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2008年8月21日

“百万の鏡”が映すもの

 京都府宇治市の生長の家宇治別格本山で行われた盂蘭盆供養大祭は19日、宝蔵神社本祭、精霊招魂神社大祭、全国流産児無縁霊供養塔供養大祭、末一稲荷神社大祭の4つが行われ、私はそれぞれの御祭で斎主(いつきぬし)として務めさせていただいた。これらの大祭は、例年のように17日から3日間行われ、連日の30℃を超える暑さにもかかわらず、全国から大勢の信徒・幹部の方々が招霊祭員その他の実行委員として奉仕してくださった。私は19日の4つの御祭で、それぞれ祝詞を唱え、玉串奉奠し、聖経読誦する。聖経は『甘露の法雨』と『天使の言葉』が2回ずつ誦げられるが、今回は『天使の言葉』の中の次の一節が心に残った--

 汝ら億兆の個霊(みたま)も、
 悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)なることを知れ。
 喩えば此処に一個の物体の周囲(まわり)に百万の鏡を按(お)きて
 これに相対せしむれば一個もまた
 百万の姿を現ぜん。
 斯くの如く汝らの個霊(みたま)も
 甲乙相分れ、
 丙丁互に相異る相を現ずるとも
 悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)にしてすべて一つなれば
 これを汝ら互いに兄弟なりと云う。

 聖経のこの箇所は、人類がみな互いに兄弟姉妹であることを唯心所現の原理を通して説いているのだが、「鏡」を喩えとして使っている所に重要なポイントがあると思う。
 
 我々の多くは“自分”の外見を確認するために、ほとんど毎日のように鏡を見るに違いない。外見の中でも「顔」を見ることが多いと思うが、それだけを見ながら“自分”を見ているつもりになっている。しかし、(よく指摘されることだが)鏡に映る顔は左右が逆転しているから、厳密な意味では「自分の顔」ではない。が、我々は普通、その左右逆転の顔を通して「自分」を見る以外に方法がない。そして、我々の日常生活においては、上下逆転は困るが、左右逆転はさほど気にならないようなので、鏡は十分実用価値があるのである。我々は鏡を見て、「あっ、自分はこんな姿だ」と感じ、「自分の反映」として鏡の中の像を理解する。これが普通の鏡の見方だと思う。

 ところが、上の聖経の一節は、「鏡は自分の反映」とは言わないで「鏡は唯一神霊の反映」だというのである。そして、「一個の物体」の周囲に置いた無数の鏡が、その物体の無数に異なる姿を反映するように、個性や外見が無数に異なる我々も「唯一の神霊」の反映である、と説くのである。
 
 この一節に説かれた教えは、表面的に解釈すると妙な結論になるかもしれない。それは例えば、我々一人一人の個性が神(唯一神霊)の一部を構成していると考えた場合である。そうなると、我々が「個性」と呼んでいるものの中には、必ずしも善いものだけが含まれていないから、「気が短い」とか「おっちょこちょいな」とか「強欲な」とか「嫉妬深い」などという性質も、神の属性の一部だと考えられてしまうのである。このことを、“人間の性質”の領域からさらに押し広げて“世界の性質”にまで拡大して適用させれば、「不幸」や「死」や「病気」や「事故」や「戦争」や「地震」や「生存競争」……の1つ1つが、創造主の属性の一部を反映していることになる。これはつまり、「現象のすべての側面の総和が実相である」という考え方であり、案外多くの人々が常識としてもっているものだろう。
 
 しかし、生長の家は「現象は心の影」であり「神の創造に非ず」という教えだから、このような解釈ではいけない。谷口雅春先生は、『生命の實相』第23巻経典篇二でこの部分を解釈されて、次のように書いておられる--
 
「皆さん、億兆の個々の霊も、個々の人間も、これことごとく神の反映と知れ、(…中略…)神と同じ姿が皆の本当の姿であり、神が皆の生命であり、本体であるのであります。実相はまったく同じであるものが、たんに互いにいろいろに分かれているように見えるだけであって、皆同じ神の姿が宿っているものである。分かれて別々に見えても決して一人一人が別々な存在であると思うな。一つの神が姿をかえているにすぎないのだ」。(pp. 98-99)

 この解釈で重要なのは、「皆同じ神の姿が宿っている」という言葉だろう。皆同じ神の姿が「映っている」のではなく「宿っている」のである。「映っている」のであれば神の姿は「現れて」いるだろうが、「宿っている」場合は必ずしも表面に「現れて」はいない。この違いは大切である。百万の人間が百万の異なる“世界”や“神”を見ているようであっても、それらは皆現象であり、その背後に1つの実相世界とその創造主の姿が「宿っている」(隠されている)--これが生長の家の解釈と言えるだろう。
 
 谷口 雅宣
 
 

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コメント

盂蘭盆供養大祭,暑い中ですが雅宣先生のご奉祀と純子先生のご臨席で厳かに且つ涼やかに行われまして、有難いきわみでした。原画展も素晴らしく、思い出に私たち夫婦も息子の入学式に出席した「青山学院大学Ⅱ号館」を買わせていただきました。本箱の上に飾り次の誌友会でみんなに見ていただこうと思っています。古谷正拝

投稿: 古谷正 | 2008年8月23日 08:46

古谷さん、

 原画を購入くださり、ありがとうございました。

 古谷さんの息子さんが青学大生とは、知りませんでした。どちらの学部でしたか?

投稿: 谷口 | 2008年8月23日 11:42

合掌 息子の伸は、私の東京に転勤のとき高等部に合格し、大学は経営学部です。再拝古谷正

投稿: 古谷正 | 2008年8月23日 20:07

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