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2008年7月17日

現代のイスラーム理解のために (5)

 前回の本欄では、アメリカのスンナ忠実協会のファトワ(法解釈)を例に挙げて、国旗や国歌を尊重する思いから立ち上がることを、イスラーム法に反する行為と解釈する一団の人々がいることを述べた。「厳格主義者」とも呼ばれる人々がこれに当たるが、イスラームの習慣では、たとえそのようなファトワが出たとしても、モスレム一人一人がそれを受け入れるかどうかは本人しだいである、ということも述べた。すでに6月6日の本欄に書いたように、イスラーム法の解釈に関しては、「あらゆる法学者は正しい」という教えがある。また、法解釈が正しければ、人は神から“2点”をもらえ、間違っていても“1点”もらえるという言い伝えもあることを、エルファドル氏の本から紹介した。

 これらを総合して考えてみると、イスラーム法は大変寛容であり、それに従う生き方の中にも大いに多様性があることが分かる。だから、前回提示した仮定的な状況--オリンピックで日本人のモスレムが国歌斉唱のために立ち上がることを拒否した場合--においても、いろいろな立場のイスラーム団体から数々のファタワが出されたとしても、最終的な判断は、当の日本人選手自身の選択によることになる。だから、そのことによって国際問題が起こることは恐らくない。なぜなら、「あらゆる法学者(の解釈)は正しい」のがイスラームの考え方だからだ。

 そういう意味で、これまでのイスラームの習慣にしたがえば、イスラーム社会内部に争いが起こる可能性は一般的に少ないのである。逆に言えば、イスラームにこのような多様性と寛容性がなければ、どこかの権威あるイスラーム指導者のファトワが全世界のモスレムを動かすことになり、本来、世界各国の友好と国際平和を推進する目的で行われるはずのオリンピックが、宗教的、政治的対立の場になってしまう危険性があるのである。
 
 少し前の本欄で、イスラームのこのような多様性と寛容性について書いたとき、読者から「もっと中央集権的な宗教的権威を設け、そこが正しい判断を下す方がいい」という意味の意見が出された。これは恐らく、カトリック教会のような宗教的権威を念頭に置いたものだろうが、今日のキリスト教とイスラームの大きな違いを考慮すれば、このような解決の仕方があまり現実的でないことが分かる。第一、イスラーム法に照らして何が「正しい判断」かは、世界各国のモスレムの間でそう簡単に合意できるとは思えない。「犬を飼ったり可愛がったりすること」が教えに反すると考えるグループがいることを思い出してほしい。第二に、キリスト教とイスラームの「大きな違い」の1つは、両者の“聖俗分離”についての考え方である。前者は中世ヨーロッパの苦い経験にもとづいて“聖俗分離”を行ったが、後者は“聖俗一致”を理想としているし、現にそのための諸制度を維持している国もある。これらは、一朝一夕に替えられるものではない。
 
 にもかかわらず、元来イスラームにはない中央集権的権威を設けようとしているのが、ここで言う「厳格主義者」たちなのである。だから、厳格主義者に支配されるイスラーム国家では、ここまで書いてきた伝統的なイスラームの考えとは、ずいぶん様子が違ってくる。例えば、厳格主義者の代表ともいえるワッハーブ派の考え方は、従来のイスラームが守ってきた多様性と寛容性を極端に制限しようとするものなのだ。エルファドル氏は、その様子を次のように描いている--

 (前略)またワッハーブ派は、多様な学派に等しく正統性を認めてきた昔からの習慣を拒否したばかりでなく、見解の相違を認める問題の範囲を大幅に制限しようとした。彼らが正統性を厳密に規定したのは、複数の意見をすべて合法的で有効だと認めるそれまでの習慣が、ムスリムの分裂を招いた一因であり、イスラーム世界の後進性や弱点の原因でもあると考えたからである。(『イスラームへの誤解を超えて』、p.53)

 次回は、このワッハーブ派の思想を概観してみる。

 谷口 雅宣

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コメント

中央集権的権威を設けようと言うのが厳格主義者だ!と言う事ですが彼らは世界のムスリム中での何%なのでしょう?カトリック教会から見た、ものみの塔と同様にほんの僅かではないでしょうか?彼らが考えていると言われます「複数の意見を全て合法的で有効だ!と認めるそれまでの習慣がムスリムの分裂を招いた一因である、これがイスラーム世界の後進性と弱点の原因である」について確かに一因はあるかも知れませんがそれが後進性と弱点の原因では無い様に思います、つまりこの長、指導者達に問題があると考えるのです。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年7月29日 19:17

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