« ぱすわあど (6) | トップページ | 白鳩会全国大会終わる »

2008年4月27日

ぱすわあど (7)

 ぼくのおばあちゃんは、ぱすわあどを思いだした。
 それは「ありがとう」ということばを、ばんごうにしたものだ。それはひみつのことばで、うまくつかえるとお金がもらえる。おかあさんは、「こどもは知らなくていいのよ」といったけど、ぼくは知りたい。おばあちゃんはアイスクリームをくれるといったけど、ぱすわあどもおしえてくれるかな、とぼくは思った。
 おばあちゃんは、ぼくをちかてつのえきのそばの、おみせにつれてってくれた。
 おばあちゃんは、めにゅうをぼくに見せて、
「なにがほしいの」ときいた。
 ぼくは、アイスクリームより大きくて、いちごとばななもはいってるフルーツパフェをゆびさした。おばあちゃんは、にこにこして「わかったよ」といってから、はなしだした。
 おばあちゃんは「ありがとう」をいうのをわすれてたから、ぱすわあどもわすれてしまった、といった。「ありがとう」はとてもかんたんなことばだけど、それを使うのをわすれる人がおおいんだって。なぜかというと、そんなかんたんなことばで、なにかがおこるとみんな思わないからだって。それから、じぶんがえらいとか、正しいとか思ってると、「ありがとう」をわすれてしまうんだって。そんなときは、ちがうことばをつかってなにかをしようと思うけど、いろいろむずかしくなるんだって。
 でも、これはみんなおとなのせかいのことで、ぼくみたいな子どもは、えらいとか正しいとか思わないから、「ありがとう」がすぐいえる。すると、いいことがかんたんにおこるんだって。
 ぼくは、おばあちゃんのいうことが半分ぐらいしかわからなかった。でも、さいごのところはよくわかった。ぼくがおばあちゃんに「ありがとう」っていったら、お金は出てこなかったけど、お金よりおいしいフルーツパフェが出てくるんだ。いまぼくは、じぶんが「えらい」とか「正しい」とか思ってない。だから、もしかしたら、ほんとのぱすわあどは、「ありがとう」のばんごうじゃなくて、「ありがとう」のことばなのかもしれない。
 そのとき、アイスクリームみたいなまん丸のかおのおねえさんがきて、たべきれないぐらい大きいフルーツパフェを、ぼくのまえにおいた。ぼくは大きなこえで、
「ありがとう!」といった。
 おばあちゃんは、大にこにこだし、いちごとばななもはいっている。
 すぷーんをにぎると、ぼくはばんごうのことをわすれてしまった。(完)
 
 谷口 雅宣

|

« ぱすわあど (6) | トップページ | 白鳩会全国大会終わる »

コメント

成程、、こう言う事だったのですか、やはり幼児の心でないと天の国には入れませんねえ(泣)、全ての幼児達がこの坊やの様に、このまま素直で、丸く、明るく、清らかで、お陰様の、慈悲なる心の持ち主に成長する為には周囲の大人(教師等々教育関係の人々も含む)達は勿論、学力だけではなく、現在の日本に不足しています精神性と言いますか生命の教育と言うものが少なくとも義務教育までは必要不可欠ではないか、、、と思いました。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年4月28日 00:32

いろいろ、むつかしくないのが、いちばんですね

投稿: 酒井幸江 | 2008年4月28日 00:43

 自分の親族が何かを忘れた時、トテモショックを受けて、場合によっては、何を行うにも力が入らない状態になることもあると思います。しかし、親族ほど自分とは親しくないのですが、自分と何かの利害関係で結ばれている人が何かを忘れた時、ものすごくアタマにきて強く叱り飛ばすこともあると思います。
 忘れるという行為に対して、これほど対応が違うのだなということを思いました。
 人が何かを忘れても けん君のようにそのままの心で対応することが大切であると思います。
 そして、けん君のおばあさんがおもいだしたぱすわあど
『「ありがとう」ということばを、ばんごうにしたもの』
(日々感謝を実践することであると思います)を日々、
実践してゆかなければならないと考えます。

投稿: 志村 宗春 | 2008年4月28日 20:32

両親から教えて貰っている"挨拶"より大切な"有難う"と言う言葉(ワード)、生長の家の「挨拶(門を潜る=パス」は手を合わせ「有難う御座います=ワード」ですが講習会や誌友会等々慣れっこになったり、生長の家を余り知らない人達が混じり合っているとこの挨拶(パスワード)を忘れがちになってキチンと出来ていないケースがあるのではないか?特に幹部の方々や世話人の人達への教訓かも知れない!(初心に帰る)と感じましたが考え過ぎでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年4月29日 00:53

「ありがとう」をすぐにいって これから いいことが たくさん おこるようにします。
 

投稿: 志村 宗春 | 2008年4月30日 23:03

「ぱすわあど」の連載、楽しませていただきました!

111の数字を「いいひと」と読むところで思い出したのは、ご著書『日時計主義とは何か』でお説き下さっている「意味と感覚」のお話でした。

パスワードの数字をその機能的な意味だけで考えるのではなくて、それが人間的な感覚に訴えてくるメッセージによっても受け止めていく方が、人生が豊かになるよなぁ…と思わせていただいた次第です。

「ありがとう」という言葉(ワード)、やっぱり素晴らしいですよね!

本日の青年会全国大会でのご指導を楽しみにしています(5月3日早朝記)。

投稿: 山中優 | 2008年5月 3日 05:35

山中さん、

>111の数字を「いいひと」と読むところで思い出したのは、ご著書『日時計主義とは何か』でお説き下さっている「意味と感覚」のお話でした。<

 そんなこと考えずにこの作品を書いたのですが、言われてみると、そういう側面も確かにありますね。

 青年大会へのご参加、ありがとうございました!

投稿: 谷口 | 2008年5月 3日 22:14

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ぱすわあど (6) | トップページ | 白鳩会全国大会終わる »