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2007年11月 8日

教育の地域格差は大きくない?

 前回の本欄では、今回の大規模な全国学力調査の結果のうち、基礎的知識の程度は「低下」していないし、むしろ「向上」している、という点を取り上げた。今回は、「教育の地域格差」が大きく、また拡大しつつあるとする問題に対して、この調査結果が何を語るかを調べてみよう。が、その前に、日本の教育問題に関心のある読者は、前回の本欄の末尾に示した文科省のサイトから、調査結果のポイントをまとめた文書をダウンロードしてぜひ読んでほしい。普段、マスメディアの情報を信じて、そこから得た印象を「現実」だと考えている人の中には、きっと“驚くべき発見”が数多くあると思うからだ。

 さて、今回の文科省の発表に関連して、教育の地域格差について新聞各紙は記事のリード文でどう伝えているだろうか?

○都道府県別の平均正答率で一部に開きがあったほか、就学援助を受けている子どもの割合や地域の規模と正答率との相関関係もみられ、「教育の格差」が一部に表れた。(10月25日『朝日』)

○都道府県別で差もみられ、小学校では秋田、中学では福井、富山などの正答率が高く、沖縄や大阪などの成績が悪かった。(同日『産経』)

○都道府県間の正答率には最大23.1ポイントの開きが生じ、学力のばらつきも浮き彫りになった。(同日『日経』)

 これらの文章を素直に読めば、そこから受ける印象は「教育の地域格差は大きい」ということである。しかし、これらのうち『朝日』と『産経』は同じ日の記事の中で、次のようにも書いているのだ--「1960年代の学力調査で格差が問題になった都市部と地方を比較すると、大きな差はなかった」(朝日)。「都道府県別の平均正答率は昭和30年代の調査に比べ、地域間格差が縮小し、教育の格差是正に一定の効果があった」(産経)。一方『日経』は、この日の第3面の記事でも、「国公私立間の成績の格差も新たに判明」とか「入学選抜がある国私立を除く公立校の成績は都道府県間でばらついた」などと、依然として「格差は大きい」と思わせる表現を使っている。
 
 では、実際のところ格差は大きいのか小さいのか? 私は、この判断は純粋に統計学的なものを優先させるべきだと思う。そうしなければ、今回のように78億円とも言われる経費を使い、これまでになく大きなサンプルを採って調査した意味がほとんどなくなってしまう。なぜなら統計の価値は、サンプル数が多ければ多いほど信頼性の高い結果が引き出せるという点にあるからだ。では、統計学的な判断がどうかというと、それは文科省の「平成19年度全国学力・学習状況調査--調査結果のポイント」という発表資料にあるものだと思う。それを下に掲げよう:
 
「小学校調査、中学校調査ともに、平均正答数、平均正答率、中央値、標準偏差を見ると、地域の規模等(公立:大都市、中核市、その他の市、町村、へき地)による大きな差は見られない」。

 そうなのだ。今回の調査で明らかになったことの1つは、「現在の日本の小中学校教育では、統計的には大きな地域格差は認められない」ということなのだ。前回触れた池上彰氏の記事を除き、この重要な事実をきちんと伝えてくれる新聞がなかったことは、現代のジャーナリズムの偏向を示している有力な証拠だ、と私は思う。その偏向とは「悪いもの探し」の傾向である。私はもちろん、この報道をめぐる新聞記事の中に「地域格差は大きくない」という意味の表現がまったくなかったと言うのではない。そうではなく、報道姿勢を示す「見出し」や「リード文」「記事の配置の仕方」などの面で、この重要な事実を過小評価しようとする傾向が見られたと言っているのである。
 
 その証拠をいくつか挙げれば、『朝日』は10月27日の記事で「詳しく結果を見ると、沖縄などを除いて大きな差がない。9割近くが平均正答率の上下5ポイント程度の範囲内に収まっている」と書いているが、その文章に至る相当前の文章には、教育社会学の専門家の言葉を引用して、「この10年間で格差が拡大したのは事実だ。それが表れていないのは、分析の仕方に問題があるのではないか」と言わせている。これでは、「文科省の統計の数字にはウソがある」と言っているに等しい。また、『日経』は10月25日の第3面の記事で「今回のテストは様々な“学力格差”をあぶり出した」と書いた下に、「専門家の見方」という欄を設け、2人の“専門家”の相反する見解を並べている。最初の見解は「都道府県別の平均正答率の“ばらつきが小さい”という文部科学省の説明には問題がある」として統計を否定的にとらえているが、2番目の見解は「1960年代の旧学力テストの結果に比べ大都市とへき地の学力格差がほとんどなくなったのは大きな変化だ」として同じ統計を肯定している。これらを読む読者は、見出しにもなく、地の記事では否定され、さらに1人の専門家の見解で否定されている文科省の統計の意味を、もはや肯定的にとらえることはできないだろう。
 
 私がここで言いたいのは、「文科省の統計分析をそのまま信じろ」ということではない。78億円もの国家予算を使って実施した統計学的調査の結果を、一応はそのまま報道してほしいということである。もちろん専門用語は一般向けに噛み砕いて説明してほしいが、その内容を曲げるような報道は世論操作ではないだろうか。統計結果に不満があるなら、「今回の調査結果はこうなったが、別のデータは別の結果を示している」と簡明に示してほしかった。なぜなら、それが事実というものだからだ。「事実」や「現実」は、多様な人が見れば多様に解釈できる。それを単一の見方に牽引していくのが報道機関の使命だと、私は決して思わないのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

報道機関と言うものはどんな事件、事柄に対しても副総裁が言われます様に単一な見方を?引していくのが常であると思います、時代の先端を行くエリートである自分達の分析、見解が正しい、自分達を是とし他を非とする様な変なプライドの様なものが有るのでしょうか?江川事件でもそうですが自分達の結論が先にあり、100%悪、非にしてしまう、街頭でのインタビュウ報道でもそれのみ放映する、「事実」や「現実」を公平に有りの儘報道し(これが使命だと思います)、判断は視聴者、読者に任せる部分を残さないで自分達の主張のみで覆ってしまう(ここが問題です)、報道人の考えはそれはそれで良いのですが「事実」を有りの儘報道し、多様で異なった解釈、思いが有るのだと言う事にも配慮して報道して欲しいと若い頃から思って居りました。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年11月 9日 11:53

副総裁先生、
 合掌、ありがとうございます。
 全国学力調査に関するマスコミの対応に関しては、私も先生とほぼ同意見です。確かにマスコミの報道には偏重やある種の「世論操作」の意図が見られないとは言い難いと考えます。
 今回の結果からは「地域格差」を明確に読み取ることは出来ないと思います。ただ、教育現場にいる者の立場から言えば、「地域性が現れている」結果であると言えるかも知れません。例えば、小学校の平均点が秋田県で上回っているという結果などは、よい意味で当該県での家庭学習(宿題等をする習慣や時間)は他県に比べて多く、また、児童の放課後の過ごし方も「遊びより学習や読書」という習慣が根付いているためだと分析する専門家もいます。さらに、学力調査と同時に行われた意識調査に目を向けて、生活習慣と学力との相関関係を見比べると、また新たな視点や問題点が浮かび上がると思います。
 ある国立教育大学の教授の見解では、今回の調査問題は「先走り過ぎた問題である」との指摘もあります。そもそも、今回の調査問題は、平成18年2月に公表された「中央教育審議会経過報告」を基に作成されたものと考えられるからです。以下はその報告の概要を公表した文科省のサイトです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06021401/007.htm
 また、平成14度から完全施行された「学校五日制」以後、子供たちの学力と体力がどのように変化したか、ということも、マスコミではあまり取り上げられていないことも現場にいる私としては疑問に思っています。

投稿: 佐々木勇治 | 2007年11月 9日 21:43

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