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2008年10月 8日

対称と非対称 (6)

 ユング派の精神分析学者で文化庁長官もつとめた河合隼雄氏の『ユング心理学と仏教』という本に、本題について示唆に富んだ記述がある。6日の本欄で私が書いたのは、「自然との一体感」は昔から洋の東西を問わず人間の心に存在するものであって、これを“日本人特有”とか“東洋特有”と考えるよりは、人間の心の「対称性論理」と「非対称性論理」の関係で説明する方が事実に即しており、説得力があるということだった。これを別の言葉で表せば、「自然との一体感」は程度の違いはあっても人類に共通するものだということだ。その前提の下で東西を比較すれば、“東”は対称性論理が非対称性論理に勝っていて、“西”はその逆であるかもしれない、ということだ。

 河合氏はこれを「自我」と他者との関係に置き換えて、次のように述べている--
 
「他と区別し自立したものとして形成されている西洋人の自我は日本人にとって脅威であります。日本人は他との一体感的なつながりを前提とし、それを切ることなく自我を形成します。(…中略…)非常に抽象的に言えば、西洋人の自我は“切断”する力が強く、何かにつけて明確に区別し分離してゆくのに対して、日本人の自我はできるだけ“切断”せず“包含”することに耐える強さをもつと言えるでしょう」。(同書、p.40)

 河合氏は、このように“自我”の共通点を認めながらも“東西”の違いを把握するという複眼的な認識をしている。目に見えない心の問題については、十把一絡げの論理よりも、こういう丁寧な分析が必要と思う。また、このような共通点に立った上での日本的特徴として、河合氏は“母性原理”の強さを指摘しているのが興味深い。同氏は、「否定的な太母のコンステレーション(布置)が(…中略…)日本全土にわたってできていると直覚した」といい「その顕われのひとつとして、日本に不登校が多く発生するという現象がある」と述べている。
 
 河合氏のいう母性原理の強さとは、「母なるもの」(母だけではない)への依存度が強いということだろう。精神分析の治療者とクライアントとの関係では、「治療者が無際限に何でも受けいれる太母であることが期待されるのです」(p.47)と同氏は書いている。このことから、同氏は日本神話では太陽の女神である天照大神の重要性を挙げている。宗教活動の中では、個人指導における講師と相談者の関係がこれに該当するだろう。また、運動組織における上位者と下位者の関係にも当てはまるかもしれない。
 
 多くの読者は、天照大神と須左之男命の物語をご存じだろう。その内容を思い出していただければ、両者の関係が密接であるにもかかわらず必ずしも円満でなく、やがて悲劇につながっていくことの中に、現代の日本社会の母と子の関係に共通するものを感じるに違いない。これなどは、対称性論理の過剰を示しているのではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○河合隼雄著『ユング心理学と仏教』(1995年、岩波書店)

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コメント

日本人が西洋人にに比べ依存心が高いか低いか?自我が強いか弱いか?何に依存するのか?よく分かりませんが歴史や教育内容、経済状況、生活環境に依って個々人千差万別ではないでしょうか、、、例えば自分の思い、行為は考えずに只神仏に御願いばかりする人もいれば無神論でそんな人を笑う人もいます、又宮本武蔵の様に「神仏を敬して、神仏を頼らず」と言う人もいます、釈尊は「自灯明」と言う事を教えておられると思います、そしてそう言う意識もそれぞれ何かの縁で良い悪いは別にして日々刻々と変化して行きますので捉えようが無いのではないか?と考えますがどんなものなのでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年10月 9日 02:14

尾窪さん、

 貴方の質問のほとんどは「現在意識」に関することです。しかし、河合氏も私も、ここで扱っているのは「潜在意識」や「無意識」に関することなのです。

 失礼かもしれませんが、貴方は、無意識や潜在意識に関する本、また精神分析に関する本を1冊でも読んだことがおありですか?

投稿: 谷口 | 2008年10月 9日 13:48

最近買い求める本が、天照大神と須左之男命に関するものが多く、中にはタイトル等からは関連無いと思われるものを購入しても、天照大神や須左之男命について少し書かれていて、『またか…』という感じです。しかし、この様な解釈には初めて出会いました。今私は、ある悩みを持つ方から相談を受けています。まだ解決にはいたらず、私では相談相手として役不足ではないかと悩んでおりました。これを読ませて頂いて、何かムクムクと解決の糸口が湧いてきました。ありがとうございます。私がその方に何を話せばよいのか、どの様な方向から話を持っていったらよいのか、問題点としてのピンポイントがハッキリとわかりました。また、河合隼雄氏が太陽の女神:天照大神の重要性を述べているとは…なるほどです!私も今は、月よりも太陽が好きです☆

投稿: Y.S | 2008年10月 9日 15:57

谷口雅宣副総裁様
全然失礼ではありません!ご指摘の様に精神分析の本は読んだ事がないのです、副総裁の文章の中からのみの考えですから私の頭の体操にはなっても噛み合わないのかも知れません(泣)、理解出来ないだろうと思われましたら気軽に無視しておいて下さい(笑)。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年10月 9日 15:58

合掌 有り難うございます。前後6回にわたり“対称と非対称”について、素晴らしいご指導を戴き, 感謝申し上げます。
〉〉「自然との一体感」は洋の東西を問わず人間の心に存在するものであって、これを“日本人特有”とか“東洋特有”と考えるよりは、人間の心を“対称性論理と非対称性論理”の関係で説明する方が事実に即しており、説得力がある。これを別の言葉で表せば「自然との一体感」は程度の違いはあっても人類に共通するものだということだ。〈〈
〉〉河合氏は、このように“自我”の共通点を認めながらも“東西”の違いを把握すると言う複眼的な認識をしている。目に見えない心の問題については、十把一絡げの論理よりも、こういう丁寧な分析が必要と思う。〈〈
上記を拝読し、別ブログ、“現代の「イスラーム」理解のために" (7月13日~24日付;全9回)で承りましたことに関連して、大変印象深く存じました。即ち、イスラーム立教以来、世界宗教として発展してきた、その教えへの信頼を地に落とすような結果となった大きな理由は、“厳格主義者(Puritan)、アブド-ル・ワッハ-ブ”と、その信奉者達が、極端に、そして執拗に取り続けた所謂“アラブ文化至上主義”という“非対称性論理的立場”にあつた事についてです。
即ち18世紀においては、“アラブ文化至上主義”に固執するが故に、伝統的イスラームの信仰及び哲学的思考を徹底的に拒否抹殺し、独断的弾圧政策を強硬実施し、また20世紀に入ってからは、悪名高いタリバーンやアルカイダー等のグル-プに大きな思想的影響を与えた弊害は、この彼らの固守する“非対称性論理的立場”に根源があることであります。
更なるご指摘として、彼らの取った立場が、わが国の近代経験と照らし合わせて、尊皇攘夷論に似たところがあるとの御言葉に、強く心を打たれました。まことに、明治維新以後、昭和、平成の今日に至るまで、大変厳しい時代を生きてきた諸先輩が、無意識的に受け継いて来ているこの思想、(または考え方)を、“対称性論理と非対称性論理”の関係から、深く学習分析することで、複眼的な認識を高めることが出来、積極的に国際平和推進運動を進める上で、大きく役立つのではないかと、痛感した次第です。
副総裁先生、有り難うございました。今後とも、どうぞ宜しくご指導戴きますようお願い申し上げます。 再拝合掌 (丹羽敏雄)

投稿: 丹羽敏雄t | 2008年10月14日 22:48

丹羽さん、

 長文の感想をお寄せいただき、感謝申し上げます。
 「対称と非対称」の問題とイスラーム原理主義とを結びつけた視点、確かにその通りと思います。特定の文化を“至上のもの”として世界に推し進めようとすることは、間違っています。日本もアメリカも、そういう試みで失敗しているのに、なかなか理解できない人が多いのです。

投稿: 谷口 | 2008年10月15日 13:38

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