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2008年9月18日

対称と非対称 (2)

 我々の無意識が「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」というのは、どういう意味だろうか。前回本欄で書いたことは、我々の覚醒時の論理的認識だった。こういう精神活動は、我々が「理性」と呼んでいるものが行うとされている。これに対して、我々の精神活動のもう一つの側面である「感情」は、必ずしも理性の束縛を受けない。このことは、我々自身の日常の中でもよく体験されることだ。例えば、我々は理性ではマズイと分かっていることも、感情に任せて言ってしまうことがある。また、理性的には不合理だと考えることも、感情的に納得してしまうこともある。そういう人間の感情的側面が無意識と関係しているとしたら、マテ=ブランコの指摘は看過できないものを含んでいるのである。
 
「非対称的関係を対称的関係として取り扱う」例として、前回の本欄で掲げた非対称的関係を逆転して対称的関係にしてみよう--
 
 彼は電話をくれる  → 電話が彼をくれる
 雨が空から降る   → 空が雨から降る
 彼女は空腹を感じる → 空腹は彼女を感じる
 あなたは生長の家の会員である  → 生長の家はあなたの会員である
 私は犬を飼っている   → 犬はあなたを飼っている
 日本は世界の一部である  → 世界は日本の一部である

 これらの表現は、一見論理的には破綻していて無意味に感じられる。しかし、何回も味わって読んでみると、何か不思議な含意があるような感覚に到達しないだろうか?
 
 例えば、こんな物語が読み取れるかもしれない--
 
 彼に恋い焦がれていた彼女は、ここ1週間というもの、彼から電話がかかって来ないことに疲れ果てていた。毎日でも彼の声を聞き、できたら彼と会って、たくさんの話がしたいと思っているのに、彼はなぜか、そんな彼女の気持に一向無頓着で、自分の好きなスポーツに熱中しているのである。そんなある日の午後、彼女の部屋の電話が鳴り、心踊らせて受話器を取った彼女の耳に、彼の弾んだ声が飛び込んできたのだった。
「今から、遊びに行ってもいい?」
 断る理由は何もなかった。でも、すぐにOKするのは口惜しかった。だから彼女は、
「えぇ……そんな突然……」
 と言葉を濁した。
 でも、心の中は幸福でいっぱいだった。部屋に電話があることが、これほど嬉しいことはなかった。電話が彼を彼女にくれたのだ。

 2番目の例は、こんな場合を暗示していないだろうか--
 
 私が“ゲリラ豪雨”というものに襲われたのは、その日が初めてだった。
 家を出たつい10分前には、青空が見えていた西の方角に、見る見るうちに積乱雲が積み上がっていった。でも、渋谷駅まではほんの少しだと高をくくっていたのが、いけなかった。雷鳴が遠くに聞こえた、と思うと、ポツリポツリと冷たいものが降ってきた。人々が小走りになり、傘を広げたり、雨宿りできる軒下を探しているのが分かった。が、私は人と会う約束があったから、立ち止まるわけにはいかなかった。私は、持っていた鞄を頭に載せて、走った。雨が直接顔に当たらないように、うつむいた姿勢で、水溜りを避けて走った。空にこんな大量の水があることが不思議だった。その雨は、まるで空全体が地上に降っているようだった。

 --私がここで言いたいことは、人間はいわゆる「理性的」に世界を理解することと併行して、それとは別の論理(あるいは仕組み)によって「感情的」にそれを理解することができるということだ。マテ=ブランコは、そのことを「二重論理」(bi-logic)という言葉で表現し、それが我々の無意識が行っている仕事だと捉えたのである。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○I.マテ-ブランコ著/岡達治訳『無意識の思考--心的世界の基底と臨床の空間』(新曜社、2004年)

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コメント

学者の分析と言うのは本当に難解ですね(泣)、、、
又、勝手な個人的解釈をして申し訳有りませんが1、理性=知性=非対称的関係、2、感情=煩悩(身、口、意から生起する)=対称関係と捉え無意識(夢)は対称関係が多い!と言う事でしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年9月19日 14:12

尾窪さん、

>>1、理性=知性=非対称的関係、
>>2、感情=煩悩(身、口、意から生起する)=対称関係

 この分類だと、価値判断が初めから含まれているように見えます。それは「理性=善、感情=愚」というもののようですが、私もマテ=ブランコもそういう価値判断はしていないと思います。

投稿: 谷口 | 2008年9月22日 11:18

谷口雅宣副総裁様
確かに最初から価値判断が決まっていると言うのはマズイ様に思います、只「理性=悪」も有り得るとしましてもそれは「理性紛い」のものであって「理性」とは言わないのではないでしょうか?
「感情=智」は有る様に思いますが、、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年9月22日 15:40

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