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2008年7月23日

映画『あの日の指輪を待つきみへ』(Closing the Ring)

 今日は、妻と2人で新宿に映画を見に行った。私たちは“週末”である水曜日に、よくこういう行動をする。リチャード・アッテンボロー監督の『あの日の指輪を待つきみへ』(Closing the Ring)というイギリスとカナダの合作映画である。前評判などはまったく知らず、直前にインターネットの紹介文を読み、「じゃあ、これにするか」と選んだものだった。が、幸いなことに内容が案外よかった。日本語の題名からは、普通の恋愛もの--それも相当甘い感じの内容に思えたが、原題は「輪を閉じる」という意味にもなるから、「ナゾを解く」感じの面白さがある。

 ひと言でいえば「戦争に引き裂かれた恋」である。日本のドラマでも、戦場へ行った若い兵士とその許婚の悲恋はよく描かれるが、この作品は、その状況をアメリカとイギリスへ持っていったと考えればいい。第二次大戦でイギリス支援のために北アイルランドのベルファスト上空を飛んでいたアメリカ軍機が、天候不良で山に墜落する。それに乗っていた若い軍人テディ(スティーヴン・アメル)の死を、米ミシガン州で帰りを待つ許婚のエセル・アン(ミーシャ・バートン)は「遺体がない」という理由で、信じようとしない。テディの2人の親友--チャックとジャック--が戦場で負傷して帰国し、遺品を届けても、エセルは簡単に信じようとしない。この3人の親友には、しかし秘密があった。それは、3人が戦場へ行く前、テディはチャックとジャックに、自分に万一のことがあったらエセルの面倒を見てほしいと頼んだことだ。具体的には、チャックには彼女との結婚を依頼し、ジャックにはその2人を助けてほしいと頼み、3人は互いに固い約束をした。

 この3人の“親友の誓い”が成立した大きな要因は、3人ともエセルを好いていたからだ。愛する女性のための親友同士の誓いである。これに戦場での生死をともにする体験が加わると、より強固な“戦友の誓い”が生まれる。ところが、当のエセルには、そのことが告げられなかったことで悲劇になるのである。チャックは約束通りエセルと結婚するが、夫婦関係は形だけのものとなり、ジャックはエセルに恋愛感情をもち続けながらも、それを告白できない。若いころの“美しい誓い”は、生き残った親友と、残された恋人の人生を深く、長く縛り続けることになる。

 映画の展開は複雑で、テディの死から50年たった1991年から始まる。エセルと結婚したチャックが70代で死んでから、まもなくの時点だ。エセルとチャックの間にはマリーという娘がいるが、父親好きのこの娘は、父の死を悲しまない母に不信感を抱き、母にそれを詰問する中で、過去の出来事がしだいに明らかにされていく。なかなか凝った構成で、途中で、北アイルランドで武装闘争をするアイルランド共和軍(IRA)のテロ活動との接点も出てきて、手に汗を握るシーンもある。が、私の理解した範囲では、映画の中心テーマは「愛」である。男女間の愛だけでなく、親友同士の愛も、親子の愛も含まれる。しかし、ここで描かれる愛は、さまざまな形の「執愛」である。エセルは50年前の(死んだ)許婚に愛を向け続け、彼女と結婚したチャックは50年間、報われない愛をエセルに注ぎ、ジャックは3回の結婚をへてもなお、エセルを忘れられない。こうなってくると、“親友の誓い”として行った若い頃の約束が、一見美しいようであっても、親友と恋人の自由を奪う残酷な“呪い”のような様相を呈してくる。

 執愛は、愛の対象を縛るだけでなく、愛する側をも縛る。これだけでは救いのない物語になるが、映画の終り近くで、執愛の誤りを正す努力が行われるのが感動的だ。具体的に何が起こるかは、言わない方がいいだろう。老いたエセルの役を73歳のシャーリー・マクレーンが演じるが、複雑な内面の表現は見ごたえがある。本当の愛は、相手に自由を与えることだというメッセージを、私はこの映画から読み取った。
 
 谷口 雅宣

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