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2008年1月29日

文科省、iPS細胞で素早い対応

 私は1月12日13日15日の本欄で、昨年末に日米ほぼ同時に大きな成果が発表された万能細胞(iPS細胞)の研究について考え、これを使った再生医療の延長線上に“深い問題”があることを指摘した。それは、「受精」という過程を経ずに人間が生まれる可能性が出現したということだった。宗教的側面から言えば、これは、神の関与がなく、人間の意思のみによって人間が作られるという事態が生じることである。神と人間は断絶していると考える宗教の教義から見れば、神のみが人間を創造するのだから、これは教義の破綻でなければ、大幅な見直しを迫られる大事件である。にもかかわらず、ローマ法王庁は、この万能細胞の研究成果を歓迎したのだった。また、この研究によって開かれた道は、男性から卵子、女性から精子を得ることにより、同性愛者間で遺伝上の子を設けることである。このように大きな可能性を秘めた強力な技術を、今後人類がどのように制御しながら使っていくかが、私の感じる“深い問題”である。
 
 これについて、文部科学省は卵子や精子などの生殖細胞を万能細胞から作ることを当面禁止する方針を固めたらしい。生殖補助医療をめぐる倫理指針策定では、「対応が遅い」と不評をかってきた文科省としては、異例に速い態度表明である。29日の『朝日新聞』が伝えている。それによると、文科省は2月1日に開かれる科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会に提出する案として、iPS細胞の研究の規制とES(胚性幹)細胞のそれとを対応一致させることが当面は必要との方針を固めたという。これは、iPS細胞の最大の特徴が「ES細胞と同等の能力をもつ」という点にあるからだろう。現在、ES細胞の研究では、そこから①精子や卵子をつくる、②つくった精子や卵子を受精させる、③受精卵を子宮など胎内に移植する、という3段階がすべて禁止されている。iPS細胞についても、同様の規制をするという考え方だ。
 
 しかし、今回の決定では、「当面禁止」という点が気になる。これは「時期が来たら解禁」という意味にも読めるからだ。ES細胞の研究については現在、不妊治療との関係で①と②までは認めるべきとの議論もある。今回の方針の決め方では、ES細胞の側で①と②が認められれば、iPS細胞の研究でも、ほぼ自動的に①と②が許されることになる。私は、世代間倫理を尊重する立場から、iPS細胞の研究では、生殖細胞の作成を禁じること--つまり、①~③のすべてを規制するのがいいと考える。

 iPS細胞の最大の長所は、「自らの細胞を自らの肉体から再生する」という点だ。これは我々の肉体においてごく普通に行われていることで、“自然の過程”と言ってもいいほどだ。白血球や赤血球は造血幹細胞から再生され、皮膚は表皮の下層にある幹細胞から再生され、髪の毛などの体毛も毛根の根本にある幹細胞から再生される。“自然の過程”だから免疫系による拒絶反応もないのである。iPS細胞は、これらの幹細胞のさらに元の細胞の段階へまで、自己の細胞を“後もどり”させたものだ。だから、本質的に自己の肉体の“内側”にとどまる生命現象である。これに対し、生殖活動は、(単為生殖を除き)自己が他を生むための働きで、“外側”へ向かった生命現象である。換言すれば、「他へ影響を与える行為」である。自らの行為が他に影響を及ぼす場合、他の同意を得ることが倫理的である。そうでなく、他の意思を無視した行為--例えば、いきなり抱きついたり、タバコの煙を吹きかけたり、クラクションを鳴らすこと等--は倫理的とは言えない。
 
 このように考えれば、生殖細胞をつくることは、それ自体が次世代へ影響を与えることである。だから、できるだけ“自然な”状態がいいと思う。精子をつくれない男性がiPS細胞によって精子を得ることは、許されていいと思う。しかし、その男性が卵子を得て自ら懐妊したり、あるいは代理母に懐妊させることや、その逆に、女性が自らのiPS細胞から精子を得て、他の女性を懐妊させたりすることは、その結果生まれてくる子にとって普通でない、不自然な状況を強制することになる。同意なくしてこれを行うことは倫理的でない。子が生まれる前に、その子から同意を得ることは不可能だから、そういう行為はしないと決めればいい、と私は考える。
 
 谷口 雅宣

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コメント

確かにこの問題は"深い問題"を抱えてはいますが、はたして「神の関与がなく、人間の意思のみによって人間が作られる」と言う事が有り得るのでしょうか?私はそれは無い!人間がどんなに進歩したとしても常に神仏の御手の中だと考えます、一見、神への挑戦(バベルの塔)の様ですが人間はそこまで傲慢になってはいないと思います、人間は選択の自由(諸刃の剣)を頂き、人類の叡智が試されているのではないでしょうか?悪因悪果、善因善果、紆余曲折しながら調和と生長と繁栄と進歩が約束されているものと確信しています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年1月30日 12:26

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