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2008年7月25日

生物の“高等”と“下等”

 草食動物は肉食動物より“下等”だろうか? この質問への答えは、その人の人生観、世界観をよく表す。「弱肉強食が世界であり、人生である」と考える人の場合、肉食動物は草食動物を捕食するから、捕食するものはされるものより“高等”だと考える。これは、単純に「力が強いものは弱いものに勝る」という思考の延長である。「食物連鎖」のピラミッドを想起して、ピラミッドの上層にある方が下層にあるよりも高等だと考える人も、恐らく同類だろう。これらの考えは、確かに「わかりやすい」かもしれないが、「事実そのまま」かどうかは疑わしい。自然界をよく観察してみると、このような単純思考では説明のできないことがたくさんあるのである。
 
 例えば、草食動物は肉食動物に食べられて絶滅してしまわないように、数多くの子孫を産み出すことが多い。また、昆虫などは「擬態」と呼ばれるカムフラージュを自らにほどこし、天敵の目から逃れる工夫をしている。1頭では天敵にかなわない草食獣は、群を作り、複数の個体で天敵に向かうなど、集団防衛術を心得ている。これには「社会性」がなければならない。また、速い足、永い持続力、高い跳躍力、飛翔力などで天敵から逃れる能力を身につけたものもいる。
 
 草食動物が自己防衛のためにこのように進化していけば、それを追う肉食獣たちも、ノンベンダラリとしていては食事にありつけなくなる。ということで、両者は互いに切磋琢磨し合いながら生きてきた、と考えられる。ということは、現在、地球上に生息する生物は、草食も肉食も雑食も、「どちらが優れているか」という種類の単純な質問には答えられないほど、多くの長所と短所をもっていると言えるのではないか。
 
 私がこんなことを考えたのは、次のような記事を今日付の『朝日新聞』で読んだからだ--
 
「米ワシントン大などが、ヒトやネズミ、パンダなど、60種類の哺乳類の糞(ふん)から、17種類の微生物の腸内での生息状況を調べたところ、肉食動物は6種類、雑食は12種類、草食は14種類と増えていた」。

 これは、アメリカの科学誌『サイエンス』に載った研究の結論部分をまとめたものだが、この結論を研究者がどう解釈したかも書いてある。それによると、哺乳類の祖先はもともと肉食だった--つまり、植物に含まれる多糖類を消化することができなかった、と考えるのである。ところが、やがて哺乳動物の腸内で生息する微生物が進化して、多糖類を分解できるようになったことで、「宿主の哺乳類もこの微生物を排除する免疫反応を起こさず、共生できるように進化し、雑食や草食になったらしい」というのである。
 
 これを言い換えると、腸内に生息する微生物の種類が多ければ多いほど、進化した生物である、ということだろう。となると、肉食よりは雑食が、雑食よりは草食が、進化のバロメーターになるとも言える。この場合、1つの生物種にとって、共存できる他の生物種の数が多ければ多いほど、その生物種は優れていることになる。こう考えていくと、我々人類が、他のすべての生物種に比べて優れているかどうかは、簡単に答えることができなくなってくる。なぜなら、我々は産業革命以降、相当数の生物種を絶滅に追い込んできたからだ。
 
 ところで、「食うもの」「食われるもの」という単純な二分法で考えたときの生物の優劣の判断と、そこへ「腸内微生物」という第3の“変数”が加わったときの生物の優劣の判断とでは、結論が大いに違ってきた。人種や文化、社会や国について“優劣”を簡単に言う人がいるが、私はそれこそまさに「疑わしい」と思うのである。人間という生物は、そんな単純思考で評価できるとは決して思わないからだ。
 
 谷口 雅宣

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コメント

哺乳動物の祖先は肉食で、微生物と共生できるよう進化して、草食になったらしいという視点は初めて知り、驚きました。

先生が前に紹介して下さった『フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説』(スティーヴン・ジェイ グールド著)を思い出しました。

その本の中で、著者は地球上の生物のトレンドは、今まで、ずっと微生物だったという指摘がとても印象に残っています。また、今の生物はどれもそれぞれの環境において変化してきており、それぞれが進化の頂点にいるような、表現もされていたことや、生物全体の進化として、多様性の拡大をあげていたと思います。

人種や文化、様々な個性ある国々、それぞれに優劣はつけられないと思いました。どの本に書いてあったか忘れてしまったのですが、先進諸国の方が、発展途上国に寄生し、実は依存心の強い、自立していない国であるという指摘をしていた方がいました。そういう見方もあるのかということに気付かされたことがありました。

投稿: 齊藤義宗 | 2008年7月27日 14:05

斎藤さん、

>>今の生物はどれもそれぞれの環境において変化してきており、それぞれが進化の頂点にいる……<<

 これは、見落とされやすい視点だと思います。庭のノラネコを見ていても、そう感じることがあります。

投稿: 谷口 | 2008年7月27日 17:09

ノラネコを見ていても、そう感じられる・・・。

目から鱗でした。自分で書きながらも普段の生活ではそこまで感じる心に至っていない自分に気付かされました。

投稿: 齊藤義宗 | 2008年7月27日 20:49

斎藤さん、

 私が言いたかったのは、神秘的なことでも何でもないのです。 ネコは、ノラネコであっても人間に対して“異常”とも思える関心を示すのです。それは、彼らの先祖であるトラやライオンのような猛獣にはない性格ではないでしょうか? 猛獣はいまや絶滅危惧種ですが、ネコは殖え過ぎて社会問題を惹き起こしています。これは、猛獣よりもネコの方が“高等”である証拠ではないでしょうか。

投稿: 谷口 | 2008年7月28日 15:54

先生、ありがとうございます。

昨日の先生のコメントにより、身の回りのありふれたものも本当にそうだな~と改めて振り返り、そう考えるとゴキブリとかもそうだな~とか思っていました。

確かに、そのような視点を取り入れると、猛獣よりもネコの方が“高等”と考えられますね。

また、さらに繁殖するかどうかは生物の優劣というより、環境条件に依存しているので、高等とか下等とかの概念自体が、意味をなさないような、印象を受け、それぞれがそれぞれの場所で先頭ランナーという視点から存在としての等級(このようの言葉が適切かは分かりませんが)は“等しい”という言葉がフィットしているように感じています。

投稿: 齊藤義宗 | 2008年7月28日 20:18

「食うもの」と「食われるもの」の生物の優劣、人種、文化、社会、国についての優劣についてを簡単に言う人があるがと、色々根拠を列挙されながら「疑わしい」と言うのが副総裁の考えの様ですね、お立場上優劣について自分はこう思う!とは言えないのでしょう、私は「優劣は無いが無い事も無い(相反する二つを離れでそれらは別のものでは無い)」、つまり、人間個々人の「はからいの心」ではないか?と考えます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年7月31日 12:04

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