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2008年7月18日

現代のイスラーム理解のために (6)

 ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ(1792年没)は、ハンバリー派のイスラーム法学者の家系に属していた。ハンバリー派の法学では、イスラーム法の法源である①コーラン、②スンナ(ハディース等)、③イジュマー(イスラーム共同体の合意)、④キヤース(類推)のうち、①と②のみを重視し、③と④をできるだけ使わないのが特徴である。ワッハーブは、コーランとスンナに書かれていること以外を信仰からの逸脱(ビドア)として激しく反対した。エルファドル氏は、それを次のように述べている--

 アブドゥルワッハーブとその信奉者は、中世以降の著名な法学者たちを異端者とみなし、たびたび言葉をつくして激しく非難したばかりか、意見が合わない大勢の法学者の処刑や暗殺も命じた。著作の中で、アブドゥルワッハーブが法学者を「悪魔」(シャイターン)や「悪魔の落とし子」と呼んでくりかえし罵倒したため、ワッハーブ派は優れた法学者の名声や威光を汚すことに何の抵抗も感じなくなっていた。彼らによれば、法学者の大半は(…中略…)堕落しているので、従来の法学派や同時代の法学者に従うのは異端的行為である。厳格な直解主義者以外の者--つまり、理性的な法解釈をしていると疑われた者や、合理主義的な分析法を法解釈に持ち込んだものは--みな異端者とみなされた。(『イスラームへの誤解を超えて』、p.53)
 
 ワッハーブは18世紀後半に生きた人間である。エルファドル氏によると、この時代にはすでに「近代性によって現実に対する認識が世界各地で大きく変化していた。あらゆる面で絶対主義的な考え方が揺らぎ始め、科学的経験主義が重視されるようになっていたのだ。それとともに、社会的・経済的諸制度もかなり複雑化したため、発展と近代化をめざして四苦八苦する伝統的社会の疎外感が強まった」(同書、p.51)という。この時代の大きな出来事は、1798年5月のナポレオンによるエジプト占領と、それに続くヨーロッパ諸国とオスマン帝国を巻き込んだ紛争である。この紛争から頭角を現したムハンマド・アリー(1769~1849年)は、1805年にエジプト総督に就任し、1952年のエジプト革命まで続くモハンマド・アリー王朝を成立させる。そして、約半世紀後に日本で実施される"和魂洋才"による富国強兵・殖産興業政策に似た近代化政策を実施することになるのである。
 
 この近代性への対応としては、西洋化してイスラームからできるだけ離れようとする運動がある反面、西洋化を拒否しながらも、科学的・合理的思考はイスラームの倫理観と完全に一致するとして、近代性とイスラームを融合させようとする動きもあった。ワッハーブの場合、このいずれとも異なり、「近代性の挑戦と脅威から身を守るため、しいてイスラームの原典に、公私にわたるほぼすべての問題に対する明確な正しい解答を見出そうとしていた」(同書、pp.51-52)と考えられる。
 
 私は、日本の近代の経験と照らし合わせてみると、この考え方は「尊王攘夷」の思想--とりわけ、国学の系統を引く尊王攘夷論と似たところがあると思う。国学の尊王論は、「記紀の神話を事実として前提し、皇祖神より血統的連続性をもつ天皇に絶対性を認める論理を基礎としていた」(平凡社『世界大百科事典』)のに対し、ワッハーブの思想では、コーランとスンナを神の真実の言葉として絶対化するのが基本だ。「尊王攘夷」という言葉に違和感があるなら、「尊モハンマド攘夷」と言えばどうだろうか。尊王攘夷運動は、「天皇を尊び外夷を退ける」とのスローガンを掲げて幕府政治を批判したが、ワッハーブが起こした運動は、「コーランとスンナに帰れ」とのスローガンの下に西洋型の近代化政策を批判するのである。
 
 近代のイスラームが幕末の日本と大きく異なる点は、長くて密接な西洋との交流が存在していることだ。日本は島国である上、長期の鎖国をしてきたから、退けるべき「外夷」が何に当たるかは比較的はっきりしていた。それは西洋の文物であり、西洋人であり、西洋思想である。しかし、イスラームは伝統的に西洋との文化的・人的交流がきわめて密接だったから、西洋の影響が最小のものをイスラーム内部に求めれば、それは発祥当時のアラビア的教えとアラビア的文化に限定せざるを得ないだろう。こうして、ワッハーブ主義は、アラブ的イスラームのみを真正とする考えを採用したと考えることができる。エルファドル氏は、そのことを次のように述べている--
 
 ワッハーブ派は、厳密な意味でアラブ世界に属していないものを本質的に疑わしいと決めつける傾向があり、非イスラーム的な影響は、ペルシア、トルコ、ギリシアといった国に由来すると考えていた。たとえば、スーフィズムはペルシアから、聖者信仰や聖墓崇拝はトルコから、また合理主義や哲学はギリシアからそれぞれ入ってきたものとされた。このような主張はあまりに単純すぎるし、不正確でもあるが、ベドウィン[アラブの遊牧民族]の生活で実践されるような厳しい文化的慣行こそ唯一真正のイスラームだ、とワッハーブ派がつねに考えてきたことは間違いない。(同書、p.52)
 
 ワッハーブは、今日の厳格主義的イスラームの“教祖”的位置にある。それはタリバーンやアル・カーイダなど、国際的に悪名高いグループが例外なくワッハーブ派の思想に大きな影響を受けているからである。
 
 谷口 雅宣
 

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コメント

ワッハーブの「コーランとスンナを神の真実の言葉として絶対化する」と言うのは良いとしましても神の名の元にワッハーブの考えを絶対化する危険性がある、又「アラブ的イスラームのみを真正」と言う「のみ」に問題があると思います、これでは単なる民族宗教で世界宗教にはなり得ない、このワッハーブこそ異端とすべきではないか?と考えます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年7月29日 20:52

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