本は電子化する
昨日の本欄にも書いたように、今のインターネット技術を使えば、ひと昔前には考えられなかったことがやすやすとできる。大量の情報が瞬時に世界中に送れるというメリットを、宗教が伝道に活かすことができるか否かで、その宗教の成否が決まってしまう時代になりつつある、と私は思う。いや、今回のアメリカ大統領選挙でも、インターネット技術の利用の仕方が候補者の資金力を左右することが明らかになっているのだから、宗教や政治だけでなく、教育も企業経営も環境保全運動も、発明もリクルートも友達づくりも、農業も漁業も宇宙開発も……ということになってくるだろう。もちろん、宗教上の真理の把握や“悟り”、“愛”や“慈悲”の実践までがコンピューターだけでできると言うつもりはない。が、そういう宗教の“神髄”の部分ではなく、“周縁”の技術的方面でこの技術を活用することは、宗教運動も真面目に検討すべき時になっているのである。
例えば、生長の家は“文書伝道”によって教勢を伸ばしてきた歴史があるが、今日は宗教が本や雑誌を使って伝道することはごく当り前になっている。また、ひと昔前は、森林伐採によって地球が棲みにくくなるなど考えられなかったから、本や雑誌--とりわけ、人々のためになる宗教、倫理、道徳に関するもの--を出版することは“善いこと”だと考えられてきた。しかし今日では、「地球環境を大切にしよう」という内容の本を出しても、「そういう本の出版が、森林や資源の枯渇を招いている」と批判されることがあるのである。生長の家でも、昔は月刊誌を百部とか千部一括して購読する人は尊敬の眼差しで見られたが、今では疑問視されることもある。これらは皆、伝道や運動の「方法」に関するものであり、それによって伝えられる真理の「神髄」や「内容」ではないから、宗教の“周縁”に属することだ。この“周縁”部分は、時代の要請が変化するとともに、必要なものは変えていくべきことは、私が本欄や生長の家の講習会などで繰り返し訴えてきたことである。
今は、読者が本欄を読んで下さっているように、“文書”は電子情報として世界中を常時飛び回っている。電子情報は、伝統的な紙媒体による「書籍」と違い、運搬費も運搬時間もほとんどゼロ、大きさもほとんどゼロであり、複製が簡単にほとんど無限回できる。この特長を正しく利用すれば、書籍は早々に地上から消滅する--と、ずいぶん前から言われてきた。が、ご覧のとおり、書籍(本)は生き続けている。これは多分、我々人間が、一定の大きさと重さのある「モノを所有したい」という願望をもち続けており、また、書籍のような形態の情報媒体を「持ち歩き」「開き」「ページをめくり」「触れ」「飾る」ことから、満足感を得ているからだろう。が、情報機器の小型化と高機能化が進んでいる昨今は、そういう書籍であっても、売上げはどんどん減っている。そんな環境の中で、昔からの書籍を電子化する作業が大規模に行われていることは、出版業界の一大変化を予告するものだ。
30日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、インターネット検索最大手のグーグルが、アメリカの出版協会と作家協会との訴訟で和解合意に達したことで、絶版本のネット上での公開が実現する素地が整ったことを伝えている。その合意によると、グーグルは1億2500万ドルを支払うことで、ネット上で絶版本を公開し、販売する仕組みを構築することができるという。グーグルは2004年以来、アメリカの大学や研究機関と協力して、それらの蔵書のデジタル化を進めてきた。これまでに700万冊のデジタル化が終っており、このうち400万~500万冊は絶版本という。同社は今、本の検索サービスにおいて、これらの本のうち権利者の許可のないものは、ごく一部しか読めないようにしているが、今回の合意により、本の内容の2割までを無料で読めるようにすることができ、有料では本全体が読めるようにできるという。このサービスにおける収入は、同社が37%を得て、残りの63%を出版社と著作権者で分けるらしい。また、同社がこのサービスに広告を載せた場合は、広告収入もこれと同じ割合で三者に分配されるという。
このような仕組みが日本でも実現すれば、「書店にない」という理由で読めなかった本が、ネット上でいつでも読めることになる。そして、読者が紙媒体の「書籍」という形態にこだわらなくなれば、流通本が絶版本になる速度がしだいに速まり、取次店も書店も不要になる事態に至るかもしれない。しかし、この場合の“絶版本”とは「紙媒体での絶版本」にすぎず、本はネット上で永久に生き続けることになるのかもしれない。これに伴い、書籍の形で流通する本の数は大幅に減るのではないだろうか。これは今、音楽のネット販売が増え、CDの売り上げがどんどん減っている事態の再来である。そういう近未来を見越した現代の新しい“文書伝道”方法の開発が今、緊急に求められているのである。
谷口 雅宣
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コメント
先生ありがとうございます。本の電子化についてですが、家にパソコンがない家庭も(函館では)多くあります。函館は高齢者も多いのです。だから僕は本の方がいいと思います。もちろん昔に比べたらパソコンのある家庭は増えたとは思います。でも昔、家もそうでしたがパソコン高くて、また仕事で使うひと以外では必ずしも必需品ではないと思います。これは田舎の事情です。参考にしてください。僕はもう絶版になった雅春先生の聖典「新ファウスト物語」読みたくてたまりません。これは電子化して有料でもいいからパソコンで復刻版がでて欲しいです。僕は今、読むことが可能な雅春先生の聖典は(全部おぼえているかどうかは別として)ほとんど一回は読みました。東京から函館教区に来た白鳩会の先生に貸していただきあの幻の聖典「神を審判く」まで読んだことがあります。絶版の聖典も如意宝珠で古本屋に偶然売っていて持っています。図書舘にリクエストして読んだのもあります。この聖典、宇治の本山員になれば読める図書室にあるそうです。知ったときはもう宇治の研修生を卒業したあとでした。残念。日本教文社に直訴状をだしたら。「ある程度売れる見込みがないと復刻できないのです。ご希望には答えられません」と返事が来ました。先生2冊持っていたら有料でいいですから売ってください!ちなみに総本山の温故資料館のガラス張りのなかにおいてあったのを見つけました。貸して欲しかったです。漫画版は読みました。
投稿: 奥田健介 | 2008年11月 1日 23:29
合掌
ありがとうございます。
先生にはいつも新しい観点で私たちをご指導くださいますこと心より感謝申しあげます。
まさしくこれからの時代は
電子媒体の時代だと思います。
先生が述べられている
「地球環境を大切にしよう」という内容の本を出しても、「そういう本の出版が、森林や資源の枯渇を招いている」
運搬費も運搬時間もほとんどゼロ、大きさもほとんどゼロであり、複製が簡単にほとんど無限回できる。
全く同感であります。
私たち生長の家の信徒が早くこの電子媒体
に(幹部・役員だけでも)この世界に突入しなくてはならないと思います。
あまりにも少なすぎます。
私たちも電子媒体での伝道に頑張り努力致します。今後ともよろしくご指導をお願い申しあげます。
今日は先生の新しい観点での私たちへのご指導にたいし心より敬意を表し感謝申し述べさせていただきました。
合掌 ありがとうございます。
投稿: 河内 千明 | 2008年11月 2日 08:42
副総裁 谷口雅宣先生
合掌 ありがとうございます
時宜に応じた画期的な御指導を感謝申し上げます。兼ねてより電子化促進に共鳴するものでございます。既に国内外で文化財のデジタル・アーカイブが進捗し、電子図書館等におきましても、多くの電子書籍が閲覧可能な時代となりました。「文書伝道」の現代版とも考えられる「Web伝道」(仮称)的な展開により、日時計主義の賛同者が飛躍的に増加すると想われます。(捕獲の概念が想定される “Net”ではなく、人との繋がり、結び目をイメージする“Web”を使用させていただきました。)
また、有限的な地球資源へ向けられていた人間の欲望を、無限的な“サイバースペース”(電脳空間)へ転換する事により、環境問題解決の方向へ向かうと考えます。一方、電子媒体自体の劣化や互換性の関係上、保存媒体を選択する(アナログとデジタルの両方、又は二者択一等)必要性も生じると思います。そこで、情報資源そのものの価値判断基準も大切になると感じております。
また、高度情報社会の進展に伴い、知的財産権など法や倫理の問題が浮上しておりますが、それらの根本的解決法は、やはり日時計主義の精神に内在すると思われます。いずれに致しましても、電子書籍(聖典・普及紙)・電子図書館など、新しい媒体の更なる進展を楽しみにさせていただきます。 (勉強不足により、文章がまとまらず失礼致します。) 再拝
●参考HP:国立国会図書館-National Diet Library (http://www.ndl.go.jp/ )
●参考文献:武邑光裕 1996(第1版) デジタル・ジャパネスクーマルチメディア社会の感性革命 NTT出版
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投稿: Mifumi Kawabe | 2008年11月 2日 18:04
瞬時消滅のこの世において人間の書籍への拘りが無くなれば確かに紙媒体による情報、伝道は日々刻々と減少していくのではないか?事実、著名な作家瀬戸内寂聴さんは86歳と言う年齢にもかかわらず携帯小説に「あしたの虹」を発表されていて、インターネットで読む事が出来ます、きっと近い将来、紙を大量に使わなくても済む時代が来るのだろう、、と思います。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年11月 2日 21:11