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2008年6月 6日

イスラームの多様性

「イスラームに教会組織がない」ということは、仏教やキリスト教に親しんでいる我々日本の文化環境では不思議に思え、宗教としては何か無秩序で、一種の混乱状態にあるような印象を受ける。実際、本欄の読者の中にも、そういう感想を述べた人がいる。私も一時、そう考え、ローマ法王を頂点とするカトリック教会の組織のようなものが、イスラームの信仰者の間にできれば……と夢想したこともある。しかし、エジプトのイスラーム法学者、カリード・アブ・エルファドル氏の『And God Knows The Soldiers:The Authoritative and Authoritarian in Islamic Discourses』(そして、神は主の軍勢を知り給う--イスラームの議論における権威と権威主義)を読んでから、私は考えが少し変わってきた。今日の世界のイスラーム社会の多様性を考えたとき、この世界宗教に教会組織がないことが、この多様性を保障しているのではないか、と思うからである。

 上記した本のタイトルは、『コーラン』の第74章34節に出てくる次の言葉から取られている:

「このようにしてアッラーは誰でも御心のままに迷わせ、また御心のままに導き給う。主の軍勢が(どのくらいあるか)知っているのは御自身ばかり。結局はこれもただ人間どもへのお諭にすぎぬ」。(井筒俊彦訳)

『コーラン』のこの章には、地獄の劫火を守る番兵のことが触れられていて、それは「19の天使」だと書いてある。エルファドル氏は、これがなぜ「20」や「18」でなく「19」か不思議に思ったという。また、この数字の意味について、『コーラン』はわざわざ「その数は邪宗徒どもの跌(つまず)きの種にもとて特に我らの指定したもの」と書いてある。一方、モスレム以外の“啓典の民”はこの数字を見て「確信ができ」、モスレムは「ますます信仰を深くする」のだという。こういう“謎”めいた記述の後に、上に引用した文章が続くのである。読者に気づいてほしいのは、引用文にはもう「19」という数字は出て来ないで、「主の軍勢はわからない」と書いてあるのである。英語に訳すると「Only God can know God's soldiers.」となるらしい。

 井筒氏の日本語訳では「知っている」となっていて「現在の状態」を表しているから、「将来は人間にも分かる」という希望が持てる。が、この英語訳では「神のみが知ることができる」という可能性を表しているから、「過去・現在・未来にわたって人間には分からない」という意味になる。だから、エルファドル氏は、ここの章句は「誰が神の真の戦士であるかは、神以外知ることができない」という意味だと解釈し、神以外の者が、自分を“神の真の戦士”だと標榜することはできない、と述べている。人間は皆、神の御心を知り、それに従おうと最大限の努力をするが、結局、自分が“神の戦士”として認められたかどうかは、地獄の劫火の前に来るまでは分からないというのである。
 
 エルファドル氏は、この章句は“荘厳なる権威主義の否定”だというのである。前回書いたように、イスラームにおいては「聖職者」という職業はなく、小杉泰氏の言葉を借りれば「ひたすら一般信徒だけが存在して」いるから「神の前の平等」が徹底している。また、カトリック教会や英国国教会のような聖職者組織もない。組織を作れば、ローマ法王のように、その頂点に位置する権威者を設けねばならず、そうなると「神の前の平等」が崩れる。この原則は、『コーラン』第49章13節の言葉によく表されている--「まことに、神の御目から見て、汝らの中で最も高貴な者は、神を怖れること最も深き人である」。「誰も神の御心を体現できない」という上記の解釈は、この原則とも矛盾しないのである。
 
 このような平等主義を“裏側”から表現した言葉がある。それは「あらゆる法学者は正しい」という教えで、これはモハンマドの言葉として伝わっている。これに付随して、こんな話もある--もしある法学者の解釈が正しければ、彼または彼女は神から「2」の功績を認められるし、間違っていたら「1」の功績を認められる。エルファドル氏によると、この意味は、人は失敗を恐れずに法(真理)を求めなければならず、その結果、成功にも失敗にも褒賞が与えられるということだ。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○小杉泰著『イスラームとは何か--その宗教・社会・文化』(講談社現代新書、1994年)
○井筒俊彦著『イスラーム文化--その根柢にあるもの』(岩波文庫、1991年)

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コメント

「イスラーム社会の多様性を考える時、この世界宗教に教会組織がないことが、この多様性を保障しているのではないか?」と言う事ですがそれならば今の儘で良いと言う事でしょうか?これではイスラーム社会内外の諸問題に関して何の解決にはならない様に思えます、元々神の創造の世界は多様性に満ち満ちていて、イスラームもその一つに過ぎないと思います、私は色々な法学者が各自勝手な事を論じコーランやハディースを複雑にし過ぎているのではないか?分派分派分派も結局神の心から遠く離れた権力欲、支配欲、物質欲、名誉欲、利己心、我欲ではないか?表面は六信五行を人前ではやりながら(神の真の戦士の振りをして)内面は強欲な権威、権力主義者が多い為に様々な問題、誤解が結果として起きてきている(唯心所現)のではないか?きっと神はそれぞれの内面を全てご存知で悔悟の猶予を与えておられるのかも知れません、何しろ審判の日、ラッパが吹かれてからでないと地獄か楽園か分らない、、と言うわけですから、、神の御目から見て最も高貴なものは"神を恐れること最も深き人"と単純に言われていますのに知識のある権威権力主義者達(分派分派分派)は"神を恐れること最も浅き人"ではないのか?ですから聖預言者が出ない限り、ウラマーの中でも数少ないと言われる特に学識や人徳に優れた人物を中心的権威ある組織=教会組織のトップに選び出し(最難関でしょうが)聖預言者の代理として世界に発言して行く様にしていかないとイスラームに対する偏見と誤解(イスラーム=タリバン、アルカイダ、原理主義、自爆テロ、ビンラディン等々)は無くならないだろうと現時点では考えています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年6月 7日 01:25

尾窪さん、

 あなたの書き方は、人を傷つけるのではないでしょうか? イスラームのことについて、御自分では「ズブの素人」とおっしゃっているにもかかわらず、イスラームの信仰者を「権力欲、支配欲、物質欲、名誉欲、利己心、我欲ではないか?」などと独断しています。もし貴方の文章をイスラームの敬虔な信徒が読んだとしたら、それはもうヒドイ誹謗、中傷だと感じると思います。

 私は、そういう軽率なコメントに反対です。ここにそえを敢えて公開したのは、貴方に私の意思を知っていただきたいからです。今後、注意してもらえませんか?

投稿: 谷口 | 2008年6月 7日 17:57

谷口雅宣副総裁様
意思は良く分かりましたのでその様な場合はカットして下さい!只私はイスラームの信仰者を「権力欲、支配欲、物質欲、利己心、我欲」と言ってはいません、多数の敬虔な信徒は例えウラマーでなくても゛神を恐れること最も深き人"として知識のみある人よりも尊敬しているのです、信徒に対して数少ない分派分派分派の長、指導者達の中にその様な人達がいるのではないか?(イスラーム信者同士の論争ではなく、自爆テロ等々信者同士の紛争、殺し合いの現状、イスラーム外からの誤解を見聞するにつけて、、、)と独断と偏見で言ったのです、しかし、当然のこと全ての長、指導者がそうではありませんから、その様な人ではなくウラマーの中でも特に学識、人徳、理性に優れた聖預言者の代理が務められる様な人をトップにした中心的権威ある組織=教会組織を作ってイスラームとしての発言を世界に発信して行ったならば素晴らしいイスラームの教えの誤解がなくなるのではないか?と考えただけです、ただそれだけの事です、もし誰かを傷つけていましたならば悔悟致します。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年6月 8日 00:27

イスラム信徒の中に尾窪さんがしてきされているような分派があるのは事実であり、尾窪さんの指摘は正しいと思います。敬虔な信徒のことを言っているわけではありませんから。

投稿: 仙川健一 | 2008年6月 8日 00:36

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