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2007年11月25日

“パンドラの箱”は開いたか?

 21日の本欄で、京都大学の山中伸弥教授らのグループによる“万能細胞”の研究成果を紹介したとき、私はこの研究が「他人の受精卵や卵子を使わず、患者本人の細胞を利用することで、移植医療の最大の関門である拒絶反応の問題をクリアできる可能性が飛躍的に増大した」と高く評価した。この考えは今も変わらないが、科学技術の進歩については、原子力の利用が示しているような“諸刃の剣”的な側面があることを忘れてはいけない。つまり、技術そのものに善悪はないが、その利用の仕方いかんでは、優れた技術、強力な技術ほど悪い結果をもたらす危険が大きいという点である。
 
 今回の研究は、比較的容易に誰からも入手できる皮膚の細胞から“万能細胞”を得られる道を切り拓いたわけだから、文句なく“善い”研究だと考える人が多いかもしれない。しかし、このような技術の進歩は素晴らしいことに変わりはないが、その影響が大きいがゆえに、使い方によっては“善い”結果だけが生じるわけではない。私がこのことに気づいたのは、23日付の『日本経済新聞』紙上に載った山中教授のインタビュー記事を読んだときだった。同教授は、インタビューアーの「倫理面の規制についてはどう考えるか」という質問に対して、次のように答えている--
 
「国で適正なルール作りを早急に検討すべきだ。iPS技術を使えば男性から卵子、女性から精子を作るのも可能。しかし非常に複雑な話になるので一定の枠をはめた方がよいだろう。ただ、iPS細胞は医療現場に役立てるためにわざわざ人工的に作ったものなので、臨床に生かさないと意味がない。過度の規制はよくないと考えている」

 私はこの記事を読むまで、今回開発された技術がそこまでできるなど想像していなかったから、少なからず驚いた。そして、これを読んで真っ先に頭に浮かんだのは、同性愛者による子の誕生である。山中教授のこの発言だけでは、同教授が同性愛者の子づくりをどう考えているか明確にはわからないが、何となく「規制すべきだ」との考えのように思える。その理由は、「家族や親子関係が複雑になりすぎる」からなのだろう。しかし、かつては“社会の目”から隠れていたこれらの人々も、今日では普通に市民生活を営み、同棲生活はもちろん、一部では結婚も許されるようになっている。異性愛の人間と差別することなく、すべての権利を保障すべきであるというのが、今日の要請である。そういう状況下では、「子をつくることだけは許されない」と定めることは不可能ではないだろうか。

 そうすると、今後どうなるか。ここから先は、あくまでも「仮定」の話として聞いてほしい。ここにAという同性のカップルがいるとする。愛し合っている2人は、お互いの遺伝子を半分ずつもった子を得たいと熱望しているが、これまではその願望を実現する方法がなかったから諦めていた。ところが、新技術によってそれが可能となれば、「そうしてはいけない」と言う理由はあまりない。現在でも、遺伝子の問題にこだわらなければ、同性のカップルは子をもつ手立てがないわけでもない。それは養子の制度を利用したり、他人から卵子や精子の提供を受けることによって(少なくとも技術的には)可能である。そして、すでにこの時点において、生まれて来る子にとって、家族や親子関係は十分複雑である。この複雑さに、遺伝子の問題が加わることが、このカップルの「子を得たい」という熱望を否定するに値するほど「複雑すぎる」かどうかは、大いに議論の余地があるだろう。
 
 ということで、カップルAは新技術によって、法的にも生物学的にも子をもてることになった--そう仮定しよう。このカップルが女性同士であれば、一方のパートナーの皮膚細胞から新技術によって精子をつくり、それを人工授精をへて、もう一方のパートナーが妊娠すれば子が生まれる。これに対し、カップルが男性同士の場合は、もう少し複雑になる。この場合は、一方のパートナーの皮膚細胞から卵子を作り、人工授精によって作った受精卵を代理母に依頼して妊娠・出産してもらうことになるだろう。法的、倫理的な問題を考慮に入れず、純粋に技術的に考えれば、これらは可能だ。が、その結果、生まれた子どもは一体どのような人生を送ることになるのか--この点が、私には最も心配である。
 
 成人した男女が、自らの責任においてパートナーを選ぶ場合、その相手が同性であるか否かについて、他人や法律が関与すべきでないという主張は理解できる。しかし、そのカップルから生まれる子どもに、半ば強制的に“特殊”な環境を押しつけることに問題はないのだろうか。成人カップルの決定は自由意思にもとづくのに対し、そこから生まれる子には自由意思が認められないのだ。それは、異性のカップルから生まれる子にも言えることだから、無視していいと考えるべきなのか。それとも、男親が2人いたり、女親が2人いるような家庭を“特殊”と呼ぶのは間違いで、それらをもっと“一般化”すべしというのが新時代の要請なのだろうか。人類の目の前には今、このような未踏の道が口を開けているように見える。この新技術は、はたして“パンドラの箱”を開けてしまったのだろうか?
 
 谷口 雅宣
 

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コメント

善悪、良し悪しは別にして、ついに人類はパンドラの箱は開けてしまいました、しかしすぐに閉じたら良いと思います、「未来が全て分かってしまう災い」は残るものと確信しますから、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年11月26日 12:28

尾窪さん、

>>ついに人類はパンドラの箱は開けてしまいました、しかしすぐに閉じたら良いと思います

 どうやって閉じればいいのでしょうか?

投稿: 谷口 | 2007年11月26日 22:39

全て便利、好都合な発見、発明は比例して危険度が高くなります、歩くよりは自転車が、自転車よりは自動車が、自動車よりは飛行機が飛行機よりはスペースシャトルが、、と言う具合に、即ち、"開ける"と言う事はアダムとイブが「善悪を知る木からは取って食べてはならない」と言われながら食べた事、パンドラも「開けてはいけない」と言われても開けた事、つまりこれは想定内の事、人類の欲望、好奇心から実践した事が新たな災いや苦難を生み出す設定を深く認識して"閉じる"と言う事は"諸刃の剣"と言う側面をしっかり考慮して慎重に事を進めて行くと言う事であると現時点では考えます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年11月26日 23:57

今回の技術をして“パンドラの箱”を開けたという表現を使うのであれば、原子爆弾のような一度に多くの人々を殺戮する技術が開発された時点で、パンドラの箱は開いたのだと思います。しかし、原子力技術でさえ、それ自体は善でも悪でもなく、それを使う人間の心の問題であるならば、今回の技術もそれを利用する人間の心を変えていかなければならないと思います。環境問題にもよく似ていますが、個人個人の心が変わっていかなければならない重要な時期だと思います。

だからといって何もしないわけではない。環境問題でも法律で規制できることはしているわけです。問題は同性愛を倫理的にどうとらえるかです。先生も書かれていますが、異性の両親の家庭でも複雑な家庭はありますが、それは同性同士の家庭とは比べることは一般社会が受ける印象とかなり違います。子供を育てるという面からいえば、同性同士の親よりも身体障害者の親から生まれた子供の方が、物質的にはもっと子育てが難しいかも知れません。しかし、同性同士から生まれた子供がその社会から受ける心理的・環境的偏見による弊害はずいぶん大きいのではないかと思います。現在はこれらから生じる弊害を無くそうとする法律は整備されているだけです。

私の友人に脳性小児麻痺ですが素晴らしい人生を送っている人がいます。彼が同性愛者の環境と障害者の持っている環境は似ていると以前にいったことがありますが、それは社会が本当にそれらの人々のことを理解していないことから自然と受ける弊害が似ていると私は理解しました。しかし、一つだけ言えることは、障害者は障害を乗り越えるための技術を求めても、同性愛者は自分の性の嗜好を変える技術を求めていないかもしれません。私が健康で生き続ければあと40年くらいは生きれると思いますが、そのときどんな世界になっているのか想像もつきません。ただ、技術はすでに開発され、更に進歩していく状態なのですから、生まれてくる子供達のことをもっと真剣に今居る人たちが考えなければならにのに、それをしないのなら法的に規制を加えることが大切だと思います。長くなって失礼しました。

投稿: 川上真理雄 | 2007年11月27日 02:54

人間が斧を作って木を切りまきを割り有効に使ってきました。最近親を殺傷するためにこれを使うものが、相次ぎました。出発点の善いiPS技術も使い方次第だと思います。
これを本当に良い方向に使うためには、日時計主義の生き方を、一刻も早く伝えていくことこそ肝要だと思います。

投稿: 古谷正 | 2007年11月27日 08:19

尾窪さん、

>>"閉じる"と言う事は"諸刃の剣"と言う側面をしっかり考慮して慎重に事を進めて行くと言う事であると現時点では考えます

 ……ふむフム…。しかし、「慎重にやる」というのは「隙間が開いている」ということですね。「閉じて」はいませんよ。同じ技術が、不妊治療に大変有効なのですから、開いている隙間はかなり大きいと思います。

川上さん、

>>同性同士から生まれた子供がその社会から受ける心理的・環境的偏見による弊害はずいぶん大きいのではないかと思います。

 偏見の問題はもちろんあるでしょうが、「男親とか母親しか知らない子」は成長過程に問題は起きないのでしょうか?

投稿: 谷口 | 2007年11月27日 15:39

確かに御指摘通り、人間は限界を知っていますから欲望、好奇心を完全に"閉じ"てはいません、隙間がありますね、今回のケースは完璧に"閉じ"なくて良いのだと思い直します、只、指摘された方がおられますが「利用する人間の心の問題」「良い方面に使うか否か?」について人類は神仏に試されているのかも知れません。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年11月27日 16:57

合掌ありがとうございます

慎重に事を進めていくということに対して…

技術が開発される可能性が濃厚である以上、この技術とうまく付き合っていくことを考えるのが現実的であると思います。

従って、私は世界的に統一した規制を施すべきだと思います。

規制に関しては、この技術の開発が本来、再生医療への応用を目的としてなされたものである(と私は了解しています)ことからこの技術の応用を再生医療に限るのが良いのではないかと思います。再生医療への応用に関しては、社会的な反応をみる限り歓迎されているし、大方反対意見はないように思います。すなわち再生医療に限れば人類にとって有益なわけです。開発を始めた山中教授はじめ諸学者はきっと人類の幸せをそのように願っていたでしょうから、その時に氏らが展望した来るべき未来の良い部分(同性愛者が子を持つことが悪いと決めつけるのでありませんが、甲乙付けがたい側面があります)のみを実現させるという形を取るべきではないでしょうか。

それには、世界的な総意の元に再生医療への応用以外認めないという取り決めが不可欠であることはいうまでもありません。

同性愛者が自分達の子供を持つことに関しては十分な議論の後にこの技術の応用の是非を決めてゆけばよいのだと思いますが、問題はそう単純ではないのでしょうか?

再拝

投稿: 石塚丈士 | 2007年11月27日 21:58

副総裁 谷口雅宣先生
尾窪勝磨さま 川上真理雄さま 古谷正さま:

いつも時代に適応したご指導と問題提起を、感謝申し上げます。
皆様のご文章を拝読して、考えさせていただくことが多くございましたので、
以下長文にて恐縮ですが、私見を述べさせていただきます。
---
基本的に、文化、技術、学問等は発展すべき性質を有するものと考えます。
大切なのは、その「動機」や「方向性」であると思います。
この点を考えるにあたって、フラナリー・オコナーという作家が
「悪(悪魔)」の存在を、“主権の地位にまで登りつめようと決意した悪の知”
と述べていたことが想起されました。
人間の動機が、「主権の地位に登りつめよう」とするものか、
「人類の幸福に貢献する」ためのものかにより、効果に大差が生じると思われます。
そして、この「動機」を決めるものは「人間の心」であると考えます。
このことから、個人の心に神性・仏性を見いだすことの大切さを再認識いたしました。
『ギリシャ・ローマ神話』における「パンドラの箱」は
箱の最後に「希望」だけが残った、という点がとても印象的です。
そしてこの「希望」を見いだすものが「光」の方面を見る生き方なのではないか
と改めて実感いたしました。
以上、個人的観点から考えを述べさせていただきましたが、
これからも希望を持ち続けて、生きていこうと思います。
ありがとうございました。

●参考文献:フラナリー・オコナー 1982 『秘儀と習俗』 上杉明(訳) 春秋社 158頁
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投稿: 川部 美文 | 2007年11月27日 22:33

副総裁先生:

>偏見の問題はもちろんあるでしょうが、「男親とか母親しか知らない子」は成長過程に問題は起きないのでしょうか?

他の一般家庭とは違うわけですから、子供時代に同性の両親しかいなければ随分悩むのではないかと思います。実際にそういう実例に出会したことはないので、あくまで個人的な想像です。こちらではよくテレビで子供の問題(家庭環境・虐待・ドラッグ等)や差別(人種・性等)に関して特集があります。以前に、同性(女性)のカップルに育てられた少年が18歳になり、一度だけ精子のドナーに会えるという契約書を親が彼に見せられ、少年が自分の意志でバイオロジカルの父親に会いに行くドキュメンタリーを放映していました。先生の質問された内容と同様のことに対して少年の答えは、「十分に愛を注がれていたので、他と違うと感じていたが苦ではなかった」というような簡単なコメントをしていたと記憶しています。しかし、簡単に一言で言えることかどうか疑問にも思いました。とりわけ住んでいる場所によっても子供の考え方も相当違うのではないかと思います。彼の住んでいるところはサンフランシスコですから、これが中部や南部の例えばアラバマとかワイオミングとかでしたら全然話は違ってくると思います。

投稿: 川上真理雄 | 2007年11月28日 00:27

脳の活性化には役立ちましたがちょっと考え過ぎました「過去をみてはならない、未来を願ってもならない、過去は過ぎ去ったものであり、未来は未だ来たっていない、只、現在の状況をそれぞれ良く観察して今なすべき事を努力してなせ!」と言う原点に帰り、神仏の設計、用意された選択を誤らない様に判断して行く様に努める事に致します、様々な御意見有難う御座いました。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年11月28日 17:16

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