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2007年11月22日

「日時計主義」は実相顕現の運動

 今日は午前10時から、長崎県西海町の生長の家総本山において「谷口雅春大聖師御生誕記念・生長の家総裁法燈継承日記念式典」がとり行われ、私は祝詞を奏上させていただき、参集された幹部・信徒の皆さんにご挨拶を申し上げた。以下は、その概略である。ただし、式典の進行が予定より遅れていたので、話す予定にしていても、実際には省略した言葉も下記には含まれている。また下記は、実際に話した言葉すべてでもない:

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 皆さん、本日は生長の家の秋季大祭ならびに記念式典によくお集まりくださいました。ありがとうございます。日本列島は11月の後半に入って急に涼しくなり、夜はだいぶ冷えるようになってきました。東京にいる私たちは1週間前ぐらいから暖房のお世話になっています。18日には東京の最低気温は6.7℃で平年より2.4℃低かったのですが、最高気温は19.4℃まで上がりました。私たちがこちらへ着いたのは20日の午後でしたが、その日の朝の気温は3℃まで下がったそうです。それ以降、こちらでも寒い日が続いています。

 しかし、寒くなると紅葉が美しくなります。皆様も金龍湖周辺の赤や黄色の紅葉を存分に楽しまれたことと思います。ここ生長の家総本山は、山海の自然の恵みが豊かに感じられるところであり、澄んだ空や紅葉が、私たちの心や目を慰めてくれるだけでなく、(総本山での練成会に参加された方はご存じのように)自然界は私たちの舌や胃袋も満たしてくれます。今は本山のミカンがおいしく、クリも採れるそうです。カキもいっぱい実っていて、それを食べに来る鳥たちを見ていると、私たちの心が満たされます。それが、自然と人間の関係の本来の姿だと思います。
 
 ご存じのように、現在の世界では人間の活動が主な原因となって、地球温暖化が急速に進行しつつあり、その影響で逆に人間の生活が脅かされるようになってきています。最近では、バングラデッシュを襲った巨大サイクロンで、死者が5千人とも1万人とも言われるような、大きな被害が出ています。「人間が繁栄すると自然が破壊され、貧しくなる」という状況は、昔からありました。かつての公害の時代から、今の都会生活にいたるまで、私たちは実際の経験から、そのことをよく知っています。しかし、今日の問題は、そこから先にあります。つまり、人間の活動により自然が破壊されると、自然が貧しくなり、人間に厳しくなります。その結果、我々の人間の生活も破壊され、貧しくなるということです。21世紀の人類の多くは、もうそのことに気がつき、何か手を打たねばならないと感じているのですが、どこからどう手をつけるべきか迷っている……そういう状態にあります。
 
 11月17日に、国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の総会を締めくくる統合報告書というのが決定され、発表されました。このことは私のブログにも少し書いたのですが、そこには世界の気象学者が合意する形で、あらゆる温暖化対策を緊急に実行に移して、被害の拡大を食い止めるべきだと述べられています。どれか1つをするのではなく、考えられるすべての対策を動員する、ということで、「排出権取引」や「炭素税」の導入のこと。そのほか、原子力発電、再生可能エネルギーの利用、CO2の地下貯留、ハイブリッド車やバイオ燃料の普及、省エネ技術の拡大など、全部です。それだけ事態は切迫していると言えます。
 
 私たち生長の家の運動も、今年から「“自然と共に伸びる運動”実現のための第1次5カ年計画」というものをスタートさせました。「第1次」ですから、その後には「第2次」も考えられていて当面、10年間で“自然と共に伸びる運動”を実現していこうという考えです。これは、決して単なる環境運動ではありません。それは「神の創造された実相世界は善一元であり、大調和である」という真理にもとづき、その実相世界の姿を地上に持ちきたすための、実相顕現の運動であるということを、皆様方はぜひ念頭に置いていただきたいのです。

 “自然と共に伸びる”ということは、「人間・神の子」の真理を伝える運動は、自然を破壊しながら行われてはならないという意味です。自然の再生力の範囲内で運動を行い、自然も、人間の自覚も共に育てていかねばならないということです。だから「自然との共生」だけではなく「自然との共伸(供進)」をも目指しています。この運動は、何かに逆らって進む運動ではなく、社会の先頭に立って引っぱっていく運動です。全地球的な要請である温暖化抑制のための当然の義務であり、また「人間は自然の一部である」という生物学的な真理にも基づいています。このような生き方が、私たちの日常生活において現実に行われない限り、人類に未来はないと言わねばなりません。

 私は、今日の地球環境問題の根っ子には、現在の私たちの生活の中に、人間至上主義、とりわけ人間の欲望至上主義がある、と思います。人間は「神の子」ですから、人間が互いを尊ぶことはいいのです。しかし、それは人間の「欲望」を尊ぶのではなく、その奥にある「神性・仏性」を尊ぶのでなくてはなりません。しかし今日では、広告・宣伝活動によって「与えられていること」ではなく「欠けていること」を強調することで欲望を喚起し、市場拡大をはかる。製品の寿命を短くし、モデルチェンジを頻繁に行う。これでは、地球がいくつあっても足りないでしょう。昔から東洋では、「足るを知る」という生き方が称揚されてきました。ただし、この考え方は封建制度を正当化すると批判されたため、長らく“時代遅れ”とされてきました。しかし、21世紀の現代では、先進諸国の間には封建制度は存在しません。自由・民主主義の考え方と制度がそれにとって変ったのですが、残念ながら、これは人間の欲望民主主義に堕しているきらいがあります。
 
 地球温暖化の進む21世紀にあっては、宗教的な意味をもった新しい“足るを知る”運動が、上から押しつけられるのではなく、草の根的に盛り上がっていく必要があります。ケニアの環境運動家、ワンガリー・マータイさんは、日本の伝統の中にある「もったいない」の考え方を世界に広めることを提唱しましたが、私は「もったいない」の思想も素晴らしいと思いますが、生長の家にはもっとオリジナルな考え方がある、と皆さんには申し上げたい。それが「日時計主義」です。

 日時計主義は人生の光明面を見る生き方ですが、それは欲望至上主義のように「欠けていること」を見るのではなく、「与えられていること」「恵まれていること」「生きていること」を感じ、感謝することです。これは「もったいない」に通じる精神であると同時に、善一元の信仰にもとづき、現象世界に実相を引き出す具体的実践でもあります。そういうことを今回、この秋季大祭を記念して上梓させていただいた『日時計主義とは何か?』(生長の家刊)という本に、私は少し詳しく書きました。皆さまがたにはぜひ、この本を読んで「日時計主義は新たな実相顕現運動である」ことをよりよく理解していただきたいのであります。

 この「日時計主義」いかに素晴らしいかを、この本の一節をご紹介しながら少しお話したいと思います。101ページから始まる「先進的な幸福増進運動」という文章がそれです。これは2年前の春季記念式典のときに私が話したスピーチですが、当時そこに出席されなかった方も大勢おられると思うで、ここで再び紹介いたします。
 
  (同書、pp.101~102、pp.103~106 を朗読)
 
 このように「日時計主義」は、現代の先端をいく考え方であり、生き方であります。

 もう1つ皆さんに申し上げたいことは、私たちのこれからの運動の仕方についてです。先ほども言いましたが、これからの運動は“自然と共に伸びる”のでなければなりません。つまり、①温暖化ガスの排出をできるだけ抑えて、②自然と人間との一体感を深めながら、人間・神の子の教えを大々的に宣布していく必要があります。そのためには、航空機や自動車を使って遠方へ行くこと、大勢の人間を大ホールに集めること、エネルギーや資源を浪費することなどはできるだけ避け、私たちが日常生活を送るその場に於いて、「求道と伝道」の活動に力を注ぐことが重要になります。ひと言でいえば、第一線の誌友会等の少人数の集まりを重要な運動拠点にしなければなりません。そういう考えから、今年の運動方針には「質の高い運動」という項目が掲げられています。
 
 地元の事情は東京や総本山からはよく分かりません。これには、地元の事情に精通した第一線の人々による独創的工夫が必要です。また、地域や職域のニーズを反映した有効な運動でなければなりません。それは画一的ではありえず、多様な形態をとらなければなりません。が、その一方で、生長の家の信仰の中心を外してはいけません。生長の家とは「大宇宙」のことだと教わっていますから、多様でありながら、同時に神意を体現していく、明るく活発な運動を私たちは目指しています。日時計主義の展開は、神意の展開であるわけです。ですから、“炭素ゼロ”の運動は、日時計主義の精神による多様で、創造的な地元密着型の運動だと理解され、大いに自主性を発揮して明るく、運動を展開していっていただきたい。

 実相世界の写しである自然界を見ていただくと、そこには無限のアイディアが満ちています。それらを賛嘆し、生活や運動に取り入れ、神意にもとづいた活動を展開していきましょう。これをもって自然の恵みに溢れた本日の記念日の言葉といたします。ご清聴ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます。

埼玉教区の石塚丈士と申します。

先生のご文章、毎回ありがたく拝読しております。

私も水曜日に本部で「日時計主義とは何か」を購入し拝読しておりますが、今回の記事を拝読いたしまして生長の家の活動の先進性を感じ、また感動いたしました。

今後の、我々の活動がより具体的、動的、積極的な真理の実践であることがわかりました。天地一切のものと大調和し、すべて、唯一絶対たる大生命の一表現体であると言う考えから発するところの、自他一体感に基づく愛の実践が環境問題への取り組みであり、日時計主義により心のアンテナを実相世界にあわせることで、より強く鮮明に善一現の世界を心に刻み、その祈りによってこの世界を光明化し、世界平和を実現しようという活動なのですね。やることは我々信徒1人1人にかかっていましょうが、しかしその影響力は全地球的で壮大な活動なのですね。

私も埼玉の地で本当に人類の幸福を願う真理の実践をし、活動の輪を広げていくべく邁進いたします。

再拝

投稿: 石塚丈士 | 2007年11月24日 10:53

石塚さん、

 さっそく拙著を購入くださり、ありがとうございます。「心のアンテナを実相世界に合わせる」という表現、気に入りました。どうぞその精神を継続して、日時計主義を生きてください。

投稿: 谷口 | 2007年11月24日 11:57

谷口 雅宣先生

「日時計主義は新たな実相顕現運動である」というお言葉
が、私は特に印象に残りました。
 このことは、現在の私にとってトテモ重要なことである
と思いました。

 志村 宗春拝

投稿: 志村 宗春 | 2007年11月25日 13:58

はい。

日時計主義の生活を実践し明るく楽しい信仰生活を展開して参ります。

感謝合掌

投稿: 石塚丈士 | 2007年11月25日 22:16

『日時計主義』の実践は、『今即、久遠 久遠の今を生きる』壮大なスケールの大きい(極めて深い意義のある)運動だと思いました。
 今の時代に副総裁先生がこのことを強く提唱されたということは、“今”まさにそのことが私たちにとって必要だからであると思います。
 私は、昨日、『日時計主義とは何か?』を一読しました。
その感想を申しますと、草創期の生長の家のことを何となく思いました。そして、『日時計主義』の実践の究極が『礼拝主義』にある。と自分なりに解釈致しました。
 不立文字の教えを総裁先生・副総裁先生からお教え頂く分けでありますが、それをどれだけ生命(イノチ)を懸けて実践しているかが問題と思いました。
 また、『日時計主義とは何か?』の行間には何があるのか?(行間に込めらているもの)は何であるか?ということを思いました。それに対する私なりの結論は、“中心帰一の信仰姿勢を堅持することは素晴しいこと・極めて大切なことである。”ということです。
 とりとめもない書き込みかもしれませんが、副総裁先生が示されましたビジョンの意義を正しく理解しかつ正しく実践して行くことが、人類光明化運動・国際平和信仰運動を強力に推進して行く上でとても重要なことであると思います。

投稿: 志村 宗春 | 2007年11月26日 23:33

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