« 新しいタイプの誌友会 | トップページ | 新しいタイプの誌友会 (2) »

2008年3月 1日

“立教の精神”を今生きるために

 3月が訪れ、暦の上では春になった。この春の初日は生長の家の「立教記念日」である。今日は午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「立教79年生長の家春季記念日祝賀式」が挙行され、会場いっぱいの参加者とともに、晴天のもと、このおめでたい日を祝う時がもてたことは誠にありがたかった。以下は、この式典で私が行ったスピーチの概要である:
--------------------------------------------------

 皆さん、本日は79回目の立教記念日、誠におめでとうございます。

 今年は閏年で、2月が29日までありましたから、今日3月1日の立教記念日が1日遅れたような印象をもちます。しかし、これは「遅れた」のではなく、「余裕を与えられた」のだと思います。漢字学の権威である白川静(しずか)さんによると、「閏」という漢字には「大きい」「余る」という意味があるといいます。サンズイに閏と書く「潤」の文字がありますが、これは「潤う」とか「潤沢」という語があるように、豊かで余裕があるという意味であります。それで生長の家では、昨日の29日とその前の28日を使って、平成20年度(2008年度)の運動をどう進めるかを描いた運動方針について、全国の幹部の方々が集まっていろいろ意見を交換する機会をもちました。この会の正式名称は「生長の家代表者会議」というのです。例年より24時間長い、この“潤いの時間”を大いに有意義に使ったのであります。皆さんはそれぞれどのように使われたでしょうか? もし、皆さんの中に「知らない間にもう3月1日になっていた」と感じる方がいらっしゃたら、今からでも遅くないですから、これから年末までにやって来る300日のどれか1日を“潤いの日”と決めて、その日をぜひ豊かで、実りのある1日にしていただきたいと思います。
 
 私は今「豊かで実りのある1日」を作ろうと言いましたが、1日だけではなく、1年365日を豊かで、実りのあるものにしようというのが、実は生長の家の運動の目的なのであります。私は、いつもこの立教記念日には、『生長の家』誌の創刊号から引用して皆様にお話をすることにしているのですが、この記念すべき雑誌の最初の文章に「『生長の家』出現の精神とその目的」というのがあります。その中に、今日「七つの光明宣言」の名で知られている7項目の宣言文の原型が書かれています。当初、これは7項目ではなく、10項目あったのですが、その最初の項目には、次のように書いてあります--
 
 1.『生長の家』本部は心の法則を研究しその法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際運動を行うことを目的とす。
 
 これは、実に壮大な目的だと思います。私たちは単に、学術的に心の法則を研究するのではなく、その研究成果を「実際生活に応用」するということが書かれています。さらにそれを使って「人生の幸福を支配する」--つまり、人間の生存や生活全体に幸福をもたらす、と書いてあります。また、そのためには寺院や研究室に閉じこもっているのではなく、多くの人々を仲間に入れて「実際運動を行う」のです。そういうことが、生長の家の出現の目的であると、創刊号の10項目の“いの一番”に掲げてあったのです。
 
 私たちは、この創刊号に掲げられた、生長の家出現の精神とその目的の第1項を目指して、現在も運動を推進しています。皆さんにはぜひ、このことを忘れないでいただきたい。私たちは今、谷口雅春先生が約80年前に始められた運動とは別の、何か新しい運動を行っているのではありません。この創刊号にある「精神とその目的」の第1項にあるように、心の法則を研究し、その成果を人類の幸福増進のために、実際運動の中で広めていくのが生長の家の目的です。今の運動方針は「“自然と共に伸びる運動”実現のための第1次5カ年計画」と銘打ってあります。なぜここに「自然と共に伸びる」という枕詞がついているのでしょうか? それはもうご存じのように、人類は経済発展だけでは幸福にならないことが証明されつつあるからです。経済発展のために自然を破壊し、大量の二酸化炭素を大気中に放出し、資源を枯渇させてきたのが20世紀までの人類の生き方でした。この生き方を21世紀にも続けることは、予測不能の気候変動を引き起こし、災害による犠牲者や、環境難民を生み出し、資源の奪い合いと、政情不安、政治対立を招くことは、もう明らかです。今、心ある人々、科学者、国際機関がそのことを警告しています。
  
 私たちは、今起こっている地球規模の気候変動と資源の囲い込み、食糧や原材料の高騰、世界各地での政情不安から、何を学ぶべきでしょうか? 私は、それは次の2つであると思います--
 
 ① 自然の豊かさを回復させることなしに、人類のこれ以上の伸展はあり得ない。
 ② 人間は物質的手段のみによっては、決して幸福にならない。
 
 私はここで、「物質的手段は不要だ」と言っているのではありません。人間は肉体をもっていますから、衣・食・住の最低限の要求は満たされねばなりません。が、そこから先は、「心が何に喜びを感じるか」という、もっと高度の問題になります。人間の欲望に限りはありませんから、物質的手段を拡大することが幸福だと考えているかぎり、地球資源の枯渇は目に見えています。今、世界最大の人口を抱える中国と、2番目のインドなどが、急速な経済発展を遂げつつあり、このことが資源の不足と温暖化ガスの増加を招いていることは、皆さんご存じのとおりです。こういう人々が皆、アメリカ人のような生活を実現できるほど、地球環境は頑丈でなく、また地球資源は無限ではありません。

 この21世紀初頭の現代にあって、「心の法則を実際生活に応用して、人生を幸福にする」という運動の目的を達成するためには、何をすべきでしょうか? それは、人々がより多くの物質的手段を獲得する--例えば、より広い住宅に住み、より大きい自動車に乗り、より高価な衣服に身をまとい、より高価な食品を食べる--ことでは、もはやありません。そうではなく、それは人々が破壊してきた自然をより多く回復し、自然と人間との一体感を深め、より少ない物質的手段で人々が幸福感を抱くような生き方を開発し、その生き方をより多くの人類に広めることです。これをするためには、「人間は本来神の子であり、すでに救われているから幸福である」という真理ほど強力なメッセージはありません。「人間は自然から奪うことで幸福になるのではなく、自然との一体感を得、さらにそれを深めることで幸福になる」というメッセージを広めることが大切です。

 来年度の運動方針には「日時計主義」という言葉がたくさん出てきます。ここに集まっている皆さんには、この言葉はすでにお馴染みのことと思います。この3月1日の立教記念日に、私は何回もそれについて語ってきました。なぜなら、この言葉は『生長の家』誌の創刊号で初めて使われた言葉だからです。また、最近の講習会では必ず、この言葉の意味について解説しています。私がこの言葉と、この生き方を強調する理由は、これこそ「より少ない物質的手段で人々が幸福感を抱く生き方」だからです。地球温暖化を抑制し、自然と人間との一体感を深め、資源の奪い合いをなくす生き方が、日時計主義です。この生き方を具体的に実践していくために『日時計日記』が出版されていることは、多くの皆さんはごぞんじです。また、新しい年度の運動方針には、日時計主義の具体的実践の1つとして、新しいタイプの誌友会を開催していくことが掲げられています。方針書の表現を使えば、「開催者の技能や芸術的感覚を生かし、真理を生活に活かす具体的な実践を盛り込んだ誌友会」というものですが、今年は、この2つの実践を通して、日時計主義の生活と運動を大いに拡大していっていただきたい。
 
 最後に、拙著の『日時計主義とは何か?』(生長の家刊)の中から、聖書にある「狭い戸口」の譬え話について書いた一節を紹介いたします。ここで聖書の話を紹介する理由は、日時計主義というものが生長の家だけの何か特殊なものの考え方ではないということを知っていただきたいからです。2千年も前のユダヤの地でも、これと共通する教えが説かれていたのです。
 
 (同書、pp.82-87の内容をかい摘んで紹介する)
 
 このようにありますが、「神の恵みを常に感じて感謝する」というのは日時計主義の生活そのものです。「不足を認めて不満を感じる」生活からは奪い合いが生まれます。「心に光明を見る」生き方から、豊かで、実りのある幸福生活が始まるのです。それを練習する道具として『日時計日記』をつけ、新しいタイプの誌友会を開いて、運動を盛り立てていってください。そうすることで、生長の家の出現の精神が体現され、運動の目的達成へと近づきます。また、そのことが同時に、今日の地球社会最大の問題である温暖化や気候変動を最小限に食い止める最良の方法であることを理解していただき、今後の運動を大いに明るく、楽しく展開していっていただきたいと思います。
 
 おめでたい今日の記念日に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。

 谷口 雅宣 

|

« 新しいタイプの誌友会 | トップページ | 新しいタイプの誌友会 (2) »

コメント

「心が何に喜びを感じるか?」と言う高度な問題/
人類全体個々人と言う視点で捉えて見れば途方も無く正に難問です、「衣食たって礼節を知る」と言う言葉がありますが衣食住足っても現在の世情を見ればこれは当たっていない様に思います、釈尊は「数多い人の内、彼岸に達するは真に数少なし、あまたの人はただこの岸の上に右に左に彷徨うなり」とか「悟りを得るのが第一の楽しみ」とか既に2600年前に説法しておられますから「不足を感じて不満を感じる生活」から「足るを知る」「神仏の恵みを常に感じて感謝する」生活そのものへの転換は人類永遠のテーマとして生き続ける様な気が致します、生長の家としてお手を上げて黙視出来ないでしょうから、真理のメッセージ発信は忍耐強く永遠に続けて行かなければならないものになると思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年3月 2日 18:50

>「人間は本来神の子であり、すでに救われているから幸福である」という真理ほど強力なメッセージはありません。「人間は自然から奪うことで幸福になるのではなく、自然との一体感を得、さらにそれを深めることで幸福になる」というメッセージを広めることが大切です。


雅宣先生、ありがとうございます。合掌。

投稿: POP | 2008年3月 3日 10:17

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 新しいタイプの誌友会 | トップページ | 新しいタイプの誌友会 (2) »