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2008年1月31日

低炭素社会への決断は、今!

 私は通常、本欄で国際政治の話はしても、国内政治の話をしないことにしている。特定の政党に肩入れしたり、その逆に特定の政党を批判することは避けている。理由は、生長の家は政治活動をしないからだ。しかし、宗教や環境問題、戦争と平和の問題で重要なことは、政治がらみの話も書いてきた。理由は、生長の家が推進している人類光明化・国際平和信仰運動に影響があるからである。そのスタンスは、今後も守りたいと思う。だから、私がこれから書くことは、今年中に来るかもしれない解散・総選挙に際して、私がどこかの政党を応援するためだと考えないでほしい。そんなことよりも、私は民主政治のマイナス面を、本欄の読者の良識によっておぎなってほしいと考えながら、これを書いている。簡単に言えば、「政治家の言うことを額面通り受け取るな」ということだ。
 
 具体的には、3月末に期限の切れる揮発油税の暫定税率の問題である。ご存じのように、民主党は諸物価値上がりの中で、本来より高い税率を国民に課し続けることに反対し、暫定税率維持を盛り込んだ歳入関連法案の成立を阻止しようとした。一方、自民・公明の与党は、暫定税率を5月末まで延長するだけの目的に作られた“つなぎ法案”(または“ブリッジ法案”)を衆院に提出して、とりあえずの成立を図ろうとしていた。ポイントは、ガソリンなどの揮発油にかける税率を現状のままとするか、それとも下げるのかということだ。
 
 この動きに対し昨日、衆参両院議長の仲裁により“つなぎ法案”の国会提出が見送られた。その代わり、上記の歳入関連法案と来年度予算案について「年度内に一定の結論を得る」ことと、「税法について各党間で合意が得られれば修正する」ことの合意が与野党間で成立したというのである。この2つの条件はきわめて抽象的で、解釈の余地が大いにあるから、これによって国会審議がスムースに行くとは思えない。しかし、とりあえずは、「3月末までに揮発油税の税率を決める」ことは合意されたようである。
 
 長期政権を維持してきた自民党は、当然のことながら官界や業界とのパイプが太い。これに対し民主党などの野党は、どちらかというと“消費者寄り”である。今回の野党のツッパリは、“市民の足”に大きな影響を与えるガソリン代を下げることで、次の総選挙を有利に戦いたいとの意図が見えている。しかし、ガソリンの値下げは今回の与野党合意で実現が難しくなった。そこで野党は、揮発油税をもっぱら道路建設に使うという旧来の問題を国会で議論し、法案の修正につなげることで、政権担当能力を示したいとの考え方に傾いた、と推測される。私は、国会というものは、国民の生活に密接な諸問題について「議論する」のが本来の役割だから、これでいいと思う。
 
 問題は、衆参両院でネジレ現象がある国会で、与党の権益の場であった道路問題に関して与野党の合意が成立するかどうか、である。私はぜひ、成立させてほしいと思う。その際、各党の国会議員に忘れてほしくないことが1つある。それは、「世界は動いている」ということだ。オーストラリアの政権は交代した。アメリカも、共和党から民主党への政権交代がほぼ確実である。戦後の基軸通貨だったドルは凋落しつつあり、代りにユーロが台頭している。BRICs諸国の経済力が日本を凌駕する時期は、そう遠くない。そんな中で、地球温暖化が進行している。これを抑制することは、すべての国において第一位の優先課題としなければならない。このように、激しく「動いている」世界にきちんと対応した新しい政策を、政治家は打ち出してほしいのである。そして、その政策とは「低炭素社会の実現」だろう。日本が技術的にまだ優位にある今から始めれば、それは可能である。しかし遅れれば、米中欧に負けるだろう。
 
 そこで1つ提案なのだが、3月末までの国会では、道路特定財源の制度を廃止してほしいのである。これは、与党の権益をはがすことだから、与党にとっては“身を切られる思い”かもしれない。が、不要な道路工事が全国津々浦々で展開されていることを国民は皆、知っている。今後、高齢化がさらに進み、ガソリンが値上がりし続ける中で、自動車に乗る人の数と機会が減ることは、誰でもわかる。にもかかわらず、不要な道路が造り続けられるという状況を国民が許すはずがないのである。ここまでは、民主党の主張に似ているかもしれない。しかし、その先がある。それは、民主党はガソリンの値下げを唱えているが、これは温暖化抑制の目的に逆行している。そうではなく、揮発油税を一般財源化して、地球温暖化抑制の種々の対策に使うのがいい。そうすることで、自民党は「業界との癒着」という古来の悪いイメージを払拭でき、「環境対策に熱心」という民主党のオハコを奪える。一方、民主党は、もっと中身の濃い温暖化対策の構築によって、与党との差別化を図る必要に迫られる。
 
 以上は、政治の素人である私の提案だから、笑って聞き流してくれていい。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月30日

偽りの古紙配合率 (2)

 1月18日の本欄でこの主題を扱ったとき、「現在、製紙会社に“真相”の説明を求めているが、現時点で分かっていることはそう多くない」と書いた。そして、生長の家の機関誌の本文用紙について「エコパルプ70%、古紙30%を使用」というのはメーカーである北越製紙のウソで、本当は「エコパルプ85%、古紙15%」だったことを報告した。また、「エコパルプ」という表現の意味についても解説し、これは再生紙ではなく、植林から得られたバージンパルプであることも述べた。問題は、機関誌よりも発行部数が圧倒的に多い普及誌だが、これについては「<現在のところ「偽装はない」というのが日本教文社の回答である>」と書いたのだった。

 この普及誌の本文用紙について、このほど日本教文社から報告が届いた。結論は、普及誌には「本誌は環境負荷の少ない再生紙を使用しています」とだけ書いてあり、「再生紙を使用している」ことは事実なので、我々“消費者”向けには表示偽装はないという。しかし、出版社と製紙会社との間では古紙の配合率について数字を掲げた契約がある。こちらの方は、偽装があったという内容だ。

 具体的に言おう。最も大量に使われる本文用紙は、普及誌専用に漉かれた「ヘンリーRM」(別名、教文用紙)という紙で、原紙を日本製紙が生産し、富士コーテッドペーパー株式会社が塗工・加工した後に日本教文社に供給されているという。ありがたいことに、こちらの方は古紙配合率は契約通りであるという。数字で示せば、「古紙30~40%、バージンパルプ70~60%」だそうだ。これに対し、北越製紙から供給されている表紙の紙は「ミューマットER」といい、当初の契約では古紙配合率は「15%」だったものが、実際の調査では「10%」であることが分かったという。北越製紙は、日本教文社宛に「この度、実際の古紙配合率が、定められた数字を下回っておりました。貴社の弊社に対する信頼を大きく損ない、多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」と書いた「古紙配合率証明書」(1月24日付)を出している。
 
 それでは、『生命の實相』などの書籍用紙はどうだろうか? 日本教文社によると、同社発行の書籍で再生紙を使用しているものは全部で15点、このうち古紙の配合率を数字で示した書籍は11点あるという。この11点については、すべて表示通りの配合率であったという。残りの4点は、普及誌と同様に「再生紙使用」とだけ表示されているので、消費者に対する配合率の偽装はない。ただし出版社に対する契約違反の問題は、現在調査中とか。私が同社から上梓させてもらっている単行本で、古紙配合率を明示したものは『神を演じる人々』(2003年)と『秘境』(2006年)の2点だ。表示は「本書の本文用紙は70%再生紙を使用しています」とある。胸をなで下ろしたしだいである。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月29日

文科省、iPS細胞で素早い対応

 私は1月12日13日15日の本欄で、昨年末に日米ほぼ同時に大きな成果が発表された万能細胞(iPS細胞)の研究について考え、これを使った再生医療の延長線上に“深い問題”があることを指摘した。それは、「受精」という過程を経ずに人間が生まれる可能性が出現したということだった。宗教的側面から言えば、これは、神の関与がなく、人間の意思のみによって人間が作られるという事態が生じることである。神と人間は断絶していると考える宗教の教義から見れば、神のみが人間を創造するのだから、これは教義の破綻でなければ、大幅な見直しを迫られる大事件である。にもかかわらず、ローマ法王庁は、この万能細胞の研究成果を歓迎したのだった。また、この研究によって開かれた道は、男性から卵子、女性から精子を得ることにより、同性愛者間で遺伝上の子を設けることである。このように大きな可能性を秘めた強力な技術を、今後人類がどのように制御しながら使っていくかが、私の感じる“深い問題”である。
 
 これについて、文部科学省は卵子や精子などの生殖細胞を万能細胞から作ることを当面禁止する方針を固めたらしい。生殖補助医療をめぐる倫理指針策定では、「対応が遅い」と不評をかってきた文科省としては、異例に速い態度表明である。29日の『朝日新聞』が伝えている。それによると、文科省は2月1日に開かれる科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会に提出する案として、iPS細胞の研究の規制とES(胚性幹)細胞のそれとを対応一致させることが当面は必要との方針を固めたという。これは、iPS細胞の最大の特徴が「ES細胞と同等の能力をもつ」という点にあるからだろう。現在、ES細胞の研究では、そこから①精子や卵子をつくる、②つくった精子や卵子を受精させる、③受精卵を子宮など胎内に移植する、という3段階がすべて禁止されている。iPS細胞についても、同様の規制をするという考え方だ。
 
 しかし、今回の決定では、「当面禁止」という点が気になる。これは「時期が来たら解禁」という意味にも読めるからだ。ES細胞の研究については現在、不妊治療との関係で①と②までは認めるべきとの議論もある。今回の方針の決め方では、ES細胞の側で①と②が認められれば、iPS細胞の研究でも、ほぼ自動的に①と②が許されることになる。私は、世代間倫理を尊重する立場から、iPS細胞の研究では、生殖細胞の作成を禁じること--つまり、①~③のすべてを規制するのがいいと考える。

 iPS細胞の最大の長所は、「自らの細胞を自らの肉体から再生する」という点だ。これは我々の肉体においてごく普通に行われていることで、“自然の過程”と言ってもいいほどだ。白血球や赤血球は造血幹細胞から再生され、皮膚は表皮の下層にある幹細胞から再生され、髪の毛などの体毛も毛根の根本にある幹細胞から再生される。“自然の過程”だから免疫系による拒絶反応もないのである。iPS細胞は、これらの幹細胞のさらに元の細胞の段階へまで、自己の細胞を“後もどり”させたものだ。だから、本質的に自己の肉体の“内側”にとどまる生命現象である。これに対し、生殖活動は、(単為生殖を除き)自己が他を生むための働きで、“外側”へ向かった生命現象である。換言すれば、「他へ影響を与える行為」である。自らの行為が他に影響を及ぼす場合、他の同意を得ることが倫理的である。そうでなく、他の意思を無視した行為--例えば、いきなり抱きついたり、タバコの煙を吹きかけたり、クラクションを鳴らすこと等--は倫理的とは言えない。
 
 このように考えれば、生殖細胞をつくることは、それ自体が次世代へ影響を与えることである。だから、できるだけ“自然な”状態がいいと思う。精子をつくれない男性がiPS細胞によって精子を得ることは、許されていいと思う。しかし、その男性が卵子を得て自ら懐妊したり、あるいは代理母に懐妊させることや、その逆に、女性が自らのiPS細胞から精子を得て、他の女性を懐妊させたりすることは、その結果生まれてくる子にとって普通でない、不自然な状況を強制することになる。同意なくしてこれを行うことは倫理的でない。子が生まれる前に、その子から同意を得ることは不可能だから、そういう行為はしないと決めればいい、と私は考える。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月28日

紙を使わない出版

 1月18日の本欄で、製紙会社による古紙配合率の“偽装”について書いたとき、そのほとんど“業界ぐるみ”の不誠実さにアゴを落として、「我々はそろそろ、紙を使わない出版活動を本気で考える時期に来ているのではないだろうか?」などと言った。これを読んだ出版関係者が、後日、「まさか本気でそう考えているのでは……」と私の真意を尋ねた。改めてそう訊かれてみて気づいたことがある。それは、私が「紙を使わない出版活動」をすでに行っているということである。このブログが、それである。また、本サイトにある「日々の祈り」もそれだし、「動画メッセージ」もそれである。さらに言えば、私がすでに単行本として出版した二十数冊の中に含まれる文章の大半は、単行本の用紙にインクで印刷される相当前に、インターネット上で世界中に公開されていた。だから、私が18日の本欄に書いたことは決して“過激な発言”などではなく、“抑えた表現”だとも言えるのである。

 それでも、インターネット上の電子出版は、これまでは書店での本の売れ方に比べると影響力が小さかった。その理由の第一は、「本」という物理的な情報媒体の“魅力”が電子情報媒体のそれに勝っていたからだろう。つまり、手に取ってどこへでも持って行け、「開いてページを繰る」という簡単な操作だけで情報を得られること。さらに言えば、造本・装丁などで美的欲求を満たしてくれる点も無視できない。しかし、本には、電子情報に比べて劣る面もある。それは、①情報量が少ない、②木材資源を多く消費する、③場所をとる、④運搬にコストと時間がかかる、⑤製造と運搬、消費の過程で温暖化ガスを排出する、などだ。最後の⑤については、本が電子情報に比べて格段に多いかどうか定かでない。が、電子情報の記録媒体の容量が飛躍的に拡大しつつある今日、この点でも本の劣勢は否定できないだろう。

 読者は、音楽CDの売り上げがどんどん減っているのをご存じだろう。理由は、アップル社のアイポッドに代表されるMP3プレイヤーというデジタル音楽プレイヤーの急速な普及である。さらに、アイポッドへ音楽データを送り込むパソコンの普及と、パソコンから無数の音楽を素早くダウンロードできるアップル社のサービスサイトの登場だ。これにより、CDを買うよりも安価に、素早く、好みの音楽が、ほとんど無制限に自分のポケットに入る。ハードウエアの小型化と大容量化、それにデータを送受する通信環境とソフトウエアの整備が実現して、ここ数年間でMP3プレイヤーによる音楽が、音楽CDを駆逐する勢いに転じた。これと同じことが、紙による本や雑誌と電子出版との間に起こることは十分考えられるのである。
 
 1月28日付の『ヘラルド・トリビューン』は、音楽産業におけるMP3プレイヤーに該当するような革命的変化を起こす“候補”として、昨年11月にアメリカで発売された「キンドル」(Kindle)という電子ブック・リーダーを大きく取り上げている。価格は399ドル(約4万3千円)とやや高価だが、重量約300グラムのハードウエアの中に、単行本200冊分のデータが収納でき、新聞や雑誌、ブログのデータも表示できる。白い画面に灰色4段階で文字を鮮明に表示し、しかもどこからでも無線通信でデータをダウンロードできるという。発売元は、本のネット販売を始めたあのアマゾン・ドット・コム社である。キンドルは発売後6時間で売り切れた後、製造が注文に追いつかない状態が今日まで続いているという。このキンドルの日本語対応版の発売は、もうまもなくだ。

 日本では、通信機能付き小型ゲーム機に対応した電子ブックがすでに発売されている。私は、そのゲーム機上で電子ブックをほんの数ページ読んだことがあるが、遠視が始まっている私の目には、画面と文字が小さすぎた。キンドルの画面はこれより大きいので、見え具合がよければ使えるのでは、と期待している。今後の技術の進歩により、この機種でなくても、電子ブック・リーダーの普及はもう目の前にある。とすると、出版社と流通業者を通さない電子出版が可能となるのである。このことの及ぼす影響は、生長の家を含めた出版業界にとって、はかり知れないものではないだろうか。
 
谷口 雅宣

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2008年1月27日

竹皮の弁当箱

 奈良県で行われた生長の家講習会は、好天のなか、県立橿原公苑体育館となら100年会館の2会場で合計7,343人の受講者が参加して下さった。2年前より132人多く、この教区での幹部・信徒の皆さんの日頃の活動と、熱心な推進努力が推し測れるすばらしい会となった。私の講話に対する質問も19枚と多く出て、受講者の宗教への関心が深いことが分かった。時間の関係で、そのうちの半分も答えられなかったことが心残りである。

 講習会後、近鉄の橿原神宮前駅から京都へ出て、新幹線で東京へ向かった。京都駅で夕食の駅弁を買ったのだが、その際、「21世紀出陣弁当」というのを選んだ。名前が面白いのと、竹皮を使った容器に惹かれた。また、名前の横に印刷された「駅弁コンテスト大人の部グランプリ受賞」という宣伝文句も気になった。「グランプリとはどれほどの味か?」と思ったのだ。

 京都駅の新幹線ホーム側の弁当売り場には、実に多くの種類の弁当が並んでいて、選ぶ側も戸惑うほどだ。それぞれの弁当の脇には、中身を示すためのプラスチック製のイミテーションの食材を詰めた弁当もある。が、それらを見ていると、「中身はみな同じ」という印象を受けるのである。恐らくその理由は、イミテーションの食材の色と形が同じだからだ。違うのは、それらの食材をどんな形の箱に、どのような配列で並べ、それにどのような名前をつけるかという点だけ……そんな印象を受けた。もちろん仔細に調べれば、野菜が多いものや、揚げ物や練り製品が多いものなど、細かい違いはあるに違いない。が、いずれにしても「大量生産品だなぁ~」という印象は拭えない。
 
 私は、京都駅の弁当に文句を言っているのではない。むしろ、その逆である。これだけ多様なものが、これだけ大量にある日本は、きわめて恵まれた国である。中東のパレスチナのガザ地方とエジプトの国境線上に建っていた、鋼鉄製の壁が爆破された話を思い出した。理由は、パレスチナの過激派の攻撃に業を煮やしたイスラエルが、イスラエル側の境界線の通行を制限したからである。一種の経済封鎖だ。そこで、食料や水や日用品に窮乏したパレスチナの住民たちが、エジプト側に物資を求めてなだれ込んだのだ。爆破自体は、過激派によるものと思われる。エジプトは軍隊を派遣したが、殺到するパレスチナ人を無理に止める行動はしなかったという。

 そんなことを思い出しながら、私は数分間隔で精確に運行される新幹線に乗り込み、豊かな食材を詰めた「21世紀出陣弁当」を開いたのである。日本での「出陣」とは、もちろん戦いに行くことではない。何か未来への“夢”を秘めた「21世紀」に向かって、栄養を補給するためのおいしい弁当、という程度の意味だろう。出陣でなく、「出発」でも「出帆」でも「出航」でもいいのだろうが、かつての戦国時代を思わせるような勇ましい言葉を使った方が、働き盛りのビジネスマンには魅力がある……そんなマーケティング戦略が透けて見える。
 
Bentobox  弁当はおいしくいただいた。食べ終わってから、竹皮を編んだその容器をしげしげと眺めた。大変よくできているのである。竹皮を幅1.5センチほどのテープ状に切ったものを編んで、箱全体を作っている。手触りが軟らかく、弾力もある。弁当箱の端の型枠部分には、強度をつけるために薄い竹材が鶯色の糸でしっかり結わえつけてある。普通の駅弁の箱に使われるような厚紙は、一切使われていない。これだけの容器を使っていて、通常の駅弁と同じ価格(1000円)で販売できるとしたら、弁当箱の製造は国内ではありえない。だから弁当箱は中国製、というのが私の結論である。では、弁当の中身は? と次に考えたくなる。
 
 今の日本の“豊かな生活”は、その多くを人件費の安い中国などの外国の労働者に頼ることで実現されているのである。それによって「粗悪品が出回る」とか「衛生基準が満たされない」などのマイナスな面も出ているが、全体的には国内の物価を下げ、若年労働者の不足を補っているのだろう。竹皮編みの弁当箱から、今日のグローバル社会の側面を見たような気がした。

 谷口 雅宣

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2008年1月25日

“火星人”の幻影

 地球にとっては“隣国”ならぬ“隣星”である火星には、なぜか「人がいる」あるいは「生物がいる」という説が昔から途絶えることがない。21世紀の現代には、さすがにタコのような形をした「火星人」を信じる人はいないだろうが、火星の表面では今も探査車が走り回っていて、様々な映像を送ってきているのは、そういう人類の“夢”がなせる仕業でもあるだろう。ところが、その火星上の探査車が送ってきた写真の1枚に「火星人の姿」を捉えたと思われるものがあり、最近、アメリカの動画共有サイト「ユーチューブ」などに掲載されて話題になっている。
 
 私は2005年6月11日の本欄などで火星の“人面岩”について書いたが、そのポイントを簡単に言えば、「人間は自分の内にあるものを外に見る」ということだ。これは「唯心所現」の原理を言い直したものだが、特に「顔」のような形については、それに敏感に反応する神経細胞が人間の脳の中にあることが分かっているから、科学的にも立証されたと言えよう。が、今回話題になっている映像は「顔」だけでなく「全身」である。しかも、デンマークのコペンハーゲン港にある人魚像のように、脚を半ば組んだ女性のような姿をしているのだから、見る人を驚かせる。

 私が見た映像は、イギリスのテレビ局ITNが1月23日にユーチューブに登録した番組で、2日後の25日の12時15分の時点で16万7千回視聴され、3057件のコメントが書き込まれていた。すでに“人面顔”事件を経験している人々が多いから、この“人魚像”を信じているようなコメントは少なく、「ねつ造だろう」とか「影の方向がおかしい」とか「大きすぎる」とか「別の角度からの写真がない」とか「本物だったらNASAがもう発表しているはずだ」などと疑念を示すものがほとんどである。しかし、中には「米政府は宇宙人に関する情報を隠し続けている」とか「砂人間が棲んでいるとしたらスゴイ」などの毛色が変わったコメントもある。

 私が思うに、火星探査車が撮った写真の中には、この“人魚”のような映像以外にも、地球上の様々なものを連想させる形が数多くあるのではないか。NASA(米航空宇宙局)の科学者は、そんなものをいちいち発表しているヒマはないのだ。だいたい、NASAがすでに発表済みの古い写真の中にも、「ピラミッド」とか「町の広場」などの名前のついた形が堂々と存在している。今回、彼らが何も言わないのは、“人魚”の映像がそこにあることを科学的に説明する必要はもうない、と考えてのことだろう。これは航空宇宙学や惑星物理学の問題ではなく、簡単な心理学の問題だからだ。しかし、それにしても、人間は「見える」ということに如何に影響されるかを実感する写真である。そして「写真」という言葉が、今回ほど皮肉に聞こえることはない。
 

 谷口 雅宣

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2008年1月24日

ビニールの部屋仕切り

 世界の主要国から経済人と政治家が集まって開催される世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)を前に、各国が京都議定書後の地球温暖化対策について様々な“アドバルーン”を上げている。わが国の福田康夫首相も、安倍時代に打ち上げた目標と、後継首相就任以来の温暖化対策への消極姿勢とのギャップを埋めるために、温暖化ガス排出量について国別の「総量目標」を策定するという提案を携えて、スイスのリゾート地へ飛ぶそうだ。日本は、自民党の支持基盤である経団連などの経済界が温暖化対策に消極的だから、当地での指導力はあまり期待できないかもしれない。我々一般国民は、自らができるだけの3R(reduce, reuse, recycle)を着実に、無心になって進めていくだけである。

 私は木曜日の休日を利用して、妻の“お伴”で渋谷の東急ハンズへ行った。ずいぶん久し振りである。子供が小さい頃は、工作に類することをやって見せて彼らを喜ばせることができたが、彼らの成長にともなってそんな機会も少なくなり、絵を始めてからは新宿の世界堂の方へ足繁く通うようになった。が、最近は、そんな時間的余裕もなくなってきた。今回は、しかし妻の計画に乗ろうと思ったのだ。
 
 妻は、省エネの目的でリビング・ダイニングの中間に“仕切り”を設けることを考え、数週間前から私に提案していた。私たちが住んでいる家は築20年ぐらいたっている。建築当時はバブルの時代で、設計に「省エネ」の考え方が欠落していた。だから、リビング・ダイニングは「広ければいい」程度に考えていた。活発に動く子供がいた頃は、それでもよかった。が、夫婦2人になると、冬季で暖房が必要な時には、ガランとした広い空間が気になるのだろう。特に、私が仕事場へ出たあとの空間を暖めるのが、妻には「ムダが多い」と感じられたのだ。

 以前、青山通りに近い路地でフランス人がやっているクレープ料理店に、2人で入ったことがある。そこは、家の外に張り出したデッキでも食事ができるようになっていたが、寒い冬には客が困る。そこで、無色透明の厚手のビニールでデッキを囲い、その中を暖房していた。それを見て、妻が感心していたのを思い出す。また、新橋や数寄屋橋などの都心のJR駅のガード下には、勤め帰りの会社員をあてこんだ簡易式の居酒屋が、夕方から店開きする。そんな店は、カウンター席や路上に置いたテーブル席しかない場合が多く、冬は寒さを嫌って客はなかなか寄りつかない。ということで、寒さ対策のため、透明のビニールシートを壁代りに軒から垂らしている店もあった。そんな様子を横目で見ながら、妻はいろいろ考えていたのだろう。
 
 東急ハンズに出かける前に、私たちは壁と壁の間の距離を測り、ビニールシートをどうやって天井から下げるかを話し合った。そして、軽量のカーテン・レールを天井に取り付けて、そこからシャワー室などで使うシャワー・カーテンを下げる方式に決まった。問題は、仕切りに必要な長さのカーテンを売っているかどうかだった。妻の事前調査によると、既成のシャワー・カーテン2枚では、長さが足りない。3枚では長すぎるし、使いにくい。特注することもできるようだが、納入に時間がかかるだろう。私の心配は、カーテンのことよりも、石膏ボードを張った天井に、どうやってカーテンレールを取り付けるかだった。が、結 局、これらの心配は、店員の親切な案内ですべて解消した。カーテンは、特注して1週間後に受け取る。レールは天井に取り付けずに、つっかえ棒式のレールを壁と壁の間に張り渡す。「案じるより産むが易し」と感じながら、私たちは帰宅し、すぐ作業にかかDividercった。

 特注品の大判の透明カーテンはまだないが、レールはすぐに取り付けられ、もう一方の寸足らずのカーテンを下げるのも簡単だった。その“半完成品”を写真でお見せしよう。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月23日

東京に雪

 ここ1~2週間、日本列島は寒気に覆われて各地に雪が降っていたが、東京はなぜか例外だった。そこへやっと今朝、白い雪が舞う空を見ることができた。冬に雪を見るのは「当たり前」という地方は多くあるだろう。が、東京は温暖化の影響か、降雪の機会がめっきり減った。それは一面で、ありがたいことだ。「都会は雪に弱い」とよく言われ、歩道はシャーベット状になって歩行の妨げとなるし、凍れば、革靴やハイヒールでは転倒の危険がある。また、さほどの量が降らなくても、鉄道や道路などの交通手段に支障を来すこともある。商店の前の雪かきは大変だし、スタッドレス・タイヤへの組み換えも煩わしい。

 こうして、都会に雪が降らないことは“善いこと”のように考えられがちだ。でも、雪を悪者にするのは少し待ってほしい。自然を人間の“道具”と考えれば、人間の生活を妨げるものは皆、悪者となる。雪だけでなく、雨も、風も、木々も、鳥も、虫も、犬も、猫も……。でも、自然を自然そのものとして眺めれば、そこには我々人間を慰め、励まし、導いてさえくれるものが見えてくるのではないか。久々に降る雪を見てそんなことを感じながら、短い動画を作成した。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月22日

生長の家が排出権取得へ (2)

 このほど生長の家は“炭素ゼロ”運動の一環として温室効果ガスの排出権取得の決定をした。このことは、すでに1月10日の本欄で報告ずみだが、そのときは教団の側から見た今回の決定の意味を説明した。が、今日(22日)付の『日本経済新聞』には、排出権取引を仲介する商社の側から見た記事が載っている。双方の記事を読むと、この複雑な制度の全貌がより明確になると思う。後者の記事のリード文を引用する--
 
「三菱商事は温暖化ガス排出権を数千トンの小口単位で提供する新サービスを始める。23日から東京海上日動火災保険、サンリオや電機メーカーを含む6団体向けに計5万トンの排出権を、三菱UFJ信託銀行の信託の仕組みを利用して譲渡する。排出権は電力や鉄鋼など二酸化炭素(CO2)の大量排出事業者が数十万トン単位で取得するケースが大半。企業の業務負担を軽減することで、自主的な排出量削減や企業の社会的責任(CSR)などを目的とした、すそ野需要を取り込む」
 
 ここには企業名が2つ出てくるが、その他は「電機メーカーを含む」いくつかの「団体」だと書いてある。この「団体」の中に、生長の家が含まれていることは記事からは分からない。この記事によると、東京海上日動火災はCO2換算で「1万トン分」を購入し、サンリオは「5千トン前後」を購入するという。生長の家の購入は「5千トン分」であるから、量としては決して小さくない。それなのに、団体名の表記が避けられている。『日経』は恐らく、宗教団体がこの中に含まれることを意識的に伏せたのだろう。宗教に対する偏見の大きさを改めて感じ、残念に思う。

 さて、同じ『日経』には、フロンガスの一種であるハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)の全廃が10年前倒しで決まったことが書いてある。昨年9月に行われたモントリオール議定書締約国会議で、HCFCの全廃の時期を2040年から2030年に早めることで合意されたからだ。その結果、このガスを製造する際に出るハイドロフルオロカーボン(HFC)という別のフロンガスの排出も減ることになる。地球温暖化抑制の立場からは、大変心強いことである。なぜなら、HCFCは二酸化炭素の約1500倍、HFCは1300倍以上の温室効果があると言われているからだ。

 しかし、『日経』の記事のポイントはそこにあるのではない。温室効果の大きいフロンガスの排出が少なくなると、今後は排出権の発生が大幅に減る--という点に注目しているのである。分かりにくい話かもしれないが、この「排出権」という考え方の弱点を示しているようで、興味深い。問題は、これまで京都議定書のもと、日本政府が国連のCDMの枠内で承認した大規模事業の上位10位の中で、HFCの削減に関連した事業が6件もあることだ。つまり、日本はこれまで、CO2の千倍以上の温室効果をもつフロンガスを排出させない事業を主体にして、京都議定書の目標達成を図ってきた。

 ところが、別の国際条約でこのフロンガスの排出が禁止された(権利がなくなった)ので、これを排出する権利(排出権)もやがてなくなることになる。その時期は2030年だから、今から20年以上あとだ。しかし、この間に代替品が開発され、使われるようになるだろうから、実際上は、HFCの排出量は先細りになると予想される。すると、HFC削減のプロジェクトは急減する。企業はこれを獲得できない場合、HFC削減事業なら1件で得られる排出権を、CO2だと千件以上集めなければ得られないことになる。だから、この記事には、昨年9月の合意以降、「企業の政府へのCDMの承認申請は、省エネによるCO2削減事業やメタン回収事業などが増えている」と書いている。
 
 今回、生長の家が獲得する排出権は、韓国でのHFC削減事業から生じたものだ。そういう意味では、よいタイミングでの決定になったと言える。なお、今回の排出権に関しては、1月4日付の『日経BP』の記事も参考になる。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月20日

ネコリョーシカ

 生長の家の講習会で神戸市へ行った。今年最初の講習会である。前日聞いた天気情報では、神戸市付近は午後から雪が降るとのこと。しかし、神戸市の会場周辺は雪ではなく、雨だった。兵庫県の講習会は、主会場である神戸市内のワールド記念ホールでの映像と音声を、衛星によって他の6会場に同時中継する方式がとられた。だから、他の会場--特に、山間部と日本海側の会場では、雪は降ったかもしれない。これだけ多くの会場を同時に使う講習会は、恐らくここ以外にない。報告によると、7会場合計で約1万8千人の受講者があったという。各会場では、さぞ多くの生長の家の兵庫県の信徒の方々が寒い中、ボランティアとして働いてくださったことと思う。この場を借りて、御礼申し上げます。講習会の推進とご協力、誠にありがとうございました。
 
 さて、昨夜のことだが、宿舎のホテルの売店でロシアの民芸品であるマトリョーシカを見Nekoryoshka つけた。ヒョウタンかダルマのような形をし、入れ子状になった木製人形のことである。マトリョーシカは普通、ロシアの民族衣装を着た若い女性の絵が描かれている。売店にもその通りの人形が陳列されていたのだが、その隣に、人形ではなく、ネコを描いたものが並んでいたので、思わず笑ってしまった。さらに、売り場の表示を見ると、製品名が「ネコリョーシカ」となっている。冗談なのだろうが、なんともピッタリ来る名前なので、2回笑ってしまった。で、私は、短時間に2回も笑わせてくれたものを放っておいていいだろうか……と考えながら売り場をウロウロし、ついに決意してそれを買ったのである。
 
 実は、わが家にはすでに“当たり前”の女性姿のマトリョーシカが1セットある。どこで買ったのか私は覚えていなかったが、妻に訊くと、昔(2000年ごろ)ヨーロッパに家族で旅行した時、モスクワの空港で買った記憶があるという。この旅行はロシアが目的地だったのではなく、ローマかパリへ行く途中で、モスクワの空港に立ち寄ったものだ。石油の開発と経済発展で繁栄するロシアの現状からは考えにくいが、その当時は、経済状態が芳しくなかったのか、モスクワの空港は売店とトイレ以外の場所は電気を消され、薄暗い、陰気な雰囲気に満ちていたのを覚えている。そんな中で、いくつものマトリョーシカが、売店の棚を埋め、温かい、牧歌的で、ユーモアのある空気を生み出していた。今回の“ネコリョーシカ”も素朴で、どこか滑稽な絵柄が私を惹きつけたのである。
 
 ものの本によると、マトリョーシカ(matryoshka)は、ロシアの女性名である「マトリョーナ(Matryona)」の愛称だという。一般的な形は、頭にネッカチーフ、体にはサラファンと前掛けをつけ、手には穀物の束、鎌、ニワトリなどを持つ姿で描かれるらしい。が、変り物として、ロシアやソ連時代の政治指導者を描いたものがあることは、よく知られている。この変り物の方が、風刺漫画のようで、私は愉快な気分になる。昔の共産党書記長や大統領の人形を、最近の大統領の人形が、入れ子状になって“覆い隠す”感じが、「政治権力を奪取しながら大きくなる」という彼の国の指導者のイメージにピッタリするように思うからだ。これを真似て、日本の歴代首相がマトリョーシカの絵柄になった姿を想像してみるが、どうもピッタリ来ない。アメリカの大統領を当てはめてみても、やはり何となく違和感がある。その理由は恐らく、日本の首相は「権力奪取」というよりは、「実力者間の合意」によって生まれ、アメリカの大統領は「選挙」によるからではないか。
 
 このマトリョーシカの起源について、平凡社の『世界大百科事典』には、こうある--「ロシアで作られるようになったのは1890年代半ばで、画家S.V.マリューチンとザゴルスクのろくろ師V.ズビョズドチキンによってモスクワの工房<子どもの教育>で製作されたのが初めてである。その際に日本のこけしのデザインや、だるまの入れ子のアイデアがとり入れられたと考えられている」。ところが、インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』Himedaruma では、これは「一説」とされていて、このほかにも、19世紀末に、箱根のロシア正教会の避暑館に来たロシア人修道士が、本国への土産に持ち帰った箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)が母体だという説、さらに、愛媛県の松山捕虜収容所にいたロシア兵が、愛媛県の郷土玩具の一つである「姫だるま」(=写真、前谷雅子氏提供)をまねて作ったという説を紹介している。結局、本当のことは不明だが、言えることは、日本の工芸品と共通点があるということだ。ウィキペディアには、日本製らしい“元祖”の写真もある。

 そんなことを知ってみると、初めは「冗談」だと思っていた「ネコリョーシカ」という日露混交の呼称も、案外本物っぽく聞こえてくるではないか。ところで、ネコリョーシカの“産地”であるが、売店の女主人に聞いてみると「中国製」という。ネコリョーシカよ、お前もか!
 
 谷口 雅宣

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2008年1月18日

偽りの古紙配合率

 最近、製紙過程における古紙の混入割合の“偽装”が明るみに出た。生長の家は、昭和5(1930)年の発祥当時から「文書による伝道」を大きな特徴としていて、製紙業界とは関係が深いため、大変残念な思いである。特にここ7~8年は、地球環境問題の解決を目指した運動を全国的に展開し、森林伐採によって生まれるバージンパルプを減らす目的で再生紙の使用を率先して行ってきた。私自身、20冊以上の本を出させてもらっている中で、本の奥付などに「本文100%再生紙使用」「本文70%再生紙使用」などと表示してきた。これらが、ほとんどすべてデタラメだった可能性が大きいというのは、何とも悔しく承服しかねる思いである。製紙会社の言葉を信頼して行った表示が、結果的にウソの表示になっているのである。

 現在、製紙会社に“真相”の説明を求めているが、現時点で分かっていることはそう多くない。1つだけ挙げよう。生長の家で発行している会員向けの機関誌は、表紙に「エコパルプ70%、古紙30%を使用」と表示されている。この「エコパルプ」というのは、紙を漂白する際に塩素を使わないものらしい。原料には、木を伐採してつくるバージンパルプが使われている。今回の問題は、その後ろに書かれた「古紙30%」の数字である。機関誌の用紙を製造している北越製紙によると、昨年の夏ごろまでは表示通りに「古紙30%」を使用していたが、その後は生長の家に無断で「古紙15%」に変更していたという。ということは、現在の機関誌の本文用紙は「エコパルプ85%、古紙15%」が本当なのだ。

 機関誌に比べて圧倒的に発行部数が多い普及誌については、現在のところ「偽装はない」というのが日本教文社の回答である。その最大の理由は、普及誌には機関誌のような、数値による明確な配合割合の表示がなく、目次ページに「本誌は環境負荷の少ない再生紙を使用しています」と書いてあるだけだからだ。この表記だと、「1%」でも「0.5%」でも古紙を使用していれば偽装にならない。が、「偽装」以外にも、出版社と製紙会社間の「契約の履行・不履行」の問題があり、こちらも社会的には重要である。なぜなら現代社会は、契約の当事者間の信頼関係を基礎としているからだ。そこで普及誌の本文用紙の古紙配合率について尋ねてみると、同社は「古紙30%、バージンパルプ70%」で製紙会社と契約しており、今回の問題に際して製紙会社に確認したが、事実この割合に間違いないとの回答を得たという。
 
 17日付の『日本経済新聞』によると、日本製紙の中村雅知社長は記者会見の席上、今回の問題を放置してきた理由を「コンプライアンス(法令順守)より品質を優先した」と釈明したという。私はこの釈明には納得しない。なぜなら、この言い方では「コストが高いものを安く納入した」という意味に聞こえるからである。一つの業界が10年以上も、利益減少を承知で高いものを安く売るなどということはあり得ない。また、古紙の配合率を下げてバージンパルプの配合率を上げることが「品質の向上」だと言うのは、偏面的な説明である。この裏側には、営利企業としての冷静な計算があると私は思う。つまり、現在の国際市場では「バージンパルプより古紙の値段が高い」のではないか? 急速に経済発展する中国では、段ボールなどの原料にするために古紙の需要が高まっている。日本の道路脇に置いてあった古新聞を、正式の回収業者以外の業者が持っていき、問題になったことがある。日本のリサイクル・ルートに乗せるよりも、海外へ輸出する方が金になるという事情があるに違いない。

 ある業界関係者の話では、上に書いたように、古紙そのものが市場から払底していることに加えて、バージンパルプを使って製紙する過程よりも、古紙を混入する過程の方が、化石燃料を多く使わねばならないそうだ。私には、この後者の話もにわかには納得できない。日本国内のリサイクルで発生する温室効果ガスの排出量が、海外の森林から伐採し、チップにして船に積み込み、大洋を渡ってくる過程で生じる温室効果ガスよりも少ない、と言っているのだ。本当はそうではなく、国内の人件費と海外の人件費との差が、コストに大きく反映するからだろう。百歩譲って、業界の説明がすべて正しいとしても、契約時に定められた古紙の混合割合を、相手に無断で変更するような商売は許されるものではない。

 悪業を積んできた企業は、その期間が長ければ長いほど、受け取る悪果も大きくなるだろう。我々はそろそろ、紙を使わない出版活動を本気で考える時期に来ているのではないだろうか?

 谷口 雅宣

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2008年1月16日

万能細胞がもたらす“深い問題” (4)

 本シリーズの最後に、「万能細胞」ほどの分化能力はないが、いくつかの組織への分化が実験的に確認されている多分化幹細胞をめぐって最近、話題になっている展開について触れよう。これは、死んだラットの心臓を取り出し、そこに付着した軟かい細胞を薬剤で洗い流し、残った硬い細胞でできた“型枠”に、生まれてまもない複数のラットの子の心臓から採った細胞を流し込んだところ、2週間たたないうちに、新しい心臓が形成されて鼓動を始めた--という実験である。14日付の『日本経済新聞』、15日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などが伝えている。この研究は、14日付のアメリカの医学誌『Nature Medicine』電子版に発表さたもので、ミネソタ大学のドリス・テイラー博士(Doris Taylor)らの研究チームによる。
 
 上記の『トリビューン』紙の記事によると、この研究が重要な理由は、心臓移植を現在のような脳死段階で行わなくても、心臓死の後で臓器が得られれば、患者自身の骨髄の幹細胞を、死者の心臓の“型枠”に注入することによって、拒絶反応が少ない心臓を新たに作成する可能性が見えるからだ。そして、このようにして心臓が作成できれば、腎臓も、肝臓も、肺も、膵臓も……ほとんどすべての臓器が同じような方法で、比較的簡単に作成できる可能性があるという。さらに言えば、このような臓器の再構築には、必ずしも人間の臓器を使わなくて済むかもしない。ブタの臓器は、人間のものと形や大きさが似ているため、現在でも臓器移植に使われている。これなら入手は容易であり、医学的には拒絶反応の問題が残っていても、法的、倫理的問題は少ない。
 
 というわけで、テイラー博士らは、上と同じような心臓の再構築の研究を、ブタを使ってすでに開始しているという。
 
 お気づきの読者もいると思うが、この研究と、山中伸弥教授らの研究とは“合体”させることができるのである。テイラー博士らは、臓器作成のための“型枠”の作り方を発見した。山中教授は、あらゆる組織や臓器に分化する能力のある幹細胞を効率よく作成する方法を発見した。前者の中に後者を入れれば、患者自身の細胞で構成された新しい臓器が構築できる--そう考えることはできないか?
 
 上のような考えは、専門家から見れば恐らく“穴”だらけだろう。このような道筋が拓けるまでには、私のような素人の考えが及ばない関門が、いくつもあるかもしれない。いや、きっとそうだろう。しかし、この分野の研究者が向かっている大きな「方向性」は、上の予測と大きく違わないと思う。つまり我々は、肉体の「不死」と「再生」を求めて、鋭意努力し、かつ莫大なエネルギーと予算をかけて突き進んでいるのである。その努力の中で、万能細胞が作られ、臓器再構築の方法が発見されつつある。しかし、この目的自体の是非については、誰も何も発言しないようだ。

 我々人間は皆、不死を求め、再生を願っている。だから、皆が求めることは正しく、かつ善である。そのために研究に努力し、大量の時間と資金を投入することは素晴らしい--そう言う声が聞こえるような気がする。しかし、人間が皆、不死となり、死人はことごとく再生する世界がどんな世界であるかを、考えた人がどれだけいるだろうか? それが善である理由は、どこにあるだろうか? 私がいう“深い問題”とは、こういうことなのである。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月15日

万能細胞がもたらす“深い問題” (3)

 私は前回の本欄で、万能細胞の可能性を論じるのに「孫悟空」の物語を比喩として使った。それを読んだ読者の中には、「想像力を働かせすぎだ」と感じた人がいるかもしれない。iPS細胞の開発により、拒絶反応の危険が少ない移植用組織や臓器が利用できるのだから、医療技術は確実に進歩するのであり、人々の幸福も増進する。それに、ES細胞のように人の受精卵や生殖細胞を使うという倫理問題もない。したがって、今回の研究成果は素直に喜ぶべきである--そう言う人の声が聞こえてくるような気がする。私も半分はそう思う。しかし、他の半分で別の可能性を考えることは許されていいと思う。
 
 どこかの本にも書いたが、技術は本質的に道具であるから“善”でも“悪”でもないが、それを使う人の心が“善”や“悪”をもたらすのである。武器や兵器は自衛のためにも使えるが、強盗や殺戮のためにも使える。ES細胞の技術は、アルツハイマーの治療にも使えるし、クローン人間の作製にも使える。では、この万能細胞の技術は、治療目的以外にいったい何に使えるか? この技術はきわめて強力であるから、さまざまな目的に利用できるだろう。例えば、以前も書いたように、同性愛者間で遺伝上の子をもうけることができる。性行為によらずに遺伝上の子をもてるのだから、異性愛者であっても、パートナーなしで遺伝上の子がもてるだろう。また、ES細胞と同等の能力をもった細胞だから、クローン人間が作れるだろう。さらに、前もって自分のスペアパーツを作っておくこともできるだろう。体細胞を“リセット”して受精卵と同等の能力をもたせる技術だから、もしかしたら“若返り”の手段に使えるかもしれない……これらは皆、倫理問題を含んでいる。
 
 が、ここで私はこれらの倫理問題には触れずに、宗教的な問題を1つ提示したい。私が言う“深い問題”とは、実はこのことなのだ。

「人の生命がいつ始まるか」についてローマ法王庁の伝統的見解は、「受精の瞬間から」である。だから、日本政府が「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」(中間報告書)に対して意見募集を行った際も、日本のカトリック教会は、ヒトES細胞の再生医療への利用のために、①ヒト受精胚(ヒト胚)の研究目的の作成と利用、②人クローン胚の研究目的の作成、のいずれにも「反対」の意見表明をしている(2004年2月20日、内閣府政策統括官宛文書,)。ところが、バチカンは今回のiPS細胞の研究発表の直後に、これを「歴史的な成果」として歓迎するコメントを出した。アメリカのカトリック司教協議会も歓迎の声明を出したという。(1月13日『朝日新聞』)これは、ES細胞の研究には強硬に反対していたのとは、大違いだ。

 私はその理由を、こうではないかと想像する--今回のiPS細胞は皮膚などの体細胞から作成できる。体細胞には「受精」など起こらないから、それを利用して作ったiPS細胞の医療への利用は問題ない。--しかし、本当にそうだろうか?

 山中教授らが開発したiPS細胞が世界から注目されている大きな理由は、それが「ES細胞と同等の分化能力をもつ」という点--つまり、「人体を構成するすべての組織や臓器に分化する能力がある」という点にある。そもそもES細胞は、受精卵から成長した「胚盤胞」の中身を吸い出し、培養して作られる。iPS細胞にそれと同等の分化能力があるならば、ES細胞と同じように、子宮に移植すれば人体を形成するはずだ。この方法で、iPS細胞を使えば、クローン人間を比較的容易に作れるかもしれない。そういう事例を、カトリック教会は「受精を経ないからいい」とは言えないだろう。これまで同教会が出してきた人の誕生に関わるいろいろの見解から考えて、首尾一貫しないからだ。カトリック中央協議会によると、日本のカトリック司教団も、「生殖を目的とする胚細胞クローン」と、「生殖以外の目的(治療等)で行われる体細胞クローン」の両方について、研究のための利用は許されないと表明してきた。

 問題は、「受精」という過程を経ずに子が生まれる可能性が生まれていることだ。しかも、その過程は明確な人間の意思、人間だけの意思によって開始され、材料は皮膚の細胞で足りるのである。人間が生まれるのに、「神の意思」が関与する余地がなくなってしまうのである。神と人間とをまったく別次元の存在として考える教義においては、この可能性が生まれることはきわめて“重大な問題”ではないだろうか? 生長の家では「人間は神の子」と教えており、神と人間とを全然別の存在とは考えない。が、それにしても、ここには“深い問題”が秘められていると感じるのである。
 
 谷口 雅宣。

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2008年1月13日

万能細胞がもたらす“深い問題” (2)

 昨年11月21の本欄にも書いたが、「iPS細胞」とは「induced pluripotent stem cells」という英語の頭文字を取った造語だ。日本語では「人工多能性幹細胞」という訳が使われている。平たく言えば「人工的に多能性を与えた幹細胞」で、多能性とは、人体の各組織--神経、筋肉、血液、骨格…etc.に分化する能力のことだ。「幹細胞」とは、樹木の「幹」から枝葉が分かれて伸びるように、人体を構成する各種組織や臓器に分化する前の細胞である。赤血球、白血球などの血液の細胞は造血幹細胞から生まれ、脳を形成する神経細胞は神経幹細胞から生まれる。

 2006年7月27日の本欄に書いたように、これまでの研究では、このような幹細胞は人体の様々な場所--脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血、生殖器など--に存在することが分かっている。だから、ケガで出血しても、皮膚や神経を切断しても、また脳梗塞で脳の細胞の一部が破壊されても、我々の体の組織はリハビリなどを通して、ある程度再生し、復元するのである。これらの幹細胞は、我々の体の中に現に存在するものだから、「体性幹細胞」あるいは「成人幹細胞」と呼ばれる。これらはしかし、「万能細胞」とは言えない。なぜなら、これらは分化の方向性が一定していて、あらゆる組織に変化するわけではないからだ。例えば、造血幹細胞は通常、血液の細胞にしか分化せず、神経幹細胞は神経系の細胞にしか変化せず、歯胚幹細胞は歯の組織にしかならない。
 
 これに対して、受精卵の時代には存在したが、誕生後は消えてしまったと思われる幹細胞がある。これが「ES細胞」(embryonic stem cells、胚性幹細胞)である。この細胞は、人が母胎中で生き始めたごく初期の、受精から1週間から10日ごろの「胚盤胞」と呼ばれる段階のときに、胚の内部を満たしていると考えられている。これは、体内の幹細胞の“大元締め”であり、あらゆる組織や臓器に分化する能力があるから、「万能細胞」と呼ばれるのである。
 
 山中教授らのグループが作成した「iPS細胞」は、上記の2つの種類の幹細胞--体性幹細胞と胚性幹細胞--のいずれにも属さない。別の言い方をすれば、2種の幹細胞の性質を併せもった幹細胞である。このことを治療面から表現すれば、こうなる--体性幹細胞は患者本人から取り出すから拒絶反応の心配がないが、万能性がない。これに対し胚性幹細胞は、患者以外(受精卵)から取り出すから拒絶反応が危惧されるが、万能性がある。そして、この両者の性質を兼ね備えたiPS細胞は、患者自身から作成されるから安全性が高く、しかも万能性がある。そうなると、世界の研究者の目は、この安全性の高い新しい万能細胞(iPS細胞)の上に注がれるのは当然と言わねばならない。
 
 山中教授らが昨年11月に発表した研究では、成人の顔の皮膚細胞と関節にある滑膜の細胞に4つの遺伝子を組み込んでiPS細胞を作った。が、4つの遺伝子のうち1つは、ガン遺伝子として知られていたため、人への応用ではガン化の危険があった。その後、同教授らはガン遺伝子を使わないでiPS細胞を作ることに成功(12月1日報道)。さらに肝臓と胃の粘膜の細胞からもiPS細胞を得ることに成功した。(12月12日報道)

 今年に入っても、iPS細胞に関連した研究は急速な発展を見せている。1月7日付の『日経』によると、山中教授と同じ京都大学の杉山弘教授らの研究チームは、iPS細胞を「安全につくる基本技術を開発した」という。内容の詳細は明らかでないが、この技術によると、「ガンの遺伝子やウイルスを使う代わりに化学物質でiPS細胞を作れる」のだそうだ。この化学物質は「ポリアミド」の一種で、細胞内のDNAに結びつき、「成長をつかさどる遺伝子の機能を調節する」から、「大人の細胞を生まれたての新型万能細胞に後戻りさせたり、万能細胞を神経細胞などに効率良く生まれ変わらせたりする」能力があると見られている。
 
 こうなってくると、当初の研究で使われた「皮膚」だけでなく、人体の様々な場所にある普通の細胞から、万能細胞と同等のものが比較的簡単に作成できる可能性が見えてくる。私が昨日の本欄で「ツメや髪の毛から自己の複製を作る」と書いたのも、だから必ずしも“絵空事”ではないのである。「孫悟空」の物語の中には、サルの悟空が自分の体毛を抜いてフッと息を吹きかけると、たちまち抜いた毛の数ほどの自分の複製が現れる話が出てくる。私は、最近の万能細胞の研究の成果を知るにつけ、この物語を“絵空事”だと笑えない気持になるのである。

 谷口 雅宣

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2008年1月12日

万能細胞がもたらす“深い問題” (1)

 京都大学の山中伸弥教授らのグループの研究により、一気に再生医療の“スターダム”に躍り出た「iPS細胞」に関しては、国を含めた研究支援の輪が広がりつつあることは喜ばしいことだ。アメリカの研究グループも山中教授らの研究と肩を並べて成果を競っているから、人間の治療に使えるような安全性の高い技術をどちらが先に確立できるかは予断を許さない。
 
 11日付の『日本経済新聞』によると、この研究に関する国の主な支援策は、文科省、厚労省、経産省、特許庁の合計で33億円が2008年度に投入される予定。この中で最も高額なのは文科省の計画で、iPS細胞関連の研究に今年度当初予算の約7倍に当たる約22億円を充て、今月内にも発足する京大のiPS細胞研究センターの整備・支援をするという。また、厚労省では、臨床試験のための施設整備を希望する研究・医療機関を公募し、2~3カ所を対象に約4億円を支援する計画という。
 
 この研究については、門外漢の私は技術面での今後の予測はまったくできない。しかし、強力な技術としてのiPS細胞には、何か哲学的・宗教的問題が潜んでいるような気がしてならないのである。昨年11月25日の本欄では、私は山中教授の言葉を引用して、「iPS技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能」であるから、使い方によっては社会倫理、生命倫理に触れる問題が起こる可能性があることを指摘した。が、私がここで「深い問題」というのは、それよりもさらに“深い影響”をもたらす可能性である。
 
 この技術をある側面から形容すると、これは「皮膚から自己の複製を作る技術」である。この場合の“自己”とは、もちろん肉体的自己--つまり、自分と同一の遺伝子情報もつ肉体のことである。普通、我々の肉体の細胞はみな、同一の遺伝子情報をもっているから、細胞レベルで同じ遺伝子情報をもつものが我々の肉体の外部にあっても、別に驚くことはない。我々のツメ、髪の毛、皮膚、血液を構成する細胞は、すべて同一の遺伝子情報をもつ。それらが我々の体から離れて床の上に落ちても、我々は何も驚かない。しかし、それらの細胞を拾って培養液に入れ、ある条件下で育てていると、受精卵と実質的に同じものが成長してくるとすると、問題は別である。

 iPS細胞の技術は、(まだ実用化していないが)これを可能にするものと言える。もちろんツメや髪の毛自体がたちまち受精卵になるのでないが、ツメや髪の毛と同じように入手が容易な皮膚の細胞で、これができるのである。このようにしてできた受精卵と同等の生命体を、我々は何と呼ぶべきだろうか? 「受精」もせず「卵」でもないのだから「受精卵」ではない。母胎の中にいないのだから「胎児」ではない。自分と同一の遺伝子情報をもつ生命体だから「子」でもない。自分の体外にあって、一定の条件下で自分から独立して生きているのだから「自分」でもない。それでは「他人」か? 遺伝子情報がまったく同一の生命体を、普通は「他人」とは呼ばない。それは普通「一卵性の双子」と呼ぶ。しかし、一方は成人した人間で、他方は未熟の生命だから、「一卵性」でも「双子」でもない。つまり、人類は未だかつてこのような生命体を、一部の例外を除いては目にしたことがない。その一部の例外が「ES細胞」である。

 谷口 雅宣

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2008年1月11日

動画サイトをどう使うか?

 本欄の読者の中には、ユーチューブなどの動画サイトに自分の個人チャンネルをお持ちの人もすでにいるだろうが、宗教が団体としてこの新しい媒体をどう使うかについては、恐らくまだ“手探り状態”なのが実情だろう。私も昨年来、本欄に時々動画を公開しているが、それは生長の家という宗教団体としてやっているのではなく、個人としての実験的公開である。その証拠に、宗教とは直接関係のない「旅行記」や「キノコ採り」「料理法」の類の動画も含まれているのを、読者はお気づきだろう。宗教団体として公開している動画は、生長の家公式サイトの「電脳紙芝居」のページにある数本だけである。
 
 しかし、ネット全体では、この動画サイトの成長ぶりは目覚ましく、そこに登録されている動画の質もどんどん向上している。今日(11日)付の『産経新聞』によると、フジテレビは日本のテレビ放送では初めて、音楽番組の一部をアップルが運営する「iTunesストア」のサイトで有料配信すると発表した。番組の収録は18日に東京・銀座のアップル直営店で公開で行い、電波による放映は3月29日に行うが、それに先駆けて3月12日からネット配信するという。これなどは、ネットで番組を宣伝するのに動画サイトを利用する試みだろう。ただし有料というから、動画のダウンロード自体も一部目的としているようだ。

 また、9日付の『フジサンケイ・ビジネスアイ』によると、松下電器産業は7日、グーグル傘下のユーチューブと提携し、同サイトの動画を簡単に視聴できるネット対応テレビを今春に米国で発売すると発表した。ユーチューブでは、海外のテレビ局などはすでに番組を提供しているから、ネット対応テレビができれば、視聴者は放送時間に拘束されずに、好きなテレビ番組を含む多様なコンテンツを自由に選び、家庭や職場で手軽に視聴できるようになる。しかも、国境を越えてこれを行うことができる点が画期的だろう。

 このようにインターネットを経由した動画環境が整ってくることで、宗教のメッセージを世界に向かって迅速に、しかも安価に伝える可能性が飛躍的に増大するだろう。「世界に伝わる」ということは、もちろん国内にも伝わることだから、国内の教団内部の情報伝達も、従来のような手紙や電話、ビデオテープ、DVDなどを使ったものよりも、効率的で、大量の情報を扱う手段が整うことになる。それを利用しないで、光明化運動を語るのはおかしい。
 
 そんなことを考えていたところへ、生長の家のアメリカ合衆国教化総長をしている勅使川原淑子氏から、自分もユーチューブのチャンネルを開設したという話を聞いた。パソコンの技術面で特に強いとは聞いていない人だから、「よくぞやった!」と思った。で、彼女のサイトを見てみると、「なるほど……」と肯かされた。広大なアメリカの地に散在する生長の家の幹部・信徒に対して、自分の意図したメッセージを正確に伝えるには、自分の声と映像を録画した動画に勝る手段は、今のところないのである。その点に着目した“勇気ある第1歩”と言うべきだろう。今後の健闘をお祈りする。

 谷口 雅宣 

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2008年1月10日

生長の家が排出権取得へ

 京都議定書で定められた温室効果ガスの排出権取引制度に、生長の家も参加することになった。と言っても、商社や電力会社などが行う大規模で本格的な形ではなく、小口の「5千トン」規模である。9日に行われた宗教法人「生長の家」の責任役員会で、二酸化炭素(CO2)に換算して5千トンの排出権の信託を三菱UFJ信託銀行から取得することが決まった。

 排出権取引については、本欄でこれまで何回も(例えば、2006年12月24日2007年9月18日9月28日11月27日)触れてきた。この制度には問題点がないことはないが、国連が正式に認定したクリーン開発メカニズム(CDM、Clean Development Mechanism)を通した排出権取引には、デメリットよりもメリットが多いと考えられ、また日本で生まれた世界初の温暖化防止条約である京都議定書を支援する意味からも、さらには今年から生長の家で始めた“炭素ゼロ”運動の進展のためにも、この時期での参加が好ましいとの判断によるのだろう。
 
 生長の家の公式サイトにある9日付のプレスリリースによると、今回取得する排出権の信託は、韓国の蔚山(ウルサン)市にあるフロンガス製造工場から出るHFC23というフロンガスを、排出させずに破壊する事業から生まれた排出権の一部である。国連からCDM事業として正式に承認・登録されているし、HFC23の温室効果はCO2の11,700倍あるというから、実質的に温暖化抑制に貢献しうると思う。
 
 生長の家が取得する「5千トン」(CO2換算)の排出権に相当する温室効果ガスの量は、東京・原宿にある本部事務所、長崎県西海市の生長の家総本山、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山における、①電力、②都市ガス、③LPガス、④上下水道、⑤灯油、⑥A重油、⑦公用車に使用するガソリンと⑧軽油、および⑨会館建設・増改築によるCO2排出量の約4年分に相当する。つまり、今回の排出権信託の取得により、これら3事業所で使われる上記9項目の約4年分が“炭素ゼロ”と見なされることになる。
 
 これまでの本欄でも述べてきたが、排出権取引制度の問題点の1つは、排出権が金銭により比較的容易に得られるため、団体や企業の活動の中で、温室効果ガスを実際に削減するよりも、対価を支払うことで済ませてしまう傾向が出てくることである。この傾向が社会の趨勢となれば、実際の削減努力を阻害することにもなりかねない。しかし、生長の家の場合、上記の9項目が“炭素ゼロ”となっても、実際の運動では3事業所間の人の「移動」に伴うCO2の排出がまだ多くある。これの削減努力をすることが今後の大きな課題となってくるし、そのための工夫や業務改善の余地も多く残されている。さらに言えば、生長の家はこれら3事業所以外にも全国に数多くの教化部会館や道場などの施設をもっているから、温室効果ガスの削減努力は今後も継続していくことになるだろう。

 地球温暖化問題は、長期的な取り組みが必要であると同時に、実行可能な対策はすべてを、できるだけ早く進めていく必要性がある。今回の決定も、そういう観点から下されたことを読者は理解していただきたい。

 谷口 雅宣

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2008年1月 8日

環境運動家の危機感 (3)

Planb3_m  アメリカに住む友人からレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)の新著『Plan B 3.0: Mobilizing to Save Civilization』(プランB第3版--文明を救うための総動員=写真)が送られてきた。すでに邦訳されている『プランB 2.0』(ワールドウォッチジャパン刊)の内容を改訂したものである。後者の本の内容については2006年5月22日の本欄で紹介しているが、今回の改訂版は再生可能の自然エネルギーを基礎とした文明への転換を、より具体的に、より危機感をもって推める内容である。副題にある「mobilize」という英語は、戦争のために産業や資源、人員などを動員することで、ブラウン氏は各国が、それほどの規模と意志をもって地球温暖化を阻止する“臨戦体制”を整えなければ文明の危機が来る、と訴えているのである。『2.0』の英文の副題が「ストレス下の惑星と問題を抱えた文明を救う」であったのと比べると、「文明救済」の方に焦点を当てていることがわかる。この本の著作権表示にある発行年は「2008年」であるから、できたてホヤホヤということだ。

 ブラウン氏は、「はしがき」でこの本の4つの重要な目標として、①気候の安定、②人口の安定、③貧困の撲滅、④良好な地球環境の回復、を挙げている。そして、地球温暖化を最小限に抑えるためには、2020年までにCO2の排出量を80%削減することが必要だとして、そのための詳しい計画を提出している。この計画とは、(1) エネルギー効率の改善、(2) 再生可能エネルギーの開発、(3) 森林伐採の禁止と植林による地上の森林の拡大、という3つの部分からなるものだ。人類は、これらを実現するための技術をすべてもっているから、今やらねばならないのは、「それを実行する政治的意志を築き上げること」(to build the political will to do so)だと訴えている。このあたりの認識は、『不都合な真実』の中でアル・ゴア氏が言っていることと軌を一にしている。
 
 本の細部についてはまだ「拾い読み」程度だが、具体的、現実的な方策が数多く詰まっていて面白い。その小見出しの1つに「風力による充電式ハイブリッド車」(wind-powered plug-in hybrid cars)というのがあったので、いったい何だろうと思って読んだ。まるで“未来の車”のように聞こえるが、これは現在、トヨタなどが公道での走行実験を進めているプラグイン・ハイブリッド車そのもののことである。「風力によって」という意味は、発電用の風車を大幅に増設していけば、夜間の電力はこれで賄えるから、それによって充電した車は事実上「風力によって」動くことになるという意味である。

 ブラウン氏の試算では、この方法で充電した車の走行コストはガソリン代に換算すると1ガロン(3.78リットル)当り1ドル以下になるというから驚きだ。電池の性能が上がり、容量が増えれば、これによって日常の用途での車の使用はすべて風力によることになるから、現在のアメリカ国内のガソリン使用量を「80%」削減できるという。さらに驚くことは、現在の自動車の車体の金属部分は、コストをさほど上げずにポリマー樹脂に替えることができるから、そうすれば重量が半分になってさらにガソリン使用量は減り結局、現在より「90%」も少ないガソリン消費量で、現在と同じ台数を走らせることができるというのである。

 太陽エネルギーの利用については、この本は「太陽光発電」に加えて「太陽熱利用」の現実性を強調している。その最大の理由は、後者の製品の大幅な価格低下である。ブラウン氏が「最近の最も興奮する展開」として挙げているのは、中国では4千万戸の家庭に太陽熱温水器が設置されたことだ。これは、装置の価格低下によって都市部のもみならず農村部にも「燎原の火のように」広がっているという。しかも、中国政府はこの装置を、現在の1億2400万平方メートルから、2020年には3億平方メートルにまで拡大する計画という。氏の試算によると、現在の中国の家々に設置された太陽熱温水器から生まれるエネルギーは、石炭火力発電所54基に相当するという。ヨーロッパでもこの装置は人気だ。オーストリアでは、全家庭の15%が太陽熱温水器を設置している。ドイツでは、2百万人がこの装置の恩恵のもとに暮らしている。欧州では、このほかギリシャ、フランス、スペインがこの装置の導入を加速化しているという。日本の現状は1100万平方メートルだが、2020年までには8000万平方メートルを楽に達成する、とブラウン氏は読んでいる。
 
 邦訳が出たら、読者にも一読をお勧めする。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月 7日

ロボット犬の襲来

 正月休みを利用して人形劇を作った。と言っても、ほんのイタズラのようなものだ。わが家ではクリスマス時に2人が誕生日を迎えるので毎年、家族パーティーを自宅でやる。その際、プレゼントとしてもらった動物の指人形と、犬の形をしたプラスチック製の電動按摩器を使って、ショート・コントのようなものをやったところをデジカメで撮映しておいた。後日それを見たら、何かのストーリーになりそうな気がしたので、追加のシーンを撮映しておいた。それをこの休み中に編集してできたのが、この作品である。
 
 伊勢へ行った時に完成させて人々に見せたが、大人には評判が良くなかったが、子供たちには喜ばれた。要するに「幼稚っぽい作品」ということだ。私としては、アメリカの外交政策のことを考えながらまとめたのだが……。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月 6日

きれいな壁

 年が新しくなり、新聞や雑誌で人々が新年の抱負を語るのを読むと、日本社会は悪化が続き、凶悪犯罪は増加し、昨年は“大手”や“一流”や“老舗”と目されてきた企業や団体の偽装、偽表示、改竄などが一気に噴き出して、今や最悪の状態……などという分析と批判が多く見られるので、首をかしげてしまう。その理由は、①犯罪統計の認識が間違っているのと、②これらの悪現象の原因の一端は我々自身にあることを忘れているようであるのと、③悪を指摘しても善に変わらないからだ。これらについては昨年の本欄でもいろいろ書いてきたが、年の初めに“認識の曇り”を吹き払うために、ここで再び確認してみよう。

 日本の犯罪認知件数が2002年以降、5年連続して減っていることは、昨年12月14日の本欄に書いた通りだ。凶悪犯罪も減っており、詐欺犯も減っている。しかし、そういう全体の傾向を見ずに(あるいは知らずに)、新聞やニュース報道で伝えられる“悪事”ばかりに注目して、「アイツも悪い、コイツも悪い」などと腹を立てていると、自分の心いっぱいに“悪の印象”を拡げることになる。それはまるで、きれいに塗り上げた白い壁の1箇所に黒い穴が開いているのを見つけて、その穴に近づき、虫眼鏡で穴の黒い部分を拡大して見つめ、「壁は黒い、壁は黒い」と怒っているようなものだ。もちろん、その部分の壁は「黒い」と認めよう。しかし、その他の99%がきれいに塗られていたら「壁はきれいに塗れている」と言うのが正しいのだ。
 
 そこで、次の統計を紹介する。昨年12月27日の『朝日新聞』によると、東京都内の刑法犯認知件数は11月末までに約20万9千件となり、前年同期比で6.5%減り、年間の推計では1992年の水準(約24万件)を下回る見通しだという。つまり、15年前の水準にもどったのだ。これと同時期の全国レベルでの数字については、前掲の本欄に書いたとおりだ。また、交通事故による死者数も減っている。1月3日の『朝日』によると、昨年1年間の全国の交通事故死者数は、前年同期比で6%(609人)減の5,743人だった。年間の死者数が6千人を下回るのは、実に54年ぶりだという。警察庁の分析では、飲酒運転の厳罰化と国民の意識向上で無謀運転が減ったからという。死者数が過去最悪だったのは1970年の1万6765人で、当時の34%のレベルにまで減ったことになる。これでも社会は悪化しているのだろうか?

 建設の偽装や食品表示の偽装などが相次いで見つかったことも、見方によっては“善いニュース”と捉えることができる。その理由の1つは、悪事が発覚することで悪果が現れるので、悪業をそれ以上積むことがなくなるからだ。もう1つの理由は、今回の一連の悪事発覚には“内部告発”が深く関わっているからだ。内部告発は、告発される側の企業や団体にとっては「けしからん」ことかもしれないが、「長いものには巻かれろ」式の希薄な倫理感よりも、「処罰のリスクを負っても告発する」倫理感の方が優れているのである。日本社会では、自分の帰属する集団や団体の倫理が何事にも優先する傾向が従来から根強くあり、このことが集団での悪事を正当化する傾向を生み、外国からは「日本人は集団を超えた善悪の基準をもたない」などと批判されてきた。そういう陋習から離れることは、歓迎すべきだろう。
 
 昨年の日本での生命科学・生命倫理の分野における快挙は、京都大学の山中伸弥教授らのグループが開発したiPS細胞(生殖細胞を利用しない万能細胞)だろう。この話題については本欄で何回も書き、年末・年始の報道でも多く取り上げられていたから説明を省略するが、今後の世界の再生医療研究の流れは、受精卵や卵子を使ったES細胞から離れてiPS細胞へと向かう可能性が高い。そうなれば、人間の欲望に対する理性や倫理の勝利--つまり、実相顕現の一端--と言うことができる。ただし、これによって再生医療をめぐる倫理問題がすべて解決したわけではない。

 私はこの正月休みに、妻の故郷である伊勢へ家族5人で行き、恒例の内宮参拝をした。伊勢には老舗の菓子店「赤福」があるが、表示偽装による営業停止処分中であったため、神宮の敷地に隣接した五十鈴川沿いの本店は、堅く扉を閉ざしていた。近鉄やJRの売店にも、あのピンク色をした「赤福餅」の木箱は見当たらなかった。後発組で赤福の“パクリ”などと言われていた「お福餅」も、同じように店頭から一切姿を消していた。こうなると、何か寂しい気がするから妙なものである。今回のことで両社が大いに反省し、「古い」ものは「古い」として扱う公明正大な商売を復活してもらいたいと切に望むのである。
 
 我々も、今年は「きれいな壁」には「きれい」と言う年にしよう。
 
 谷口 雅宣

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2008年1月 1日

ネズミもトラになる

 2008年、平成20年の新年、明けましておめでとうございます。
 
 読者の皆さまのご指導、ご鞭撻、コメントによる数々の激励をいただいて、本ブログも2005年3月から足かけ3年継続することができました。この場を借りて、皆さまのご愛念に感謝申し上げるとともに、今後も相変らざるご愛顧をお願い申し上げます。

 年末の予報では元日の天気は「全国的に荒れ模様」ということだったが、元旦の東京地方は澄み切った晴天となり、気持のいい1年の出発を迎えることができたことは、誠にありがたい。しかし、関東以外では大雪に見舞われた地方も多く、不如意な新年を迎えた方々には申し訳ない気がする。
 
Mouse2008  元旦の今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて、恒例の新年祝賀式が行われた。席上、私が申し上げた「年頭のことば」の概略 をここに掲げる。また、多くの方々から賀状や年賀メールをいただいているが、それぞれへの返信・返事はできかねるので、この場に“年賀ネズミ”(=写真)を登場させ、それをもって返礼とさせていただきたい。「フザケたやつだ」とお叱りを受けるかもしれないが、このネズミのように今年も明るく、積極的に生きたいとの気持をお伝えしたいのである。なお、ネズミ年の意義については、「年頭のことば」で少し述べている。
 
 本年も本サイトをどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 谷口 雅宣

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