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2008年7月15日

現代のイスラーム理解のために (3)

 前回の本欄では、イスラーム法による法解釈(ファトワー)には“外的拘束力”がないという話をした。しかし、こんな抽象的な説明では読者は理解できないと思うので、実例を示そう。

 1981年10月6日に、エジプトのサダト大統領暗殺事件が起こった。カイロで行われた第4次中東戦争戦勝記念の軍事パレードの最中、アンワル・エル・サダト大統領(1918~81年)の立つ観閲台の前を通過中のトラック部隊から1人の士官が飛び出して手榴弾を投げ、その後、自動小銃を撃ちながら、他の3人の兵士と共に観閲台へ向った。わずか40秒前後の攻撃で、大統領を含めて8人が死亡、28人が負傷した。この事件の主犯として逮捕・起訴された5人は、28歳と24歳の士官、書店経営者(29)、そして27歳の2人の技師だった。5人はいずれも原理主義組織「ジハード団」のメンバーで、そのうちムハンマド・ファラグという技師が、この組織の理論的指導者だった。
 
 約1カ月半後に行われた公判では、被告は24人となり、その中には43歳の盲目のイスラーム法学者、オマル・アブドルラハマン(当時、アズハル大学イスラーム法学部講師)が含まれていた。ほとんどが20代の被告の中で唯一の中年であり、彼がファトワを出して大統領暗殺を正当化したかどうかが問題になった。藤原和彦著の『イスラム過激原理主義』には、エジプトのジャーナリストによる本からの引用として、この法学者が無罪になった経緯が次のように書いてある--
 
「神の定めに従って統治しない支配者の血を流すことはシャリーアに適っているか」--。81年秋、サダト大統領殺害を決意した「ジハード団」メンバーはアブドルラハマンにこう質した。特定の人物の名前を挙げない一般的質問だった。「それは合法だ」というのが答えだった。次いで、「ジハード団」メンバーはサダトに対する見解を求めた。そうするとアブドルラハマンは躊躇し「サダトがはっきりと背教の線を越えたとはいえない」と答えた。以後、「ジハード団」はサダト暗殺に関するファトワを彼に求めることを止めた。アブドルラハマンはサダト暗殺後逮捕され、裁判にかけられた。しかし、サダト個人の殺害を合法とはしなかったと主張した。これが認められて無罪となった。(同書、p.44)

 それでは、アブドルラハマンに代わって誰がファトワを出したのだろう? 藤原氏によると、それは上に書いたムハンマド・ファラグという「27歳の技師」なのである。彼は技師ではあるが、ジハード団の事実上の最高指導者であったため、死刑を覚悟していたという。当時、ジャーナリストとしてこの公判を傍聴していた藤原氏は、結婚して間もないファラグの妻が同じ傍聴席にいたとして、次のようなエピソードを書いている--
 
休廷の間、ファラグが妻に手で合図を送る姿が見えた。まず指で自分の胸を指し、それから妻を指した。そしてその指を天に向けて微笑んだ。2人はいつか再び天国で会える--という意味だったのだろうか。(p.43)

 この話は、2つのことを示している。1つは、現代のイスラーム社会では、イスラーム法をロクに学ばなくても、ほとんど誰もが信仰上の基準となる法解釈を出せるということ。もう1つは、この法解釈の自由が悪用されて、個人の信念に都合のいいものがイスラーム法として理解される傾向があるということだ。このことをエルファドル氏は、「現代のイスラーム世界に宗教的権威の空白状態が生まれた」と表現している。その理由は、「イスラームの学問と権威にかかわる伝統的な諸制度が崩壊したことにより、イスラームの真正さを規定するメカニズムが、事実上無政府状態に陥った」(『イスラームへの誤解を超えて』、p.40)からだという。この辺の詳しい事情は、追って明らかにしていきたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○藤原和彦著『イスラム過激原理主義』(2001年、中公新書)

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コメント

盲目の法学者が無罪になるのは正しい裁きだと思います、死刑覚悟で指揮実行した技師は何故その様な暴挙(彼は神の命令と言うのか?)に出たのか?彼に従った二十数名は何故従ったのか?言い分を聞きたいと思います、宗教的権威の空白状態、無政府状態とは言え公判でキチンと裁かれているのですからそうとも言えない様な気もします。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年7月29日 18:06

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