自然と人間 (3)
2月9日と13日に引き続き、“森の中のオフィス”との関連で東京近郊の土地を見に行った。1回目は「山の中」で2回目は「海の見える高台」だったが、今回は「新興住宅地にある里山」という雰囲気の場所だった。普通、首都圏の新興住宅地に“里山”はあまり残っていない。が、ここは昔からの住人が土地を手放さずにいて、“開発の波”に懸命に抵抗している--そんな印象を受けた。交通の便という点では3カ所のうち最も有利だが、その代わり土地の値段は恐らく最高だろう。
前回の視察について触れたとき、私はこんな公案をもらったと書いた--「人間は自然に近づきすぎると、社会から離れることになるのか。自然と人間は相容れないのか?」 人間社会と自然との距離を考えると、今回の土地は「人間社会がこれ以上近づけば破壊される」というギリギリの所にあると思った。いや、もっと正確に言えば、そこではすでに人間社会による自然破壊が進んでいるが、それを自覚した人間が自然の維持に努力している場所である。市民農園が点在し、下草刈りがしてある林にはシイタケのホダ木が並んでいる。だから、周辺の住民がこの地を愛していることは分かる。が、人間による開発が行われるは、時間の問題のような気がする。それだけ、付近には住宅が迫っているのである。
この地にもし“森の中のオフィス”ができるとしたら、その目的の中には、20日の本欄で書いたことが含まれるような気がする。それは、「都会の中に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げていくこと」である。この地はもちろん、東京の赤坂や原宿のようないわゆる“都心”ではない。しかし、そこでは都会とほとんど変わらない生活が営まれている--建売り住宅、高層マンション、駅前スーパー、コンビニ店、ファーストフード店、ファミリー・レストラン、そして自動車専用道路も近い。こんな場所に“森”が残っていること自体が驚きだが、逆に言えば、こんな地に森を残すことによるメッセージ効果は小さくないだろう。人々の欲望に奉仕するのではなく、自然の力の展開に奉仕し、同時に、国際運動の本拠地としての役割を果たしていく--それができれば、地球温暖化時代の人間の生き方に、何がしかの示唆を与えることができるのではないか。
ここまで書いてきたことは、楽観的観測だ。悲観的観測をやれば、こうなる--「都会の中に“本来の自然”の活動を盛り上げる空間を拡げる」と書いたが、これは例えば、明治神宮や新宿御苑のことでもある。しかし、そういう空間があるからと言って、都市化や自動車社会や“欲望の街”の進行が妨げられたという証拠は明らかでない。都会の環境では、むしろそういう“緑地”があるところへ人々は引き寄せられるから、周辺にはマンションが建ち、レストランが開店し、大型店が集まるかもしれない。それは例えば、大手スーパーが都市の郊外に巨大なショッピングセンターを開発して、同時に緑地を設けるのとどこが違うのか? 宗教施設だから、ショッピングセンターのような「集客」は目的ではないとしても、人々が集まれば地価は上がり、家賃も駐車場代も物価も上がる。それは結局のところ、温暖化抑制にはならず、温暖化の促進ではないか?
もう1つの問題点は、交通の便がいい場所に“森の中のオフィス”を造っても、本部職員の日常生活は何も変わらないということだ。昼間は“森”で働き、夜は都会のアパートや寮に帰る。休日も都会の中で過ごし、移動も相変わらず自動車で行う。食事もこれまで同様に、カーボン・フットプリントが顕著な輸入食品、冷凍食品を使い、あるいはファミレスやコンビニの世話になる。これでは昼間の一時期に“都会の中の森”にいるだけで、周囲の社会--欲望の街--に及ぼす影響はほとんどない。単に維持費の高い「自然」という名の施設を余分に使うだけだから、「聖使命会費のムダ使いだ」との批判が出ないとは断言できない。
まぁ、いろいろなことが考えられる。今後は、とにかくこの3つの候補地を足掛かりにし、それぞれで何をどう調整すれば、“森の中のオフィス”の本来の目的が最も効果的に達成されるかを検討する段階に入る。
谷口 雅宣
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コメント
副総裁は1「宗教施設だからといって人々が集まれば地価は上がり、、、、」とか2「交通の便がいい場所だと本部職員の日常生活は何も変わらない」3「周囲の社会(欲望の街)に及ぼす影響は殆ど無い」4「維持費の高い自然と言う施設に余分に使うだけ、無駄使いだ!との批判」を思案しておられる様ですが余り拘られなくても良いのではないか?と思います、1は霊的緑地を求める人間活動の自然な流れですし、2は出家ではないのですから直ちに変えるのではなく変えていく姿勢を日々の生活の中で顕現して行く!で良い様に思います、3は周囲の人々は生長の家の行動を見て直ちに「欲望の街ではいけない!」なんて短期的には思わないだろうと思います、4は高価なものは高いのです、何をするにしましても批判0はありませんから安物買いの銭失いにならない行動を可能であるのならば信念を貫くべきだと思います、要は「人類光明化運動、国際平和信仰運動」と言う大使命を遂行して行く中で働く人達も日々気持ちよく働く環境(森の中のオフィス)が良い仕事をする為にも必要であると考え、構想実現の暁には温暖化対策推進を今まで以上に実践して行かれれば良いのではないか?と考えます。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年2月27日 16:52
尾窪さん、
貴重なご助言、ありがとうございます。
(私は、色々な考え方を併行して提示することで、偏面的な思考にとらわれない、自由な発想を生み出そうとして“楽観的観測”と“悲観的観測”を書いてみました。そのいずれを私が採用するかは未定のままに、です)
投稿: 谷口 | 2008年2月27日 17:38
都会の生活は欲望に負けないように生きていく修行としてはなかなか良い場所ではないかと思います。(笑)それから、田舎の素晴らしさを認識させてくれる場所でもあると思います。都会は自然から遮断された場所なので、今まで当たり前だった田舎の自然が如何に素晴らしい物であったかを実感させてくれます。
田舎は自然の力をいつも感じて生きることができる場所。弱肉強食、輪廻転生など、凄くリアルに感じることが出来ます。
最近、中国の食の問題がニュースであっていますが、日本の農家の素晴らしさを再認識しました。私の家はほとんどの農作物を父が趣味で作っています。(ブルーベリー・シイタケも☆)なので食物を大切にする人に育った!!!・・・っと思っていたのですが、最近そうでもないことに気づきました。レタスなどたくさん畑にあるので、一番よい部分だけを食べていました。残りは土にかえるか、鶏のエサになります。(人間と鶏の戦いになることもしばしば・・。)なので、友人がキャベツやレタスや大根の堅い部分も食べていることに驚きました。畑がない人たちは、農作物を全部食べる知恵があるんだなぁと感じました。
先生のご文章はいつも問いがあり、私はいつも考えていますが、答えがでないことがよくあります。
今日、NHKの「迷宮美術館」を見ていたら『物質的なものは答えがあるが、芸術は永遠に答えのでない問いであり、それを追い求めることが芸術家の使命だ』と言うようなことを言われていました。先生の問いは芸術的だと思います。
投稿: 多久 真里子 | 2008年2月29日 21:59