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2008年8月11日

自然は善いか?

 8月8日の本欄では、自然界は人間の目に常に美しいとは限らないということを、自分のささやかな経験を引き合いにして述べた。これは、考えたら当り前のことでもある。自然界には、「食物連鎖」とか「弱肉強食」と呼ばれる現象があるから、捕食や死があり、腐敗があり、排泄がある。それらの一部は人間の目に「美」と感じるものもあるだろうが、大抵は「醜」と言わないまでも、決して美しいものではない。

 例えば、私はほぼ毎朝、生ゴミをコンポストに捨てるが、その際、腐った食物に群がる夥しい数のウジムシと対面する。彼らが自然の一部であることは間違いないが、私は彼らに感謝することはできても、好きになることはできない。これと同じことは、自分自身の排泄物にも言える。私は朝、トイレで排便することに感謝するが、だからと言って便を好きにはなれない。しかし、排泄物が自然の産物であることを否定する人はいないだろう。だから、自然は、必ずしも美しくないのである。

 では、自然は「善い」ものだろうか? これについても、山荘での私の経験を語ることにする。

 山荘に到着してまもなくのこと、妻がハチの死骸を2匹見つけた。2階の窓枠付近に落ちていたというのである。山荘の管理会社には、今回の利用の1週間ほど前に部屋の掃Beesnest 除を頼んであった。だから、これは見落としである。前回、5月の初めに来たときは、カマドウマが大量発生していて風呂の湯船の底に溜まっていたことを、5月4日の本欄に書いた。また、もっと前には、屋根裏にハチが巣を作って、山荘内を飛び回ったこともあるし、薪ストーブの煙突の中に、鳥が巣を作ったため、薪に火が点かないで困ったこともある。今回はプロに掃除を頼んだから、そんなことはないだろう……と思いながら点検していると、一緒にいた息子が、2階の屋根の明かり採りの窓の木枠に、10~15センチの大きさの灰白色の塊(=写真)を見つけた。
 
 それは、ハチの巣だった。よく見ると、まだ作りかけのようで、5~6匹のハチが巣穴を盛んに出入りしている。窓が開いていれば、彼らがそこから室内に入ることはいともたやすい。だから、妻が見つけたハチの死骸は、この巣作りと関係しているかもしれないのだった。人間はハチの恩恵を受けて作物や花や果物を得る。また、ハチミツが好きな人も多いだろう。だから、そのことを感謝することに吝かでない。しかし、だからと言って、何匹ものハチが飛び交う室内で平気で生活できる人は少ないだろう。我々も普通の人間だから、結局、ハチの巣を除去することになった。

 これはハチにとっては、とんでもない迷惑である。彼らは、自然が与えてくれた性向に素直に従って窓枠に巣を作ったのである。しかし、それは我々人間にとっては都合が悪いから、「ハチの巣は悪い」と考えられ、除去することになる。だから、人間にとって自然は必ずしも「善い」ものばかりではないことが分かる。

 このことも、考えれば当り前のことだ。今、日本の農村地帯では、シカやイノシシやサルの“食害”が悩みの種だ。クマが人家近くをうろつけば、ハンターの世話になることになる。しかし、この場合の“食害”とは、あくまでも人間の立場から見た自然の“悪”である。動物の立場から見れば、飢えたときに食物にありつくことは“悪”でも何でもなく、きわめて自然な行動である。が、人間にとっては、自然界は“害獣”や“害鳥”や“害虫”や“雑草”に溢れているように見える。こう考えてくると、自然界にある“悪”がどこから生まれるか、が理解できるだろう。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌有難うございます。雅宣副総裁初めてコメントをさせて頂きます。文章を読みましてビックリ致しました。何故かと申しますと、「感謝はするが、排泄物が好きになれない」と有りました。何でも好き嫌いを考えられるとは、ビックリなんです。私は「ああ今日も、善い便が出てくれて有難う」と感謝はしますが、好き嫌いは考えません。庭石に蜂が毎年巣を作っていました。別に触らなければ、害を致しませんで、あら今年も来たのね。と唯見ていました。或る時から、誰かが庭に入ってきて、花を取ったりする人が、蜂の巣を取ってしまいそれ以来、来なくなりました。庭の蝉の殻を見ても、巣立ったのを喜んでいます。あまり好き嫌いは考えません。

投稿: 深田イツ子 | 2008年8月12日 13:29

深田さん、

 コメント、ありがとうございます。

>>何でも好き嫌いを考えられるとは、ビックリなんです。<<

 好き、嫌いの感情は、人間にとってベーシックなものです。それを考えることに、何か問題があるのでしょうか?


投稿: 谷口 | 2008年8月12日 18:13

谷口先生
前回、注意を受けたので、今回は、慎重に書きましたが、まだ、未熟者のため、寛大なお裁きをとお許しを頂いてはじめのお言葉と返させて頂きます。
私は、本文章を精読し、私なりの解釈で御座いますが、以下、書かせて頂きます。
本文内での言う、自然界の悪は、どこから生まれているかは、端的に言えば、我々人間の心ですか?とりわけ、我々人間が構築した人間社会・生活上に、不適切なもの・危害を与えるものが、自然界の悪と人間が勝手に称していると私は解釈いたしました。


先生が、此処に於いて、言われていますように、蜂が無数に飛び交うなかでの生活は難しいと考えるという意見に対して同感で御座います。他方、蜂さんからすれば、自然に従って活動しているだけなのに、巣を壊されちゃったりしましたら、確かに、大大大迷惑ですよね

その中で、人間と動植物は、共に生きれないのかという思想、所謂、『共生』思想が、脳裏を霞めました。
私が、大学のゼミの環境報告で扱った、『環境と開発』岩波書店 によると、共生思想には、四つあるそうです。内容は、割愛させて頂きますが、本当の意味で、人間と動植物とが共生する世界の構築ができればと……………。
有難

投稿: 原太郎 | 2008年8月12日 22:09

原さん、

 そんなに緊張しなくていいのですヨ……。
「言い間違え」とか「勘違い」は誰にでもあるのですから。

 あなたの解釈で大体いいと思います。

投稿: 谷口 | 2008年8月12日 23:12

好き嫌いは人間にとってベーシックな感情です。とくに子供にとっては。大人になると好き嫌いの感情を制御したり、好き嫌いをいちいち考えないようにするものだと思います。これが人間の知恵というものでありましょう。

投稿: 仙川健一 | 2008年8月13日 00:27

谷口先生

ありがとうございます。
ネットは、何分、公共発信するため、内容を断定しなければなと感じています
個人的で申し訳ないんですが、今実家に帰郷していまして、田舎なんですが、タイピングしながら、温暖化で騒がれている今、久遠に、この自然が残存していますようにと考えさせられます。
私は、生まれが、田舎なので自然を大切にする方です。が、母が生長の家を、そして、生長の家が真摯に環境問題に取り組んでいなければ、きっと、今の資本主義経済社会のものの考え方のような、自然は、単なる、物であり、人間社会の従属ブツであり、人間が手を加えなければ、何も生産性がないものである的な考えに染まっていたかもしれません。きっと生長の家に触れて良かったと思える瞬間です。
ありがとうございます。

投稿: 原太郎 | 2008年8月13日 01:51

キタキツネが畑のとうもろこしを食い荒らしていきます。近くに山はないので、本来の居場所ではない所に、隠れて住んでいるのかもしれません。山で餌を探すより、人里に来れば簡単に餌にありつける。
とうもろこしを植えた私(人間)が悪いのか?
楽をして餌を求めるキツネが悪いのか?

人間社会の場合、人様のモノを盗むことは、悪いこととなっているようです。

投稿: 早勢正嗣 | 2008年8月13日 06:48

仙川さん、

>>大人になると好き嫌いの感情を制御したり、好き嫌いをいちいち考えないようにするものだと思います。<<

 フーーム……。私は、そう簡単には考えません。例えば、食事は毎日することですが、その時、普通は好き嫌いを考えるのではありませんか。で、その食べ物の好き嫌いというのは、後天的な要素が大きいと思います。子供の時、パセリとかニンジンが嫌いだった人も、大人になると好きになることがあります。少なくとも私はそうです。これは、感情を単に抑えたり、制御する、というのでは説明できないでしょう。

投稿: 谷口 | 2008年8月13日 11:14

仙川さんの「大人になると好き嫌いの感情を制御したり、好き嫌いをいちいち考えないようにするものだと思います」
ですが大人とは仙川さん個人の事ではありませんか?そう言う人達もおられるとは思いますが個々人は多様性に満ち満ちているのではないか?どれが良くてどれが悪いと言うのでは無く個々人の法(のり)を越えない考え方ではないでしょうか?私は歌の文句ではありませんが「嫌いは嫌い、好きは好き」です、しかし自分が嫌いだからと言って他の人が嫌いな訳ではなく逆に好きな人も多々あると言う事です、これで自然界のバランスが取れているのではないか?と考えます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年8月14日 12:09

お返事有難うございます。別に好き嫌いを考える事に問題があるとは思いません。細かい考えと言うか素晴らしく頭が善いからあらゆる処で頭をを一杯使いすぎられるかなーと思いました。
副総裁雅宣様の宇治で見せて頂いた絵・あらゆる所で絵を描かれる。素晴らしいと思います。本当に描くことがお好きなのだと感心致しました。
私は好き嫌いは、面倒で考えません。ぼんやり生きているので、絵は多分パッと好きと思った時に好きになり描かされます。感ずると言うのでしょうか。
深田イツ子

投稿: 深田イツ子 | 2008年9月 3日 00:08

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