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2008年7月16日

現代のイスラーム理解のために (4)

 本欄では前回、1981年に起こったエジプトのサダト大統領暗殺事件を例にとって、現代のイスラーム法解釈において「宗教的権威の空白状態が生まれている」とはどういうことなのかを、具体的に示した。国家転覆につながる重大な政治問題において、このありさまであるから、もっと日常生活に近いレベルでの混乱状態は推して知るべしと言えよう。
 
 『イスラームへの誤解を超えて』の中で、エルファドル氏は、サウジアラビアなど今日のイスラーム諸国で“厳格主義者”がイスラーム法にもとづく禁止事項として定めている14の項目を「代表例」として掲げている。同氏によると、これらは「関連も根拠もない証拠に基づい」て押しつけられている「ある種のまったく息苦しい厳格な教義」(p.173)なのだという。それらを列挙すると--
 
●あらゆる形態の歌舞音曲を楽しむこと
●宗教番組を除くテレビ番組を視聴すること
●花を贈ること
●拍手喝采すること
●人間や動物の姿を描くこと
●劇に出演すること
●小説を執筆すること
●動物や人間が描かれたシャツを着ること
●あごひげを剃ること
●左手でものを食べたり書いたりすること
●立ち上がって人に敬意を表すこと
●誕生日を祝うこと
●犬を飼ったり可愛がったりすること
●死体を解剖すること

 --である。
 
 本欄では、すでに5月下旬に書いた「権威と権威主義」という文章の中で、1996年春にアメリカのNFLの試合で起こった“小事件”とイスラーム法にもとづくファトワとの関係に触れている。この出来事も、現代イスラームにおける「宗教的権威の空白状態」のもう1つの例として見ることができる。この件では、上記のリストにある「立ち上がって人に敬意を表すこと」をめぐるイスラーム法解釈が問題になったのである。

 この年の3月に行われたアメリカのプロフットボールリーグ(NFL)の試合前に国歌が演奏されていたとき、アフリカ系の選手、マハムード・アブドゥル・ラウフ氏(Mahmoud Abdul Rauf)が、起立して国歌を歌うことを拒否した。起立拒否の理由について当時言われたのは、アメリカ合衆国の国歌はアフリカ系アメリカ人の抑圧と奴隷制度を体現しているから、それに対して尊敬の念を表して起立することはモスレムである自分の信条に反する、ということだったらしい。NFLは、ラウフ氏に出場停止措置をとったが、24時間後に、彼は態度を変えたという。
 
 この事例について、アメリカのイスラーム組織である「スンナ忠実協会」(Society for Adherence to the Sunnah, SAS)は、イスラーム法にもとづく見解を出し、ラウフ氏の行動を擁護した。しかし、エルファドル氏は、このSASの見解は、イスラーム法の法源のうち、自分に都合のいいものだけを選択的に適用させており、正式なファトワとしてはお粗末な内容だと批判している。批判の詳細については、5月26日同27日の本欄を参照されたい。
 
 さて、この問題をもっと我々に引きつけて考えてみよう。例えば、日本のスポーツ界にはアフリカ等からモスレムの選手が来ているかもしれない。また、日本人でイスラームに帰依している選手がいても少しもおかしくない。間もなく中国でオリンピックが開催されるが、ここの場で、ある日本人選手がモスレムであることを理由に、表彰台に立って国歌を歌うことを拒否したとする。いったいどんな事態になるだろうか? 私が想像するに、日本中で論争が巻き起こることは確かだ。恐らく、世界的にも論争が飛び火する。日本のオリンピック委員会は、内部規定によってその選手を処分するだろうが、国際オリンピック委員会では見解が分かれる可能性がある。委員の中にモスレムがいる可能性が大きいからだ。世界各地のイスラーム組織からも、それぞれの見解がファトワーとして出されるかもしれない。こうした場合、渦中にいる日本人選手はどうなるだろう?
 
 イスラームに穏健派と厳格主義があり、多数派は前者であることを知っている人と知らない人では、問題の見方に大きな違いが出ることは確かである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

厳格主義者の禁止事項について「関連も根拠もない、証拠に基づいて押し付けられているある種の全く息苦しい厳格な教義」だとエルファドル氏が言われるのは分かります、それで厳格主義者が異端であると言われているのかどうかは不明ですが、それはそれとして存在出来て機能している訳です(日本でもものみの塔と言う宗教団体がこの様な禁止事項を出しています)から宗教団体だと間違われても仕方が無いのではないか?
それからアメリカのスポーツ選手の件で「スンナ忠実教会」の見解に対してエルファドル氏は「正式なファトアとしてはお粗末な内容だ」と批判されていると言う事なのですがであるならば正式なファトアとしての見解はどうなのか?と言う事も述べて頂きたいと思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年7月29日 18:35

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