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2008年2月 9日

自然と人間

 生長の家の“森の中のオフィス”構想との関連で、東京近郊の土地を見に行った。本部機能をどこへ移転するかはもう少し先の決定になるが、首都圏近郊の土地が実際にどの程度のものかを、一度自分の目で見、足で歩いて確かめてみることは意味がある。

 生長の家は現在、“炭素ゼロ”運動を推進中であることは、本欄でもすでに何回か報告した。しかし、各都道府県にある教化部や道場等の教団施設と本部との間の人の往き来をやめることはできないし、全国で行われている生長の家講習会などの主要な宗教行事を廃止することもできない。ということは、今後とも交通機関の利用は運動遂行のために不可欠である。だから、移転先の選定には、どうしても「交通の便」を重視することになる。が、交通の便を最優先して選定しようとすれば、都心にある現在の本部事務所から動く理由はなくなってしまう。そこで、「自然環境がある程度残りながらも交通の便がさほど悪くない土地」というような、何となくウヤムヤな選定基準が意味をもってくるのである。
 
 実際に土地探しを始めると、しかし、このような基準に合致する物件はそう多くないことが分かる。もっと正確に言うと、首都圏には上記の条件に合う土地は数多くあっても、我々が希望する広さのものは、それほど多く売りに出ていないのだ。今日訪れた土地は、東京駅から約2時間の標高800メートルの高地と、そこから東京寄りに数10キロもどった国道沿いの里山様の土地だった。詳しい場所や評価を書くのは避けるが、いずれも“理想的”というわけにはいかなかった。おかげで、2月上旬の寒空の下、雪もパラつく中で、ゴム長靴の足を踏みしめながら、自然と人間との関係を改めて考えさせられた。

 いずれの土地でも、人間は山を大きく削り取って、住居や公共施設、レジャー施設を造っていた。当たり前のことである。そうしなければ、いわゆる“文化的生活”を営むことができないからだ。“文化的生活”とは、電気、ガス、上下水道、通信、交通・運搬手段が供給されることで、都会の生活を一部にしろ持ち込むこととほぼ同義だ。つまり、便利で快適な生活のことだろう。それを望むことと、自然環境を維持していくこととは基本的には両立しない。ということは、自然環境をある程度維持しようとすれば、“不便さ”と“不快さ”をある程度容認しなければならない。これも、当たり前といえば当たり前の話だ。
 
 しかし、上の論の立て方の中には、含まれていない重要な要素がある。その1つは、「自然が与える価値」だ。「自然そのものの価値」と言ってもいいだろう。これがあるから、人間は不便でも、不快でも、時々は自然との触れ合いを求めて、都会から山や川や海へ移動するのである。ところが問題は、この「自然は不便・不快だが価値がある」という事実が忘れられがちなことだ。別の言い方をすれば、多くの人々は都会生活に親しんでいるうちに、「自然の価値は功利的価値ではない」ということを忘れてしまうのである。そして、自然を「便利に」「快適に」--つまり功利的に--楽しもうとして、あるいは自然を功利的な手段にしようとして結局、自然破壊を招来する。だから、我々が「功利的でない自然の価値」をしっかりと認めることが今後、重要になってくるだろう。
 
 そんなことを考えながら、私は雪降る山中から、人混みで沸く東京駅にもどってきたのだった。
 
谷口 雅宣

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コメント

雅宣先生へ

 環境問題に取り組み初めて、都会の生活の方が便利でかっこいいという考えが少なくなり田舎の実家の素晴らしさを再認識しています。
 しかし、田舎の自然の素晴らしさを思い、都会を否定するような心も出てきていました。
 東京は高層マンションに囲まれ、星も見えませんが、人間の作った建物や道路などは、芸術的で美しいものがあるのではないか、と最近は思いはじめました。
古い物を大切にしながらも、新しいものも大切にしていきたいと思います。

投稿: 多久 真里子 | 2008年2月10日 09:04

自然の素晴らしさは年を重ねるに比例して増大している様に感じられます、暗黒の中にポッカリと浮かぶ不安定の中で安定した白とブルーと緑の美しい星、地球!神仏の代理者としての人間は永遠に破壊する事無く、上手に利用、享受させて貰いたいものです。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年2月10日 17:01

“森の中のオフィス”構想、とても楽しみです。自然と共生した新しい本部の姿は、ちょっと未来を先取りした地球に誇れるすばらしいものになると思います。だけど東京に住んでいる人間としては、原宿から本部がなくなっちゃうのはなんか寂しいような気持ちもありますね。行くのにも遠くなって、本部での行事に行けなくなるんじゃないか心配です。

投稿: 室井 倫行 | 2008年2月10日 18:24

副総裁先生

ありがとうございます
初めて伺いました。
原宿を引っ越すのでしょうか?
何か淋しい気がしますね。
大自然いっぱいは大本山だけでもいいような気がするのですが・・・・・

投稿: 佐藤克男 | 2008年2月10日 21:09

室井さん、

>>だけど東京に住んでいる人間としては、原宿から本部がなくなっちゃうのはなんか寂しいような気持ちもありますね。行くのにも遠くなって、本部での行事に行けなくなるんじゃないか心配です。<<

 本部での行事の数も昔より減りましたが、今後は教化部へ行くことにしてください。(笑) もっとも、映像等の提供は、以前より増えることになると思います。また、行事の種類も少し変ることになるかもしれませんね。

佐藤さん、

>>大自然いっぱいは大本山だけでもいいような気がするのですが・・・<<

 総本山と“森の中のオフィス”は似たような施設にはならないと思います。前者は「お宮」であり「練成道場」ですが、後者は「事務所」ですから。あなたも北海道へ帰られるのではありませんか?

投稿: 谷口 | 2008年2月11日 17:09

>そこで、「自然環境がある程度残りながらも交>通の便がさほど悪くない土地」というような、>何となくウヤムヤな選定基準

>電気、ガス、上下水道、通信、交通・運搬手段>が供給されることで、都会の生活を一部にしろ>持ち込むこととほぼ同義だ。つまり、便利で快>適な生活のことだろう。それを望むことと、自然環境を維持していくこととは基本的には両立しない

  新しい本部構想で「不便」な点は、「交通手段」が「少し不便」になるだけということでしょうか?
 いわゆる「自然と共に生きています」という教団の宣伝の為だけの上っ面の生長の家本部にはならない事を切に願います。
 「自然との共存の為ならどんな不便・不快をも厭わない」という先生の強い御意志に期待します!

 

投稿: POP | 2008年2月12日 12:13

POPさん、

>>「自然との共存の為ならどんな不便・不快をも厭わない」という先生の強い御意志に期待します!<<

 あなたはどのような環境で生活されているのでしょうか? ガス、水道、電気、通信、行政サービス等が行き届かない場所で、国際運動を進めていくことは不可能だと思います。それとも、ニューギニアの奥地に本部を移転すべしとのお考えですか?

投稿: 谷口 | 2008年2月12日 13:04

それでは何の為に移転するのですか?
組織と先生の御意思がつかめなく申し訳ありません。
失礼致しました。

投稿: POP | 2008年2月12日 13:44

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