目覚むる心地
最近、仕事から帰宅した私に、妻が古典文学の教室で聞いたという話を興奮気味に語った。彼女は、文筆家の清川妙さんが講師をしている教室に通っているのだが、清川さんはよく講義の最初に、ご自分の体験を語りながら、その日の講義に出てくる古典の1コマや、そこで語られることと、現代の我々の生活とを見事に関係づけられるそうだ。その日の講義は、兼好法師の『徒然草』だったのだが、そこに“旅人の目”について書いた件があって、清川さんの説明が素晴らしかったというのである。私は『徒然草』については高校の知識程度しかもっていなかったが、“旅人の目”については、生長の家の講習会などで実地に体験しているので、半分興味をもって聞いていた。が、そのうち、妻の言わんとしていることが自分にも大いに関係していると知って、彼女の話を傾聴している自分を発見した。
『徒然草』の第十五段に、次のようにある--
「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目覚むる心地すれ。
その辺(わた)り、ここかしこ見歩き、田舎びたる所、山里などは、いと見慣れぬことのみぞ多かる。都へ便り求めて文遣る、“その事かの事、便宜に忘るな”など言ひ遣るこそをかしけれ。」
妻は、この文章の冒頭にある「目覚むる心地」というのが日時計主義の心境と同じだというのである。旅に出ると、日常の心の持ち方から離れられるので、普段は注目しない“瑣末”と思えることを含め、旅先のいろいろの事物に新鮮な驚きをもって接することができる。そんなことから、家に残してきた家族への思いが募り、「あれはこうしろ、あのことは忘れるな」などと細かい気配りをした手紙を書くことになるのは面白い--こういう意味の文章だろう。
「なるほど……」と私は思い、昔も今も、人間にとって旅の効用はあまり変わらない、と感じた。と同時に、妻が旅先から親や子供に便りを出す心境と、400年前の兼好の心境とが、清川さんの“仲介”によって共鳴したように感じた。ご存じの読者も多いと思うが、妻は毎日、伊勢にいる自分の両親宛に絵手紙を描いている。また、生長の家の講習会で各地に行くと、宿舎から3人の子供に絵葉書を出す。妻だけではない。私もかつて、妻や子供を家に残して旅していた頃には、私自身がFAXや電子メールを使って兼好と似たようなことをやっていた。そして今は、旅先でスケッチをしたりする。その理由を、兼好は上の短い文章の中に巧みに描いている。それは「いと見慣れぬことのみぞ多かる」ことに気づく心境だ。それが「目覚むる心地」を引き起こす重要な要素であるに違いない。
しかし、そうは言っても、交通機関が発達していない400年前に、兼好法師が都から山里へ旅することと、航空機や新幹線による現代の旅行とは、だいぶ違う。外国旅行なら「目覚むる心地」を味わえたとしても、国内の旅行は、どこへ行っても大企業の看板、駅前開発、ファーストフード店、ファミレス、居酒屋チェーン、流行のスタイル……そういう画一性が横溢していることを、私は本欄でも嘆いて書いたことがある。しかし、着眼点を変えれば、都会の真ん中でも「目覚むる心地」を味わうことができる、ということも本欄には書いた。そのことを妻は、思い出させてくれたのである。これらのことは、すでに『日時計主義とは何か?』の本に収録されているが、本欄でそれを読みたい読者は、「わが町--原宿・青山(2)」と「意味と感覚」の文章を参照されたい。
谷口 雅宣
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コメント
「歩けば見えてくる」と言われた方がありますが同じ物事、風景を見たり、聞いたりしましても10人10色で感じ方、見方、思い、行動が異なります、しかし、話し合うと自分には見えていない世界が「成程!」とうなずかされ新発見(目覚める心地」する事も多々あります、ですから大いに有りの儘、感じた事、思った事を表現して行く事は素晴らしい事だと思います、絵手紙や絵葉書なんて風流ですねえ、、私は出来ませんのでもっぱら簡単に写メールで楽しんでいます。
投稿: 尾窪勝磨 | 2007年12月14日 22:01
ありがとうございます。
隣の区に兼好法師が住んでおられたと伝えられる場所があり(神奈川県横浜市金沢区)、また、我が家の近所にも、鎌倉時代には宿場で、そこへ宿泊された兼好法師が歌を詠まれたと伝えられる場所(神奈川県横浜市栄区)があり、兼好法師を幾らか身近に感じさせていただいていた私には嬉しい記事でございます。
旅は私も好きでありますが、先生の仰る通り、着眼点を変えれば、都会の真ん中でも「目覚むる心地」を味わうことができる、という事には私も数年前から薄々気付かせていただいておりまして、最近は専ら無闇に遠方を旅する事なく、気軽に歩いて行ける所の小さな発見を愛でる事を致しております。これがなかなか奥が深く、しかも一切の交通手段を使用しませんので環境にも優しく、気に入っております。
投稿: 長瀬 祐一郎 | 2007年12月15日 15:54
長瀬さん、
横浜のどのへんにお住まいですか? 私は菊名に2年ほどいて、新横浜を含め周辺を歩き回りました。その当時は「栄区」というのはなかったです。
投稿: 谷口 | 2007年12月15日 22:41
ありがとうございます。
「栄区」は横浜市戸塚区から、20年ほど前に泉区という区とともに分かれました所でございまして、横浜市の最南端に位置しております。ひと山越えれば鎌倉市で、JRの駅では京浜東北線「本郷台駅」が区内にございます。また、JR「大船駅」の敷地も、鎌倉市とともにその一部が横浜市栄区に属しております。
遠方からのお客様からは「ここが本当に横浜なのか?」と疑われる程、のどかな所でございます。
投稿: 長瀬 祐一郎 | 2007年12月16日 17:49