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2008年8月25日

“百万の鏡”が映すもの (4)

 さて、本シリーズも4回目になったので、そろそろ結論を出さねばならない。が、幸いなことに、読者のコメントの中に“結論”らしきものがあるので、これについてまず述べよう。2人の読者が「図形自体には意味がなく、それを見る人の心の中に意味が想起される」という主旨の答えを述べられた。この答は、谷口雅春先生が『新版 真理』第7巻悟入篇の、問題の図形を提示された箇所に書かれている次の言葉と、ほとんど同じ意味である:
 
「外から来る光線の刺戟は、実は自分の心の内にある無限の相(すがた)のなかから、或る相を浮かび上がらせる契機を与えるだけである。」(同書、p.79)
 
 そうすると、「窓枠」や「田」の字のように見えた図形は、それを見る人の心を映す“鏡”の役割をはたしていることになる。では、その図形が、ここで言う心の“鏡”の役割をはたしているのは、それが何か人為的な工夫を凝らした特殊な図形だからだろうか? それとも、どんな図形でも、同様の役割を果たすと言えるのだろうか? この質問に対する答えは、上に引用した雅春先生の言葉を理解する人は、簡単に分かるだろう。我々の周りにあるどんな図形も皆、我々内部の相を映し出す“心の鏡”である--こう考えていいだろう。
 
 では、「図形」以外のものについてはどうか? ここで「図形」というのは、「描かれた形」あるいは「面・線・点などの集合から成ったもの」(いずれも『新潮国語辞典』の定義)の意味に使おう。換言すれば、図形とは、人為的に平面に描かれた形、または人為的に形成された立体ということになる。そうすると、「図形以外のもの」とは、二次元と三次元上に人為的に形成されなかったもの--つまり、(人間を除いた)自然界の現象すべてを指すことになる。これには、例えば「山」や「木」「草」「川」「海」「岩」「動物」……など無数のものが含まれる。これら無数の自然現象は、はたして「我々内部の相を映し出す“心の鏡”である」と言えるだろうか?
 
 この質問に対する答えを読者に考えてもらっている間に、「自然物」という考え方について少し述べたい。「自然物」という言葉は上掲の辞書では「自然界に存在する有形物」と定義されていて通常、人工物は含まない。これは、自然的(natural)なものに対して人工的(artificial)なものを考える我々の心のクセから来ているのだろう。が、1つ指摘しておけば、我々人間も「自然界に存在する有形物」であることに変わりないのだから、高層ビルのような人工的な建物であっても、サンゴ虫が形成したサンゴ礁と同じように「自然物」と呼んでも間違いではないはずだ。しかし、議論がややこしくなるので、今はそのことを問わずに、“自然”と“人工”を対比させる習慣に従うことにする。
 
 では、自然物とは具体的に何だろうか? それは、上に例示した「山」「木」「草」「川」「海」「岩」「動物」……などだろう。しかし、「山」が本当に自然物であるかどうかは議論の余地が十分あると思う。私の言う意味は、現代においては地球上のほとんどの「山」には人間の手が入っているというようなことではない。そもそも「山」などというものが自然界に存在するか、という問題である。誤解のないように言っておくが、私は一般に「山」と呼ぶものが現象界に存在しないと考えているのではない。そうではなく、「山」に対して「平地」や「里」や「丘」を別のものとして捉える考え方は、人間の独断であり、不自然ではないかということである。
 
 説明しよう。地球の“外皮”に該当する部分を「地殻」と呼び、その表面に堆積したものを「表土」とか「土壌」と呼ぶ。これらは均一でなく、地殻変動や河川の活動などによって隆起したり陥没しているのが自然状態だ。が、その隆起のうち一定の高さ以上のものを、我々は周囲の地殻から視覚的に分けて取り出し、それを「山」と呼んでいるのである。「山が在る」のではなく、何か別のものを「山と呼んでいる」のである。「一定の高さ」がどれだけであるかは、人間が勝手に決めており、それより低いものは「丘」と呼んだり「盛り土」と呼んだり、「堆積」と呼んだり……つまり、これらは、もっぱら人間の心の中の独断的分類であって、その言葉に正確に対応するものが自然界に存在するわけではない。したがって、「山」は自然物として存在しているのではなく、人間の心の反映の一部であるに過ぎない。
 
 この議論に賛成してくれる読者は、同じ論法によって、「草」「木」「川」「海」「岩」「動物」……なども人間の心の反映であって、自然界にそのまま存在するものではない、という議論にも賛成してもらえるのではないか? この結論に達するまでにはもっと説明が必要かもしれないが、スペースの関係で省略する。私がここで言いたいのは、人工物のみならず、自然物も「我々内部の相を映し出す“心の鏡”である」ということだ。このことが分かれば、『天使の言葉』にある“百万の鏡”が何を意味するかも了解されるに違いない。
 
 我々は今、この瞬間にも、上下左右四方四維を“百万の鏡”に取り囲まれているのである--「汝ら億兆の現象も、悉くこれ自己の心の反映(うつし)なることを知れ」ということである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

そういうことなんですね。
しかしながら、天使の言葉の一部ではありますが、勉強になりました。加えて、楽しかったです

投稿: 原太郎 | 2008年8月26日 00:15

質問させて下さい、
1、あの図形は唯一神霊を表している、、と仮定されて本当は何の図形と言うべきか?と質問され、図形自体意味がなく我々の内部の相を映し出す鏡であると言われています、といたしますと唯一神霊は意味がない!と言う事でしょうか?
2、草、木、川、海、岩、動物なども人間の心の反映であって自然界にそのまま存在するものではない!と言われています、勿論ネーミングは確かに各民族がそれぞれ勝手に決めたものではありますが決めようが決めまいが森羅万象として認識するものには存在するのではないでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年8月26日 12:05

合掌 有難うございます。
読んでも、皆さんのような言葉では、表現することは難しく、それで、真理の本を読んでみたのですが、何が言いたいのか、解りませんが、現象は唯心諸現の世界で、山川草木国土悉皆成仏、此の図形は読者の、心で捕らえようが違い、言葉がわからないところでは、これは単なる図形として、印象として捕らえます。真理には、此の心が、大日如来であり、自分が一体であり、病気など存在しないと書かれています。
足の痺れが取れない自分にとって、一即多、の真理より、
仏の神の実相の真理の方が引かれます。再拝

投稿: すぎの | 2008年8月26日 12:26

読者諸賢へ、

 私の表現に不十分な点があったため、混乱が生じていることが分かりました。言葉足らずでしたので、訂正します。私が本シリーズの第2回で次のように書いたのが、誤解の原因でした:

 この図形が「唯一神霊」を表していると仮定しよう。
  
 上の文章は、次のように直してください:

 この図形を、『天使の言葉』にある「唯一神霊」の位置に置いて考えよう。

 これで大分わかりやすくなったはずです。原文の方も訂正しておいたので、文脈を知るためには、第2回目を読みなおしてください。失礼しました。

投稿: 谷口 | 2008年8月26日 15:46

ご解答有難う御座います、
ただ私が独断と偏見で考えますのに「この図解が"唯一神霊"を表していると仮定しよう」「この図形を"唯一神霊の位置に置いて考えよう」と言う前提があるが為に誤解、混乱が起ったのではないか?と思いました、仮定、前提を置かずに、単純に「読者はこの図形を何だと考えますか?」と質問されれば「図形自体に意味は無く、、」は私には理解出来ます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年8月27日 12:01

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