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2008年1月16日

万能細胞がもたらす“深い問題” (4)

 本シリーズの最後に、「万能細胞」ほどの分化能力はないが、いくつかの組織への分化が実験的に確認されている多分化幹細胞をめぐって最近、話題になっている展開について触れよう。これは、死んだラットの心臓を取り出し、そこに付着した軟かい細胞を薬剤で洗い流し、残った硬い細胞でできた“型枠”に、生まれてまもない複数のラットの子の心臓から採った細胞を流し込んだところ、2週間たたないうちに、新しい心臓が形成されて鼓動を始めた--という実験である。14日付の『日本経済新聞』、15日付の『ヘラルド・トリビューン』紙などが伝えている。この研究は、14日付のアメリカの医学誌『Nature Medicine』電子版に発表さたもので、ミネソタ大学のドリス・テイラー博士(Doris Taylor)らの研究チームによる。
 
 上記の『トリビューン』紙の記事によると、この研究が重要な理由は、心臓移植を現在のような脳死段階で行わなくても、心臓死の後で臓器が得られれば、患者自身の骨髄の幹細胞を、死者の心臓の“型枠”に注入することによって、拒絶反応が少ない心臓を新たに作成する可能性が見えるからだ。そして、このようにして心臓が作成できれば、腎臓も、肝臓も、肺も、膵臓も……ほとんどすべての臓器が同じような方法で、比較的簡単に作成できる可能性があるという。さらに言えば、このような臓器の再構築には、必ずしも人間の臓器を使わなくて済むかもしない。ブタの臓器は、人間のものと形や大きさが似ているため、現在でも臓器移植に使われている。これなら入手は容易であり、医学的には拒絶反応の問題が残っていても、法的、倫理的問題は少ない。
 
 というわけで、テイラー博士らは、上と同じような心臓の再構築の研究を、ブタを使ってすでに開始しているという。
 
 お気づきの読者もいると思うが、この研究と、山中伸弥教授らの研究とは“合体”させることができるのである。テイラー博士らは、臓器作成のための“型枠”の作り方を発見した。山中教授は、あらゆる組織や臓器に分化する能力のある幹細胞を効率よく作成する方法を発見した。前者の中に後者を入れれば、患者自身の細胞で構成された新しい臓器が構築できる--そう考えることはできないか?
 
 上のような考えは、専門家から見れば恐らく“穴”だらけだろう。このような道筋が拓けるまでには、私のような素人の考えが及ばない関門が、いくつもあるかもしれない。いや、きっとそうだろう。しかし、この分野の研究者が向かっている大きな「方向性」は、上の予測と大きく違わないと思う。つまり我々は、肉体の「不死」と「再生」を求めて、鋭意努力し、かつ莫大なエネルギーと予算をかけて突き進んでいるのである。その努力の中で、万能細胞が作られ、臓器再構築の方法が発見されつつある。しかし、この目的自体の是非については、誰も何も発言しないようだ。

 我々人間は皆、不死を求め、再生を願っている。だから、皆が求めることは正しく、かつ善である。そのために研究に努力し、大量の時間と資金を投入することは素晴らしい--そう言う声が聞こえるような気がする。しかし、人間が皆、不死となり、死人はことごとく再生する世界がどんな世界であるかを、考えた人がどれだけいるだろうか? それが善である理由は、どこにあるだろうか? 私がいう“深い問題”とは、こういうことなのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

万能細胞で人の皮膚を使って作る研究が、日本において成功したと先日テレビで拝見しました。しかし、既に実用化はアメリカに追い越されているとのことでした。
 その、日本で成功した要因の一つは、日本において胎児を使った研究が出来ないようになっていたためだそうです。
 法律で定めてあったからこそ、胎児の研究よりも、皮膚からの研究に力をいれることが出来たのだろうと思いました。

 しかし、人間は生きることに執着しながら、たくさんの胎児を殺し、たくさんの動物を実験台にすることが本当に正しいのか疑問です。
 いっそ、いつ死んでも悔いがないというような生き方をし、一瞬、一瞬大切に過ごした方が良いのではないかと思います。

 環境問題もそれを発言している人が一番環境を破壊していたり、平和を唱える人が一番戦争の原因だったり、矛盾だらけです。
 生長の家の説く善一元の世界を見つめることの大切さを改めて痛感しました。

投稿: くま | 2008年1月17日 10:38

本当に人間は不死と再生を求めて鋭意努力しているのでしょうか?如何にその分野で日夜研究に励んでおられる医学者と言えども死や再生は可能とは考えないで、只苦しんでいる人々の健康と長寿の為にではないでしょうか?生きて行く上で肉体的苦しみが一番忌み嫌われる事ですから、、人間は死なない事が最善ではなく、山川草木国土悉皆悉く生死を繰り返す事こそが最良最善とすれば人間も同じです、生老病死の姿が最良最善なのではないか?釈尊だってそうであったのですから、、、それを無くす努力よりもそれを其の儘受け取り、克服していく姿勢、努力こそが大事な事ではないか?と考えます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年1月17日 18:12

私は医療(医学)の目的は死の撲滅ではなく、「人間がよく生き、よく死ぬための補助」だと考えています。人類が死の撲滅に成功しても、人口爆発が起こり、生態系は崩れそれこそ地球は破滅の道を行くでしょう。ただ、火傷の治療で皮膚を移植する場合などES細胞で自分の細胞を使えば免疫的拒絶反応もおこらないので、これはスバラシイことだと思います。
人間は老化、つまりホメオスタシスの緩やかな崩壊に直面していて、それを遅らせることができても止めたり若返らせたりすることは無理だと思います(若返り整形は別として)。
ですから、いくら各臓器を作りだしても固体(ホールボディ)として永遠に恒常性を保つことはかなり難しいことだと思います。よって、宗教的には実在の人間は永遠のいのちだけれども肉体としては仮の姿であり影であると教えているのだと考えております。最後に雅宣先生、純子先生、清超先生、恵美子先生がいつも幸せでありますように。合掌。

投稿: スージー | 2008年1月18日 00:34

尾窪さん、
スージーさん、

 私が書いた「大きな方向性」という言葉が誤解されているようですね。私が言う意味は、個々の医者や研究者が自分の目的を何においているか、という問題ではなく。医学全体が進んでいく方向性についてです。

例えば、尾窪さんは「苦しんでいる人々の健康と長寿の為に」個々の医学者は努力しているとおっしゃいます。私もその通りだと思います。それでは、「健康」とは「長寿」とは何を意味するのでしょうか?
 老化現象から肉体には様々な“不健康”な状態が現れます。この状態を“改善”するためには、老化そのものが起こらないようにする……そういう研究が現在行われているのですが、これはつまり「不死」の研究です。
また、「長寿」とは何歳以上を指すのでしょうか? 一世紀前に比べれば、人類は全体として長寿を達成しています。では、この後、どこまでの「長寿」をめざすのでしょうか? そのような合意は、どこにもありません。ですから結局、「より長寿に」「より長寿に」と「不死」を目指すことになるのでしょう。

投稿: 谷口 | 2008年1月18日 13:23

谷口副総裁様
御指摘有難う御座います、結論が出されていますね、「より長寿に!より長寿にと不死を目指す」のだ!と私はこの現象界(肉体を含む


物質界)に於ける「不死」と言う言葉に引っかかって「それは神仏の設計には無いだろう!」と考え誤解が生じたものと思います、人間は殆ど肉体的老化は防げないと思いつつ健康で自分の寿命(個々に異なり、神仏のみぞ知る次元)一杯生き抜きたい!つまり死にたくない!と望んでいるのが普通の様に思います、私は老化は防げない(諸行無常)けれども老化を遅らせる事は研究によれば可能だと考えますので大いに励んで行ける環境作りは日本も欧米に遅れる事なく、やるべきだと思っています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年1月18日 17:22

副総裁から3つの質問が出されました、
1、健康とは長寿とは何を意味するのでしょうか?
私の考える健康は身と心に病の無い状態の事です、身に病の無いのは"病身"万能細胞は此処を目指す、心に病の無いのは"病気"ですがこの判断は病身と違って非常に難しいと思います、かのガリレイも気違い扱いされましたから、、、しかし本人が大なり小なり苦しんでいる場合はやはり気の病だと思います、又、長寿の概念は個人、時代によって異なると思いますが今の時代の平均寿命前後だと考えます、
2、長寿とは何歳以上を指すのでしょうか?
私は男は78-9歳、女性は85-6歳前後を指していますが個人によって思いは異なると思います、「五十六十洟垂れ小僧、七十八十壮年だ!」と言う人もおられますから、、、、
3、どこまで長寿を目指すのでしょうか?
親の年齢以上とか体が十分動く限りとか、病身で床についておられても生きていたい、と言う人は結構おられる様に思いますが可能な限りだと考えます、最長年齢に近い人は記録を目指されるかも知れません(聞いた事が有りませんので推測です)「そのような合意はどこにもありません」確かにそうですが現時点での私の考えです。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年1月18日 23:22

健康の意味の説明に間違いがありました、身に病が有るのが"病身"で心に病が有るのが"病気"です。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年1月19日 23:42

人間は別に不死は願っていないと思います。いずれ訪れる死を覚悟しつつ、その死にいたるまでは健康を維持し、与えられた生を全うしたいと願っているに過ぎません。不死と再生の世界がどのようなものであるかと考えるのは従って杞憂というものでしょう。

投稿: 仙川健一 | 2008年1月20日 00:13

不死について
言葉じりを捉える様で申し訳有りませんが仙川さんの「人間は別に不死は願っていないと思います」ですが私は可能なら願っていると思います、只本能的と言いますか先天的、後天的に何時の日にか肉体的物質世界において、自分は死ぬんだな!と個々に確信していて、そういう人類意識(死亡率は100%である、例外なし)があるものだから「どうしようもない!」と言うのが現実ではないか?と考えます、いづれに致しましても人間に限らず全ての物質的現象は生成消滅を繰り返しています、生きたい!と願っても自力では生きられず、死にたいと思っても死ねないのが人間の限界の様な気がします、此処に"南無"全知全能なる全てを設計創造したサムシンググレートの存在を背後に感じざるを得ない様に思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年1月21日 10:31

初めまして、うつぎれい と申します。 ドリス・テーラー博士の研究について検索していて、こちらのページにと辿り着きました。

だいぶ時間が隔たっておりますが、2015年11月6日に私もほぼ同じ事を危惧し、次のようなことを書いていました。

医療技術に頼って生き延びようとしてる長生き老人は、社会そのものを病ませて老化・衰退させ、新生児の誕生をも間接的に抑制して民族滅亡の原因ともなる云わばゾンビです。 医療こそは、人間が寿命に逆らって犯してる、最大の罪です。 以下にはもっと詳しく書きました。 http://ameblo.jp/utzsugi-rei/entry-12092707067.html

老人はさっさと死ねと言ってるのではなく、資本主義下の営利医療機関や製薬会社の都合によって発達した最新医療技術で、寿命を決めてる身体の欠陥を直す事も可能だからと救命すれば、誰もが天命に逆らって生き延び続け、結果的に社会そのものが老化し衰退してゆき、若く活き活きとした世界は壊れ、死んでゆきます。

医者や病院があるから健康なのではなく、医者や病院など一切無しに此処までやって来てる自然界が常に若々しく健全なのは、医療になど頼らずに、病弱なものや老いたものは間引かれ、常に健全な若い個体だけが生き残れる新陳代謝の故であり、老いた個体が若い個体の前途を邪魔したり出来ないからです。

人間の、主に西欧文明の発達させてきた医療というのは、明らかにそれに逆らっており、恐らく救ってはならない者を助けて生き延びさせてしまっており、結果的に個体レベルでのアポトーシスを阻害して、人類種族そのものを病弱化させ老化させ、若々しさを喪失させて滅亡へと向かわせる方向に走っています。

経済や政治やマスコミについても実は同じような事が起こっていて、年老いても生き延びてる資本家や権力者にとってだけ都合の良い、老人たちだけが得をする構造の不健全で誤魔化しばかりの経済や政治や報道が、若者や子供たちの前途を塞ぎ、至る処で威圧し邪魔し続けています。 少子高齢化とはそういう事だと思います。


投稿: うつぎれい | 2016年1月 2日 15:15

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