古い記録 (3)
8月1日の本欄で、私が高校時代に参加した『青山学院高等部新聞』の製作について書いたが、当時の記憶がほとんど残っていないので、周辺情報から推測するに止まった。ところが、古い記録をさらに当ってみたところ、私自身がその頃の事情を書いている文章を発見したので、それを引用しながら、誤った情報を訂正しようと思う。
この文章とは、私が高等部2年の時に書いた「政治と高校新聞」という題のもので、生長の家東京都高校生連盟が発行していた『桃乃実』という小冊子の第9号に載っている。出版部への入部の動機から、新米部員が論説を書くにいたった事情などが、次のように書いてある--
「僕が青山学院高等部の出版部へ入ろうと思ったのには、別に深いわけがあったのではなかった。中等部の3年間は卓球部に入っていて随分一所懸命にやっていたつもりだったが、一向上達しなくて、下級生に負けてしまうこともあった。高等部へ入っても卓球部へ入るつもりで練習には出ていた。クラブ加入の正式登録までには相当期間があった訳である。しかし、卓球の練習に出ているうちに、僕には卓球の他にもっとやるべきものがあるのではないか、と思うようになった。そこで目についたのが出版部である。文章というものは、自分の将来に絶対必要なものだから、今のうちから文でも書いておいた方がいいだろう。と思うようになると、卓球部を退部することの決心がついた」。
この文章で注目されるのは、文章を書くことが「自分の将来に絶対必要」と断言している点だ。私はこの頃から、祖父や父のように「文章を書く」のが将来の自分の仕事だと考えていたのである。続いてこうある--
「出版部へ入っても、初めのうちは小間使や雑役に使われるものだと思っていたが、豈非ず、部員数は正式登録部員3人という少なさである。雑役どころか、2回目の新聞発行の時は“論説”を書かされてしまった。そのときは『大きな心を』という題で、受験地獄の渦の中で我々は決してコセコセした小さな心を持ってはならない、とか偉そうなことを言ったつもりだったが、大したものにはならなかった。その頃からだっただろうか、僕は政治に関心を持ち出したとともに、現行憲法の不当制定、内容に見られる唯物論的国家観・人間観、憲法復元の必要性などに気が付かせて頂いた。そして、第1面の面責(その面の編集責任者)になれた機会をつかんで、『日本国憲法をさぐる』と題して“現行憲法失効論”を書いたはずであったが、今日これを読み返してみると甚だ不完全なものなので済まないと思っている。新聞に書いたものは、後々まで残るので大変である」。
前回は、出版部員は「7名」と書いたが、ここにあるように「正式登録部員が3人」であれば、新入部員が論説執筆に駆り出されることは理解できる。また、当時の『高等部新聞』が「面責」という制度を採用していたのであれば、それぞれの面が違う主張を展開してもいいことになる。これは、前回書いた私の推測--「高校生だから、思想性などより紙面のバラエティや広告が採れることを優先したのかもしれない」--とは若干ニュアンスが違うのだ。また、上の文章で興味深いのは、「○○の必要性などに気が付かせて頂いた」という部分だけに、敬語が使われている点である。ここに敬語が使われている理由は、その必要性を気づかせてくれたのが、自分より目上の人々--恐らく生高連の上部組織である生長の家青年会であり、ひいては生長の家の総裁であるからだろう。
また、私のような“右翼”的論調がある一方で、なぜ“左翼”的論調も併行して展開されたかについては、次のような事情があった--
「しかし、このように新聞発行を続けて行っても、その新聞が以外(ママ)と生徒の間で読まれていないことに気がつくと、僕はもう少し一般生徒と結びついた新聞を作成すべきだと思い、第98号は政治色を抜いた、しかも一般生徒におもしろく読んでもらえるような紙面を作ろうとしたが、これまた甚だ不完全。とか何とかかんとかやっているうちに、何の影響であろうか、出版部に入りたいと言う3年生が4人ばかしやって来て、“ベトナム戦争について書いてみたい”というので、部長は部員が少なかったので大喜び。ところがドッコイ、彼らの書いた記事は、『赤旗』に出してもおかしくない立派なもの」。
これを読むと、当時の高校の“左右対立”の空気が想像できて面白い。この時代の若者は、高校生の時から大人のマネをして政治論を戦わせていたのである。
谷口 雅宣
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コメント
先生が右翼系高校生だったとは初めて知りました。今日の先生のニュートラルな知的な御文章から考えると意外な感じが致します。でも当時はそれだけ赤色革命の危機が迫っていたという事ですね。
投稿: 堀 浩二 | 2008年8月 5日 15:32
堀さん、
“右翼”は知的でないということですね…(笑)
インターネット上の“俗説”によると、私は高校時代は左翼活動をしていたそうです。まぁ、ガセネタというのはどこにでもあるものですね。本当は右翼活動をしていたというのに……トホホホホ
投稿: 谷口 | 2008年8月 5日 23:51