の種類を従来よりかなり拡大することになった。この法律は今後、上院の承認を得て成立する見込みだ。10月31日付のアメリカの科学誌『サイエンス』が伝えている。

 それによると、今回解禁となる研究の中には、動物の除核卵細胞にヒトの細胞を混ぜる異種間の核移植が含まれている。科学者の中には、これによって人のES細胞を動物から得ることができると考えている人がいて、HEFAはすでに3つのライセンスをこの種の研究に認めているらしい。しかし、反対派の人々は、同庁にはそれを認める法的権限がないとして裁判を起こしている。今回の法律が成立すれば、この問題は規制緩和の方向に決着する。この法律はまた、ヒトと動物の遺伝子をもつ胚や、ヒトと動物の細胞が混合した胚を作成するための研究も認めているという。反対派は、この種の研究はヒトとサルが混合した“ヒューマンジー”を作ると非難しているが、法律は、ヒトと動物が混じった胚を2週間を超えて成長させることと、ヒトや動物の子宮に移植することを禁じているから、“ヒューマンジー”は生まれない、と賛成派は言う。

 この種の研究のメリットについて、専門家はこう語る--例えば、ヒトの精子とヒトの遺伝子をもつマウスの卵子を混合させれば、受精の過程を詳しく知ることができる。また、ヒトの精子の保存法や避妊薬の研究にも役立つという。が、法改正の主要な目的の1つは、どうやらES細胞の量産にあるようだ。
 
 私は本欄などを通じて、ES細胞の研究には一貫して反対してきた。理由は、それがヒトの受精卵を破壊して作るからである。宗教的には、受精卵の段階から人間の霊が関与して肉体の形成が始まっていると考えられる。それを他人の一存で、本来の目的である肉体の形成以外の用途に強引に利用しようとするのは倫理的でない。これに対して、未受精卵の核を除いたものに、体細胞の核を挿入することで受精卵と同等のもの(クローン胚)を作り出す方法がある。が、この場合も、胚が自律的に細胞分裂を行いながら肉体の形成を開始した時点で、霊魂の関与が始まったと考えられるから、それを他の目的に利用することは正しくない。今回“解禁”される研究では、動物の卵子の核を除いたものの中に人間の細胞の核移植を行うことで、人間の卵子を扱う際の様々な倫理的、社会的問題を回避しようとしているのだが、逆に動物と人間の遺伝子が混合する危険性を生んでいる。

 最近の分子生物学などの研究学で、人間と他の生物の遺伝子情報はよく似ていることが明らかになっている。が、どんなに似ているからといって、両者を混じり合わせることで何かの問題が解決するという発想に私は与しない。これは、遺伝子組み換え作物の問題でも言えることだ。人間を含めた生物は、「個体」として在る前に、現象的には何十万年もの進化の過程を経た生態系の一部として--つまり「種」として--存在する。それぞれの生物種は、生態系の中では別々の系として進化し、機能してきたものであり、他の系と混合することはあり得なかった。それを人間が強引に行うことで、自然界を“改善”したり“改良”することができると考えるのは、人間の思い上がりだろう。人間だけが、自然界から離れて生きていけると考える科学者が多いことを、私は不思議に思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月14日

チャリティーコンサートへ行く

 今日は夕方から、生長の家聖歌隊の恒例のチャリティーコンサートへ行った。もう26回目になるというから、四半世紀も音楽活動を続けてきたことになり、そのことだけでも称賛に値する。場所は、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センター内の小ホールで、聴衆はこのホールいっぱいだった。コンサートは2部に分かれていて、第1部にちょうど谷口清超先生の作詞/作曲の聖歌が5曲集まっていた。それらを聴きながら、私は清超先生がそれぞれの歌詞の中、曲の進行形式や使われる和音、また転調の中に、表現されようとしたメッセージを読み取ろうと耳を傾け、心をすませた。恐らく、その場にいた多くの聴衆が私と同じ気持であったろう。
 
 谷口雅春先生作詞の聖歌に「宇宙荘厳の歌」というのがある。生長の家の練成会などでもよく歌われ、私が昔から好きな歌の1つだ。この歌には歌詞が6番まであるが、情景描写のようなものは1番にしかなく、そのほかの歌詞は、七五調の言葉が整然と論理的に組み立てられている。有名な歌なので多くの読者は空で憶えているだろうが、念のために1番だけ掲げる--
 
 荘厳きわまりなき自然
 悠久きわまりなき宇宙
 立ちて仰げばあおぞらに
 銀河ながれて星無限
 
 この歌詞が乗る音楽は、ご存じように行進曲風である。だから、歌詞は静的であるが、全体として躍動感のある荘重な歌に仕上がっている。もう一つの特徴は、歌われる対象である「自然」や「宇宙」は向こう側にあり、歌う人間はこちら側にある--というように、観察者と観察対象とが明確に分離している点だろう。

 これに対応する清超先生の曲が「虚空の讃歌」である。題を「宇宙」ではなく「虚空」としたところに、雅春先生とは違う視点が感じられる。より哲学的な内容の歌詞であり、詩的でもあり、曲も変化に富んでいる。全体が3つの部分に分けられるが、1番から3番というのではなく、それぞれの部分が顕著な「転調」によって結ばれているのである。つまり、同じメロディーを3回繰り返すのではなく、2回の転調を含む3つの異なるメロディーで構成されている。これを続けて聴く人、歌う人は、転調を契機として“別次元”へ引き上げられていくような感覚を覚える--そういう構成になっている。その第1の部分を掲げると--
 
 大空の 奥ふかく
 はるかに遠く どこまでも
 往きて行くなり 果てしなく
 神は見えず 聞こえず
 隠り身に おわしますかな

「奥ふかく」「遠く」「どこまでも」「往き行く」「果てしなく」という言葉をたどって歌っていくから、大空に向かって飛び立ち、空に達すれば、さらに太陽の明るさから次第に遠ざかりつつ、宇宙空間をどこまでも進んでいくというイメージが湧いてくる。が、しかし、「神は見えず、聞こえずに存在している」--このメッセージに突き当たるところに、小さな転調があり、歌詞は天来の声のように新たな曲想をもって心に響く。この歌では、歌い手は宇宙のただ中にあり、観察者と対象とは分離していない。歌い手は、一種の“浮遊感”をもちながら歌詞と曲の流れが導く方向へ飛行していく気持になる。が、その飛行過程で遭遇する言葉は「秩序」「無相」「不滅」「無限」など重く、堅固で、安定感に満ちている点に、深い宗教性が感じられるのである。決して簡単な曲ではないが、心に深く染み入る詩情がある。

 清超先生が逝去された日のブログにも書いたが、こういう独特の宗教音楽が生長の家の聖歌として遺されたことは、私たちの運動の幅を大きく拡げることになっている……そういう感慨に浸りながら、私は妻と2人でコンサート会場を出、暗い夜道を歩いた。すると、闇の中にいても「神は隠り身におわしますかな…」という歌のリフレインが心に浮かび、周囲がなぜか暖かく感じられるのだった。

 谷口 雅宣

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2008年11月12日

モルジブの決意

 地球温暖化による被害は様々な形で現れているが、その最も劇的な形は海面上昇による国土の喪失である。北極の氷原が失われつつあるため、ホッキョクグマが絶滅の危惧に瀕していることは、すでに多くの映画や写真で世界中に伝わっているだろう。が、動物のことではなく、我々人類の同胞が国土を失う可能性について、当事者を除き、いったいどれだけの人間が真剣に考えているのだろうか。昨今の“金融危機”や“経済危機”をめぐるドタバタ騒ぎのために、温暖化対策が忘れられる傾向が出ていることを、私は悲しく思う。日本では産業界の顔色をうかがって、環境省が環境税の導入を実質見送ろうとしていることを、昨日の本欄で伝えたが、この例など“恥さらし”の部類に入るだろう。

 インド洋に浮かぶ千二百もの島から構成されるモルジブという国は、南太平洋のツバル共和国と並び、海面上昇による“消滅”の危機が深刻化している。この国では最近、大統領が新しく替わったが、新大統領、モハメッド・ナシード氏(Mohamed Nasheed)は、モルジブ国民が移住するために外国の土地を買う基金を創設する計画を進めているという。12日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。それによると、ナシード大統領は観光産業から得た資金を基金に回し、スリランカとインドの土地を移住先として購入することを検討中らしい。同大統領の報道官は、「地球温暖化と環境問題はモルジブ国民にとって大きな関心事」だと言い、「我々の国土は、海面からわずか1メートルの高さにあるから、これ以上の海面上昇は国民に悲惨な結果をもたらし、国の存在自体を脅かすもの」だという。

 モルジブの首都・マレは、日本の資金援助で建設された堤防によって周囲を護られているが、そんな備えがない他の多くの島々は、2004年の大津波で海水を被ってしまったという。この国は観光産業で発展してきたが、そのおかげで、20年前には20万人だった人口が今は40万人に達しようとしていて、浸水被害は深刻な問題になっているのである。モルジブのような島嶼国は、自国に責任がないにもかかわらず、先進国が排出する温室効果ガスの増加によって存立の危機に直面しているため、1992年に島嶼国同盟(Alliance of Small Island States)を結成、先進国に排出量を下げるよう訴え続けている。同同盟は現在、ツバル、モルジブのほか、バハマ諸島、マーシャル群島、キューバ、シンガポール、ドミニカ共和国、フィージー、トンガ、ハイチなど43カ国が加盟しており、グワムなど4カ国がオブザーバーに登録されている。人口では、世界の5%を含むという。

京都議定書での約束が守れないような先進国には、少なくとも道義的に、海面上昇で国土を失う人々を受け入れる義務が生じる、と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月11日

日本の温暖化対策は間に合うか?

 今日のニュースは、環境省が発表した2007年度の日本の温室効果ガスの国内排出量だろう。まだ確定していない「速報値」ということだが、前年度比で2.3%増えてしまった。2008年からは京都議定書で定められた削減期間に入るのだが、2006年度は減ったのに増加に転じたことは誠に残念である。主な理由は、中越地震で東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が運転停止に追い込まれ、それを補うために火力発電所を稼働させたことだという。今日の『日本経済新聞』などが伝えている。同議定書では、日本は1990年の水準から「6%」削減することを義務づけられているが、この2007年度のレベルは、その基準値をすでに8.7%上回っているから、あと「15%」近く削減しなければならないことになる。

 こういう現状に危機感を覚えたのか、政府も温暖化対策にようやく力を入れだしたようだ。同じ日の『日経』には、政府が10日にまとめた太陽光発電普及のための行動計画が報じられている。それによると、道路や駅などの公共施設に太陽光発電を設置する場合、事業費の2分の1を国が補助するという。個人の家庭への補助は、2005年度に打ち切られていたのを復活し、年明けにも1kWh当り7万円の補助を始めることがすでに決まっている。また、学校などの自治体の施設へ導入する場合の補助は、事業費の2分の1、駅や空港への導入には3分の1が、これまで補助されてきた。この後者の補助率を引き上げるという決定だ。だから、何か抜本的な対策が行われるわけではない。私は、以前に本欄にも書いたが、ドイツのように、太陽光などの自然エネルギーで発電した電力を、電力会社が買い取る価格を引き上げる対策を実施してほしいのである。これにより、自然エネルギーの導入が利益を生むことになるから、導入の速度は大幅に向上するだろう。

 この問題の解決--つまり、議定書での約束を守る--ためには、日本が得意とする“漸進主義”ではもはや間に合わないと思う。漸進主義とは、積み木を1つずつ積み上げていくように、すでに存在する制度や基礎の上に1つずつ対策を加えていく方法だ。今回の太陽光発電への補助拡大が、まさにこの考えに則っている。また、環境税の導入についても、同じ考えが見て取れるのである。
 
 同じ『日経』には、環境相の諮問機関である中央環境審議会が11月中にまとめる報告書の原案の内容が報じられている。それを簡単に言えば、現行のガソリン税などのエネルギーにかかる税金を、税率はそのままにして、名前だけを「環境税」と言い換えることで環境税にしてしまうという方法だ。これは“ウルトラA”--つまり、何かするように見えて実質は何もしない方法--ではないか。「漸進」しているかどうかも定かでない。同記事によると、この審議会は「3年前の報告書で、石炭など化石燃料にかかる税率を維持したうえで、新たな環境関連税をかけるべきだと主張していた」というが、そういう積極策からなぜか大幅に後退してしまったのである。この理由について、同記事は「負担が増す産業界は“世界一高い法人税を負担するなか、これ以上は耐えられない”と抵抗。中環審は新税を上乗せするのは当面難しいとみて方針転換する」と書いている。何のことはない。環境省は業界の意見を拝聴して譲ったということだ。これでは、経産省のほかに環境省が存在している意味はほとんどない。
 
 東京都の石原慎太郎知事に対しては、その偏向的ナショナリズムや五輪の東京開催などで、私は反対の意を表明してきた。が、環境対策に関しては、意志を明確にした彼一流の手法が奏功している部分もあることを認めざるを得ない。今回は、深夜の都内での広告用照明をやめる件で、業界の一部と合意に達したらしいことが同じ『日経』の都内版で報じられている。それによると、同知事は先月、日本アドバタイザーズ協会、東京屋外広告協会、全日本ネオン協会、東京屋外広告美術協同組合に対して「営業中店舗以外の照明をおおむね午後11時から12時に消灯する」などの協力を要請したところ、このほど大手企業約300社が加盟する日本アドバタイザーズ協会から「零時には消灯するよう周知する」との回答が届いたという。これを受け、同記事は「大手企業の多くが業界団体の要請に応じる見通しだ」と予測している。これで十分とは思わないが、“よいスタート”と言えるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月10日

理性と教典解釈 (2)

 前回は、茅ヶ崎市の男性からの質問に答えたので、今回は厚木市の女性の質問に答えよう。まず、ここでのテーマは「教典の解釈」であって「真理の解釈」ではないことを確認しておく。

 厚木市の女性は、古い時代に書かれた教典を現代人が読む場合、その解釈が昔のものから変わる必要があることは認める。が、そうやって打ち出された新しい解釈が正しいか否かをどうやって判断するか?--という点を質問したのだ。私はこの時、黒板に「理性」という文字を書いた。人間には理性があるから、それによって判断することができるという意味である。そして、理性をめぐるイスラーム内部の考え方の違いについて触れたのだった。
 
 昔からの本欄の読者ならば、イスラームの中の「理性主義」について私がやや詳しく書いたことをまだ覚えておられるだろう。このテーマは、6日の本欄で紹介した私の新刊書『衝撃から理解へ--イスラームとの接点をさぐる』(生長の家刊)の中にも含まれているから、ここでは同書のページを示しながら説明していく。
 
 あえて大ざっぱに言えば、イスラーム内部の二大宗派である「スンニ派」と「シーア派」の違いの1つが、教典解釈における理性の位置づけなのである。宗教の教義を導き出す元になるものを一般に「法源」(真理の源の意)と呼ぶが、イスラームにおける法源は、①コーラン、ハディースなどの教典、②イスラーム共同体の合意、③理性、などが挙げられている。このうち①と②は、スンニ派でもシーア派でも共通しているが、③の理性については、前者よりも後者の方が尊重度が高い。また、スンニ派の中でもムータジラ派の流れをくむものは、理性を重んじる法解釈の立場を現在もとっている。このへんの話は、前掲書の144~161ページに詳しい。しかし、今日の問題は、中東などのイスラームの考え方が、スンニ派の中でも理性を法源として認めないワッハーブ主義であるということなのだ。
 
 現在、ニュース報道などで「イスラーム原理主義」という言葉が使われるときは、ほとんどがワッハーブ主義か、それに準じた考え方のことを指す。ワッハーブ主義の説明は、前掲書の53~60ページにあるが、それをひと言でいえば、上記の法源のうち、①を極端に重んじ、他を無視ないしは軽視する考え方であり、①を適用するのに厳格な「字義どおりの解釈」を行うところに特徴がある。これによって、現代のイスラーム社会でどんな問題が起こっているかは、多くの読者はご存じのことだろう。
 
 私が今なぜ、イスラームのことを引き合いに出しているか、賢明な読者は気づかれているに違いない。宗教の教典を「字義どおりに解釈する」ということは、解釈の余地を最小限に狭めるということである。これを行っている実例が今、目の前にあるのだから、そこから学ばねばならないのである。つまり、法源から理性を排除した信仰によって、平和はもち来されることはないと言える。前掲書の225~226ページには、現代のイスラーム原理主義国家で禁止されていることが列挙されているが、このリスト(下掲)を見れば「理性ぬきの信仰」がいかに息苦しく、心の平安をもたらさないかが、理解されると思う--
 
 ・あらゆる形態の歌舞音曲を楽しむこと
 ・宗教番組を除くテレビ番組を視聴すること
 ・花を贈ること
 ・拍手喝采すること
 ・人間や動物の姿を描くこと
 ・劇に出演すること
 ・小説を執筆すること
 ・動物や人間が描かれたシャツを着ること
 ・あごひげを剃ること
 ・左手でものを食べたり書いたりすること
 ・立ち上がって人に敬意を表すこと
 ・誕生日を祝うこと
 ・犬を飼ったり可愛がったりすること
 ・死体を解剖すること
 
 谷口 雅宣

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2008年11月 9日

理性と教典解釈

 今日は、生長の家講習会が横浜市の横浜アリーナで開催された。さすが首都圏だけあり、寒い曇天の中ではあったが、1万人を上回る受講者の方々が集まってくださった。私はいつものように、午前1時間、午後1時間強の講話と世界平和の祈りを担当したが、信徒の方々の体験談が多彩で、内容が深く、また午前中の講話への質問も数多く(30以上)提出され、また中身の濃いものが出たことはよかった。そんな質問の中で、宗教の教典の解釈についてのものが2つ出た。
 
 1つは、52歳の茅ヶ崎市の男性のもので、次のようなものだ--
 
「教典の解釈は時代に依って変わる、変らなければならないと先生はお話下さいました。しかし、真理の解釈は時代によってコロコロ変わるものではないと思います。また雅春先生はそのように説かれたのでしょうか?」
 
 2つめは、厚木市の女性(年齢不詳)からで、こういうものだ--

「合掌 ありがとうございます。本当のよい教えの神髄は一つと思っています。教典の解釈は時代によって変えていかなくてはいけない、と仰っていたように思ったのですが、必要なことだとは思います。ですが、その解釈が正しいかどうかはどのようにしてわかりますか?」

 私は午前中の講話で、「宗教の神髄は一つ」ということと「宗教はみな同じことを説く」というのは、意味が違うと述べたのだった。前者が生長の家のいう「万教帰一」の考え方だが、後者はそれを誤解したものである。ここでのキーワードは「神髄」という言葉で、その意味は「その道の奥義。薀奥」(『新潮国語辞典』)である。「薀奥(うんおう)」とは難しい言葉だが、「学問・技芸などの奥深いところ」を意味する。宗教では、「教えの奥深いところが共通している」というのが万教帰一の意味である。「浅い」ところも「中間」のところも同じである、という意味では決してない。私が“宗教目玉焼論”などと称して、宗教を“白身”の部分と“黄身”の部分に分けることを訴えているのも、この「奥深いところ」(黄身に該当)の共通性を強調するためである。“白身”とは、“黄身”に含まれている教えの神髄を、宗教指導者がその時代の、その土地の人々に、できるだけ効果的に伝えようと様々に工夫した用語であり、様式であり、方法であり、制度などである。この2つを混同したり、2つではなく1つであると見なすところから「原理主義」の様々な弊害が出てくるのである。
 
 この辺の話は、私はすでに『信仰による平和の道』(2003年、生長の家刊)の第1章で詳しく述べたので、ここでは繰り返さない。上記の質問をした茅ヶ崎市の男性は、恐らくこの本を読んでおられないに違いない。だから、谷口雅春先生が『生命の實相』頭注版第39巻仏教篇の「はしがき」で、同様のことを書かれていることもご存じないのだろう。

 それに「教典の解釈」と「真理の解釈」とは意味が異なるのに、それを言い換えていることも気になる。前者の意味は、教典の中に書かれた文字の意味を明らかにすることであり、後者は、真理そのものの意味を明らかにすることである。前者は教典が存在しなければできないが、後者は教典がなくてもできることである。そして、私が午前中の講話で「万教帰一」を説明した時には、前者のことを言ったのであり、後者のことは言わなかった。しかし、まあ、話し言葉は書き言葉よりも誤解される余地が大きいので、この男性の誤解は許容範囲内だろう。
 
 それにしても、誤解してほしくないのは、「真理は時代によってコロコロ変わる」などと私は言ったことも書いたこともないという点だ。だいたい「真理」というものは、時代の変遷によっても、位置の移動によっても変わらないから真理なのである。すると残る問題は、「真理の解釈」は時代によって変わるか変わらないか、である。この際、「コロコロ」という修飾語は排除して考えよう。なぜなら、これは使う人の主観によって意味が変動するからだ。「毎年変わる」のがコロコロなのか、「10年に1回」がそうなのか、それとも「1世紀ごと」でもそうなのか……など、不毛な議論だろう。

 『新潮国語辞典』によると、解釈とは「意味を解き、明らかにすること」である。とすると、私は、真理の意味を解き、明らかにすることが時代によって変わることは、十分あり得ると思う。これは、自然科学の世界では少しも珍しいことではない。かつての“真理”だった天動説が地動説に変わり、現代では、それがさらに変わって相対性理論が“真理”とされていることを思い出せば、多くの読者も納得されるに違いない。

 谷口 雅宣

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2008年11月 7日

絵封筒、届きました。(2)

 11月3日の本欄に同じ題で書いたばかりだが、その時いただいた方と同じ島根県の別の白鳩会員さんから、絵封筒が届いた。ご覧のように、夕焼けで紅く染まる宍道湖を滑っていく観光船を描いた秀作である。この白鳩会員さん(Aさん)は、手紙の最初で生長の家総裁、谷口清超先生の冥福を祈られた後、生長の家講習会のことを書いておられる。ごF_adchi110708_2 当人は現在68歳だが、講習会には谷口雅春先生の時代から夫婦で参加してこられただけでなく、最近では実行委員として会場の受付係を務めてくださっているという。旦那さんについては、「私の夫は、総裁谷口清超先生の講習会の時代に送迎の運転を何年もさせていただける大役を致し」と書かれている。また、「或る年、米子空港へ先生をお迎えに主人が参りました時、大根島の廃船がお気に召され、車をしばし止めたという話を思い出しております」ともある。この中の「先生」とは多分、私のことだ。
 
 松江市から見ると宍道湖は西側にある。が、大根島とは、その反対の東側に広がる中海の中央部に浮かぶ島である。面積が約5平方キロで、ヤクヨウニンジンとボタン(島根県の県花)の産地として有名である。中世の頃は「焼島(たくしま)」と呼ばれ、『出雲国風土記』では「タコ島」と読ませているという。この辺りは昔から漁業が盛んだったが、近年は高齢化と過疎化の影響もあって、漁に出ない人々が増えているらしい。そのため、大根島の周囲には、半ば水没したような格好で廃船が何隻もつながれていた。もう5~6年前のことだと思う。現在も恐らく廃船はあるのだろうが、今年の講習会では見ずじまいになってしまった。

「廃船を気に入る」というのは、妙な趣味だと思われるかもしれない。しかし、民家がポツポツと並ぶ静かな農村の脇に、波一つない湖のような入り江が迫り、そこに塗料が剝げ、半ば水没した木造船が舳先を天に向けて傾いているさまは、寂寞とした雰囲気の中にも、自然と人間との何か親しい関係を映し出しているように感じた。朽木となっても船としての意志を維持し続けている廃船に、私は白骨のような威厳を見たのである。それは、古いまな板や大工道具、多くの人々が踏みしめた石道、古い機関車、歴史的建造物……などと同じように、人間と自然との厳しいながらも、温かい共存関係が生み出した“作品”なのである。いずれ絵に描きたいと思っていたが、機会を逸してしまったようだ。

 Aさんの絵封筒とお手紙から、こんな記憶がよみがえってきた。

 谷口 雅宣

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2008年11月 6日

単行本『衝撃から理解へ』

Shogeki2_  前回の本欄で、9・11事件の後に、生長の家では「イスラームという宗教を知る努力が本格化した」と書いた。これは、本欄でも数多くイスラームを取り上げただけでなく、昨年と今年の生長の家教修会でもイスラームをテーマにした研究発表が行われたことを指す。が、このことは、我々がイスラームを完全に理解したという意味ではない。まだ研究の途上にあるが、一部理解が進んだという程度のものだろう。その理解を1冊の本にまとめたものが、まもなく生長の家から発刊される。『衝撃から理解へ--イスラームとの接点をさぐる』という題の拙著で、少し硬い内容の本だが、本欄の読者にはお勧めしたい。
 
 本欄でイスラームについて書いた文章は、すでに『小閑雑感』シリーズ(世界聖典普及協会刊)の第10~11巻などに収録されている。が、このシリーズでは、ブログの形式にならって時系列的にいろいろのテーマの短い文章を並べてあるから、一つのテーマについて集中して読みたい読者には、なかなか使いにくいのである。そこで、2005年夏以降のイスラームに関する記述だけを集め、横書きを縦書きにし、小見出しをつけ、註を補うなどの加筆修正を加えると、四六判で280ページほどの単行本になった。
 
 2部構成になっていて、第1部「イスラームの衝撃」は、ジャーナリズムのイスラームに関する報道から材を取り、今日のイスラーム社会の“外観”を描き、それが私に与えた“衝撃”を語っている。第2部「イスラームへの理解」は、そういう“外観”からは分からない、イスラームの中にある考え方や教え、イスラーム内部の“分裂”の状況などを、研究書などをひもといて理解しようとした試みである。上述したように「よく理解した」のではなく、「一部理解が進んだ」程度である。それでも、読者がこの本を読んでいただけば、イスラーム諸国で今起こっている出来事の“背景”が分かるから、さらに理解を深めるための足掛かりになると思う。巻末には参考文献も付してあるから、意欲的な読者は、それら専門家の著作にもあたり、理解を深めていただきたいと思う。
 
「自分は生長の家を学びたいのであって、イスラームなどどうでもいい」と思う読者には、この本は無理にお勧めしない。しかし、イスラームが世界第2の信者数を抱える大宗教であること、イスラーム諸国の人口動態などからいって、この教えはまもなく世界第1の宗教になること、また、イスラームへの理解がなければ生長の家の「万教帰一」は絵に描いた餅であること、などに思いいたってほしいのである。また、イスラームと生長の家との共通点を知りたい人は、この本の最終章「イスラームと生長の家」をまず読んでから、他の章へと読み進んでもらってもいい。この本には、イスラームの教義についての体系的な説明はない。それに興味のある人は、参考文献をたよりに次の段階へと進まれるのがよいだろう。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月 5日

オバマ大統領の誕生

 今日は生長の家本部でほぼ1日、重要な会議があった。が、昼休み中の私の関心は、アメリカ大統領選挙の結果だった。朝のNHKニュースでは「早ければ昼には結果が判明する」と言っていたので、12時過ぎにテレビをつけて結果を知ろうと思った。が、その時点での当落は確定しておらず、結果は会議後の夕方に知った。
 
Obamas_c  接戦かと思っていたが、大差でオバマ氏が勝利した。私は、結果が最後まで分からなかった前回のブッシュ=ゴア戦が一種の“トラウマ”になっていたから、早期の結果予測を自分の中で控えていた。が、それだけに、今回のアメリカ国民の明確な意思表明はうれしかった。私が本欄でブッシュ氏の内外の政策を批判してきたのと同様に、アメリカ国民の大半は、ブッシュ氏の路線からの決別を選択してくれたのだ。アメリカ国民の選択の正しさと賢明さに尊敬の念を表すとともに、心から感謝申し上げたい。
 
 外国人の1人にすぎない私が、アメリカの大統領選挙の結果に感謝するのは奇妙だ、と読者は思うかもしれない。が、アメリカには多くの生長の家信徒がいるから、同国の政策によってそれらの人々の生活や布教活動が影響される。また、私はアメリカの同盟国の国民であるから、同国の政策によって生活や運動が影響を受ける。それだけでなく、アメリカは現在、世界一の軍事力と経済力をもっているから、その政策によって世界が影響される。そういう重要な政策の中で、地球温暖化対策とエネルギー政策、そして外交の分野において、私はブッシュ政権とはいくつかの点で考えを異にしてきたのである。オバマ大統領の誕生により、これらの政策の変更が十分な現実性をもって期待できるのだから、ありがたいと言わざるをえないのである。

 生長の家の運動との関連で、もっと具体的なことを言おう。「9・11事件から世界は変わった」とよく言われるが、生長の家で変わったのは、イスラームという宗教を知る努力が本格化したことである。生長の家の重要な教義の一つである「万教帰一」の教えの妥当性が、ここで問題になったのである。読者には大袈裟に聞こえるだろうか? 別の言葉で表現すれば、世界第2の信者数をもつこの宗教の教えの中に、生長の家が奉ずる真理と共通するものが本当にあるのならば、なぜあのような無慈悲で残酷な殺戮がイスラームの名で行われるかを説明しなければならない。また、それと同時に、「悪はない」という「唯神実相」の真理を我々が奉ずるならば、一見して誰もが“悪”と見るテロ行為を宗教的にどう把握し、それに対してどう処すべきかを現実問題として考えねばならない--そういう問題提起を「9・11」は行ったといえる。ブッシュ政権のこれへの対応は、イスラーム原理主義者を「悪」と見立て、それとは交渉を拒否し、無条件に破壊するというものだった。が、その政策が成功していないことは、今や誰の目にも明らかになっている。
 
 ブッシュ政権のもう1つの失敗は、地球温暖化問題への消極的対応である。京都議定書への加盟を拒否したブッシュ氏は当初、「地球温暖化は人間の活動とは関係がない」とまで言っていた。現在も、そういう意見を表明する識者はごく少数だが日本にもいる。が、近年の2回にわたるノーベル平和賞が、この問題の原因が人間の活動であるとする立場の活動家と科学者グループに授与されて以来、世界の潮流は、アメリカも含めて、「低炭素社会への転換」へ向って大きく動き出している。そういう時点で、民主党のオバマ大統領が誕生することで、アメリカ国民のエネルギーと創造力が地球温暖化抑制へと大きく舵を切ることが期待されるのである。
 
 日本の政治・経済は、このアメリカの動きに大きく影響されるだろう。誠に残念なことだが、日本の内政は自浄作用によって改善する余地がなくなりつつあるように見える。経済システムも、低炭素社会への早期切り替えに役立つようには動いていない。こんな閉塞状況にあっては、江戸末期の“黒船の来航”のように、アメリカ初の黒人大統領・オバマ氏が、日本社会の目を覚ますような一矢を放つ可能性を私は密かに期待している。
 
 谷口 雅宣

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2008年11月 3日

絵封筒、届きました。

 最近、島根県の白鳩会員さんから絵封筒をいただいた。収穫なった稲を丸太に掛けて乾燥させる「稲掛け」を近景とし、遠景には民家とその背後に広がる山々を全面に描いたF_hosh103108 大胆な構図で、受け取った私は「へぇー」としばし見とれてしまった。この方(仮にHさんとする)は、姑の介護などで多忙な毎日を送っておられたが、私の妻が夕食後の短い時間に毎日絵手紙を描いていることを本で読み、また、島根教区の中内英生・教化部長も、実家の母上に絵手紙を送っている話を聞いて、一念発起して自分でも絵手紙を描くことを決意され、夕食後の短い時間にそれを始めたという。今年の6月から開始したと手紙に書いておられるが、なかなかの腕前である。
 
 Hさんは絵手紙を描いているときの心境について、「絵筆をとっていると、いやな思いもいつしか消えてしまいますので不思議です」と書いている。また、私に送ってくださった絵封筒については、次のように述べている--
 
「今回、絵封筒は初めて描いてみました。『光のギャラリー』の本を参考に、絵の中に切手をどう取り込むか考えましたが、ちょっと時間がかかるのが難ですが、絵手紙とは又違ったおもしろさ楽しさがあると思いました」。

 初めて描いたにしては、見事ではないだろうか。
 
 私は、最近の生長の家講習会では、『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)から引用しながら、我々の“右脳”が外界の情報を感じたまま受け取っていても、“左脳”がそれを無視したり、解釈によって抑圧したり、捻じ曲げることが多いから、たとえ現象世界であっても、我々はそこから正しいメッセージを受け取っていないことが多い--という話をする。Hさんが上で「絵筆をとっていると、いやな思いもいつしかきえてしまいます」と言っているのは、「いやな思い」というのが、我々の“左脳”の勝手な解釈から来ることを有力に示している。絵を描くことは、普通は“右脳”で行う作業であり、そこで美しいもの、面白いもの、楽しいもの等を感得したときに行われる。そして、そういう「明るいもの」に注意を集中しているときには、我々はその反対の「暗いもの」や「醜いもの」を心中から排除してしまう傾向があるのである。

 そのことを、私は講習会で「我々は対極のものを同時同所に認められない」などと言って説明している。有名な諺の「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という性向を、少しむずかしく表現しているだけだ。「憎い」という一方の極端な評価が「坊主」にくだされている時には、その同じ場所にある「袈裟」も(どんなに愛すべき袈裟であっても)同種の極端な評価がくだされる--そういうことである。我々の“左脳”は、主として言語による世界の解釈に使われている。そして、言語情報のかなりの部分を、我々はマスメディアから受け取っている。そして、本欄でもしばしば指摘しているように、マスメディアから来る情報のほとんどは“暗く”“悪い”情報である。こうして、“右脳”を活性化して「明るいもの」に注意を振り向けることは、“左脳”がつくり出す過剰に暗い世界のイメージを打ち消す効果を生む、と言っていいだろう。

 谷口 雅宣

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2008年11月 2日

芭蕉の作句

 今日は岐阜市の岐阜メモリアルセンターで生長の家講習会が行われ、約6千名(5,930人)の受講者が岐阜県下を中心に参集してくださった。谷口清超先生のご昇天から5日しかたっていないということで、それを報じる生長の家の機関紙『聖使命』の号外も当地には未着だった。そんなわけで、開会の冒頭で司会者からご昇天の事実を簡単に述べていただき、続いて30秒の黙祷の時間をもった後に、講習会を始めた。私に先立って講話に立った妻(生長の家白鳩会副総裁)は、清超先生が3年8カ月の静養期間の後に静かに息を引き取られた様子を、簡単に説明した。私は、教団の最高指導者が死亡しても生長の家が運動を中断しないのは、我々の最大の使命は「人間・神の子」の真理を伝えることにあると考えているからだということを述べて、『聖使命』紙号外の記事のリード文だけを朗読して、いつもの講話に入った。
 
 宗教家の講話は、一種の作品である。その作品の出来ばえがどうであるかは、受講者のその場での反応と、会を終えたあとの反応から推し量るほかはない。そういう意味では、ときどき講話の感想を教えてくださる受講者がいることは、とてもありがたい。私としては、いつの講話でも満足のいくことはないが、今日は特に、風邪のために喉を傷めていたこともあり、やや聞き苦しいものだったかと危惧している。

 岐阜市へ向う新幹線で読んだ車内誌『ひととき』の11月号に、俳人の小澤實氏が芭蕉の作句態度の厳しさについて書いていた。ここで取り上げられている句は、有名である--
 
 旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る
 
 この句は、元禄7年(1694年)10月に作られた芭蕉の生涯最後の発句だという。その頃、芭蕉はいさかいを続けている2人の弟子--酒堂と之道--の間に入って苦労していた。が、仲裁はうまくいかず、そのための心労も手伝って芭蕉は体調を崩して発熱、下痢などに見舞われる。10月5日、彼は現在の大阪中央区にある静かな家に居を移して静養することになるが、8日の夜になって弟子を呼び、墨をすらせて書き取らせたのが、この句だという。「旅」とは、だから文字通りの旅というよりは、「人生の旅」というニュアンスをもっているに違いない。弟子たちの仲違いを解消させようと努力することも人生の旅程の1段階だが、それがうまくいかずに病に倒れる。が、床に伏していても、弟子間の仲裁をうまくいかせる方法を“夢”にまで見て考えている師がここにいる--そういう解釈が成り立たないだろうか。
 
 小澤氏によると、この句には同時にできた別の形のものもあったという。それは--
 
 ○○○○○なほかけめぐる夢ごころ
 
 というもので、最初の5文字に季語を入れた形のものだが、欠字の部分に小澤氏は「枯草や」を仮に入れている。しかし、本当は何だったかは不明である。それで芭蕉は、死の3日前に、弟子の支考にこの2つの句のどちらがいいかを尋ねているのである。10月10日には高熱が出て容体が急変し、同じ支考に遺書3通を代筆させ、兄には自筆で遺書を残したという。芭蕉の逝去は、12日の午後4時ごろとされる。ということは、この句はほとんど辞世の句なのだが、それらしさはない。その理由として、小澤氏は芭蕉のことばに「平生則ち辞世なり」というのがあると指摘している。そして、弟子の路通が『芭蕉翁行状記』の中で、そのことを次のように解説していると紹介している--「先生はふだんの句がそのまま辞世の句ですと言っていました。そういう方にどうして臨終の折に辞世の句がありましょうか」。

 自分の作品の1つ1つが、辞世の句になるような力の入れ方を、芭蕉はしていたのである。その真剣さに、私は頭が下がる。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○『ひととき』2008年11月号(株式会社ウェッジ)
 

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