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2008年6月23日

ガイコツはなぜ踊る?

 
 昨日は富山教区での生長の家講習会の終了後、富山県水墨美術館で行われていた「良寛展」を見に行った。時間に余裕がなかったのが残念だったが、それでも、良寛禅師の飄々とした自由自在の性格と思想を伝える墨跡の数々に接して、1日の仕事の緊張感を解き、昂る気持を鎮めるとともに、安らかな締めくくりをすることができた。
 
 良寛の漢詩の中に、こういう内容のがある(自由訳)--
 
 物事は縁から生じるが、縁から生じたものは、縁が尽きると消滅する。尽きた縁が何から生じたかと考えれば、その前の縁から生じるのだ。その前の縁も前の前の縁から生じるのだから、これらを遡っていけば最初の縁にゆきつくはずだ。しかし、この最初の縁が何から生じるかとの疑問に到ったとき、最初の縁の前には何もないのだから、すべてのものが消滅してしまう。この話を、東に住む婆さんにしてみたが、婆さんは不快な顔をした。西に住む爺さんに話したら、眉をひそめられた。そこで、この話を餅に書いて犬に食べさせたら、犬さえ嫌って食べなかった。だから、この話はよくない考えなのかもしれない。そこで、この話の中の縁と何とを、また生まれるとか滅するとかを一つにまとめて皆、野原に転がっている骸骨にくれてやった。すると、骸骨はそこらじゅうから次々に起き上がって来て、私のために歌を唄い、踊りはじめたのである。(後略)

 私は、昨日の講習会では「因果の法則」についても触れたのだった。因果の法則とは、「物事はすべて、何かを原因とする結果である」と表現することができる。人間は知性によって因果の法則を知り、それを利用することで自己の目的を達成することができる。因果の法則を知り、それを利用できる者は力を増大する。これは、科学の発達によって人間の力が拡大してきた歴史を振り返れば、明らかなことである。科学とは結局、因果の法則を知るための方法である。

「縁」とは「助因」であり、ある結果を生じるに必要な補助的原因である。土を入れた植木鉢に種を植えれば、種はやがて発芽して芽を出し、双葉を開かせる。この時、植物の種が「因」であり、双葉は「果」として考えられる。種から芽が出るためには、土(栄養素)ばかりでなく、一定の温度と湿り気が必要である。これらが「縁」と言われるものだ。上の良寛の詩では、「縁」を「因」としてとらえているように見える。つまり、「植木鉢に入った土があるから、新芽が出るのである」ということだ。土もなく、湿り気もなく、「種」だけがあるのでは発芽する機会はないだろうから、通常の場合はこの理解でいいのかもしれない。が、「発芽」の本当の原因は「種」であるから、「縁」を「因」と誤解していると妙な信仰に陥ることがある--自分は、この神社のこの御神籤を引いて、それに従って行動したら、こんな幸運を得た。だから、この御神籤が幸運をもたらしたのである!--本当にそうだろうか? よろしく脚下照顧すべし。

 谷口 雅宣

 

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コメント

この良寛さんの漢詩の「縁」を「肉体・魂・命)」に変えてみると面白いなぁと思いました(笑。肉体→無でガイコツ喜ぶ!ナンチャッテ

骸骨ダンス、楽しそうで愉快な光景ですね^^

先生でも御神籤引かれるんですね!
(ちなみに私は去年引いた御神籤はほとんど凶でした^^;キニシナイキニシナイ。。。)

 

投稿: はぴまり☆ | 2008年7月 1日 10:15

はぴまり☆さん、

 肉体は一種の「縁」です。父と母との出会いによって生じた縁ですから、それでいいのだと思います。

 私は御神籤を引いてはいません。例えの一つとして書いたまでです。「凶」がいくつも出るというのは、一種の才能ではないでしょうか?(笑)

投稿: 谷口 | 2008年7月 1日 12:42

合掌 ありがとうございます。

私が生長の家に触れたのは、母親が誌友会を主催していたからで、その母親は、長男(私の兄です)のけがが化膿したからだそうです。最近、子供が熱心にジュニアの活動に参加しはじめたために、私も30年ぶりに練成に行き、什一会員にもなりました。この話の中に私の主体的な発願は無くて、水分子中の花粉のような、全く他動の縁であります。
私が今、什一会員になったのは、母の徳の積まれていたからである、という人が居て、いや、子供の魂が高級だからである、という人も居て、いずれにせよ私の善因のせいではないらしいのです。
これは因果の法則から外れているのかしら?などと不安に思っていたところに、脚下照顧と書かれているのを見て、また考えております。

最後になりますが、このブログは素晴らしいです。
毎日読んでおります。なるべくずっとお続けくださるよう、お願いいたします。 再拝。

投稿: bourbon | 2008年7月24日 12:38

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