自動車減少の時代
昨日(16日)付の『日本経済新聞』の第1面を見て、私は驚いた。題字横に「自動車保有 初の減少」という白抜き文字が目立っている。日本国内を走る車の台数が減り始めたというのだ。が、よく考えてみると、日本の人口が減少に転じたのだから、当然と言えば当然かもしれない。また、大都市への人口集中が進めば、そこでは自動車の代りの交通手段があるから、保有台数が減少しても不思議はない。それに加えて、昨今のガソリン代の高騰で、自動車を利用するためのコストが上がっている。理屈はそういうことなのだが、「自動車はどんどん増えるもの」という固定観念が強かったのだろう、見出しを何回も読むことになった。記事のリード文には、「3カ月連続の前年割れは自動車普及が加速し始めた1960年代前半以降初めて」とある。
記事から実際の数字を示せば、排気量660cc以下の軽自動車、二輪車を合わせた全国の自動車保有台数は、今年の2月末の時点で7943万台となり、前年同期比で0.2%減少したという。前年同期比での減少は、昨年12月末、今年1月末に続き3カ月の連続で、戦後初らしい。『日経』は、経済新聞らしく、これによって国内の自動車産業だけでなく、「年25兆円を超す幅広い関連産業」にも影響が生じるとしている。が、私はプラス面を見る--①大気汚染の減少、②温室効果ガスの排出減、③交通事故の減少、④道路政策の見直し--などにつながるのではないか。4番目の点は、記事でも特に指摘されていて、現在の道路整備中期計画の前提は“交通量のピークは2020年”として策定されたものだから、そのままの前提で道路建設を進めることが難しくなるだろう。これは、環境保全のためにはプラスの要素である。
しかし、CO2排出量という点から見れば、日本国内を走る車の台数が減っても、中国やインドなどで車が増えれば、人口の多さから見て排出削減にはならないだろう。また、石油の値段が下がれば、自動車の利用を始める人も出るだろうから、排出削減になるかどうか分らない。こういう言い方をすると怒る人がいるかもしれないが、私は石油の値段が下がらないことを願っている。なぜなら、石油が現在のような高値にあるがゆえに、代替エネルギーを使う技術開発が諸方面で進行しつつあるからである。
15日の『ヘラルド・トリビューン』紙は今、世界各地で自転車ブームが起きていることを伝えている。それによると、台湾の自転車メーカー「ジャイアント(Giant)」は昨年、550万台の自転車を生産したが、今年はそれより1割増を予測しているという。自転車は、環境にいいだけでなく、運動不足の解消のための手軽なスポーツとして、先進国で人気が出ている。これは、EU諸国の環境政策とも関係がある。自動車の代りに自転車の利用が奨励されていて、パリやバルセロナには貸し自転車の制度がある。だから、最大の生産地は中国本土であり、それを買うのは主としてヨーロッパ諸国ということになる。世界の自転車生産は約1億台で、そのうち7300万台が中国で造られ、うち7割がEU諸国へ輸出されるらしい。このブームには、ガソリン価格の上昇が一役買っていることは言うまでもない。
日本でも自転車の利用は盛んだが、放置自転車の問題や、最近では歩道での無謀運転から来る交通事故も増えていることは、ご存じの通りである。市民・行政ともどもにいろいろの工夫をし、制度を整え、マナーを守って、手軽で安全で、そしてクリーンな交通手段として、減少する自動車の代りに育てていきたいと思う。
谷口 雅宣
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コメント
日本における自動車の減少は理解出来ますが世界人口66-67億人の中で自転車の世界の生産約1億台とは意外に少ないなあ!と感じました、それに自転車は日本では余り大事に使われていなくて歩いて行ける所への足代わりみたいに使われていますから人の自転車を無断で使用し置き去りにされているケースも多々見られます、いずれに致しましても大都会は別にしまして自動車の利便性からの脱却は困難の様に思います、従いまして今後は電気自動車の早期普及こそが大望されると同時に、人間の叡智は近い将来必ず実現し、化石燃料からも脱却し、公害の無い車社会の到来が現実のものとなる、、、と確信しています、そして出来れば日本が世界に先駆けて実現し、世界中に広めて欲しいと思います。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年5月18日 00:25
尾窪さん、
>人間の叡智は近い将来必ず実現し、化石燃料からも脱却し、公害の無い車社会の到来が現実のものとなる、、、と確信しています、<
あなたの「確信」によると、あなたのおっしゃる「近い将来」とは、あと何年後ぐらいになるのでしょうか?
投稿: 谷口 | 2008年5月18日 12:02
谷口雅宣副総裁様
私の「確信」は技術者として、又はメーカー、為政者として等々の明確な計算の元では無く、様々な情報、情勢、内なる人間の要求からのもので、あくまでも感覚的なものです、ポケット電話の後、携帯電話を身近な若い人達がボツボツあちこちで持ち始めた頃「50年もすれば大人一人一個の時代が来るのではないか?」と人に言っていましたがそのスピードはあっと言う間で5-6年で来てしまいましたから、、どうでしょうか?まだまだソーラーカーや大手メーカーの電気自動車が路上を走っていなくてハイブリットカーがボツボツの段階ですから50-100年後位でしょうか?勿論感覚的なものですがその時期が来た時には、これまたアッと言う間に浸透するものと思います、蒸気機関車同様、乗り物の歴史を見ながら「昔の人達(古代人)はこんなものを燃料に走り回っていたのか!さぞ環境に良くなかっただろうなあ、、、」と言われるのでしょう、、「古代人は」の表現の無い様な早い時期に電気自動車時代の到来を期待しているのです(笑)。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年5月18日 19:01
尾窪さん、
>私の「確信」は技術者として、又はメーカー、為政者として等々の明確な計算の元では無く、様々な情報、情勢、内なる人間の要求からのもので、あくまでも感覚的なものです、<
「内なる人間の要求」から生じた「感覚的な」ものならば、「希望」とか「願望」とか「夢」でもいいのではないでしょうか? それにあなたは、「早い時期に電気自動車時代の到来を期待しているのです」と書いておられますから、単純に「期待」でもいいかもしれませんね。(ちょっと表現にこだわってみました。あまり気にしないでください)
投稿: 谷口 | 2008年5月19日 13:03
ご指摘有難う御座います、
私には気にする様なものは何もありませんから大丈夫です(笑)、副総裁に限らずどちらの方でも結構ですから、もっと辛らつに厳しく、勿論共鳴もお願いしたいと思っています。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年5月19日 23:36