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2008年3月 9日

ザゼンソウを眺める

 大阪城ホールで行われた生長の家講習会には、2万5千人を超える大勢の受講者が参集してくださり、盛大ながら、和やかな雰囲気のもとに行われた。主催する側の実行委員の数だけでも800人を上回るという規模だから、この半年間、推進のために努力して下さった人々は想像を超える数に上るだろう。この場を借りて、皆様の絶大なるご支援、ご協力、そして揺るぎない信仰に深く、厚く感謝申し上げます。前回に比べて千五百人以上も多くの方々が来てくださったのも、驚異的である。天候も穏やかで、大阪城公園の梅林の花々もまさに見ごろであり、誠にありがたい1日だったと思う。

 午前の講話を終り、大阪教区の最高幹部の方々との会食会場へ入ったとき、部屋の中 央に豪華な春の花々が飾られていた。と、その中心部に何か黒い、動物の頭のようなものが見えた。注意して見ると、それはザゼンソウだった。この植物の花序は大きな苞形をしていて、仏像の光背にも似ている。ミズバショウの花序は白色だが、ザゼンソウは赤黒い。会食を終えて控室で休憩をしたが、ここにもザゼンソウが飾られていた。その色と形を眺めていると、何かしなければ……という気持になったので、ペンでスケッチをMtimg080309始めた。
 
 人が一念発心し、長期にわたって何事かを成し遂げんと歩みゆく姿は、祈りに似ている。それは「動」の中にあって不動の「静」を感じさせるものだ。派手な動きは目立つものだから、色に喩えれば黄、赤、白のような明るい色になる。が、動中の静は、そんな派手な色の陰に、影のごとく寄り添う深い色--濃紺、藍、セピア、チャコール・グレー、そして黒だろう。花は本来、昆虫を呼び寄せるために目立つ色、明るい色を天に向けるものだ。が、ごく稀に、深く、濃い色で咲くものがある。ザゼンソウは、そんな稀有な花の1つと言える。赤黒く錆びた鉄のような、それでいて、形はキューピーの頭の毛を思わせるユーモラスな花序が、じっと横を向いている。参禅中の僧の姿からこの名があるのだろうが、僧の頭というよりは、幼な児のそれを思わせる。
 
 幼い時から変わらぬ志をもち続けた魂が、幾多の人生経験を積みながらも同じ志を保持してきたならば、その志は鉄に化してこんな姿になるかもしれない……ザゼンソウを眺めながら、こんな想念が心中を流れた。

 谷口 雅宣
 

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コメント

おはようございます。
現在大学三年生、就職活動中の者です。

「人が一念発心し、長期にわたって何事かを成し遂げんと歩みゆく姿は、祈りに似ている。それは「動」の中にあって不動の「静」を感じさせるものだ。」

私は早くこの何かに対して一念発心したいと思って自分の使命を導いてもらえるようお祈りしています。
日本と世界のお役にたちたい、社会問題解決の一端に携わりたい、というのが進路選択の軸ですが、それをどこでやるべきかわからず、本当に迷っています。ですので、マスコミ、商社、メーカー、銀行・・・と幅広く受けます。私は「動」でしかない気がします。情報やタスクや時間や自分の心にさえ振り回されています。どうしたら、これだ、と思うものにめぐり合えるのですか。大学に入ってからいろんな経験をしてきましたし、ずっと将来のことを考え続けてきました。でも、わからないのです、自分が本当にやりたいことが。大きな軸でしか、決まらないのです。何かアドバイスいただけたら幸いです。お忙しい中、読んでくださりありがとうございました。

投稿: ジェシカ | 2008年3月10日 05:23

ザゼンソウですかあ、、、初めて見聞致しました、名前も面白いですがこれをキッカけに是非現物を意識して見てみたいと思います、実行委員の方が意識して飾られたのでしょうか?粋な計らいですねえ!それに致しましても25000人、委員800人とは素晴らしいですね!全国津々浦々に無名で一隅を照らす人々の何と多いことか!を何時も確認させて頂いています、良くないニュースも度々報道されますがやっぱり日本は素晴らしい国の一つです(笑顔)。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年3月10日 12:10

ジェシカ・タンディーさんですか? (笑)

>>大学に入ってからいろんな経験をしてきましたし、ずっと将来のことを考え続けてきました。でも、わからないのです、自分が本当にやりたいことが。<<

 たぶん、大学4年間で得た倍くらいの経験を、社会人になって1年間で得ると思います。だから、「本当にやりたいこと」など分かっていない方がいいと思います。「進路一筋」で社会へ入る人(例えば、私の妻)もいますが、「進路行ったり来たり」の人(例えば、私自身)もいますから、あまり焦らず、「何でもやってみよう!」という気持で、目の前にあるものを選択されてはどうでしょうか? 抽象的なアドバイスですみません……が。

投稿: 谷口 | 2008年3月10日 23:49

読者の皆さんへ、

 大阪城ホールでの受講者数が同ホールの正式座席数より相当多いのはオカシイという意見を本欄のコメントで書き込んだ人がいるのですが、それは、私の想像では、開会の午前10時から閉会の午後3時までに、相当数の受講者の入れ替えがあり、また、「テント会場」と称する座席が場外にあって、ピーク時の受講者を収容するようになっているからでしょう。

 また、このコメントを寄された読者は、仮名で書き込んだのですが、私は基本的に「本名主義」を評価しているので、仮名の人には、あまりいい気持をもちません。その辺の事情は、昨年10月4日の本欄に書いていますので、コメントされる方は、ぜひそれを読んでいただきたくここにお願い申し上げます。

投稿: 谷口 | 2008年3月11日 11:18

ジェシカさんは真面目ですねえ、、私の若い頃は本当にいい加減でした、今でもそうかも(笑)、軸がしっかりしておられますので試験官を静観し、トップのものの考え方、生き方を良く観察され、人の話も良く聞かれて自らの判断で決められてはどうでしょうか?又「自分の使命を導いてもらえるようお祈りいています」と言う事ですが自分の使命は自分で導く!(祈りは感謝し神仏に近ずくことなので良いのですが)と言う姿勢が必要ではないか、宮本武蔵は「神仏を敬して神仏に頼らず」イエスは「求めよ!さらば与えられん!捜せ!さらば見出さん!門を叩け!さらば開かれん!」釈尊は「自ら(法)を灯火、頼りとせよ!」と言っています、将来の事は神仏以外誰にも分かりません、自ら選んだ会社の実践の中で「これだ!と思うものにめぐり合える」「自分が本当にやりたいものはこれだ!」と言うものが分かる」と確信して前進する成長の思想で良いのではないでしょうか?縁起でもないと言われるかも知れませんが「誰が明日に死のあることを知ろう!」です。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年3月11日 12:44

谷口雅宣先生

 先生の下記のお言葉は、私が社会人1年目のときに感じたこととあまりにピッタリだったものですからびっくりしてしまいました。

>> たぶん、大学4年間で得た倍くらいの経験を、社会人になって1年間で得ると思います。<<

 また、こちらに来てまだ1年も経っていませんが、日本にいましたときに経験した数年分を一年間で経験させていただくような気がいたします。
 海外で布教するなど、大学時代には微塵も考えておりませんでしたのに、今こうしてお役を頂いている自分を振り返りますと、人生は予期できないことが起こるから楽しいし面白いのだ、とつくづく感じさせていただいています。

 ハワイ 
 阿部 哲也 拝

投稿: 阿部 哲也 | 2008年3月11日 13:17

阿倍さん、

 アロハー、マハロー!

>>こちらに来てまだ1年も経っていませんが、日本にいましたときに経験した数年分を一年間で経験させていただくような気がいたします。<<

 分ります、その気持。海外での生活経験は、また別ですねぇ! 世界観が変わったりしませんか?

投稿: 谷口 | 2008年3月11日 18:08

雅宣先生
尾窪様

アドバイスありがとうございます。
ある目標のためにガンガン進むことばかり考えていました。
でも、別に、ある会社に就職して一生そこにい続けるわけではないですもんね、転職だってできるのでした。なぜこんなに焦っていたのでしょうか・・・笑 「何でもやってみよう」という気持ちでいきます!とっても晴れ晴れしました!頑張ります!!ありがとうございます!そして、皆様もお互い頑張りましょう!

自分の使命は自分で導くのですか・・・でも、いくら努力しても報われないことってありますよね?それはその人の使命じゃないからじゃないのですか?よく、芸術家になりたかった、でもいくら練習してもだめで、OLになった、そしたら、すごいビジネスセンスがあって大成功した、というような話ありますよね、これは、その人の使命が芸術家になることではなくて、ビジネスをすることだからなのではないのですか?「私の天性によるところのできるだけ多くの人の役にたてる使命をお導き下さい」というお祈りを母から教えてもらったのですが、このお祈りからすると、もう、使命って決まっているのかなって、思ったんです。
せっかくアドバイスいただいたのに、質問してしまいごめんなさい。ご意見お聞かせくださるとありがたいです。

本名を名乗らず申し訳ございません。純日本人です。

投稿: 金子 | 2008年3月11日 23:17

谷口雅宣先生

 温かいお言葉、ありがとうございます。感謝申し上げます。

>> 世界観が変わったりしませんか? <<

 はい、変わってきていると思います。特に英語での行事や会議に臨むときは、「Yes」「No」をハッキリ言う傾向にあり、日本におりましたときに比べて、自分の意志を明確に述べるようになった気がいたしまして、これまでと違った「新しい自分」を発見するときがあります。また、日本(人)の良さを再発見したり、あるいはアメリカ(人)の懐の広さに気付いたりいたしまして、色々と勉強になることがございます。

 ハワイ
 阿部 哲也 拝

投稿: 阿部 哲也 | 2008年3月12日 10:29

谷口雅宣先生

奈良教区の山中優です。大変ご無沙汰しております。

大阪教区の講習会に、私も妻と娘を連れて、開会から閉会まで、終日参加させていただき、日時計主義のご講話にしみじみと感動いたしました。本当にありがとうございました。

講習会終了後、大阪城公園の梅林を見に行きました。大阪城公園のリーフレットによると、何と1250本もの梅の木が植えられているのだそうです!本当に美しかったです。あの枝振りも梅独特で、味わい深いものがありました。人出も多く、やっぱり人間は美しい花を愛しているのだと分かりました。

ここのところ仕事が益々多くなっているのですが、日時計主義で、自然の美しさを味わう心の余裕は持ち続けたいと思います。

投稿: 山中優 | 2008年3月12日 23:41

金子さんへ
質問に対する返答は10人10色有ると思いますが私の考えは以下の通りです、
1「幾ら努力しても報われない事はその人の使命ではないのではないか?」についてですが報われないからといって使命ではないと言う事は無いと思います(例えばマザーテレサ、イエス、多数のユダヤ人を救った杉原知畝と言う人、又多岐にわたるボランティヤ活動の人々等々を見ても言える)、
2、「芸術家になりたかったがOLで大成功した、使命はビジネスをする事なのではないですか?」当人が何を以って"大成功"と言うか?によって違いますが(例えば金を沢山稼ぎ、地位や名声を得た人を成功と捉えるか?一隅を照らす人々を成功者と捉えるか?)使命と言う言葉はこういういわゆる競争社会での"勝ち組"の様な場合には余り使わないのではないか?と考えますがどうなのでしょうか?
3、「私の天性によるところの出来るだけ多くの人の役にたてる使命をお導き下さいと言うお祈りを母から教えてもらった、使命って決まっているのかな?」使命が決まっていようが決まってなかろうが"出来るだけ多くの人の役にたてる"と言う軸が決まっているのでしたら日々の行動の中で遭遇する場面場面てその軸を指針に判断決定前進されてはどうでしょうか!釈尊は「過去を見てはならない、未来を願ってもならない、過去は過ぎ去ったものであり、未来は未だ来たっていない、現在の状況をそれぞれ良く観察して、今なすべき事を努力してなせ!誰が明日に死のある事を知ろう」と言っています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年3月13日 00:54

山中さん、

 講習会への参加、ありがとうございます。
 「忙中閑あり」で、充実した毎日ですね。奥様、娘さんによろしく。

投稿: 谷口 | 2008年3月13日 16:45

尾窪様

大変ご丁寧にありがとうございます。
せっかくなので、誤解を与えてしまったのを訂正したいのと、私の考えに対する尾窪様の考えを聞かせてもらえないでしょうか。
私が「成功」と定義しているのは、お金や地位を得るといった「勝ち組なること」ではなく、「社会と人のために確実になっている」ということです。同じ労力を使って、すごく世の中のためになるか、あまり喜ばれないか、の差ってでてきますよね?でしたら、自分は、確実に世界と日本を良くしていくことに、労力を使いたいと思うのです。例に出されたマザーテレサやイエスは、自分がしてきたことが確実に誰かのためになり、社会をよくしていく方向に導きました。これは彼らが自分の「使命」を全うしたから「成功」したんだと思います。だから、「自分がある分野に関わることで、社会と人のためになること」=「使命」=「成功」じゃないかと考えたんです。ある人は、歌で人に喜びと幸せを与える。ある人はビジネスを通して新しい価値を生み出し人に喜びを与える。というように、「フィールド」「分野」が人ぞれぞれ違いますよね。その「フィールド」「分野」はどこなのかな、つまり使命は何なのかな、ってことなんです。だから、私は使命を把握することにこだわったんです。限りある人生、どうせだったら、はじめから自分が最も力を発揮できる分野で、頑張って、日本と世界を幸せにするようなことをしたいからです。だから、使命は何かを知りたいと思ったんです。しつこくなってしまってごめんなさい。尾窪さんのお考えおきかせいただけたら嬉しいです。

ただ、今は、自分の「使命」がわからないので、雅宣先生からいただいたアドバイスで、目の前にあることを全力投球してがんばろうと思ってます。

もう一つ疑問なのは、そもそも「使命」が決まってないのだとしたら、生長の家で「使命」「使命」といっているのは一体何?と思ってしまいます。

投稿: 金子 | 2008年3月13日 19:54

金子さんへ
私の返答は全て私個人の独断と偏見でのものであると思って聞いて下さい、「目の前にある事を全力投球して頑張ろう」と思われているのですからそれで良いと思います「それぞれの状況を良く観察して今なすべき事を努力してなせ」ですね、金子さんの使命にこだわると言う事ですが「日本と世界の役に立ち社会問題の解決の一端に携わりたい」と思われているのですからそれが使命でしょう、悩みは使命と言うよりも何処に就職したら自分の力が発揮出来るか?と言う事ではないのですか?マスコミ、商社、メーカー、銀行と希望を挙げておられますからかなり華やかですよね、金子さんが何が得意で何に向いているか見当が付きませんのでどのフィールドが良いとか全く不明ですが何処に就職するに致ましても社会と人の為世の中の為にならない企業は永続しませんし存在を許されませんからその心配は無いと思います、要はその中で金子さん自身が会社や社員お得意様から喜ばれるか余り喜ばれないか!と言う問題だと考えます、それが先だと思います、「近きより遠きに及ぼさなければならない」と言う事葉がありますがいきなり世界平和をと言うよりは身近な所(脚下、家族)から近隣の人々、地域社会への平和、県、日本、アジヤ、世界への平和と地道に前進されてはどうでしょうか?イエスは「平和を実現する人々は幸いである、その人達は神の子と呼ばれるであろう」と言っています、マザーテレサやイエス、杉原知畝、ボランティヤ活動の人々は何の報いなど求めてはいないし自己の為に成功しようとは全く思っていなかったと推測します、自分の仕事を放棄してあるいは犠牲にして(本人は犠牲と思っていないでしょうが)取り組んでいます、ですから焦らず、無理せず、背伸びせず、軸を常に忘れないでチャレンジして行けば新しい世界が見えて来るのではないかと思います、何も実践しない前からああでもない、こうでもないと言っていても何も生まれない、実践あるのみです、前には道がありません、後ろに道が出来るのではないでしょうか?いざ!生きめやも!です。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年3月14日 01:43

尾窪様

お返事ありがとうございます。
日にちがあいてしまい、お礼がおそくなり申し訳ございません。
尾窪様の考えを伺うことができよかったです。真摯に答えてくださりありがとうございます。
結局、今を精一杯生きることなのかなと思いました。
神様と波長を合わせて、楽しく前向きに、頑張っていきたいと思います。
雅宣先生、この場でのやり取りを許可してくださりありがとうございました。

投稿: 金子 | 2008年3月22日 00:17

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