« 権威と権威主義 (3) | トップページ | マイ箸優遇の店 »

2008年5月29日

ゆったりと休日

 雨の休日は普通、「あいにく」と形容したくなるが、今日は「幸い」と言える日だった。前日の天気情報で「朝から雨」と言っていたから、まず「どこかへ行こう」と思う必要がない。前日はちょうど、朝から午後3時すぎまで会議をしていて、そのあとは生長の家の機関誌の締め切りに間に合わそうと、根をつめて原稿を書いていて、午後6時ごろにそれを仕上げて編集部へ送信……というような仕事だったから、今日は息抜きがしたかった。その通りになったから「幸い」なのである。それで、朝食後、長年の懸案だった本とDVDの整理をすることにした。
 
 子供が家を出て行ってから、もう何年にもなるが、彼らの置いていった本と、その後に夫婦がそれぞれ買った本、また私が録画してためていたDVDとが同じ本棚の中でひしめいたのである。DVDにはABC、BBC、CNNなどの英語のニュースが記録してあり、ごくたまにだが、それを原稿の材料に使ったこともある。そのほかにもドキュメンタリーや映画の録画もあった。これらは皆プラスチック・ケースに収めて、その本棚に並んでいた。が、これらは利用頻度が少ないから、別の形で保管することにした。しかし、すべて一度に本棚から撤去するわけにはいかなかったから、今日はまず1段分を取り除いて、別のケースに収納した。これによって空いたスペースを利用して、本を文庫、新書、四六判にそれぞれ棚を分けて収納することができた。
 
 実は、この作業の途中で、古いVHSのビデオがまだ随分家に残っていることに気がついた。このうち重要だと思うものは残し、それ以外を廃棄するつもりでダンボールの箱に入れていくと、1箱がいっぱいになった。こういう作業をしながら考えたことは、「本当に必要な情報は、そんなに多くない」ということだった。好奇心が旺盛の若い頃は、「知らないものはみんな知りたい」と思って情報をできるだけ記録していくが、楽しむための映画の録画であっても、同じ映画を2回以上見たものがないことはないが、その数は本当に少ない。このことは本についても言える。だから、本や映画のビデオを手元に取っておくのは、実用的な理由からよりも、むしろ感情的(あるいは感傷的)な理由からの場合の方が多いのではないか。その感情とは、「一度感動を与えてくれた情報は、そのまま消えてしまっては寂しいから、物理的な形で取っておきたい」--というものだろう。

 午後からは、妻を連れ出してジョージ・クルーニー主演の映画『フィクサー』(Michael Clayton)を日比谷に見に行った。“典型的なアメリカ映画”という感じだった。善人と悪人が出てきて、映画の中途から終盤にかけて悪が猛威を振るうが、最後にどんでん返しで善が勝利してメデタシメデタシ……というわけだ。エンターテイメントとしてはこれでいいのだが、「どこか薄っぺらいなぁ~」という感想をもって映画館を出た。この映画のプロデューサーは、つい最近亡くなったシドニー・ポラック氏(Sydney Irwin Pollack, 1934-2008)だ。彼は、この映画で俳優としても出演していて、主人公の上司として悪の執行を指示している。その役柄と73歳の死とは直接関係があるとは思わないが、死因はガンだという。

 5月28日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、ポラック氏の両親はロシアからの移民1世で、ともにプールドゥー大学に在学中に出会ったという。ポラック氏の作品のうち、私の記憶にあるのは『追憶』(The Way We Were, 1973年)と『トッツィー』(Tootsie, 1982年)、それに『コンドル』(Three Days of the Condor, 1975年)ぐらいだろうか……。妻は『追憶』が大好きで、VHSでもDVDでも何回も見ていた。私も、それが母校のコロンビア大学を舞台としているので数回見た。アカデミー賞で監督賞をとった『愛と哀しみの果て』(Our of Africa, 1985年)は昔、VHSに録画したがまだ見ておらず、DVDに移行してある。近いうちに見ようと思う。

 谷口 雅宣

|

« 権威と権威主義 (3) | トップページ | マイ箸優遇の店 »

コメント

左脳と右脳のバランスをうまく取って日々新たな気持ちで過ごされておられますね!参考にさせて頂きます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年5月31日 18:39

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 権威と権威主義 (3) | トップページ | マイ箸優遇の店 »