« ザゼンソウを眺める | トップページ | 親虫の使命 »

2008年3月10日

季語も変わっていく

 昨日の本欄でザゼンソウの句を詠んだが、実はこの花は「晩春」の季語だ。それを初春に詠む句の中に入れるのは、邪道かもしれない。しかし、現実に目の前にその花があり、それに心を動かされた場合、その花を詠まずに別のものを探すというのも、何となく変だ。大阪城ホールの控室にあったザゼンソウは、きっと温室育ちだ。それと一緒に菜の花も飾られていたが、こちらも温室栽培かもしれない。でも、飾ってくださった人は、きっと「春の雰囲気をどうぞ……」というもてなしの心遣いをされたのだ。晩春の花のもてなしに晩春の句で応えることは、許されていいと思う。

 8日の本欄で触れた単行本の新刊には、私の句集が含まれている。この中にも、季語のルールに従わないものが1つある。5月下旬に、田植機と雪の山を一緒に詠んだのだ。2005年5月21日の本欄にある句を一部直したものだが、第一に「田植機」というのが伝統的な季語ではない。俳人の佐川広治氏によると、「昭和50年代に田植機が発明されて以来、千数百年続いてきた日本の稲作作業が大きく変化した」という。その結果、現在の田植えは5月初めのGWごろまでに機械で一気に終えてしまうから、「早乙女」「早苗」「早苗饗」などの伝統的な季語は使えなくなってしまう。が、私はその時、「死に行く季語を必死に守るよりは、今の人々の生き方に合わせた季語を新たに創出するという選択肢があるはずだ」と書いたのだった。
 
 春衣(はるごろも)という言葉は「仲春」の季語で、冬季の地味の色の重い外套を脱ぎM_lionsheep 、明るい色の華やいだ色や柄もの服に替えたものを言う。一昨日昨日と、東京は日中15℃ほどになったから、春もいよいよ到来という感じだが、まだ時々寒い日が訪れる。それが普通の3月である。イギリスの気候も日本と似ているらしく、彼の地には「3月はライオンで始まりヒツジに終る」(March comes in like a lion and goes out like a lamb.)という諺がある。これは、本欄の前身である「今日の雑感」に2001年3月2日付で書いた通りだ。(『小閑雑感 Part 1』に収録)その際、文章に添付した絵をここに掲げておく。こんなイメージで3月が通り過ぎると思うと、何となく愉快な気分にならないだろうか?
 
 そこで「春衣」のことだが、最近は若い女性がすごく地味な色や服装をするのが流行りのようで、そうなってくるとこの季語も使いにくくなってしまう。今日、私は仕事からの帰り途に原宿の竹下通りを通ったとき、まだ高校生ぐらいの少女2人がそんな恰好をしていたので、「ほぉー」と思いながら去りゆく姿を眺めたのである。
 
 春衣骸骨模様で少女行く
 
 谷口 雅宣

|

« ザゼンソウを眺める | トップページ | 親虫の使命 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ザゼンソウを眺める | トップページ | 親虫の使命 »