きれいな壁
年が新しくなり、新聞や雑誌で人々が新年の抱負を語るのを読むと、日本社会は悪化が続き、凶悪犯罪は増加し、昨年は“大手”や“一流”や“老舗”と目されてきた企業や団体の偽装、偽表示、改竄などが一気に噴き出して、今や最悪の状態……などという分析と批判が多く見られるので、首をかしげてしまう。その理由は、①犯罪統計の認識が間違っているのと、②これらの悪現象の原因の一端は我々自身にあることを忘れているようであるのと、③悪を指摘しても善に変わらないからだ。これらについては昨年の本欄でもいろいろ書いてきたが、年の初めに“認識の曇り”を吹き払うために、ここで再び確認してみよう。
日本の犯罪認知件数が2002年以降、5年連続して減っていることは、昨年12月14日の本欄に書いた通りだ。凶悪犯罪も減っており、詐欺犯も減っている。しかし、そういう全体の傾向を見ずに(あるいは知らずに)、新聞やニュース報道で伝えられる“悪事”ばかりに注目して、「アイツも悪い、コイツも悪い」などと腹を立てていると、自分の心いっぱいに“悪の印象”を拡げることになる。それはまるで、きれいに塗り上げた白い壁の1箇所に黒い穴が開いているのを見つけて、その穴に近づき、虫眼鏡で穴の黒い部分を拡大して見つめ、「壁は黒い、壁は黒い」と怒っているようなものだ。もちろん、その部分の壁は「黒い」と認めよう。しかし、その他の99%がきれいに塗られていたら「壁はきれいに塗れている」と言うのが正しいのだ。
そこで、次の統計を紹介する。昨年12月27日の『朝日新聞』によると、東京都内の刑法犯認知件数は11月末までに約20万9千件となり、前年同期比で6.5%減り、年間の推計では1992年の水準(約24万件)を下回る見通しだという。つまり、15年前の水準にもどったのだ。これと同時期の全国レベルでの数字については、前掲の本欄に書いたとおりだ。また、交通事故による死者数も減っている。1月3日の『朝日』によると、昨年1年間の全国の交通事故死者数は、前年同期比で6%(609人)減の5,743人だった。年間の死者数が6千人を下回るのは、実に54年ぶりだという。警察庁の分析では、飲酒運転の厳罰化と国民の意識向上で無謀運転が減ったからという。死者数が過去最悪だったのは1970年の1万6765人で、当時の34%のレベルにまで減ったことになる。これでも社会は悪化しているのだろうか?
建設の偽装や食品表示の偽装などが相次いで見つかったことも、見方によっては“善いニュース”と捉えることができる。その理由の1つは、悪事が発覚することで悪果が現れるので、悪業をそれ以上積むことがなくなるからだ。もう1つの理由は、今回の一連の悪事発覚には“内部告発”が深く関わっているからだ。内部告発は、告発される側の企業や団体にとっては「けしからん」ことかもしれないが、「長いものには巻かれろ」式の希薄な倫理感よりも、「処罰のリスクを負っても告発する」倫理感の方が優れているのである。日本社会では、自分の帰属する集団や団体の倫理が何事にも優先する傾向が従来から根強くあり、このことが集団での悪事を正当化する傾向を生み、外国からは「日本人は集団を超えた善悪の基準をもたない」などと批判されてきた。そういう陋習から離れることは、歓迎すべきだろう。
昨年の日本での生命科学・生命倫理の分野における快挙は、京都大学の山中伸弥教授らのグループが開発したiPS細胞(生殖細胞を利用しない万能細胞)だろう。この話題については本欄で何回も書き、年末・年始の報道でも多く取り上げられていたから説明を省略するが、今後の世界の再生医療研究の流れは、受精卵や卵子を使ったES細胞から離れてiPS細胞へと向かう可能性が高い。そうなれば、人間の欲望に対する理性や倫理の勝利--つまり、実相顕現の一端--と言うことができる。ただし、これによって再生医療をめぐる倫理問題がすべて解決したわけではない。
私はこの正月休みに、妻の故郷である伊勢へ家族5人で行き、恒例の内宮参拝をした。伊勢には老舗の菓子店「赤福」があるが、表示偽装による営業停止処分中であったため、神宮の敷地に隣接した五十鈴川沿いの本店は、堅く扉を閉ざしていた。近鉄やJRの売店にも、あのピンク色をした「赤福餅」の木箱は見当たらなかった。後発組で赤福の“パクリ”などと言われていた「お福餅」も、同じように店頭から一切姿を消していた。こうなると、何か寂しい気がするから妙なものである。今回のことで両社が大いに反省し、「古い」ものは「古い」として扱う公明正大な商売を復活してもらいたいと切に望むのである。
我々も、今年は「きれいな壁」には「きれい」と言う年にしよう。
谷口 雅宣
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コメント
昨年の「偽=偽装、偽表示、改竄」等々の問題は良くない事ではありますが「良いニュース」とも言えます、魔女狩りと言う人もいますが「何処でもやっている」と言う思いと「利益の追求」には限りがありません、法治国家では当然何らかの規制が必要となります、自分を基準にしないと言う事、欲を見切ると言う事の大切さが世間に行き渡り、当人達だけでなく、割に合わないから即是正しよう!と言う動きが行渡って来るものと思いますから、、、、私の勤めていました会社の社長(故人)は常に「例え優れた知識、学問の持ち主であっても"分かる"と言う事の"分からない者"はバカだ!」「我が社は技術が未熟な為、万が一不良品を出す事はあっても不正品は絶対に出してはならない!厳命する」「我が社はガラス張りの経営をする、これがモットーだ」と言っておられ、有言実行された方でした、私は給料以外のものの考え方、生き方を頂いたと今でも尊敬と共に心から感謝して日々生活させて頂いています、山川草木に真っ白い壁、青い空、白い雲は見ていて清々しく生きる勇気と希望が湧いて来ます、老婆心ながら恵まれているとは言えフリーター、ニート、派遣、未婚等々若者達の将来が気になり、日本政府には「脚下照顧」と言う言葉を再認識して欲しいと思っています。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年1月 7日 21:17