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2008年10月11日

上を向いて歩こう (2)

 今朝の新聞各紙の第1面には、まるで“世界恐慌”を予言するかのような見出しがデカデカと躍っている。短期間で大幅の「円高」と「株安」が同時に進行したことを、『日本経済新聞』は「1年間で日本人一人当たり200万円の『富』が消えた計算だ」という。が、ちょっと待ってほしい。株式への投資が多い人は「株安」でそうなるかもしれないが、「円高」の方は輸入品の単価を下げることになるし、円資産の多い人は対外的には財産が増えたことになるのである--こっちの方の話をなぜ書かないか、と思う。前回、本題で書いたときの言葉を繰り返せば、“落ちていくもの”を見るのではなく、“上がっていくもの”に目を向けよう。
 
 株価の下落は消費マインドを減退させるというが、それはそのままCO2の排出削減になるし、自然破壊の速度が鈍ることを意味する。人間の諸活動の“過剰”な部分が削り取られて、もっと自然と共存できる技術や生き方、諸制度が新たに工夫できる素地が整えられるかもしれないのである。いや、まさに今、そちらの方向に人類は大きく舵を切るべきだ。枯渇する資源を争奪して富を増やすことから、枯渇しない自然エネルギーの利用と、他国や自然との共存に向かって産業構造を切り替える時期に来ているのだ。

 谷口雅春先生著『生命の實相』第37巻幸福篇上に、貯金していた大金を株式投資に回して失敗した人の話が出てくる。この「K氏」は、貯財の大半を1日でなくしてしまったというのである。当時の値段で「約1万円」だから、現在は「100万円」とも「1千万円」とも考えてみることができる。K氏は、これに執着して、失った金を何としても取り戻したいと考えあぐね、治ったはずの高血圧症も再発させてフラフラの状態になったという。
 
 雅春先生の解説は、こう続く--
 
「K氏の身体(からだ)が失われたわけでもない。氏の心が失われたわけでもない。また、氏はその金がなければ生活に困るのでもなかった。氏の身体にも心にもなんらの関係のない“金”というえたいの知れぬもの、しかもそれは金貨という固い確実なものでもない、ただ氏の名義から、他の人の名義に金額を表わすある数字が書き換えられたということだけで、心がこんなに悲しみ、身体がこんなに苦しむとはどういうわけなのだろう。悲しむべき理由がないのに悲しく、苦しむべき理由がないのに苦しい--これを妄想というのである。その妄想のために幾千万の人間が苦しんでいるのである。K氏もいつの間にかこの妄想の中に墜落したのだ」(同書、p.97)

 現在の世界的金融危機も、これとさほど変わらない性格をもつ。実際には生産されていない“価値”に値段をつけ、これをさらに「期待」や「希望」や「儲け心」で膨らませて売買するのが金融取引であり、株式売買である。その値段のつけ方は、おおむね人間至上主義的であり、化石燃料優先であり、自然破壊的であることは、本欄で何回も書いてきた通りである。このような誤謬と欲望で膨れ上がった地球大のバブル(風船)に、アメリカのどこかで穴が開いたのである。だから、日本発の誤謬や欲望も同時にしぼんでいくことは当然だろう。その誤謬や欲望に加担していた資金が消えていくことに、なぜ苦悶し、悲しむのか。「悪業は悪果として現れたとき消滅する」と考えれば、バブルがしぼんだ時こそ、新たに善業を積む機会の到来である。
 
 さて、問題のK氏だが、彼は大金喪失の苦しみから逃れるために聖経『甘露の法雨』を仏前で朗誦したという--
 
「氏は心の苦悶を忘れるために大声を挙げて読んでいるうちに、少しく心が静まってきた。その時氏は自分の声が“物質に神の国を追い求むる者は夢を追うて走る者にして永遠に神の国を建つる事能(あた)わず”
 と朗々と誦しているのを聴いた。それはまったく天籟(てんらい)の声のようであり、神啓の韻(ひび)きのように聞こえた」(p.98)
 
 こうして、「心は物質に捉えられたとき直ちに地獄へ転落するものであることがK氏にはわかったのであった」と、先生は書かれている。金融資産それ自体は「物質」でさえない。それは「物質やサービスに交換できる価値」として、銀行や証券会社のコンピューターに数字で登録されているものでしかない。そして、その交換率は、人間の心によって変化するのである。我々は今、唯心所現の法則の展開を目撃しているのだ。
 
 谷口 雅宣

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コメント

我々は今、唯心所現の法則の展開を目撃している。…私も日本のバブル期を経営者として乗り越えましたので、とてもよくわかります。その通りなんです。上を向いて歩きましょう!涙がこぼれない様に…ではなくて、夜の星を見上げるために♪明日のご講習会楽しみにしています。

投稿: Y.S | 2008年10月12日 00:18

 合掌

 谷口 雅宣先生は、9月1日の本欄におきまして、
 『北海道の原野に沢山生えているススキの1種「ジャイアント・ミスカンサス」(GM)が新世代のバイオエタノールの原料としてかなり有望』であると、お示しくださっております。このような“バイオエタノールの原料としてかなり有望である植物”を企業や個人や官公庁が保有している土地(植えてもさほど迷惑にはならない土地)に植えて成長したら収穫してバイオエタノールに加工するというシステムというか新しいビジネスをたちあげたら多少は景気対策(経済の活性化)にはなると思います。企業や個人や官公庁が保有している植えてもさほど迷惑にはならない土地に、バイオエタノールの原料としてかなり有望である植物”を植え、収穫期になったら
バイオエタノールに加工する企業がそれを刈り取って、
バイオエタノールに加工する、という発想です。
 それをすすめるにあたって、従来の生産者と消費者・売る人と買う人と明確に区分する観念ではない発想(考え方)が必要と思われます。つまり、“バイオエタノールの原料としてかなり有望である植物”を栽培させるための土地を提供する側は、迷惑とはならない空いている土地に植えさせる分けで、土地の使用量はある程度もらわなければいけない部分があるかも知れませんが、収穫期に代価をもらわなければならないかというと、そうでもないと思われます。と言いますのは、収穫期に刈り取ってもらう側は、それによりある程度環境美化、即ち景観対策が図られる部分があるので+の効果があるということです。(反対に代価を支払わなければならない部分もあるかもしれません。(笑)→ そのチョット進んだ発想は、自然に生えている草を刈り取って頂くあるいは刈らせて頂くつまりは草刈りということです。)
 代価を余り支払わないで、バイオエタノールの生産者材料となる植物を得られることとなりますと、ある程度コストダウンが図られる部分があると思わけます。
 以上、私は、経済対策については全くのシロウトですが、従来の需要者・供給者を明確に区分する発想から離れた新しい発想をすすめることが環境対策や景気対策のためにもなるのではないか?と思い、意見を送付した次第です。

 志村 宗春拝 

投稿: 志村 宗春 | 2008年10月12日 09:05

本当にマスコミは両面を報道しないですねえ、、、(泣)
「富」が消えた!と言っても移動しただけで売った株の代金は何処へ行っているのでしょうか?大損害を受けた人が有れば暴利を得ている人達がいる筈です、政治は自由の名の元の勝手気儘な行為の出来ない、不公平の無い様な制度政策、システムを構築しなくては自己責任(唯心所現)とは言え多くの人達を悲惨な目に合わせる事になります、私は小沢一郎と言う人は好きではありませんが民主党には有能な若手が沢山居られる気がしております、有言実行できるかどうか?一度政権を取らせて見たらどうか?と最近は考える様になって来ています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年10月12日 21:03

「心は物質に捉えられたとき直ちに地獄に転落するものである」本当にそうだと思います。経験あります。僕の場合は必死に一心不乱に「生命の実相」を読み、そのあとちょっとドラマを見て救われました。選択は必要ですが、いいドラマもありますよ。

投稿: 奥田健介 | 2008年10月12日 22:47

マスゴミは暗い報道が好きですよね><暗い報道が市民の娯楽のなってしまったんでしょうか。確かに視聴率はとれますけど...

投稿: daisuke | 2008年10月14日 17:06

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