イスラエルのシリア空爆 (2)
昨年の10月15日の本欄にこれと同じ主題で書いたが、先の連休前にこのことで新しい展開があったことは、読者もご存じだろう。それは、これまで本件について「ノーコメント」を通してきたアメリカ政府が4月25日に突然、本件に関連して「北朝鮮はシリアの核施設建設を支援してきた」と発表したことだ。それだけでなく、そう判断するに至った証拠写真を、破壊された原子炉の内部の写真も含めて何枚も公表した。その中には、シリアの原子力委員会関係者と一緒にいる北朝鮮高官の写真もあり、その人物についてホワイトハウスは、固有名詞を挙げて「寧辺の核燃料製造工場の責任者だ」と説明した。この寧辺の核施設とは、北朝鮮が核兵器の燃料製造に使ったとされている施設である。
4月25日の『朝日新聞』夕刊が、アメリカ政府の発表の骨子を分かりやすくまとめている--
① シリアは2007年8月、ガス冷却黒鉛減速炉を建設中で、稼働間近だった。完成すれば原子炉は核兵器に使うプルトニウムの生産が可能となる。
② 原子炉は核燃料の搬入前に破壊された。
③ 北朝鮮がシリアの機密核兵器計画を支援したと確信する。同型炉は過去35年間、北朝鮮だけが建設している。
④ シリアは破壊直後に跡地を整地し、証拠となるような機器を持ち去った。
昨年9月21日の本欄に書いたことを読み返してもらえれば分かるが、上の事実のほとんどは、9月6日にイスラエル空軍による施設攻撃があった時点で、すでにアメリカ政府が知っていたことだろう。知っていながら8カ月ものあいだ「ノーコメント」を通していたのは、北朝鮮が過去の核拡散行為の申告を自主的にする余地を残しておいたのだろう。「オレたちは知っているから破壊した。しかし、そのことは今は言わない。自らそれを申告すれば、経済援助はしよう」--そういうメッセージを出していたのだ。これは言わば“無言のメッセージ”である。しかし、当の北朝鮮は「オレは知らぬ」を通してきた。
そこで今回、アメリカは「我々は決定的な証拠を握っている」という意味で、証拠の内容を公表したのだろう。メディアに発表した証拠がアメリカ側の握っている証拠の全部かどうかは分からない。しかし、相当細かいものだ。そして、この発表を行った当日、北朝鮮を20日から訪問していたアメリカ国務省のソン・キム朝鮮部長は、記者団に対して「非常によい訪問になった。中身の濃い議論ができた」と語っている。また、北朝鮮側は24日、この協議について「真摯かつ建設的に行われ、前進があった」と発表している。この北朝鮮での交渉で、アメリカは相当の内容の証拠を示して、北朝鮮に申告を迫ったに違いない。それに対して北朝鮮側が、少なくとも公式には不快感を示さなかったことは注目に値するだろう。
さて、空爆を行ったイスラエル自身だが、これまでその事実さえ認めなかったのはなぜだろう? ひとつは、攻撃されたシリアが当初、それを認めなかったことに原因があるだろう。当初(攻撃のあった9月中)のシリア側の説明は、イスラエルの航空機が「武器類」(munitions)を投下し、燃料タンクを落としたので、シリア軍によって追い返された、というものだ。その後、10月に入って、シリアのアサド大統領は本件について初めて公式にコメントし、「イスラエルのジェット機が、使われていない軍関連施設を爆撃した」と言った。こうして“敵”側が「大した問題ではない」という態度をとっているときに、イスラエルが公式に「核施設だったから攻撃した」と言えば戦争になるだろう。そういう薄氷を踏むような駆け引きがあったと想像する。
もう1つの理由を憶測すれば、それはシリアの報復を恐れたためだ。別の言い方をすれば、イスラエル自身の核施設が攻撃に対して必ずしも安全でないからだ。このことは、ブッシュ大統領が4月25日の記者発表の際に「我々は早期に発表することによって中東で対立や報復の危険が増すことを心配した」と言っていることからも推測できる。5月10~11日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、前のブッシュ政権(現大統領の父親)時代に国務省職員だったベネット・ラムバーグ氏(Bennett Ramberg)の論説が掲載されているが、そこにはイスラエルの核事情がやや詳しく描かれている。
それによると、昨年11月、ロンドンの『サンデー・タイムズ』紙に掲載された記事は、イスラエルがディモナにある核施設周辺に厳戒態勢を布いたことを報じた。が、その意味について、記事は十分理解しなかったようだ。ラムバーグ氏は、これはシリアの報復攻撃に備えての行動だったという。彼によると、エルサレムから離れたネゲヴ砂漠の中にあるディモナには、同国の核兵器計画の中心施設があるという。稼働開始からすでに40年以上を経て、ここでは最大200個の核爆弾を製造できるだけのプルトニウムが生成されている。核兵器は、主として「抑止」のために機能するが、その一方で、攻撃対象ともなる。1960年代には、エジプトがここを攻撃することを検討した。湾岸戦争中の1991年には、イラクのフセイン大統領は実際に、ここへ向けてロケット攻撃を行った。2004年には、イランの高官がその施設が悩みの種だと言った。そして、2007年にシリアも同じことを言ったという。
地域戦争が起こると、核施設は実際に攻撃対象になる。1980年代のイラク・イラン戦争でも建設中の核施設が攻撃された。1981年には、イスラエルはイラクのオシラクにあった施設を破壊した。1991年の湾岸戦争開始まもなく、アメリカはバクダッド郊外にあったイラクの実験炉を爆撃し、2003年にも同じ場所が攻撃された。いずれの場合も、攻撃によって危険なレベルの放射能が環境に漏れ出すことはなかったが、稼働中の核施設が攻撃された場合の危険性は明らかだ。だからイスラエルは、狭い国土の中でも人口密集地からできるだけ遠い所に核施設を設けただけでなく、核燃料再処理施設と核兵器工場とを地下深くに隠した。さらに、施設の周辺を対空兵器で固めているという。
このような歴史的事実を考えてみると、軽々に日本の核武装を提言する政治家の思慮のなさがよく分かる。また、これ以上に原子力発電所を増設することで、日本のエネルギー需要を満たそうとする自民党の政策の危うさが浮かび上がってくるのである。
谷口 雅宣
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コメント
本当に現実世界をありの儘に直視致しますとまだまだ人類は迷いの真っ只中で暗中模索し、もがいている状況がよく分かります、本当の意味で人類は賢くなっていない、進歩していないのではないか?と思われます、きっと賢いと思っている愚か者なのでしょう(泣)、いっそのこと日本国憲法を世界の憲法にしたら良いと思ってしまいます、SFの世界ではないですが南極を全ての国々、全人類の為の強い国連機能を発信する場とし、地球の頭脳として全ての人々が何の恐怖を感じる事なく、独自の文化を堅持しつつ、人的、物的交流を自由に出来る場に出来ないものかなあ、、、と単純に考えてしまいます。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年5月13日 10:47
尾窪さん、
>私はどうしても現象界をしっかり認識しながら本質を語り実践し、表現して行って貰いたいなあ<
11日の本欄へのコメントで、あなたはこうおっしゃっているのですが、今回のあなたのコメントは、少し空想的ではないでしょうか?(笑)
この場合、「本質を語る」とは、どういうことを言えばいいのでしょうか?
投稿: 谷口 | 2008年5月13日 14:39
少しではなく全く空想的です(大笑)、
今回のテーマは現象世界を逃避しないで直視した上、どうあるべきか?を提言されていますので作家庄野さんとは違います、
私の場合は副総裁や作家庄野潤三さん等々とは次元が異なり多くの人々に全く影響のない一般市民の一人の立場ですから"平和を望みながら永遠に続く人類の悲惨な争いの連鎖と言う歴史と現実"を見ながら多少の問題は勿論あるものの「世界の人々が日本の様な自由で物質的にも豊かな生活が出来れば良いなあ、、」と思っています、そしてシンプルな実相(本質)通りに行かない現象世界に少々苛立ちを持って飛躍(例えば紛争各国のトップ指導者を釈尊やイエス、ガンジー、マザーテレサ、孔子、ムハンマド、モーゼ、法然、谷口雅春、ヨハネ等々)してドリーム世界を作って見たり、空想(強い国連地球国家、地球上の治安以外の武器の皆無)して遊んでいるのです(笑)、野蛮で血生臭い、動物的本能剥き出しの罪や恨みも何も無い者同士の殺し合いの戦争ただ一つさえ各国のトップ達の叡智で無くする事が出来れば人類にとってこの地球は全て其の儘"エデンの園"なのに、、、と残念でならないのです、
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年5月13日 17:48
尾窪さん、
>野蛮で血生臭い、動物的本能剥き出しの罪や恨みも何も無い者同士の殺し合いの戦争ただ一つさえ各国のトップ達の叡智で無くする事が出来れば人類にとってこの地球は全て其の儘"エデンの園"なのに、、、と残念でならないのです、<
フーム……やはり、空想的平和主義のように聞こえますが。まぁ、それでもいいというわけですね?
投稿: 谷口 | 2008年5月13日 23:21
実相世界には無い殺し合いを永い歴史の中で繰り返し、繰り返し何故人類は反省、悔悟する事も無くやり続けるのであるのか?と言う問題、すでに千年も二千年も前から多くの賢者に依って見抜かれ訓戒、警告されているにも関わらず様々な報道によりますと同じ過ちの道を通り、多くの人民は苦しみ、苦難の道を強いられて来ている現状、個人的にはお陰さまで楽業道を歩ませて頂いていますから空想的平和主義者でいいと言うふうにはは思わないのですがご指摘の通りだと思います、従いまして争いの無い人類光明化運動や国際平和信仰運動と言う生長の家の思想と実践や世界中の正しい宗教教団、強い国連の確立等々に期待しているのです、そしてその力は緩やかではありますが紆余曲折しながらも調和と生長と繁栄、進歩の方向に進んでいると楽観しているのです、しかしまあ本当に空想的平和主義者ですねえ(大泣)。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年5月14日 01:19