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2008年3月25日

地上資源文明への転換

 総合研究大学院大学の池内了(さとる)教授が『日本経済新聞』紙上に書いておられた「未来世代への責任」という連載が終った。なかなか示唆に富む内容で、世代間倫理を重視しつつ、文明史的視点から今後の人類の進むべき方向を平易な文章で明確に示している点で秀逸である。私は本欄などで、地球温暖化問題を解決するためには、人類は化石燃料を基礎とした“炭素社会”から脱却し、大気中に豊富にある水素や太陽エネルギーを利用する“水素社会”へと早く転換すべきことを訴えてきた。これはまた、アースポリシー研究所を主宰するレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)などが唱えていることと同じである。が、池内教授は、この“炭素社会”“水素社会”の代りに「地下資源文明」と「地上資源文明」という言葉を使う。そして、この方が分かりやすく、また的確な表現だと私は思った。

「地下資源文明」とは、それまで森林を伐採してエネルギーや資源としていた人類が、約250年前に起こった産業革命により、石炭や鉄鉱石などの地下資源を利用した機械文明を確立し、さらに石油や石灰などの地下資源に依存する科学技術を発展させてきた、現在の文明のことを指す。この文明を推進するためには、「地下」が重要だから、山を崩したり、地下や海底深くまで掘削するための巨大な機械と、それを生み出す大きな資本力が必要で、そのため大量生産、大量消費、大量廃棄を前提とする文明が育った。本来、地上に存在しなかった資源を地下から大量に掘り出し、それを燃やしたり加工した後に、利用されないほとんどの物資を“廃棄物”として地上に捨てるのである。ここからは当然、公害問題が生まれ、やがて昨今の地球環境問題も生じてきた。また、地下資源は無限でないから、この文明が発達するにつれて、資源の枯渇問題が生じてきている。

 この「地下資源文明」に固執する限り、人類の未来はない。このことは明々白々の事実なのだが、池内教授によると、「いったん禁断の木の実の味を覚えた人間はそれを簡単に打ち捨てることはできないどころか、いっそう地下資源への依存を強めている」のだという。これでは未来世代への責任は果たせないから、「無限とも言える容量があり、環境と調和できる地上資源へと可能な限り切り替えること」を同教授は提案している。要するに、地上に於いて利用できる太陽光、バイオマス、地熱などの自然エネルギーへの転換である。これらの自然エネルギーは「安定性」に問題があるとよく言われるが、それは、石油や石炭のようにもともと貯留されていたものと比べるから“問題”であるように感じられるだけで、「可能な方策を柔軟に組み合わせればよく、一つの方法ですべてを賄う発想は時代遅れなのだ」と同教授は言う。

 私も、その通りだと思う。地下資源は、地下のあちこちにあるのでなく、特定の地域に遍在しているから、その土地の埋蔵量があるかぎり“安定”しているように見えるが、その資源が貴重であればあるほど、土地をめぐって政治的対立が起きやすいし、掘り尽くしてしまえば廃墟が残るばかりだ。日本国内でも、かつて金山や炭鉱があった場所を思い浮かべれば、そのことがよく分かる。これに比べ「地上資源」は、基本的に循環型である。その源は太陽エネルギーだから事実上「無限」であるが、それが人間に利用できる形になった時--例えば、バイオマス、水力、風力、波力など--は有限であり、安定的でない。だから、地上資源の循環が断たれないように、相互補完的に組み合わせて利用すればいいのである。

 谷口 雅宣

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コメント

地下資源は安定的に見えて不安定(資源の枯渇は再生不可能だから必ず来る)、地上資源は不安定に見えて安定(循環型で無尽蔵)したものであると言えます、現在の様な過渡期には相互補完的に組み合わせて利用すれば良いとは思いますが近い将来地上資源である自然エネルギーのみに頼る時代になり、好むと好まざるにかかわらず地上資源文明にならざるを得ない!戦争さえ回避出来れば食べ物も大地から循環型で無尽蔵、思考錯誤を繰り返しながら結局人類は緩やかではありますが調和と生長、繁栄と進歩の道を歩いている事になります、ただその過程の中でその恵みが全ての人々に行き渡る様に世界各界のトップ指導者の配慮、実践が期待されます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年3月27日 12:19

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