ぱすわあど (1)
ぼくのおばあちゃんは、ぱすわあどをわすれた。
おばあちゃんが、そういうのをきいて、ぼくはたいへんだと思った。でも、ぱすわあどが何か、ぼくは知らない。でも、きっとたいせつなものだ。
ぼくもときどき、ごあいさつをわすれる。すると、おかあさんは、
「けんくん、ごあいさつは?」といって、ぼくを見る。
ぼくは、おかあさんとはなしをする人に、
「こんにちわ」といって、下を向く。
すると、その人も、
「こんにちわ」といって、ぼくを見てわらう。
これが、ごあいさつだ。
おとうさんといっしょにいるときは、おとうさんはぼくのあたまを押して、
「ごあいさつだ」という。
だから、ぼくは2回下を向く。
おとうさんは力があるから、いたいときもある。そんなとき、ぼくは、
「いてえ」といってから、「こんちにわ」をいう。
だから、ぼくは、おとうさんとおかあさんといっしょにいるとき、知らない人がくると、こっそりおかあさんのところへ行く。ごあいさつをいつするか、むずかしいからだ。まちがえて、おとうさんにあたまを押されるのは、いやだ。
でも、ごあいさつをわすれないと、いいことがある。
おかあさんといるときは、あたまをなでてくれる。おとうさんといるときは、もっといいことがある。がむをくれたり、かたぐるましてくれる。だから、ごあいさつはたいせつなものだ。きっと、おばあちゃんのぱすわあども、そんなものだ。
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コメント
頭の体操です(笑)
パスワードと言う言葉を知らない坊やが慌てている大人を見て「大切なものだ!」と直感する、それを両親から受けている(教育方法は異なるが)ご挨拶の大切さと絡めて考え、「ご挨拶を忘れないと良い事がある」と言う事はパスワードを思い出すと良い事があるに違いない、、と幼心に考えたと単純に考えました、もっと深い洞察があるのかも知れませんが、、、。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年4月23日 14:44