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2008年9月29日

環境と「環世界」 (2)

 27日の本欄では、動物学者のユクスキュルが提案した「環世界」の考え方を概説した。が、彼が書いた『生物から見た世界』の面白さは、そういう観点だけでなく、動物たちが実際にどのような世界を感じているかを描いた部分にある。例えば、「ダニの環世界」を描いた文章は、我々の目を開かせてくれる。
 
 ダニは、哺乳動物の血液を吸うことで子孫を殖やすことはよく知られている。が、そのダニが哺乳動物の血液にありつく方法については、それほど知られていない。ユクスキュルによると、彼らは、木の繁みの中に隠れていて、その下を通過する動物の上に飛び降りるか、繁みが動物に触れることができれば、目的を達成できるのである。普通、何かの上に飛び降りるためには、飛び降りる側に目がなくてはならないが、ダニには視覚がないし、聴覚もない。ということは、動物が近づいて来ても見えないし、その音も聞こえない。その代り、動物の皮膚から漂ってくる汗の成分である「酪酸」をダニの嗅覚が感知して行動を起こす。

 その行動ぶりを、日高敏隆氏は次のように描いている--
 
 「運がよければ、ダニはそのけものの上に落ち、皮膚の温かさでそのことを知る。そしてなるべく毛のない場所をみつけ、皮膚に食いこむ。そしてダニはけものの温かい血液をたっぷり飲みこみ、卵を産む。ダニの一生はこれで終わる。ダニには味覚もないので、けものの血液の味はわからない。血の温かさだけがその印なのだ。(中略)茂みの枝から手を放したダニが、うまくけものの上へ落ちなかったとき、ダニはまわりの冷たさでそのことを知り、多大の努力をしてもとの茂みの枝へ這いあがる。そして、またじっと、けものの匂いを待つのである」。(岩波文庫編集部編『読書のすすめ』第12集、p.31)

 ダニは、動物の通過をどれだけ待つか……というユクスキュルの話も、人を驚かせる--
 
 「ダニのとまっている枝の下を哺乳類が通りかかるという幸運な偶然がめったにないことはいうまでもない。茂みで待ち伏せるダニの数がどんなに多くても、この不利益を十分埋め合わせて種の存続を確保することはできない。ダニが獲物に偶然出合う確率を高めるには、食物なしで長期間生きられる能力もそなえていなければならない。もちろんダニのこの能力は抜群である。ロストックの動物学研究所では、それまですでに18年間絶食をしているダニが生きたまま保存されていた。ダニはわれわれ人間には不可能な18年という歳月を待つことができる」。(『生物から見た世界』、p.23)
 
 このような記述から分かることは、ダニの環世界は、我々人間の知っている世界とまったく異なるということである。ここで注目すべきことは、ダニの世界には光も色も音もないというだけでなく、時間の感覚も、我々人間の環世界とは相当異なるということである。ユクスキュルはこのことを、次のように表現している--
 
「時間はあらゆる出来事を枠内に入れてしまうので、出来事の内容がさまざまに変わるのに対して、時間こそは客観的に固定したものであるかのように見える。だがいまやわれわれは、主体がその環世界の時間を支配していることを見るのである。これまでは、時間なしに生きている主体はありえないと言われてきたが、いまや生きた主体なしに時間はありえないと言わねばならないだろう」。(前掲書、p. 24)

 賢明な読者は、ここで聖経『甘露の法雨』の一節を思い出されるだろう--
 
 生命は時間の尺度のうちにあらず、
 老朽の尺度のうちにあらず、
 却って時間は生命の掌中にあり、
 これを握れば一点となり、
 これを開けば無窮となる。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○岩波文庫編集部編『読書のすすめ』第12集(岩波書店、2008年)

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コメント

うーん、、奥が深いですねえ、、、究極は維摩の沈黙でしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年10月 1日 11:53

先生、皆様、「新しい結婚」にかいてある「時間というものは心次第で長くも短くもなるので一定した真の存在ではない」というお言葉は、ここのお話にお役にたてますか?たてれば幸いです。全然、関係なかったら、すみませんでした。

投稿: 奥田健介 | 2008年10月 3日 15:41

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