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2007年11月11日

人間と動物との共存

 北海道に来て考えさせられたことがある。それは、人間が野生の動物と共存するためには、人間自身も“野性的”にならねばならないのか、ということである。この場合の“野性的”の意味は、「動物的」と言ってもいいかもしれない。例えば、シカの肉を食らい、銃を持ってクマを追いかけるような生活をすることである。
 
 野生のシカが増えて農産物や山林に被害を与えているのは、北海道に限ったことではない。が、北海道は広大な農林業地域だから被害額も大きく、年間で30億円におよぶという。東京でも奥多摩町などでその被害が深刻であることは、昨年5月30日の本欄でも触れた。ここでは、シカ肉料理を特産品として売り込むことを考えているようだが、北海道の場合も、札幌、江別両市では市民がシカの味に親しんでもらうための「エゾシカ料理まつり」が今、行われているという。10日の『北海道新聞』が夕刊で伝えている。シカ肉料理を特産として定着させることで、増え続けるエゾシカの被害の緩和に役立たせようとしているらしい。

 人間の嗜好は、習慣によって作られる面が確かにある。だから、多くの人々がシカ肉を味わう機会が増えれば増えるほど、日本全体で食品としてのシカ肉の需要がふえる可能性がある。そうなれば、シカの捕獲量が増える一方で、“競合食品”と思われる牛肉、羊肉、ブタ肉、鶏肉などの需要が減るから、自然破壊の程度が和らぐ可能性はあるかもしれない。しかし……と、私は考え込んでしまう。元来の北海道の自然では、シカは天敵であるヒグマやオオカミによって生息数を制限されてきた。そういう天敵が減った今、人間が代わりに天敵になるべきである--その考え方は理解できる。よく考えれば、人間はすでに太古の昔からシカの天敵なのだから、“害獣”を駆除するのに今さらためらうのはオカシイ。が、それと同時に、「シカを殺すのはかわいそう!」と叫ぶ動物愛好家がいるし、子供たちがいる。この矛盾撞着の中で考え出されたのが「シカ肉料理」なのだろう。
 
 シカ肉料理の普及により、日本全国の食肉販売店の店先に占める牛肉、ブタ肉、鶏肉の割合が、肉類全体に対して少し減少する。それにともなって「シカを殺すのはかわいそう!」と叫ぶ人の声も小さくなっていくに違いない。なぜなら、今、牛やブタ、ニワトリを殺して食べることを「かわいそう!」と言う人はきわめて少ないからだ。これらの家畜、家禽なみにシカが扱われることで、狩猟家の仕事がしやすくなり、農産物被害が減り、自然破壊も若干減る--いいことばかりだから、文句を言うのはオカシイ。

 上に書いた論理は、細部にいくつか“穴”があるが、それは問題にしないことにして、“大きな穴”を指摘すると、それは「感情」や「文化」の問題が考慮されていないことだろう。また、家畜の肉を食することと、自然界の象徴であるような動物(シカ)を殺して食することの違いも、考えるべきだと思う。これらのことは、また別の機会に述べてみたい。
 
 ところで、千歳から羽田までのAIR DO機の機内誌『ラポラ』11月号の中に、知床財団の山中正実氏が「ヒグマとつき合うために」と題した文章を書いていた。それをひと言でまとめれば、今は「銃の発砲でヒグマを威嚇する」ことが人間とヒグマの共存に必要だというのである。世界遺産に指定された知床には、ヒグマが高密度で生息している。近年、観光客が増加しているから、人間とヒグマが接触する機会もふえていて、山中氏によると、クマがのんきに道路を歩いていたり、川でサケを獲っている様子を「たくさんの人たちが大喜びで観察している」という。しかし、餌を投げ与えたり、近づきすぎてクマをいらつかせたりする人もいて、これが「危険と隣り合わせ」だと気がつかないので、山中氏らは、人の近くにいるクマを見つけると、殺傷力のない威嚇用の弾を込めて銃を発射する以外に仕方がないのだそうだ。すると、観光客からは、せっかく見つけたクマを追い払ってしまうイジワルなオッサンということで、ブーイングを受けることになるという。
 
「増えすぎたシカ」と「人に脅威を与えるクマ」--この2つの問題を解決する道は、どこにあるだろうか? 読者はすでに気づいていると思うが、これら2つの問題の原因は共通している。だから、解決の1つの道は、その共通の原因を除くことである。しかし、それができないところが、きわめて現代的で、人間的な問題なのである。

 谷口 雅宣

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コメント

「人間が野生の動物と共存するためには、人間自身も野生的(動物的)にならなければならないのか?」「増えすぎたシカ」「人に脅威を与えるクマ」この問題を解決する道はどこにあるのだろうか?」、これは難問です、人間以外の全ての生物は弱肉強食で解決していますが人間には「可哀想だとか可愛いとか共存しよう、したい、するべきだ」とか、又反対の思いが混ざり合い迷いのない解答が見出せません、おそらく人間のエゴがその様な状況を作り出しているのでしょうが、、、そう言う意味で残念ながら人間はまだまだ本当の智慧、叡智を発揮し得る段階まで能力は与えて頂いているが進歩していないのではないか?と現時点では考えます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年11月13日 02:26

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