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2008年7月31日

古い記録

 今日は休日を利用して、家にしまってある自分の古い記録の一部を眺めてみた。私の若い頃の話は、主として2005年の本欄で折に触れて書いてきた。(例えば、2005年3月31日「古い家族写真」、5月18日「横浜に来ています」、同月19日「横浜のカレー」、同月23日「横浜との縁」、7月7日「横浜の赤レンガ倉庫」)しかし、大学より前のことはうろ覚えであるから、確かな資料を手元に置かず、記憶だけで書くのを控えてきた。今日はその“確かな資料”の1つを眺めてみる気になったのだ。その資料とは、私が高校時代に所属していた「出版部」というクラブ活動の中で発行していた新聞の縮刷版である。
 
 私は小学校から大学まで、東京・渋谷にある青山学院へ通った。この学校では、小学校を「初等部」、中学校を「中等部」、高校は「高等部」と呼んでいる。だから、高等部のクラブ活動で発行している新聞は『青山学院高等部新聞』といった。この新聞の第1号は昭和25(1950)年12月18日の発行で、同43(1968)年2月に第100号が出たというので、その年の6月末に「100号記念」の縮刷版を出版したのだった。私がこの出版部に所属していたのは、昭和42年から足かけ3年間だから、この縮刷版の終りに近い部分に、当時の私が書いた記事や企画が載っているのである。それを読んでみると、おぼろげな記憶の中から高校時代の自分の思いや考え方が立ち上がってきて、実に興味深い。しばらく時間を忘れて“若い自分”と対面することになった。

 私の高校時代は、ちょうど「70年安保」の前夜で、社会は年とともにしだいに騒がしくなっていた。生長の家高校生連盟に所属していた私は、休日には原宿の生長の家本部などで生高連の仲間と顔を合わしたりしながら、騒然としつつある社会状況を憂えていたのだと思う。「だと思う」などと書くのは、もう40年近くも前のことで記憶が定かでないからだ。しかし、この縮刷版の記事を読んでみると、その“憂い”の内容が伝わってくる。実際の記事をここでお見せすることはできないが、簡単に言ってしまえば、私は当時、日本がいわゆる“左翼”の暴力革命によって転覆されてしまうのではないかと不安に思っていたのである。特に、青山学院はキリスト教系の学校で、当時のキリスト教の傾向は一般的に“左向き”で、大学の教授陣や高校以下の教師の中にも“左向き”の人が多かった(例外もあったが)から、当然、高等部の新聞もそういう論調だった。

 例えば、私が入部する前の昭和42年3月22日付の『青山学院高等部新聞』には、「建国記念日に思う」と題して、当時の出版部長であるKさんが論説を書いている。そこには、次のような文章が見える--
 
「なるほど、賛成側の人の中には、教育勅語を復活せよ、とか、欧米に負けずにアジアへ進め、とか、太平洋戦争は聖戦であった、とかいっている人もいるし、キリスト教者である内村鑑三氏なども、教育勅語に敬礼しなかったために教師の職をやめさせられたりしたことも事実である。今度は、賛成側の意見はこれも、ごく大ざっぱにいってしまえば、愛国精神を養う、祖先の辛酸と栄光の足跡をふりかえる、人に誕生日があるように国に誕生日があってなぜ悪い、というわけだが、人の誕生日は他人を戦争なんぞへかりたてる力はないでしょうネ。」
 
 これに先立つ昭和41年3月15日号は、「われわれの政治意識」という2面見開きの特集記事を組んでいる。そこにある「改憲論をつく」という文章には、こうある--
 
「改憲論者は“第一に現憲法はおしつけられたものであり、第二に天皇の位置がアイマイであり、第三に自衛権が独立国に存在することは明確であるから、自衛軍を設置できるように”改定すべきだと主張する。
 が、憲法改定運動の発端は昭和25年に朝鮮戦争が勃発して、警察予備隊が設置されたときなのである。北鮮軍の進撃に脅威を感じたマッカーサー司令部が警察予備隊の設置を命令し現在の自衛隊の礎石をおいたときから改憲運動がおこったという事実は、現在の改憲論の本質を示唆するものである。
 すなわち、“おしつけられたものだからいかに内容が完全なものであっても外国人のつくったものであるかぎりは非民主的憲法であって断じて日本人の民主的憲法ではない”という第一の理由をふりかざしていながら、実は戦争放棄を規定している憲法第九条をあらためるための隠れ蓑にすぎなかったのだ。“自主憲法を制定する”という口実のもとに再軍備を推進し、戦争準備を着々と整えようという腹づもりなのだ。」
 
 まるで、過去のどこかの政党の機関紙のような論調だが、そういう考えの先輩がいるクラブへ入部しようと思った16歳の私は、恐らく悲壮な覚悟をしていたのではないかと思う。なぜなら、多くの読者はご存じのように、当時の生長の家は「建国記念日制定」や「自主憲法制定」などを前面に打ち出した政治運動を展開していたからである。高校生の私には、もちろんその“全貌”など見えなかったが、生高連を通じて、学校で「やるべきこと」の大筋は理解していたに違いない。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月30日

旅の絵道具

 最近、本欄のサイドバーに「絵封筒」のスライドショーが加わったことに関連して、読者から私が普段使っている画材について知りたいとのコメントをいただいた。画家でもない私は、画材に特にこだわっていないが、生長の家の講習会などで旅行をすることが多いので、持ち運びの便を第一にして、普段は簡単なものしか使っていない。もちろん自宅には油絵の道具やグワッシュなども置いてあるが、最近はとみにそういう大がかりな道具を使う機会がないのは、残念である。
 
Mytool01  写真に、旅先にもっていく道具を収めた。近ごろはよく絵封筒を描くが、その封筒は原則としてホテル備え付けのものを使う。しかし、封筒のデザインや質がいただけない場合のために、またたまに封筒を置いてないホテルもあるので、写真上部にある封筒を持っていく。これは、ベルギーのペルティエ社製のオリジナル・クラウン・ミルという薄クリーム色の封筒で、横浜ランドマーク・タワーの有隣堂で買った。この封筒は内袋のある二重構造で、上から絵具を塗り重ねていってもビクともしないので、気に入っている。
 
 次に、封筒の左下にあるのがウインザー・アンド・ニュートン社の固形水彩セット。蓋がパレットになっていて、水筒付なので便利である。その隣に水筆がある。これ1本で大体用が足りるが、複雑な絵柄や多彩な色を使わねばならないときは、写真下にある携帯型の水彩用筆セットの中のものも使う。市販の6本組のセットだが、私はその中にさらに1本加えている。(が、すべてを使うことはほとんどない)
 
 ペンが3本写っているが、透明のものはユニボールの黒で、ペン先は0.5ミリ。絵封筒を描く場合は大抵これだけですむが、太い線が必要な時には、その下のものを使う。これは、ゼブラの筆サインペン[中字]である。写真の左側に置いてある万年筆は、ブラジルへ行ったときにいただいたモンブランで、ブルーブラックのインクが入っている。モノクロの絵を描くとき、これを使う。一度描いた上から、水筆でこすると色がにじむ。これで濃淡を出す。
 
 ここにはないが、デジカメは常に持参している。キャノンのIXYデジタルである。これで撮った写真をノートパソコンの画面に出して、そこから絵封筒を描くこともある。
 
 まあ、こんな具合である。スケッチをしたり絵封筒を描くとき、私は鉛筆を使わずに、いきなりペンで輪郭を描く。ときには失敗するが、構わずにどんどん描く。その方が勢いや味が出ることが多い。とにかく、旅先では時間との勝負になるから、覚悟を決めて一気に描くことにしている。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月29日

宗教運動と環境保全

 地球環境保全を目指した取り組みについては、生長の家が日本で初めて国際評価基準であるISO14001の認証を取得したことは、本欄の読者なら旧聞に属することと思う。このことはまた、スイスのジュネーブに本部を置く国際標準化機構(International Isomag78_2008 Management Systems)が発行する機関誌『ISO Management Systems』の2002年1~2月号にも大きく取り上げられた。あれから6年たって、世界の主要な企業や団体がこの“環境ISO”を取得するのは当り前になってきたが、宗教団体の意識としてはまだそこまで達しない場合が多いようだ。ところが、このたび発行された同誌の今年7~8月号(=写真)によると、世界の宗教団体の中にも、環境意識を自分たちの“本業”に生かすために、ISO14001やISO9001(品質管理の基準)の認証を取得する動きが広がりつつあるという。
 
 同誌は、ドイツのミュンヘンにあるメディアデザイン応用科学大学のアレクサンダー・ムーチニク氏(Alexander Moutchnik)による国際記事として、8ページを割いて宗教団体のISO認定取得の動きを取り上げている。それによると、これらの認証取得は「教会や宗教団体にとって、信徒への説明責任を改善し、寄付を増やし、環境破壊を減らし、社会的責任を果たしていることを示す強力な道具」となりつつあるという。ムーチニク博士は、この動きには、①主な宗教のすべてが含まれ、②宗教団体のタイプは多種多様であり、③世界的な現象である、と3つの特徴を挙げている。
 
 具体例的には、ドイツでは2010年までに千以上の宗教団体に環境基準を導入させようとしていること、フィンランドでは2001年2月以来、100カ所以上のルター派教会が環境証書を得ていること、スコットランドでは2001年以来、130の教会のうち40の教会が「エコ教会賞」(Eco-Congregation Award)を獲得したこと、オーストリアでは農業森林保水省が設けた2007年の環境マネージメント賞を、宗教団体として初めてセントバージル成人教育センターが受賞したことなどだ。この中に日本の例として、生長の家が2007年までに全国の66の事業所でISO14001を取得し、さらに世界の主要3国(ブラジル、アメリカ、台湾)での認証取得に向けて運動を進めていることが書かれているのである。また、これ以外では、ブラジルのユダヤ教系病院、ブルネイのイスラミック・センター、マレーシアのヒンズー教寺院、フィリピンのカトリック系大学、アメリカのカトリック系病院が紹介されている。
 
「宗教運動がなぜ環境重視なのか?」--最近は、日本の宗教団体も環境保全に取り組む動きがあるものの、この疑問は生長の家が環境保全への取り組みを始めた当初は内外にあった。この記事でもそれを短く取り上げているが、説明の仕方は、いかにも国際機関らしい。それによると、宗教団体は、経済活動の参加者として相当大きいからだという。世界の11の主な宗教が抱える信者数は、世界人口の85%にもなり、機関投資家としては3番目に大きいという。だから、これだけの人々と資金とが、環境保全や効率的運営を目的として動けば、地球環境や世界経済に大きな影響が及ぶというわけだ。

 また、上にも触れたが、信者に対する「説明責任(accountability)」や教団運営の「透明性」が記事では重視されている。これはつまり、生長の家を含めた多くの宗教団体は信徒からの献金や寄付によって成り立っているからで、信徒の立場からすれば、自分の献金や寄付が何のために、どのように使われるかがよく分かる場合と、分からない場合とでは、信頼度、帰属意識、信徒としての動機づけなどの面で、大きな違いが出てくるからだ。簡単に言えば、自分の献金する団体が、ムダなく効率よく運営されており、その活動が環境に害を与えていないと分かっている場合とそうでない場合では、団体の魅力が違ってくるのである。だから、環境保全への取り組みを真面目に進めていると認められることは、宗教団体にとっても大いに意味がある。時代の流れは、そのように変わりつつあるのである。

 谷口 雅宣

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2008年7月27日

コンビニの深夜規制に賛成する

 コンビニエンスストアの深夜営業を規制するかしないかが論議されている。私は、端的に言って規制賛成である。が、他の深夜営業業種とともに段階的に行うのは、どうだろうか。CO2の排出量という点では、コンビニ店の排出量は全体の割合ではわずかだそうだ。だが、全国にある約4万2千店を24時間回転させるための工場や運輸部門のCO2排出まで含めると、結構な割合になるのではないか。本来は、CO2の排出自体にコストを生じさせるための炭素税や環境税が望ましい。そうすれば、ある特定の業種だけが規制によって不利益を被るという不平等は避けられる。しかし、それができないのであれば、次善の策としては、どこからか排出削減を始めなければならないのだ。恐らくそれが理由で、夜中に煌々と電気をつけ通しているコンビニ店が“目立つ対象”として槍玉に挙げられているのだろう。

 25日付の『朝日新聞』が、この問題について“規制賛成派”と“規制反対派”の言い分を比較している。賛成派の角川大作・京都市長は、この規制によって「ライフスタイルの変更」を目指していると述べる--「『禁欲的な生活をしろ』というつもりはない。訴えたいのは、今までの『利便性や利益を最大化しよう』という方向性が本当に幸せだったのかということ。昼よく働き、夜もよく遊ぶが、深夜には帰って寝るという暮らしが、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の観点からも望ましい。行政がコンビニを『規制』するという理解は違う。京都市では、市民参加の議論を経て、深夜営業の『自粛』を呼びかけていく」。

 これに対し、反対派の諸富徹・京大大学院准教授は、「温室効果ガスを抑える有効性で見ても、社会経済的コストがどの程度かかるかという費用対効率性で見ても、疑問が多い」という。諸富氏は、業務部門全体のCO2排出量を下げる必要性は認めるが、「なぜコンビニだけ対象にするのか、説明がつかない」と言う。上記したような“目立つ対象”だからだとの説明に対しては、それは“象徴的環境政策”であり、「人々の耳目を引く政治的アピールでもある。深夜営業規制が意味を持つとすれば、業務部門全体の排出量に対する論議を巻き起こし、政策に前進をもたらす場合のみだ」と言う。同氏は、ライフスタイルの変更が必要との見方には反対しないが、「市民の行動の自由や多様なライフスタイルと両立できる政策でないと、結局は社会に受け入れられず、効果を発揮しない」と述べる。
 
 これを読むと、“規制賛成派”は「便利さ優先からワーク・ライフ・バランスへ」との生活スタイルの変更を目指しているのに対し、“規制反対派”は「そういう規制は現代人の生き方の多様性と両立しない」と考えているようである。また、この記事には、コンビニチェーンの本部ではなく、末端の加盟店サイドの意見も載せている。それによると、午前1~5時の売り上げは1日の5%しかなく、深夜に店を開けている精神的負担が大きいから、「せめて数時間、安心して眠れる時間がほしい」との意見もあるらしい。さらに、約1千店の加盟店でつくる全国FC加盟店協会は、この6月に声明を出し、24時間営業を一律に強いる現在の契約方式を改めるよう求めたという。
 
 また同記事によると、2005年に内閣府が行った世論調査では、深夜営業の必要性を問う質問に対して、「必要」は57%で「不要」は35%だった。3年後の現在、この割合がどれほど変わっているかは分からない。また、「深夜営業」はコンビニだけではないから、この数字をそのままコンビニ規制の適否の議論には使えない。しかし、コンビニ支持者が多いことは事実で、『日経』の26日夕刊にも読者からの賛否両論が掲げられている。それによると、“規制反対論”にはコンビニの「防犯と利便性」を挙げるもの、「生活の一部である」ことや「雇用を創出」すること、また「行政は営業時間に口をはさむな」との意見もある。“規制賛成論”には、コンビニは「便利さ以上に従業員が大変」「用もないのに子供が群れる」「地方都市では過当競争」「規制は一律でなく、臨機応変に」との意見がある。

 私の“段階的規制論”を述べよう。私は東京都心のファッション街・原宿の真ん中にいる。が、これまでコンビニは何度も利用しているが「深夜利用」はしたことがない。深夜は寝ることにしているからだ。それでも、若者は深夜に利用するかもしれないが、その理由は「必要だから」ではなく「他に行くところがないから」だと思う。原宿の街は、昔から夜には店が閉まることになっているから、本当に行くところがないのだ。ところが、コンビニだけが開いていて電気を煌々とつけているので、そこへ渋谷や新宿から流れて来た若者が惹かれて行く面が多い。今年の正月には、妻の故郷である伊勢の田舎町へ行った。そこには片道2車線の通りに沿って、互いにさほど遠くない位置に、コンビニが2店建っていた。が、夜暗くなって近くを歩いたら、中にいるのは若者が1人か2人で、雑誌を立ち読みしているだけだ。これは午後8時前のことだから、深夜になれば利用者はもっと減るだろう。だいたい、この地方には若者の絶対数が少ないのである。それでも24時間電気をつけて営業をしなければならない、というのは不合理である。
 
 日本は今後、人口減少の中でますます都会と地方の人口差や経済格差が広がる。それを無視して、全国一律で24時間営業をしなければならないというのは、経営的に考えても合理的とは言えない。ましてや、CO2の排出削減が喫緊の課題である中で、「ごく例外的に利用される時間帯にも、昼間と同じ電力を使う」という経済不合理性が許されるのは不思議である。「炭素税」や「環境税」を導入しないのならば、全国FC加盟店協会の求めるように、都会と田舎の需要の違いに合わせてサービスを供給することから始め、しだいに「深夜は静かに眠る」領域を拡大していき、都会での規制も“盛り場周辺”を除いて、徐々に進めていくのがいいのではないだろうか。「便利であれば何でもいい」という考え方は地球温暖化時代には通用しない、と私は思う。

 谷口 雅宣

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2008年7月26日

イチローからの手紙

 米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手が、日米通算で3千安打することが待ち望まれているが、23日はレッドソックス戦で1安打して残り「5安打」としたものの、25日のブルージェイズ戦では5打数無安打で足踏みしている。“大記録”の前では、やはり緊張してしまうということなのか。私は特にイチローのファンということではないが、野球の本場・アメリカで現地チームをリードする役を引き受けてきた彼を見ると、同国の“51番目の州”のような外交政策を伝統とする国に住んでいても、「まぁ、いいか……」という気がするのである。彼個人としては、インタビューに答えて「妻は今ごろ、味噌汁をつくっています」と言ったり、「ぼくは何でもできますから」などと発言したことが気になるが、これまでの本業での功績を考えれば、これも「まぁ、いいか……」と思ってしまう。

 そんな最近、「宗教界のイチロー」を自任する人から手書きのお手紙をもらった。この人には、仕事で7月の半ばにお世話になったので、お礼の手紙を絵封筒に入れて送った。それに対する返事である。届いた封筒を見て驚いたのは、ご自分の顔写真が切手として貼ってある。近頃、郵便切手にユーザーが撮った写真を刷り込むサービスがあるとは知っていたが、実物を見るのは初めてであり、しかも自分の写真を使うという発想には恐れ入った。背広姿にベレー帽を被り、薄く色のついた眼鏡がストロボの光を反射している。ふと、「ぼくは何でもできますから」というイチローの言葉が脳裏を過ぎった。
 
Efuto080717  手紙の内容もふるっていた。私はこの人に用意していただいたのと同じデザインのペットボトル入り飲料水を絵封筒に描いた(=画像参照)。それを見たご本人の感想が書いてある--
 
「実を申しますと最初、住所が左側に記載されていたり、切手が右下に貼ってあるし、裏を返すと差出人の住所が無いので“ハハーン、これはキット時々ある無記名投書に違いない、後日ゆっくり”とばかり、一旦は文箱に入れかけたのですが、虫の知らせというか“以前確か見た事のある絵封筒だな”と気付き開封して仰天しました。私の中の忠実な腹の虫に功労賞デス。」

 絵封筒には、どこに住所や宛名を書き、切手を貼るかなどという堅苦しいルールはない。私も今回、もっぱらデザイン上の都合からそれらの位置を決めた。郵便番号を書かなくていいし、差出人の名前を書かなくても配達してくれる。ただし、配達の過程で機械的処理が一切できないから、通常の郵便より時間がかかって相手に届く。この絵封筒の場合、東京都内を移動しただけであるが、ポストへの投函から配達まで約1週間かかったようだ。

 この人の手紙は、最後に次のように結んでいる--
 
「話しは変わりますが、仰せの如く、今後もシアトルのライバルに負けない様に頑張ります。彼の打率は三割ちょっとですので、私は四割を目指します。
  平成二十年七月二十一日
          宗教界のイチローこと ■■イチロー」

 ご本人のプライバシーを守るため、一部“伏せ字”にしているが、「仰せの如く」という意味は、私が手紙で「シアトルのライバルに負けないように」と書いたことを指す。要所で確実にヒットを打ち、チームの勝利に貢献することを期待したのだが、イチロー選手の場合、チームが弱くても個人記録を伸ばす傾向がないとも言えない。宗教界のイチローさんがどちらを目指しているのか聞いていないが、私の意図は十分ご承知に違いない。

 谷口 雅宣

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2008年7月25日

生物の“高等”と“下等”

 草食動物は肉食動物より“下等”だろうか? この質問への答えは、その人の人生観、世界観をよく表す。「弱肉強食が世界であり、人生である」と考える人の場合、肉食動物は草食動物を捕食するから、捕食するものはされるものより“高等”だと考える。これは、単純に「力が強いものは弱いものに勝る」という思考の延長である。「食物連鎖」のピラミッドを想起して、ピラミッドの上層にある方が下層にあるよりも高等だと考える人も、恐らく同類だろう。これらの考えは、確かに「わかりやすい」かもしれないが、「事実そのまま」かどうかは疑わしい。自然界をよく観察してみると、このような単純思考では説明のできないことがたくさんあるのである。
 
 例えば、草食動物は肉食動物に食べられて絶滅してしまわないように、数多くの子孫を産み出すことが多い。また、昆虫などは「擬態」と呼ばれるカムフラージュを自らにほどこし、天敵の目から逃れる工夫をしている。1頭では天敵にかなわない草食獣は、群を作り、複数の個体で天敵に向かうなど、集団防衛術を心得ている。これには「社会性」がなければならない。また、速い足、永い持続力、高い跳躍力、飛翔力などで天敵から逃れる能力を身につけたものもいる。
 
 草食動物が自己防衛のためにこのように進化していけば、それを追う肉食獣たちも、ノンベンダラリとしていては食事にありつけなくなる。ということで、両者は互いに切磋琢磨し合いながら生きてきた、と考えられる。ということは、現在、地球上に生息する生物は、草食も肉食も雑食も、「どちらが優れているか」という種類の単純な質問には答えられないほど、多くの長所と短所をもっていると言えるのではないか。
 
 私がこんなことを考えたのは、次のような記事を今日付の『朝日新聞』で読んだからだ--
 
「米ワシントン大などが、ヒトやネズミ、パンダなど、60種類の哺乳類の糞(ふん)から、17種類の微生物の腸内での生息状況を調べたところ、肉食動物は6種類、雑食は12種類、草食は14種類と増えていた」。

 これは、アメリカの科学誌『サイエンス』に載った研究の結論部分をまとめたものだが、この結論を研究者がどう解釈したかも書いてある。それによると、哺乳類の祖先はもともと肉食だった--つまり、植物に含まれる多糖類を消化することができなかった、と考えるのである。ところが、やがて哺乳動物の腸内で生息する微生物が進化して、多糖類を分解できるようになったことで、「宿主の哺乳類もこの微生物を排除する免疫反応を起こさず、共生できるように進化し、雑食や草食になったらしい」というのである。
 
 これを言い換えると、腸内に生息する微生物の種類が多ければ多いほど、進化した生物である、ということだろう。となると、肉食よりは雑食が、雑食よりは草食が、進化のバロメーターになるとも言える。この場合、1つの生物種にとって、共存できる他の生物種の数が多ければ多いほど、その生物種は優れていることになる。こう考えていくと、我々人類が、他のすべての生物種に比べて優れているかどうかは、簡単に答えることができなくなってくる。なぜなら、我々は産業革命以降、相当数の生物種を絶滅に追い込んできたからだ。
 
 ところで、「食うもの」「食われるもの」という単純な二分法で考えたときの生物の優劣の判断と、そこへ「腸内微生物」という第3の“変数”が加わったときの生物の優劣の判断とでは、結論が大いに違ってきた。人種や文化、社会や国について“優劣”を簡単に言う人がいるが、私はそれこそまさに「疑わしい」と思うのである。人間という生物は、そんな単純思考で評価できるとは決して思わないからだ。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月24日

現代のイスラーム理解のために (9)

 本題でこれまで書いてきたことを振り返ると、世界第2の宗教であるイスラームでは、政治や国際関係の面では「厳格主義者」ないしは「急進派」が目立った動きをしているものの、草の根レベルの市民生活においては、「穏健派」ないしは「中道派」が主として家族法と関係する領域で伝統を守り、かつ発展させる形で“イスラーム復興”を行っている--という構図が見えてきた。まあ、実際はこのような単純化ではとても表現しきれない種々の考え方や、入り組んだ関係がイスラーム社会の各所に存在するに違いない。が、日本のメディアが伝えるような極端に保守的、暴力的、非人間的、宗教至上主義的なイメージが、イスラーム社会の全体像ではないということだけは確実だろう。
 
 地球社会が成立しつつある21世紀において世界平和の方向へ進むためには、イスラームの「穏健派」の声が--換言すれば、穏健な形でのイスラーム復興の様子が、もっと鮮明に世界に知られる必要がある。エルファドル氏は、それを目的に今回の書『イスラームへの誤解を超えて』を世に出したと書いている。国際平和を目的とした我々の運動においては、その「穏健派」の信念や信仰をより多く、正しく理解することがさらに必要と考える。その中から、真の協力と協働が生まれるに違いない。
 
 さて、エルファドル氏の著書の後半には、イスラームの考え方の中で「穏健派」と「厳格主義者」の間で大きく異なるものが対比されている。その中で我々の運動と関係が深いものを1つだけ取り上げ、これまで我々が抱いていたかもしれない誤解を正したい。それは、少し前に言及した「イスラームの館」(ダール・アル・イスラーム)という考え方である。

 実は、2004年に日本で行われた「生長の家教修会」で私は一度、この問題を扱っている。この時私は、イスラームの世界観では、「世界は“戦争世界”(ダール・アルハルブ/Dar Islamview al-Harb)というイスラムの外側の世界と、イスラム法の支配する--つまりイスラム教が信仰されている“ダール・アルイスラーム"(Dar al-Islam)という2つの領域に分かれる」(『平和の先人に学ぶ』、p.190)などと解説した。そして、「こういう世界観の中では、イスラムとそれ以外の国々との間には戦争が常に存在することになってしまいます。そういう教えを世界の半数近くの人が信仰しているということになると、平和実現はなかなか難しい」などと言った。しかし、エルファドル氏の本を読んで、そういう世界観は厳格主義者の間では認められていても、現在の穏健派イスラームではもはや採用されていないことを初めて知った。同書には、こうある--

 イスラーム法学者の多くは、世界をいわゆる「イスラームの家」(「ダール・アル・イスラーム」)と、「戦争の家」(「ダール・アル・ハルブ」、あるいは「不信心者の家」を意味する「ダール・アル・タフル」とも呼ばれた)という2つの領域に分けて考えていた。歴史的に見れば、このイスラームの家という概念は、12世紀におけるキリスト教世界というローマカトリックの概念によく似ている。「家」という言葉はアラビア語の「ダール」の直訳だが、イスラームの家とはムスリムが支配する領域を意味するのに対して、戦争の家とは非ムスリムの支配領域を意味している。したがって、実質的には、世界をこのように2分して考える法学者がかなり多かったのである。(p.242)
 
 しかし、エルファドル氏は、この世界観は当時の国際政治の状況を反映したものであっても、「宗教的な思想信条にはほとんど関係がな」いと断言し、クルアーンやスンナにも裏付けられていないと指摘する。(p.244)また、興味あることに、10世紀以降に書かれた法学書には、世界を3つの領域に分ける考え方がほとんどだという。この3番目の領域は「和平の家」(ダール・アッスルフ)または「協約の家」(ダール・アル・アフド)と呼ばれ、「イスラーム世界と友好関係を保っている非ムスリム地域」を指しているらしい。そして、この領域は暴力的なジハードの対象にならないどころか、「攻撃したり暴力的手段に訴えたりすれば、罪に問われて罰を受け、その地域の政府に損害を賠償しなければならないとされた」(p.245)という。
 
Islamview4  また、さらに時代がくだり、12世紀以降になると、世界を2分や3分する単純な考え方はしだいに否定され、「世界は多種多様な領域に分かれているという説を唱える法学者が増えてきた」という。この中で典型的なのは、「正義の家」(ダール・アル・アドル)という考え方で、正義が存在するか、自由に正々堂々と信仰行為を実践できるところであれば、政治的な友好関係があろうがなかろうが、そこは真の“イスラームの家”と考えるというものだ。この説を採用すれば、ムスリムがアメリカで無事に暮らし、公然と信仰行為を行える状況にあれば、アメリカも“イスラームの家”と見なされることになる。そして、この地域には暴力的なジハードは法的に認められないことになるという。(p.246)
 
 だから、9・11の攻撃や、7・7のロンドンの爆破事件がイスラームの教義にもとづいて行われたとするのは、あくまでも厳格主義者の言い分であり、穏健なイスラームから見れば、10世紀以降の事実を無視したとんでもない屁理屈ということになるのである。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2008年7月23日

映画『あの日の指輪を待つきみへ』(Closing the Ring)

 今日は、妻と2人で新宿に映画を見に行った。私たちは“週末”である水曜日に、よくこういう行動をする。リチャード・アッテンボロー監督の『あの日の指輪を待つきみへ』(Closing the Ring)というイギリスとカナダの合作映画である。前評判などはまったく知らず、直前にインターネットの紹介文を読み、「じゃあ、これにするか」と選んだものだった。が、幸いなことに内容が案外よかった。日本語の題名からは、普通の恋愛もの--それも相当甘い感じの内容に思えたが、原題は「輪を閉じる」という意味にもなるから、「ナゾを解く」感じの面白さがある。

 ひと言でいえば「戦争に引き裂かれた恋」である。日本のドラマでも、戦場へ行った若い兵士とその許婚の悲恋はよく描かれるが、この作品は、その状況をアメリカとイギリスへ持っていったと考えればいい。第二次大戦でイギリス支援のために北アイルランドのベルファスト上空を飛んでいたアメリカ軍機が、天候不良で山に墜落する。それに乗っていた若い軍人テディ(スティーヴン・アメル)の死を、米ミシガン州で帰りを待つ許婚のエセル・アン(ミーシャ・バートン)は「遺体がない」という理由で、信じようとしない。テディの2人の親友--チャックとジャック--が戦場で負傷して帰国し、遺品を届けても、エセルは簡単に信じようとしない。この3人の親友には、しかし秘密があった。それは、3人が戦場へ行く前、テディはチャックとジャックに、自分に万一のことがあったらエセルの面倒を見てほしいと頼んだことだ。具体的には、チャックには彼女との結婚を依頼し、ジャックにはその2人を助けてほしいと頼み、3人は互いに固い約束をした。

 この3人の“親友の誓い”が成立した大きな要因は、3人ともエセルを好いていたからだ。愛する女性のための親友同士の誓いである。これに戦場での生死をともにする体験が加わると、より強固な“戦友の誓い”が生まれる。ところが、当のエセルには、そのことが告げられなかったことで悲劇になるのである。チャックは約束通りエセルと結婚するが、夫婦関係は形だけのものとなり、ジャックはエセルに恋愛感情をもち続けながらも、それを告白できない。若いころの“美しい誓い”は、生き残った親友と、残された恋人の人生を深く、長く縛り続けることになる。

 映画の展開は複雑で、テディの死から50年たった1991年から始まる。エセルと結婚したチャックが70代で死んでから、まもなくの時点だ。エセルとチャックの間にはマリーという娘がいるが、父親好きのこの娘は、父の死を悲しまない母に不信感を抱き、母にそれを詰問する中で、過去の出来事がしだいに明らかにされていく。なかなか凝った構成で、途中で、北アイルランドで武装闘争をするアイルランド共和軍(IRA)のテロ活動との接点も出てきて、手に汗を握るシーンもある。が、私の理解した範囲では、映画の中心テーマは「愛」である。男女間の愛だけでなく、親友同士の愛も、親子の愛も含まれる。しかし、ここで描かれる愛は、さまざまな形の「執愛」である。エセルは50年前の(死んだ)許婚に愛を向け続け、彼女と結婚したチャックは50年間、報われない愛をエセルに注ぎ、ジャックは3回の結婚をへてもなお、エセルを忘れられない。こうなってくると、“親友の誓い”として行った若い頃の約束が、一見美しいようであっても、親友と恋人の自由を奪う残酷な“呪い”のような様相を呈してくる。

 執愛は、愛の対象を縛るだけでなく、愛する側をも縛る。これだけでは救いのない物語になるが、映画の終り近くで、執愛の誤りを正す努力が行われるのが感動的だ。具体的に何が起こるかは、言わない方がいいだろう。老いたエセルの役を73歳のシャーリー・マクレーンが演じるが、複雑な内面の表現は見ごたえがある。本当の愛は、相手に自由を与えることだというメッセージを、私はこの映画から読み取った。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月22日

現代のイスラーム理解のために (8)

 前回の本欄では、19世紀から20世紀にかけての西洋列強の植民地政策と、イスラーム内部からの近代化志向、世俗化推進派の人々の台頭によって、"宗教的権威の空白状態"が生まれたことを述べた。この宗教的権威の空白状態の中で、厳格主義的な思想が受け入れられる素地が生まれた、というのがエルファドル氏の分析である。また、イスラーム研究家の小杉泰氏は、これに加えてナショナリズムの勃興が、従来からあった「イスラームの館」(ダール・アル・イスラーム)の考えを弱め、これが「イスラーム世界」という国家を超えた宗教的紐帯を消滅させた、と指摘している。

「イスラームの館」という言葉は、従来はイスラーム法が支配する複数の国々を指していたが、小杉氏によると「そのほとんどが列強の植民地となり、ムスリムの統治者もイスラーム法の支配もなくなった。さらに、植民地から独立しても、イスラーム法の支配は戻らなかった」。(『イスラーム帝国のジハード』、p.300)これは「イスラーム世界の消滅」だと小杉氏は言うのである。これに加えて、オスマン帝国の危機の中でトルコでナショナリズムが発達し、それによってアラブ民族主義が触発されただけでなく、1948年のイスラエル建国によってさらにそれが強化された。これらのことも、「イスラームの館」という宗教優先の考え方を大きく後退させた、と小杉氏は指摘する。(同書、p.308)

 もちろん、宗教の権威を回復しようとする“揺れ戻し”の動きも何回か起こったが、その評価は必ずしも一定していない。1970年代から80年代にかけて起こった“イスラーム復興”の運動について、エルファドル氏の評価は案外厳しいのである--
 
 しかし、大衆運動としてのイスラーム復興は、多くの場合、宗教的権威の空白につけ込む自称シャリーア専門家に先導されたものだった。ムスリムとしての誇りを著しく傷つけられたにもかかわらず、この自称専門家たちには、イスラームの法と思想をさらに完全なものにしたり発展させたりする気はなかった。次第に彼らの関心は、イスラームの教えを権力の象徴として利用し、その大衆に訴える力を強化することに集中していった。そのねらいは、あくまでもイスラームを抵抗と反逆のシンボルにして蔓延する無力感を克服し、ムスリムとしての誇りを取り戻すことにあった。またこのような姿勢は、世界の覇権を握る欧米への抵抗を示す手段にもなり、政治的・社会的・文化的自立を求める世界各国のムスリムの強い願望をあらわす手段にもなった。(『イスラームへの誤解を超えて』、p.48)

 小杉氏は、現在につながるイスラーム復興は「1960年代後半」から始まったとし、もう少し具体的にその様子を描いている--
 
 復興の現象は、現地で細かく観察すると、ほとんどが草の根レベルでの宗教覚醒や生活改善と結びついている。たとえば、礼拝の励行、モスクの建設、聖典クルアーンの暗唱、断食の推奨、倫理教育の強化など、宗教的な諸側面と関わる復興、あるいは、貧者のための喜捨(募金と分配)、低所得者向けのクリニック、母子家庭の支援、地震等の被災者救援のような社会福祉的な活動などである。富裕層の運動としては、イスラーム銀行の設立などもイスラーム復興の一側面をなしている。(『イスラーム帝国のジハード』、p.328)

 小杉氏は、イスラームはこのように“草の根”レベルでは生き続けており、それが可能であるのは、家族法の領域でイスラーム的価値観が支持され続けており、「一部の知識人を除いて、国民の多くが結婚や家族について西洋を模倣する気が起きなかったという面もある」(p.329)からだと説明している。しかし、この家族法の領域(下層)より上にある国家や政治、国際関係という「上層部」の領域では、脱イスラーム化が進んでいるので、イスラーム的でない急進派、過激派、厳格主義者の影響力が行使される余地が生まれている--そう分析するのである。つまり、現代のイスラーム過激派・厳格主義者の問題はイスラームの問題ではなく、「イスラームの欠如」の問題だというのである。次の文章を読んでほしい--
 草の根のイスラーム復興は、下から徐々にイスラーム復興を進め、個人から家庭へ、家庭から地域コミュニティーへ、そして社会全体へ、さらに国家や政治へ、と構想する。急進派は、それでは待ちきれない、国家こそが解決の鍵である、と生き急ぐ。(中略)つまり、国家と政治におけるイスラームの薄い部分に、イスラームを掲げる急進派が浸透するのであろう。言いかえれば、中道派のイスラームが濃いところには、急進派は浸透することができない。中道派の説く路線が力を持っていないところで、急進派の主張は説得力を持つ。(同書、pp.343-344)
 
 上の文章の「急進派」を「厳格主義者」、「中道派」を「穏健派」に置き換えれば、この論理はエルファドル氏の「宗教的権威の空白状態」という説明とほとんど同じになる。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月21日

現代のイスラーム理解のために (7)

 本題に関しては、18日にまでの本欄で、今日の厳格主義イスラームの起源を、近代日本の“尊王攘夷”の思想と似たところのあるワッハーブ主義にまで遡って考えてみた。そこで見出されたことは、厳格主義はイスラームそのものから生まれたのではなく、発祥当時のアラブの遊牧民(ベドウィン)の文化的慣行にもとづくものであり、その後、イスラームが世界宗教として発展するにいたる過程で取り入れてきたスーフィズムの思想、聖者信仰、聖墓崇拝、合理主義(理性主義)、そして哲学的な精緻な思考法などを拒否する、一種の文化主義--もっとはっきり言えばアラブ文化至上主義にもとづくということだった。
 
 これによって厳格主義者が優勢な国において、今日でも暴力事件や宗教的弾圧が多く行われる理由が分かるだろう。狭い文化的思考や行動様式を、多様な民族・文化間に根付かせようとする努力は、上からの“圧政”という形で行わざるを得ないからである。実際、18世紀にワッハーブ派が行った所業は、独裁的弾圧政策であったことを、エルファドル氏は次のように述べている--
 
 確かに、18世紀にアラビアを征服した際、ワッハーブ派は町や都市を支配下に置くと、必ずムスリムの住民にくりかえし信仰告白を求めた。ただしこの時は、信仰告白と同時に、ワッハーブ派の教義に忠誠を誓えと迫ったのである。指示に従わない住民は、不信心者とみなされ即座に斬殺された。18世紀のアラビア全土で行われたこの無惨な大虐殺のありさまは、数々の資料に記録されている。(p.64)

 このような説明を聞くと、ワッハーブ派の考え方と行動様式が、長い間のイスラームの特徴であった「多様性」と「寛容性」から大きく逸脱するものだと分かるだろう。宗教的、政治的な過激主義は民衆の支持を得られないから、通常、どこの国でも時間の経過にともなって弱体化し、消滅しないまでも社会的な影響力をもたなくなる。エルファドル氏も、18世紀から19世紀までのワッハーブ派について、「しかし結局のところ、あまりに急進的で過激なその思想は、イスラーム世界はもちろん、アラブ世界にも広範囲な影響を及ぼすことはなかった」(p.67)と言っている。
 
 しかし、20世紀になって、再びワッハーブ派は勢いを取り戻す。その理由は、後にサウジアラビアを建国したサウード家とワッハーブ派が密接な同盟関係を維持していただけでなく、アラビアに強力な中央政府ができることを望んでいたイギリスが、この同盟を助けたからである。イギリスの目的は、オスマン帝国を弱体化し、自国企業が油田掘削権を独占するためである。(同書、p.69)
 
 本来、少数派であった厳格主義者が勢いを増し、穏健派が圧迫されるようになった主な原因の1つには、西洋諸国の植民地政策が上げられる。この間の様子は、エルファドル氏の本のpp.38-42に簡潔にまとめられている。また、小杉泰氏も「イスラーム世界の解体」と題して著書で詳しく述べている。スペースの関係からこれを簡単に言えば、西洋列強は植民地政策の中で西洋型の世俗的な法律制度を導入し、聖俗分離を行った一方、独立後に宗主国から任命された統治者が、西洋教育を受け、ナショナリズムに燃えた軍人がほとんどだったということだ。イスラームの長い伝統を“時代遅れ”として捨て去る努力が、内外の人々によって行われたのである。これに加え、イスラーム学校に資金を供給していた制度が国有化され、教授の任免権を国が握ったため、イスラーム法学者はしだいに官僚化し、西洋の聖職者のように社会的影響力のない存在になっていったという。エルファドル氏は、これを"宗教的権威の空白状態"と呼んでいる。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○小杉泰著『イスラーム帝国のジハード』(2006年、講談社刊)

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2008年7月19日

“郊外型”は廃れる? (2)

 7月1日の本欄に同じ題で書いたが、郊外型大型店の売上減が鮮明になってきたことで、私の予測に信憑性が出てきた。原因はもちろん、原油高騰から来る自動車用燃料の値上がりである。これによって車離れが進んでおり、車の使用を控える動きが顕著になってきたことは、4日の本欄にも書いた通りである。
 
「車離れ」の傾向は、『日本経済新聞』による車保有者への調査でも鮮明になっている。18日付の同紙によると、7月初旬に全国の消費者千人に行った調査では、ガソリン価格の値上がりによって「1年前より車に乗る回数をへらした」と答えた人は「53%」に達し、前回の調査(今年1月)の「36%」よりさらに増えた。このうち何を減らしたかを聞いたところ、①「短距離のドライブ・レジャー」が37%で最も多く、続いて②「郊外型ショッピングセンターでの買い物」が34%、③「車を使った外食」27%、④「マイカー通勤・通学」⑤「子供などの送迎」の順だった。

 この動きに危機感を抱く郊外型の大型店では、客をつなぎとめておくためにガソリン代の一部負担のサービスをやり始めている。18日の『産経新聞』によると、イオンは10日から4日間、ジャスコの約250店で、ガソリンスタンド用のプリペイドカードが当たる抽選会を実施、売上げが前年比で1割伸びるという成果を上げたという。イトーヨーカ堂は16~21日の期間限定で、126の全店で5千円以上の買い物客にガソリンの割引券(リッター当り10円引き)を配布している。また、カラオケ店チェーンの「シダックス・コミュニティー」は1日から、午後6時以降に車かバイクで来店した客に、ガソリン2リットル分の値引きサービスをしているという。
 
 上に挙げた「車を使った外食を減らす」傾向は、ガソリンの値上がりだけでなく、食料品全体の値上がりとも関係している。(この2つは、しかし「原油の高騰」という同一の原因から来ている)そして、このことが米の消費量の増加に結びついているようだ。18日付の『日経』によると、「食料品価格の上昇で外食をひかえる動きが広がり、家庭で消費する精米の販売が予想以上に好調」だそうだ。もっと具体的に言えば、米卸大手の「木徳神糧」が今年12月期の連結決算で、純利益が前期比52%増となるとの予想を発表したそうだ。売上高の予想は前期比でほぼ横ばいだが、営業利益は同68%増になる見込みという。給食に米を使う機会をふやそうという政府の政策とも関係しているだろうが、米価の安定が幸いしているらしい。

 こうやって眺めてみると、昨今の原油の高騰も悪いことばかりではないことが分かる。車での外出が減り、家族が家で米主体の食事をするようになれば、団欒の機会が増え、健康上も良い結果をもたらすのではないか。最近は、東京でも交通渋滞が少なくなったし、空気もきれいになっている。ガソリンの高値が長く続けば、“近場レジャー”の需要が高まるから、電動自転車のレンタル事業や公共交通手段の整備などが進み、各地の特徴を生かした駅前商店街が再生することを私は期待している。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月18日

現代のイスラーム理解のために (6)

 ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ(1792年没)は、ハンバリー派のイスラーム法学者の家系に属していた。ハンバリー派の法学では、イスラーム法の法源である①コーラン、②スンナ(ハディース等)、③イジュマー(イスラーム共同体の合意)、④キヤース(類推)のうち、①と②のみを重視し、③と④をできるだけ使わないのが特徴である。ワッハーブは、コーランとスンナに書かれていること以外を信仰からの逸脱(ビドア)として激しく反対した。エルファドル氏は、それを次のように述べている--

 アブドゥルワッハーブとその信奉者は、中世以降の著名な法学者たちを異端者とみなし、たびたび言葉をつくして激しく非難したばかりか、意見が合わない大勢の法学者の処刑や暗殺も命じた。著作の中で、アブドゥルワッハーブが法学者を「悪魔」(シャイターン)や「悪魔の落とし子」と呼んでくりかえし罵倒したため、ワッハーブ派は優れた法学者の名声や威光を汚すことに何の抵抗も感じなくなっていた。彼らによれば、法学者の大半は(…中略…)堕落しているので、従来の法学派や同時代の法学者に従うのは異端的行為である。厳格な直解主義者以外の者--つまり、理性的な法解釈をしていると疑われた者や、合理主義的な分析法を法解釈に持ち込んだものは--みな異端者とみなされた。(『イスラームへの誤解を超えて』、p.53)
 
 ワッハーブは18世紀後半に生きた人間である。エルファドル氏によると、この時代にはすでに「近代性によって現実に対する認識が世界各地で大きく変化していた。あらゆる面で絶対主義的な考え方が揺らぎ始め、科学的経験主義が重視されるようになっていたのだ。それとともに、社会的・経済的諸制度もかなり複雑化したため、発展と近代化をめざして四苦八苦する伝統的社会の疎外感が強まった」(同書、p.51)という。この時代の大きな出来事は、1798年5月のナポレオンによるエジプト占領と、それに続くヨーロッパ諸国とオスマン帝国を巻き込んだ紛争である。この紛争から頭角を現したムハンマド・アリー(1769~1849年)は、1805年にエジプト総督に就任し、1952年のエジプト革命まで続くモハンマド・アリー王朝を成立させる。そして、約半世紀後に日本で実施される"和魂洋才"による富国強兵・殖産興業政策に似た近代化政策を実施することになるのである。
 
 この近代性への対応としては、西洋化してイスラームからできるだけ離れようとする運動がある反面、西洋化を拒否しながらも、科学的・合理的思考はイスラームの倫理観と完全に一致するとして、近代性とイスラームを融合させようとする動きもあった。ワッハーブの場合、このいずれとも異なり、「近代性の挑戦と脅威から身を守るため、しいてイスラームの原典に、公私にわたるほぼすべての問題に対する明確な正しい解答を見出そうとしていた」(同書、pp.51-52)と考えられる。
 
 私は、日本の近代の経験と照らし合わせてみると、この考え方は「尊王攘夷」の思想--とりわけ、国学の系統を引く尊王攘夷論と似たところがあると思う。国学の尊王論は、「記紀の神話を事実として前提し、皇祖神より血統的連続性をもつ天皇に絶対性を認める論理を基礎としていた」(平凡社『世界大百科事典』)のに対し、ワッハーブの思想では、コーランとスンナを神の真実の言葉として絶対化するのが基本だ。「尊王攘夷」という言葉に違和感があるなら、「尊モハンマド攘夷」と言えばどうだろうか。尊王攘夷運動は、「天皇を尊び外夷を退ける」とのスローガンを掲げて幕府政治を批判したが、ワッハーブが起こした運動は、「コーランとスンナに帰れ」とのスローガンの下に西洋型の近代化政策を批判するのである。
 
 近代のイスラームが幕末の日本と大きく異なる点は、長くて密接な西洋との交流が存在していることだ。日本は島国である上、長期の鎖国をしてきたから、退けるべき「外夷」が何に当たるかは比較的はっきりしていた。それは西洋の文物であり、西洋人であり、西洋思想である。しかし、イスラームは伝統的に西洋との文化的・人的交流がきわめて密接だったから、西洋の影響が最小のものをイスラーム内部に求めれば、それは発祥当時のアラビア的教えとアラビア的文化に限定せざるを得ないだろう。こうして、ワッハーブ主義は、アラブ的イスラームのみを真正とする考えを採用したと考えることができる。エルファドル氏は、そのことを次のように述べている--
 
 ワッハーブ派は、厳密な意味でアラブ世界に属していないものを本質的に疑わしいと決めつける傾向があり、非イスラーム的な影響は、ペルシア、トルコ、ギリシアといった国に由来すると考えていた。たとえば、スーフィズムはペルシアから、聖者信仰や聖墓崇拝はトルコから、また合理主義や哲学はギリシアからそれぞれ入ってきたものとされた。このような主張はあまりに単純すぎるし、不正確でもあるが、ベドウィン[アラブの遊牧民族]の生活で実践されるような厳しい文化的慣行こそ唯一真正のイスラームだ、とワッハーブ派がつねに考えてきたことは間違いない。(同書、p.52)
 
 ワッハーブは、今日の厳格主義的イスラームの“教祖”的位置にある。それはタリバーンやアル・カーイダなど、国際的に悪名高いグループが例外なくワッハーブ派の思想に大きな影響を受けているからである。
 
 谷口 雅宣
 

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2008年7月17日

現代のイスラーム理解のために (5)

 前回の本欄では、アメリカのスンナ忠実協会のファトワ(法解釈)を例に挙げて、国旗や国歌を尊重する思いから立ち上がることを、イスラーム法に反する行為と解釈する一団の人々がいることを述べた。「厳格主義者」とも呼ばれる人々がこれに当たるが、イスラームの習慣では、たとえそのようなファトワが出たとしても、モスレム一人一人がそれを受け入れるかどうかは本人しだいである、ということも述べた。すでに6月6日の本欄に書いたように、イスラーム法の解釈に関しては、「あらゆる法学者は正しい」という教えがある。また、法解釈が正しければ、人は神から“2点”をもらえ、間違っていても“1点”もらえるという言い伝えもあることを、エルファドル氏の本から紹介した。

 これらを総合して考えてみると、イスラーム法は大変寛容であり、それに従う生き方の中にも大いに多様性があることが分かる。だから、前回提示した仮定的な状況--オリンピックで日本人のモスレムが国歌斉唱のために立ち上がることを拒否した場合--においても、いろいろな立場のイスラーム団体から数々のファタワが出されたとしても、最終的な判断は、当の日本人選手自身の選択によることになる。だから、そのことによって国際問題が起こることは恐らくない。なぜなら、「あらゆる法学者(の解釈)は正しい」のがイスラームの考え方だからだ。

 そういう意味で、これまでのイスラームの習慣にしたがえば、イスラーム社会内部に争いが起こる可能性は一般的に少ないのである。逆に言えば、イスラームにこのような多様性と寛容性がなければ、どこかの権威あるイスラーム指導者のファトワが全世界のモスレムを動かすことになり、本来、世界各国の友好と国際平和を推進する目的で行われるはずのオリンピックが、宗教的、政治的対立の場になってしまう危険性があるのである。
 
 少し前の本欄で、イスラームのこのような多様性と寛容性について書いたとき、読者から「もっと中央集権的な宗教的権威を設け、そこが正しい判断を下す方がいい」という意味の意見が出された。これは恐らく、カトリック教会のような宗教的権威を念頭に置いたものだろうが、今日のキリスト教とイスラームの大きな違いを考慮すれば、このような解決の仕方があまり現実的でないことが分かる。第一、イスラーム法に照らして何が「正しい判断」かは、世界各国のモスレムの間でそう簡単に合意できるとは思えない。「犬を飼ったり可愛がったりすること」が教えに反すると考えるグループがいることを思い出してほしい。第二に、キリスト教とイスラームの「大きな違い」の1つは、両者の“聖俗分離”についての考え方である。前者は中世ヨーロッパの苦い経験にもとづいて“聖俗分離”を行ったが、後者は“聖俗一致”を理想としているし、現にそのための諸制度を維持している国もある。これらは、一朝一夕に替えられるものではない。
 
 にもかかわらず、元来イスラームにはない中央集権的権威を設けようとしているのが、ここで言う「厳格主義者」たちなのである。だから、厳格主義者に支配されるイスラーム国家では、ここまで書いてきた伝統的なイスラームの考えとは、ずいぶん様子が違ってくる。例えば、厳格主義者の代表ともいえるワッハーブ派の考え方は、従来のイスラームが守ってきた多様性と寛容性を極端に制限しようとするものなのだ。エルファドル氏は、その様子を次のように描いている--

 (前略)またワッハーブ派は、多様な学派に等しく正統性を認めてきた昔からの習慣を拒否したばかりでなく、見解の相違を認める問題の範囲を大幅に制限しようとした。彼らが正統性を厳密に規定したのは、複数の意見をすべて合法的で有効だと認めるそれまでの習慣が、ムスリムの分裂を招いた一因であり、イスラーム世界の後進性や弱点の原因でもあると考えたからである。(『イスラームへの誤解を超えて』、p.53)

 次回は、このワッハーブ派の思想を概観してみる。

 谷口 雅宣

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2008年7月16日

現代のイスラーム理解のために (4)

 本欄では前回、1981年に起こったエジプトのサダト大統領暗殺事件を例にとって、現代のイスラーム法解釈において「宗教的権威の空白状態が生まれている」とはどういうことなのかを、具体的に示した。国家転覆につながる重大な政治問題において、このありさまであるから、もっと日常生活に近いレベルでの混乱状態は推して知るべしと言えよう。
 
 『イスラームへの誤解を超えて』の中で、エルファドル氏は、サウジアラビアなど今日のイスラーム諸国で“厳格主義者”がイスラーム法にもとづく禁止事項として定めている14の項目を「代表例」として掲げている。同氏によると、これらは「関連も根拠もない証拠に基づい」て押しつけられている「ある種のまったく息苦しい厳格な教義」(p.173)なのだという。それらを列挙すると--
 
●あらゆる形態の歌舞音曲を楽しむこと
●宗教番組を除くテレビ番組を視聴すること
●花を贈ること
●拍手喝采すること
●人間や動物の姿を描くこと
●劇に出演すること
●小説を執筆すること
●動物や人間が描かれたシャツを着ること
●あごひげを剃ること
●左手でものを食べたり書いたりすること
●立ち上がって人に敬意を表すこと
●誕生日を祝うこと
●犬を飼ったり可愛がったりすること
●死体を解剖すること

 --である。
 
 本欄では、すでに5月下旬に書いた「権威と権威主義」という文章の中で、1996年春にアメリカのNFLの試合で起こった“小事件”とイスラーム法にもとづくファトワとの関係に触れている。この出来事も、現代イスラームにおける「宗教的権威の空白状態」のもう1つの例として見ることができる。この件では、上記のリストにある「立ち上がって人に敬意を表すこと」をめぐるイスラーム法解釈が問題になったのである。

 この年の3月に行われたアメリカのプロフットボールリーグ(NFL)の試合前に国歌が演奏されていたとき、アフリカ系の選手、マハムード・アブドゥル・ラウフ氏(Mahmoud Abdul Rauf)が、起立して国歌を歌うことを拒否した。起立拒否の理由について当時言われたのは、アメリカ合衆国の国歌はアフリカ系アメリカ人の抑圧と奴隷制度を体現しているから、それに対して尊敬の念を表して起立することはモスレムである自分の信条に反する、ということだったらしい。NFLは、ラウフ氏に出場停止措置をとったが、24時間後に、彼は態度を変えたという。
 
 この事例について、アメリカのイスラーム組織である「スンナ忠実協会」(Society for Adherence to the Sunnah, SAS)は、イスラーム法にもとづく見解を出し、ラウフ氏の行動を擁護した。しかし、エルファドル氏は、このSASの見解は、イスラーム法の法源のうち、自分に都合のいいものだけを選択的に適用させており、正式なファトワとしてはお粗末な内容だと批判している。批判の詳細については、5月26日同27日の本欄を参照されたい。
 
 さて、この問題をもっと我々に引きつけて考えてみよう。例えば、日本のスポーツ界にはアフリカ等からモスレムの選手が来ているかもしれない。また、日本人でイスラームに帰依している選手がいても少しもおかしくない。間もなく中国でオリンピックが開催されるが、ここの場で、ある日本人選手がモスレムであることを理由に、表彰台に立って国歌を歌うことを拒否したとする。いったいどんな事態になるだろうか? 私が想像するに、日本中で論争が巻き起こることは確かだ。恐らく、世界的にも論争が飛び火する。日本のオリンピック委員会は、内部規定によってその選手を処分するだろうが、国際オリンピック委員会では見解が分かれる可能性がある。委員の中にモスレムがいる可能性が大きいからだ。世界各地のイスラーム組織からも、それぞれの見解がファトワーとして出されるかもしれない。こうした場合、渦中にいる日本人選手はどうなるだろう?
 
 イスラームに穏健派と厳格主義があり、多数派は前者であることを知っている人と知らない人では、問題の見方に大きな違いが出ることは確かである。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月15日

現代のイスラーム理解のために (3)

 前回の本欄では、イスラーム法による法解釈(ファトワー)には“外的拘束力”がないという話をした。しかし、こんな抽象的な説明では読者は理解できないと思うので、実例を示そう。

 1981年10月6日に、エジプトのサダト大統領暗殺事件が起こった。カイロで行われた第4次中東戦争戦勝記念の軍事パレードの最中、アンワル・エル・サダト大統領(1918~81年)の立つ観閲台の前を通過中のトラック部隊から1人の士官が飛び出して手榴弾を投げ、その後、自動小銃を撃ちながら、他の3人の兵士と共に観閲台へ向った。わずか40秒前後の攻撃で、大統領を含めて8人が死亡、28人が負傷した。この事件の主犯として逮捕・起訴された5人は、28歳と24歳の士官、書店経営者(29)、そして27歳の2人の技師だった。5人はいずれも原理主義組織「ジハード団」のメンバーで、そのうちムハンマド・ファラグという技師が、この組織の理論的指導者だった。
 
 約1カ月半後に行われた公判では、被告は24人となり、その中には43歳の盲目のイスラーム法学者、オマル・アブドルラハマン(当時、アズハル大学イスラーム法学部講師)が含まれていた。ほとんどが20代の被告の中で唯一の中年であり、彼がファトワを出して大統領暗殺を正当化したかどうかが問題になった。藤原和彦著の『イスラム過激原理主義』には、エジプトのジャーナリストによる本からの引用として、この法学者が無罪になった経緯が次のように書いてある--
 
「神の定めに従って統治しない支配者の血を流すことはシャリーアに適っているか」--。81年秋、サダト大統領殺害を決意した「ジハード団」メンバーはアブドルラハマンにこう質した。特定の人物の名前を挙げない一般的質問だった。「それは合法だ」というのが答えだった。次いで、「ジハード団」メンバーはサダトに対する見解を求めた。そうするとアブドルラハマンは躊躇し「サダトがはっきりと背教の線を越えたとはいえない」と答えた。以後、「ジハード団」はサダト暗殺に関するファトワを彼に求めることを止めた。アブドルラハマンはサダト暗殺後逮捕され、裁判にかけられた。しかし、サダト個人の殺害を合法とはしなかったと主張した。これが認められて無罪となった。(同書、p.44)

 それでは、アブドルラハマンに代わって誰がファトワを出したのだろう? 藤原氏によると、それは上に書いたムハンマド・ファラグという「27歳の技師」なのである。彼は技師ではあるが、ジハード団の事実上の最高指導者であったため、死刑を覚悟していたという。当時、ジャーナリストとしてこの公判を傍聴していた藤原氏は、結婚して間もないファラグの妻が同じ傍聴席にいたとして、次のようなエピソードを書いている--
 
休廷の間、ファラグが妻に手で合図を送る姿が見えた。まず指で自分の胸を指し、それから妻を指した。そしてその指を天に向けて微笑んだ。2人はいつか再び天国で会える--という意味だったのだろうか。(p.43)

 この話は、2つのことを示している。1つは、現代のイスラーム社会では、イスラーム法をロクに学ばなくても、ほとんど誰もが信仰上の基準となる法解釈を出せるということ。もう1つは、この法解釈の自由が悪用されて、個人の信念に都合のいいものがイスラーム法として理解される傾向があるということだ。このことをエルファドル氏は、「現代のイスラーム世界に宗教的権威の空白状態が生まれた」と表現している。その理由は、「イスラームの学問と権威にかかわる伝統的な諸制度が崩壊したことにより、イスラームの真正さを規定するメカニズムが、事実上無政府状態に陥った」(『イスラームへの誤解を超えて』、p.40)からだという。この辺の詳しい事情は、追って明らかにしていきたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○藤原和彦著『イスラム過激原理主義』(2001年、中公新書)

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2008年7月14日

現代のイスラーム理解のために (2)

 前回の本欄では、現在のイスラーム世界は、“穏健派”と“厳格主義者”に分裂しているというエルファドル氏の見解を紹介した。ただし、同氏は、このイスラーム内部の分裂は一種の“鳥瞰図”的な見方によって把握できるのであり、細かく見た場合には、「現代のイスラーム世界をたった2つのカテゴリーで総括できるわけではない」(前掲書、p.14)と注意を喚起する。そして、「どちらかの思想に全面的に依拠するようなムスリムはごくわずかしかいない。ほとんどの者は両極間のどこかに位置しているが、穏健派寄りの考え方をもつ者が多い」という。また、「この2つのグループは、スンナ(スンニ)派やシーア派といった宗教区分とは関係がない」(p.15)と断言する。このことは、心に留めておいた方がいい。
 
 また、“厳格主義者”という分類についても、次のように注意する--
 
 厳格主義といっても、それを標榜する正式な団体や学派が存在するわけではなく、神学上のある思想傾向をあらわすにすぎない。したがって、そこには多種多様の思想や主義主張が含まれるが、すべてに共通する特徴は至上主義的な考え方だ。それによって、得体の知らない「他者」(欧米諸国、一般の不信心者、いわゆる異端のムスリム、女性のムスリムなど)に対して独善的で傲慢な態度をむき出しにしながら、敗北感、無力感、疎外感などを埋め合わせようとする。この意味で、イスラーム厳格主義者を至上主義者(supremacist)と呼んでも間違いはない。というのも、至上主義者は世界を極端に二分し、自分たちだけが優れた立場にいると考えるからだ。厳格主義者は、たんなる護教的姿勢ではなく、「他者」に対して厳しく傲慢な態度で権力を誇示し、無力感や敗北感を克服しようとするのである。(pp.105-106)
 
 上記の引用に出てくる「敗北感」「無力感」「疎外感」については、著者は解説していない。が、私が想像するところ、これは西洋諸国やその文明に対するイスラーム信者側の特殊な感情のことであろう。ウマイヤ朝の始まり(661年)から18世紀までは、イスラーム世界とその文化はヨーロッパを圧倒していたのに対し、19世紀以降は劣勢に転じ、やがて政治的には植民地化され、宗教的にもキリスト教に凌駕される。そういう欧米に対する歴史的劣等感が、厳格主義運動の背後にあると考えられるのである。
 
 さて、私はこれまで本欄などで「イスラームには中央集権的権威がない」ことについて何回か書いてきた。例えば、2006年8月11日の本欄では「イスラームはどうなっている?」という題で、エルファドル氏の本から引用しながら、そのことを短く記述した。また、最近では今年6月6日同8日の本欄で、「イスラームの多様性」と題して、中央集権的権威がないことが、かえってイスラームの多様性を保障してきたのではないか、との考えを述べた。しかし、イスラーム社会におけるこの制度の機能と意義については、こんな短い記述ではうまく伝わらない。その理解のためには、エルファドル氏の前掲書のpp.31-36が参考になる。
 
 イスラーム法にもとづく法的判断は「ファトワー(複数形はファタワ)」と呼ばれ、私的公的を問わず、生活万般に適用される。ところが、その“法的判断”は西洋型の法による判断とは相当趣を異にするのである。その辺の事情を同氏は、次のように描いている--

 “ファトワー”が出されても、ムスリムがそれを信頼するとはかぎらない。受け入れるか拒否するかは、もっぱら一人一人の判断にかかっているのだ。ある法学者の学識と判断力を尊重し、その“ファトワー”に従うグループもあれば、理由はどうあれ、正しいとは考えず、まったく無視するグループもある。ただし、“ファトワー”を受け入れるかどうかの判断は、気まぐれや気分で行うべきものではない。各“ファトワー”をよく検討し、まぎれもなく神の意志であると納得できる場合にかぎり、それに従わなければならない。それぞれの“ファトワー”は、一人の法学者が示した神の意志に関する見解だが、それをうのみにするかどうかは受け取る側の問題なのだ。
 イスラーム法によれば、教えを実践しているムスリムは、“ファトワー”を発する法学者の資格や能力はもちろん、その解釈を裏づける証拠にもある程度注意を払って調査したうえで、受け入れるかどうかを決めなければならないとされている。(pp.32)
 
 この説明を読めば、イスラーム法による法的判断には、西洋型法治国家での法的判断とは相当異なり、“外的拘束力”がないということが分かる。私がここで言う“外的”の意味は、人を法に従わせる外からの強制力のことだ。例えば、警察官や検察官がどこからか現れて「お前の行為は法律違反の疑いがあるから、別のところで取り調べる」などと言って、うむを言わさず法を守らせるような強制力は、イスラーム法には本来なじまないということだ。この点は理解しにくいので、次に実例を示してみよう。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月13日

現代のイスラーム理解のために (1)

 本欄を1週間休載していたので、心配してくださった読者もいると思う。私はすこぶる健康だったが、12~13日にかけて東京・調布市の生長の家本部練成道場で行われた「生長の家教修会」の準備に忙殺されていた。本教修会は、昨年夏にニューヨークで行われた国際教修会を受けて、世界第二の宗教であるイスラームを学ぶ場となった。「日本の一宗教が、日本文化とは関係が薄い世界宗教を学ぶ」と考えると不思議に思うかもしれないが、生長の家は自らを「日本の一宗教」だと考えていないし、自らとイスラームは「関係が薄い」とも思わない。本欄の読者ならすでに理解されていると思うが、生長の家には「万教帰一」という重要な教義があり、それによると「世界の正しい宗教の神髄は共通している」と信ずるのである。が、単に「信ずる」だけでは、何事も始まらない。現在、イスラームは世界各地で起こる問題に関係していると言われるが、信者は急速に増えている。そんな中で、イスラームが本当に“正しい宗教”であり、生長の家とも共通する“神髄”をもっていると主張するならば、具体的に何が正しく、何が共通するかを我々が理解しないかぎり、「万教帰一」は“空念仏”同然だろう。

Greattheft_jp  そんな意識をもって、私は数年前から、イスラームをめぐる諸問題やその教義に関連して本欄に書き継いできた。また、昨年はニューヨークでイスラーム法の専門家から、イスラームをめぐる重要な事実をいろいろ学ぶことができた。が、その教修会は日本以外の生長の家幹部を対象としていたので、今回、日本の生長の家本部講師と本部講師補を主な対象として教修会が開かれたのである。幸いにも、昨年の教修会でお世話になったイスラーム法学者、カリード・アブ・エルファドル氏(Kahlid Abu El Fadl)の著書の邦訳が間に合ったので、その本『イスラームへの誤解を超えて--世界の平和と融和のために』(=写真、日本教文社刊)をテキストに使った。

 本欄では今後、何回かに分けて、この教修会で私が行った講話の内容に沿った話(細部は実際の講話とは異なる)をお届けする--
 
  今回の教修会に先立って、参加する本部講師、本部講師補からイスラームに関する質問や疑問を募った。イスラームについては、生長の家では多くの本が出ていないが、私は本欄で、時宜に合わせてイスラームをめぐる諸問題について自分が学んだこと、感じたことなどを、2005年の夏ごろから書き継いできた。だから、それを読んでの感想や質問がほとんどだった。ということは、参加者が得たイスラームに関する基礎情報には問題があった。それは、「ブログ」という発表媒体の性格から言って、情報に偏りがあったからである。ブログには日記的性格があるから、その日、その時に、私の周辺で起こる事象や、マスメディアに取り上げられる事象についての言及が多い。学問や研究のように、ある1つの対象を体系的、あるいは網羅的に検討し、分析することなどしない。ということは、イスラームについても、社会的に“目立つ”部分--そのほとんどが過激派の起こす事件のような悪い事象--についての言及や検討に偏るから、読者にはどうしても“群盲評象”的な印象を与えることになるのである。
 
 私はその危険性に気づいていたから、2007年の夏にイスラームをテーマにして「世界平和のための生長の家国際教修会」が行われると決まった頃から、メディアで報道されないイスラームの側面で、我々の運動の参考になりそうなものを意識的に取り上げ始めた。それはイスラームの「理性主義」(2007年6月)であり、イスラームにおける「多様と寛容」(同年7月)であり、イスラームと生長の家の類似点(同年8月)である。こうなると、さらに読者には疑問が生じたようである。その疑問とは、イスラームの原理主義者や過激派の暴力事件が世界的に起こる一方で、イスラームの教えの中には、生長の家と共通する理性主義や多様性の尊重があるということになり、イスラームは“悪”でもあり“善”でもあるという矛盾したメッセージから来たようだ。この善悪混淆のイメージは、場合によっては「善が悪を生んだ」とも捉えられるから、一種の“認知の不協和”が生じるのだろう。

 この疑問を、エルファドル氏の新刊書『イスラームへの誤解を超えて』は明快に解いてくれる。その答えは、「イスラームは分裂している」というものだ。同書の「はじめに」でエルファドル氏は次のように語る--
 
「本書の目的は、すでにイスラームに存在している分裂について論じることにある。それは「穏健派」ムスリムとイスラーム「厳格主義者(puritan)」と私が呼ぶ勢力との対立だ。穏健派も厳格主義者も、ともに自分たちが真正イスラームを代表していると主張する。双方とも神の教えを忠実に守っていると信じているのはもちろん、その教義はすべて聖典クルアーン(コーラン)と、預言者ムハンマド(神が人類に遣わした最後の預言者)に関する真の伝承に依拠していると考えている。ところが、厳格主義者は、イスラームを改変し、堕落させたのは穏健派だと非難し、穏健派は、厳格主義者こそ解釈を誤ってイスラームを汚し、冒瀆したと糾弾しているのである。」(pp.6-7)
 
 つまり簡単に言えば、我々がマスメディアを通して見聞するイスラームの事件は「厳格主義者」が起こしたものであり、私がブログで取り上げたイスラームの「理性主義」や「多様と寛容」な内容は、「穏健派」が信奉するものに該当するということだ。エルファドル氏の見解が正しければ、両者は分裂しているのだから、相互の行動や言説が矛盾し、我々に違和感を与えるのは当然のことになる。
 
 谷口 雅宣

 

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2008年7月 6日

福井での快汗

 今日は、福井県鯖江市の「サンドーム福井」で生長の家講習会が行われた。妻と私は前日から福井入りして講習会に備えたが、東京と同様に30℃を超える暑さが急に来たことから、改めて「ああ、夏だなぁ」と感じた。今回利用した宿舎は鯖江市に隣接する越前市のホテルで、武生駅の並びにある。チェックイン後、例のごとく周辺を歩いてみたが、いわゆる“シャッター通り”が続いている。「銀座通り」というのもあって、そこなら有名な越前ソバを食べられるかと思った。確かに老舗らしいソバ屋さんがあり、「営業中」という看板が出してあったから、メニューを見せてもらおうと思って中に入ると、薄暗い中でステテコ姿の店の主人がおっとり刀で奥から出て来た。それを見て、私たちは勇気を失った。この辺の状況も、北見市の駅前とあまり変わらないのだと思い、駅へと引き返した。
 
 北見市と同じように、駅前に大型スーパーがあった。そこへ行くと、老若男女のお客さんがいたので安心した。それに店内はエアコンが効いているので、単に涼みに来てUriuriいると思われる人もいた。こういう場所が現在、この町ではコミュニティーになっているのだ、と納得した。このスーパーの中を散策しながら、売られているものを眺めた。地元のものがど れほど売られているか調べたが、生鮮食品を除いて、あまり多くはない。が、その中でも瓜類が深緑色の棚に並べられているのが目を惹いた。また、出入口の近くに「福井産」と書いた黄色の中型のスイカが売られていた。1個980円で、安いとは言えない。が、これを半分に切った「500円」のものもあったから、こちらなら2人で食べられる量かもしれないと思い、二人で「安い」「高い」と言い合っていると、店の人が来て「150円引き」と書いたラベルを貼ってくれた。これで、買わない理由がなくなってしまった。

 今日の講習会には、前回を上回る2,169人の受講者が集まってくださった。北見市に続いての受講者増で、喜ばしいことだ。体が暑さに慣れないうちに急に気温が上昇し、たっぷり汗をかいた1日だったが、報われた気持である。地方では「過疎化」が問題になり、上記のような“シャッター通り”現象がある中で、福井県全体では人口が増えているし、経済的にも豊かな県だ。幹部・会員の皆さんの地道な努力に心から感謝申し上げるとともに、今後のますますの発展を期待するものである。

 谷口 雅宣

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2008年7月 4日

バイオエタノールの本格輸入?

 1日の本欄で、原油高騰の影響を受けて、郊外型の大型小売店舗はいずれ地方都市から撤退するかもしれない、と書いた。そんな傾向がこれから生じるだろうと思ったからだが、現在すでにそうなっているらしい。2日付の『日本経済新聞』は、「クルマ離れ加速」という記事を掲載し、消費者のガソリン買い控えや、旅行手段の変更、カーシェアリングの増加などが顕著になってきたことを伝えている。その記事の中に、郊外型小売店の“苦戦”の様子も書かれていた。
 
 それによると、長崎ちゃんぽんの店「リンガーハット」は、郊外の既存店の売り上げが落ちているので、出店戦略を変更して、「都市部や郊外の商業施設内の出店に軸足を移す」そうだ。また、イオンの岡田元也社長の言葉として、「特に郊外の大型ショッピングセンターが厳しい」という評価を引用しているのが注目される。それが厳しい理由は、「少しでもガソリンの消費を減らそうと週末にまとめ買いをする顧客が増え平日の来店が大幅に減少」したからだそうだ。これが事実だとすれば、私の“希望的観測”である地方都市の中心街の再活性化は、夢ではないかもしれない。
 
 その反面、私の心配する傾向も出ている。それは、日本が第一世代のバイオエタノールの開発に本格的に乗り出したことである。「第一世代」の意味は、トウモロコシやサトウキビなどを原料としているため、「食糧と競合する」燃料ということだ。2日付の『日経』によると、日本の石油元売り各社は、ブラジルからサトウキビを原料とするバイオエタノールの長期調達を始めるという。2010年をめどに、その量は年間20万キロリットルを目指すらしい。

 3日付の『朝日新聞』の記事はもっと詳しい。それによると、この話は、三井物産とブラジル国営石油会社「ペトロブラス」がサトウキビからエタノールまでの一貫生産をする新会社を設立することで実現する。新会社はゴイアス州のイタルマ市に置き、総事業費は約300億円。物産とペトロブラスが2割ずつの株をもち、その他は現地の土地保有者や農家らでつくる特定目的会社が出資するという。『日経』の記事はサンパウロ発で、日本の石油元売り各社がこの事業の主体のような表現になっているが、『朝日』の記事はトーンが違う。「三井物産は供給体制を先に確立することで(バイオエタノールの)使用拡大に結びつけるねらいがあり、今後、石油会社や電力会社への売り込みを急ぐ」のだそうだ。
 
 で、問題は、現在起こっている食糧と燃料の競合の問題をこの事業が深刻化させるかどうか、である。『朝日』によると、これを避けるために、「灌木地帯で新規のサトウキビ畑を開墾し、合計で3万ヘクタールまで広げる」のだそうだ。また、「ペトロブラスは国内のエタノール生産に影響を与えないようにするため、輸出向けのバイオエタノール工場を増やす方針」なのだそうだ。つまり、日本向けに新たに3万ヘクタール(香川県の6分の1)のセラードを開墾し、サトウキビ畑に変えるというのだ。ブラジル政府は恐らく、日本以外にもエタノールの輸出先を探しているだろうから、今後、ブラジルのセラードはどんどんサトウキビ畑に変わっていくことになる。
 
 ブラジルの「セラード」と呼ばれる灌木地帯は、アマゾンなどの熱帯雨林に比べるとCO2の吸収量は少ないが、豊かな生物多様性を特徴としている。これが今後、サトウキビという単一種の植物に変わることは決して好ましいとは言えない。日本がその“片棒を担ぐ”のは残念なことである。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月 3日

小型ビデオカメラの可能性

 6月13日の本欄では、小型ビデオカメラを帽子に装着して撮影した原宿駅周辺の映像をご披露したが、このカメラはどうやら海外でも大いに活躍しているようだ。7月1日に放送されたABCニュースでは、ジンバブエの大統領が反対勢力を暴力で抑えつけて行った選挙の取材のために、旅行者に扮して同国に潜入したジム・シュウット記者(Jim Sciutto)のレポートを流していた。その映像を見ながら私が感じたのは、撮影に使われたのは私が購入したのと似たような小型ビデオカメラだということだ。2人1組の取材のようで、記者がしゃべる横顔をもう1人が撮っている。続いて放映されたイギリスからのレポートによると、同国のいくつかの町の警察では、「装着型カメラ」(wearable camera)が犯罪捜査に大いに役立っているというのである。
 
 そのカメラは、制服の警官の帽子に装着されていて、犯罪の現場に駆けつける際にはすでに撮影モードになっている。そして、警官の見る方向にあるすべてを記録していくのである。だから、事後に文字で書かかねばならない報告書に代わってこの映像と音声が使え、手続きにかかる時間が大幅に短縮される。それと同時に、これらは犯罪現場の証拠にもなるという。こうして、小型ビデオカメラは、今や“革命的に新しい犯罪摘発手段”(revolutionary new crime-fighting tool)になりつつあるという。このカメラのさらに良い点は、カメラをつけた警官が近づいてくると、そのカメラが回っていなくても、問題行動をとっていた人物はすぐにそれをやめるという。また、警官の側も話す言葉や行動が記録されるから、規則違反のことはできない、とニュースは伝えていた。その際、画面に映し出された小型カメラを見て、私は驚いた。大きさといい、形といい、私の使っているものと見紛うばかりなのだ。多分、同一機種だが、仕様が若干違うようだった。
 
 話は変わるが、私は今日、休日を利用して、このカメラを前とは違う方法で使ってみた。前回の歩行中の撮映では、上下動が意外に大きく、見にくい映像になった。だから、今回は車に装着して東京を走ってみた。前回よりもスッキリした映像になっていると思う。洞爺湖サミットが近いため、都内は警備が大幅に強化されている。そんな様子も垣間見ることができる。
 
 谷口 雅宣

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2008年7月 1日

“郊外型”は廃れる?

 前回の本欄では、「原油の高騰」「高齢化」「人口減少」などが、地方都市の中心街に再び活気を呼びもどす契機になるなどと書いた。“予言”のつもりではなく、半ば期待を込めて地方の再起を促したかった。事情もよく知らないのに勝手なことを書くなと言われそうだが、私の期待には、まったく根拠がないわけではない。というのは、アメリカでは、郊外の住宅を売って都市にもどる傾向が生まれているらしいからだ。
 
 6月26日の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、彼の国では、ガソリンを含む燃料代の高騰が都市郊外の生活をしだいに困難にしつつあるというのだ。コロラド州デンバーの郊外に家をもつある夫婦は、デンバー市南部の仕事場まで車で1時間の通勤をしていたが、ガソリンが1リットル当り1ドルを超えたころから、ディーゼル車の小型トラックに毎月121ドル(約1万3千円)の燃料代が必要になった。また、スペースの大きい郊外型住宅を暖めるにも燃料代がかかり、3月は566ドル(約6万円)を支払ったという。この暖房費は5年前の2倍だ。そして、今は市内に移住することを真面目に考えているそうだ。
 
 こうして、アメリカで半世紀前に始まった都市から郊外への移住の動きが、止まりつつあるという。アトランタ、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ミネアポリスなどの大都市では、都市圏を超えた郊外の住宅の値段は、都市内のそれより値下がり幅が大きくなっている。ある経済学者の最近の調査では、シカゴ、ロサンゼルス、ピッツバーグ、ポートランド、タンパでも、同様の傾向が見られる。これには様々な理由があるだろうが、その中でも大きなものは、燃料費の高騰だと経済学者や不動産業者は考えているという。今年の3月、アメリカ人が自動車で走った距離は、1年前に比べて180万Km(4.3%)少なかったらしい。だから、多くの地方自治体は、大都市の中心街に焦点を合わせて再開発を進めつつあるという。
 
 日本とアメリカの事情は、もちろん同じではない。日本はアメリカよりも公共交通機関が発達しており、自動車の燃費は良好である。しかし、アメリカは人口増加が問題なく続いているのに対し、日本は人口減少の時代に入った。しかも高齢化が進んでいる。ということは、地方都市の郊外は、住環境としてアメリカより有利であるとは思えないのである。郊外型の立地を得意とする大手スーパーなどは、車を運転しない高齢者の客を誘致するために無料バスを運行しているところもあるが、燃料代の値上がりが続けば、それとていつまでもつか分からない。アメリカほど急激でないとしても、郊外型の大型店舗はいずれ日本の地方都市から撤退するのではないだろうか、と再び期待を込めて予測するのである。
 
 が、別の予測もしてみよう。それは、日本かアメリカが、あるいは双方の国で政権が交代し、化石燃料に頼らない自然エネルギーを主体とした低炭素社会へと急旋回した場合である。化石燃料の値段は下がるだろうが、それは需要が減るからだ。その時、郊外型の大規模小売店舗がどうなっているか、私には今、残念ながら想像できない。

 谷口 雅宣

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