2007年を振り返って (3)
さて、最後に私的立場から今年を振り返らせていただこう。
まさに「光陰矢のごとし」の印象とともに今年は終ろうとしているが、その理由の1つは、恐らく著書を多く出させていただいたからだ。発行日でいうと3月1日が『日々の祈り』、9月1日に『小閑雑感 Part 8』、11月22日は『日時計主義とは何か?』で、クリスマスには『小閑雑感 Part 9』(発行日は1月1日)がもう出ていた。講習会の往復の旅程で校正作業をすることもあった。その間、全国大会あり、国際教修会あり、宇治や長崎での大祭もあった。しかし、現在の私のスケジュールは、講習会が全国59教区で毎年行われていたときと比べれば、相当ゆったりしているはずなのである。だから、私が勝手にやることを増やしているのである。
このブログを書くことが、その1つだろう。誰にも「書いてほしい」と言われたことがないのだから、いつやめても怒られないだろう。が、毎日のアクセス数が600~1000回になっているのを知ると、怠けるのは読者に申し訳ない、と奮起するのである。また、今年は自分用のデジカメを新規に買ったことで、動画を撮映してサイトで公開することを始めた。この動画編集にも時間がかかるが、「百聞は一見にしかず」という映像の訴求力は大きい。このおかげで、絵を描くことが疎かになった。本サイトのギャラリー「わが町--原宿・青山」に掲載したモノクロのスケッチ画は、すべてデジカメ購入以前に描いたものだ。では、それ以後は絵を描かないのかと言えばそうではなく、夏からは「絵封筒」なるものを始めてしまった。絵か動画のどちらかを捨ててしまえば楽になるのだろうが、どちらにも捨てがたい魅力がある。まだまだ「執着が多い」人生と言わねばなるまい。
秋になって、それまで使っていたノートパソコン(IBM ThinkPad X40)の後継機、レノボの「ThinkPad X61」に乗り換えた。とは言うものの、OSをウインドーズのXPからVistaに変えたので、ソフトの移行が完全にはできず、まだ2台を使い分けている始末だ。ただ、新機種は「タブレットPC」といって、画面に直接ペンで書きこんだり、指示したりできる。この機能のおかげで、紙や絵具を使わずにパソコンだけで絵を描く手段を獲得して喜んでいる。
ところで、昨年12月27日の本欄に書いたアイポッドだが、これによって私も“ながら族”の仲間入りかと恐れたが、結局そうならなかった。全く使っていないわけではなく、CDの音楽や自作の動画を入れて時々楽しんでいるが、私にはもともと「歩きながら何かをする」という習慣がないのと、そうすることで失うことが多いのに気づいたからだ。歩くことは、世界と直接に触れ合う安価で最良の方法ではないか。そのとき、失われつつある都会の自然を感じ、町並みの変化を味わい、人々を観察し、同伴者と会話することで人生が貧しくなるとは、私は思わない。電車の中でも、本を読んだり、ノートをつけることはあるが、「自分好みの音楽に浸る」というのは、どうも私の趣味ではない--そう気づいたからである。
今年、珍しくクラッシク音楽のコンサートへ行くことができた。東京オペラシティーで行われた千住真理子さんのヴァイオリン・リサイタルで、名手が弾く名器・ストラディバリウスの響きを堪能できたことは誠にありがたかった。私は小学生の頃、ヴァイオリンを習っていたことがあるが、その時の弾き方とは大いに違う、全身を使う力あふれる演奏や、会場の隅々まで届くピアノシモの音など、CDや映画では聴けない素晴らしい生演奏は、今も記憶に残っている。そんな演奏を2時間以上んも続けたあとで、千住さんはファンの要望に応えてサイン会まで行った。一流の芸術家は、サービス精神も一流だと感銘を覚えたものである。
さて最後になるが、私も今年初めて『日時計日記』をつけた。私はいつも寝る前に、ベッドの中でこれをつけるが、その際、日記の欄の枠にあまりこだわらずに、航空券の切れ端や、映画や美術展の入場券などをベタベタ貼りつけることがある。記念になると思うからだ。だから、1年たった日記帳は、元のものより分厚くなる。来年版の『日時計日記』の場合、こんな使い方をしていると、1年後には上下巻を収納する紙製ケースに入らなくなるだろう。その場合、どうするか……などと今から考えている。写真は、開いているのが私ので、閉じているのは妻のものだ。
谷口 雅宣