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2007年10月17日

映画『大統領暗殺』

 私にとって“週末”である今日、妻とともに日比谷へ行き、現アメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュ氏のイラク政策を扱った『大統領暗殺』(Death of a President)を見た。「実物が映画に登場する」という話題性に誘われたわけだが、ケネディー大統領の暗殺を描いた『JFK』やドゴール仏大統領を狙う『ジャッカルの日』のようなドラマチックな仕立てを期待していたので、拍子ぬけした感じだ。この映画は徹頭徹尾、ドキュメンタリー・タッチなのだ。それも、大統領のスピーチ・ライター、シークレット・サービス員、FBI捜査官、容疑者の妻、犯人の息子などが、それぞれ単独でインタビューに答えながらストーリーが進んでいくという、かなり地味な手法である。こういう「語り」の部分が多いので、勢い映像は単調になり、途中で眠気を覚えるところもあった。そして、全体を見終わってから残ったのは「真面目な映画」という印象である。映画のつくり方はこれとは相当違うが、中身のメッセージは、マイケル・ムーア監督が同大統領を批判して作った『華氏911』と基本的に同じだと感じた。
 
 映画を観る前に気になっていたのは、アメリカがいかに表現の自由を大切にする国であっても、「現職の大統領を画面に登場させて殺す」という方法がはたして妥当なのかという点だった。が、見終わってから、「こういう表現の仕方もありえるなぁ」と感じた。大統領への批判は、ムーア監督の映画のように“陰謀説”を声高に主張するのではなく、またブッシュ氏個人への怒りや憎しみを見せつけるのでもなく、三軍の総司令官であり、政治の最高責任者である「大統領」という職にある人間が、「戦争をする」という決定を下した場合に生じる重大な結果を淡々と描いていく形で行われる。その場合、俳優ではなく、批判の対象になっている本人を画面に登場させることで、最大の効果をねらったと思われる。そのリアリティーが、かえって誇張を抑えた表現を要求するのだろう。大統領自身はまっとうに描き、残酷なシーンや病室での様子を含まない点は好感がもてる。
 
 イスラーム系の若いアメリカ人が誤認逮捕され、有罪判決を受けるが、真犯人は愛国的な退役軍人だったというストーリーはなかなか考えさせられる。こういう複雑な心理的変化は、敗戦後の日本人の心の変化とも共通する部分があるのではないだろうか。“聖戦”や“皇軍必勝”を信じて若い息子を戦場に送り出した人が、戦後になって日本や日本軍の様々な“悪業”の話を聞いたとき、それを信じれば「裏切られた」「最愛の息子を奪われた」などと感じ、国家に対して深い怨念を抱くことはあるだろう。その怨念を向ける対象が、国家元首の地位にいる人になることは、それほど不思議でない。トム・クルーズが主演した『7月4日に生まれて』という映画でも、ベトナム戦争を戦った帰還兵が反戦運動に参加し、国を恨み、批判する様子が描かれていた。戦争とは、そのように人の心を翻弄し、傷つけるものなのだ。

 地味な映画であるためか、観客の中には若者の数が少なかった。大勢は中年以上の人々で、しかも会場には半分も人が入っていない。公開してそれほど時間がたってないのだから、「評判がよくない」と考えざるを得ない。自分たちとさほど年の差がない自衛隊員が現地へ派遣されていたのに、若者はこういう現実的で、真面目な映画にはあまり関心がないのだろうか? そう不満に思いながら、帰途についたのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

 人は、なぜ争うのでしょうか。

投稿: 近藤敏子 | 2007年10月19日 09:30

>、国家に対して深い怨念を抱くことはあるだろう。その怨念を向ける対象が、国家元首の地位にいる人になることは、それほど不思議でない。

その「対象」に「怨念を向ける」という行為を個人の自由意思で起こす場合と、第三者の介入・策略でもって「対象」に「怨念を向けさせている」場合を分けて考える事は重要であると思います。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月19日 12:05

鈴木さん、

 現代の戦争に“第三者”というものを想定するのは、むずかしいと思いますが……?

投稿: 谷口 | 2007年10月19日 12:53

近藤さん、

>> 人は、なぜ争うのでしょうか。<<

 あなたはどう思いますか?

投稿: 谷口 | 2007年10月19日 12:54

深く考えず単純に思った儘申しますと今の若者の大多数に関心を求めるのは無理だと思います、当然家庭環境や教育によっては関心を示す人もあるとは思いますが、、何故かと言えば戦後の教育と言う根本的な所に原因がある様に感じるからです、JFKが言った言葉「諸君は国に何かして貰おうと言うのではなく国に何をする事が出来るかを考えてくれ!そして一緒に前進しよう」に真摯に反応しない根本精神、つまり自由と勝手の区別を付かなくしている"狂育"に問題がある、学力(山口県光市母子殺人事件の弁護士達、慈悲深い仏の様な人達と思う人もあるかも知れませんが犯罪を捏造するのではなくありの儘の真実を聞き出しその犯罪以上の刑罰を受けさせない様にすると言う本来の弁護士の役割を忘れ真実を曲げてでも刑を軽くしようと言う姿勢、学問は秀才かも知れませんが思想が歪んでいる)と教育は異なり、国旗に向かって起立しない、国歌を歌わない日教組、純真な若者の多くが真っ直ぐに育つわけはなく、信じられない凶悪な犯罪は次々と毎日の様に発生します、温故知新と言う言葉がありますが戦後民主教育の中に戦前の日本の徳育を偏見無くありの儘に幼い時から少なくとも義務教育終了迄はやるべきである、その後は各人の個性によって自由な生き方をする!この様であって欲しいと考えさせられました。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月19日 13:18

現代の戦争とは、太平洋戦争も含まれますか?

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月19日 14:59

 一昔,いいえそれ以上前に「くさい」という言葉が流行った時代がありました。真面目な人や体制に素直に従う人,決まりをきちんと守る人やその言動を貶める言葉で,私は違和感を感じていました。
 現代でも正しいことを言ったり行ったりする人を何か煙たがる風潮は確かにあると思います。それは物質的・肉体的なものにとれわれた人の「ホンモノ」を求めようとする人への一種の妬みからくるもののように思えます。
 もっと多くの人が,「ホンモノ」を求めることに対する勇気を持つようになると,今の世の中,さらに良い方に向かって前進していくと思うのですが・・・。

投稿: 佐々木 勇治 | 2007年10月19日 21:57

鈴木さん、

 太平洋戦争は「現代史」に入っているので、含まれると思います。


尾窪さん、

 国旗、国歌を重んじることと犯罪の発生率との間には関係がないと思います。「国」との関係ではなく、「社会」との関係で教育が正しくなされていないのではないでしょうか?

投稿: 谷口 | 2007年10月20日 00:07

副総裁は「国旗、国歌を重んじる事と犯罪の発生率との間に関係はない!」と仰います、確かに直接は無いと思いますが人格形成の長いスパン(少なくとも義務教育迄)で考える時に国家と言うものを考えない心的状態は浮遊霊の如く利己的、自己中心的になり易い、その場合「他に何かしようと言うのではなく他に何かして貰う事ばかり考える様になり」それが叶わないとマスコミで報じられている「若者がすぐ切れる」と言う事になり犯罪に繋がると言う様に私は感じます、社会と言うものも勿論重要です、その社会そのものが柱と言う拠り所を見失っている場合正しい教育は期待できません、正しい教育とは?になりますと非常に難しく100人100様の意見が出て来て収集が付かないでしょう、私は単純に「知識と智慧の教育」だと考えますが、これは国家の仕事、政治家は自分自身の名誉や物質的欲求の為では無く心から「人民の人民による人民の為の政治」を実践して欲しいと切に願います、イエスの「平和を実現する人々は幸いである、その人達は神の子と言われるてあろう」全世界の平和を実現出来るのは正に世界中の政治家達に架かっていると思っています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月20日 11:27

 人は、自分が自分がになると、そこに争いは、生まれると思います。

 みんなが人に思いを寄せれば世界中、仲良しになると思います。

投稿: 近藤敏子 | 2007年10月20日 12:06

尾窪さん、

 愛国心と犯罪率の間に関係がない、と言ったとき、私はアメリカのことを念頭においていたのです。アメリカは若い国で、国民は個人主義的であるとは言われても、国家のことをよく考えています。特に、9・11以降は、星条旗や国歌を以前にも増してよく歌うようになっていますが、依然として犯罪率は“世界最大”と言われています。

 あなたの理論には、必ずしも合致しないのではないでしょうか?

近藤さん、

>>人は、自分が自分がになると、そこに争いは、生まれると思います。<<

 私も同感です。国家間の関係の場合、国益を最優先した政治がずっと行われてきました。戦争や紛争の原因の1つは、この辺にあると思います。

投稿: 谷口 | 2007年10月20日 22:42

アメリカと日本はかなり違うと思います、アメリカは複雑な多民族国家で人種差別も単一民族の日本に比べ遥かに深刻なもの、それに国民は国家の事をそんなに考えているとは思いません、もし思っているならJFケネディの言葉は出てこないでしょうし、戦争に行くのも国家の為と言うより生活の為の方が多いと思います、又銃社会と言う現実もあります、従いまして日本の方が遥かに治安が良いのではないかと考えます、そして日本は教育のやり方次第では世界に類を見ない程犯罪の少ない国家になり得る可能性に満ち満ちていると思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月20日 23:49

>星条旗や国歌を以前にも増してよく歌うようになっていますが、依然として犯罪率は“世界最大”と言われています


歌の内容も関係してくると思います。

アメリカ合衆国国歌(1番のみ)
Oh, say can you see, by the dawn's early light
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars, thro' the perilous fight,
O'er the ramparts we watched were so gallantly streaming?
And the rocket's red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof thro' the night that our flag was still there
Oh' say does that star Spangled Banner yet wave,
O'er the land of the free and the home of the brave?


星ちりばめ光り輝く旗
ああ、夜明けの浅い光の中、黄昏の最後の光の中で、
我々が誇らしく喝采を送ったあの旗が君達には見えるだろうか
危険な戦いを通してあの太い縞と輝く星は、
我々が見守る塁壁の上で堂々と翻っていた。
そして火矢の赤い炎、空中で炸裂する爆弾の中、夜を徹して
我々の旗が健在であることを証明してくれた。
ああ、あの星条旗は、自由を謳歌する大地と勇者の祖国の上に,
今も未だ翻っているだろうか

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月21日 20:59

尾窪さん、

>>日本は教育のやり方次第では世界に類を見ない程犯罪の少ない国家になり得る可能性に満ち満ちていると思います。<<

 犯罪統計の国際比較を見たことがありますか? 日本は現状でもすでに、世界の先進国では類を見ない犯罪の少ない国家です。この事実を知らない人が多いことは非常に残念です。

投稿: 谷口 | 2007年10月21日 21:31

犯罪統計の国際比較は見た事はありませんが世界中の報道を日々見聞し、戦後から現在まで生きてきた実感として治安の良さを感じています、しかし数は少ないとは言え信じられないような凶悪な犯罪(親子、夫婦間の殺人事件、利己的放火や殺傷事件、自己の欲望を満たす為の凶悪犯等)が出て来ている事も事実です、これらは物質的豊富の只中に於ける心の貧困であり、教育により正見、正思、正語、正命、正業、正念、正定、正精進等心の教育を組み込めば国際比較で犯罪の少ない国とは言えもっともっと無くして行ける稀に見る素晴らしい国になる条件が整っていると思っています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月21日 22:36

 戦争を経験していない者が「君が代」の歌詞を軍国主義的にしか解釈できないとすると、そのような社会・教育は異常であるとおもいます。
 それこそ「第三者」の介入がなければ、あの歌詞を軍国主義的なものだと解釈するのはむずかしいとおもいます。

 アメリカ合衆国の国歌を読んで軍国主義的な歌だと解釈するのは妥当だと思いますが・・・。

 もし「君が代」を軍国主義的にしか解釈できない国民を現在の「教育」が育てているとすれば、そのように事物をゆがんだ偏見でしか見ることのできない国民に世の中の「真相」を見極め平和を推進していくことなど不可能なのではないかとも思います。

 ありのままの国歌「君が代」を、ありのまま感じとる教育は是非とも必要であると思います。

 尚、現在の生長の家に愛国運動復活を嘆願するものではありません。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月21日 22:41

>>人は、自分が自分がになると、そこに争いは、生まれると思います。<<

「君が代」の素晴らしさはまさにそこにあると私はかんじてます。あの詩には「自分が自分が・・」が無い。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月22日 09:50

鈴木さん、

 あなたのおっしゃる「第三者」とは何のことですか?

 別のコメントで太平洋戦争における「第三者」のことを問題にされたように感じたのですが、あなたの問題意識がどこにあるのか、よくわかりません。アメリカが広島に原爆を落としたことを恨んでおられるのですか?

 それから、あなたの言う「軍国主義」とは何ですか?
言葉の定義をしてください。

投稿: 谷口 | 2007年10月22日 12:41

>アメリカが広島に原爆を落としたことを恨んでおられるのですか?

私のどの文章から私がアメリカに対して「恨み」を抱いてると先生が誤解されたのかわかりません。私が広島在住だからでしょうか?

 「第三者」については、例えば「君が代」の場合、単純に「君が代」という歌があって「その詩を読む人」がいて、それ以外の登場人物は「第三者」です。
 
 しかも先生も前回「第三者の想定は難しいと思う」と仰られただけで「第三者などいない!」とは言われなかった、にもかかわらず私には「断定してお答え下さい」というのはいかがなものでしょう。あえて私も「第三者」という言葉を使用しているのですが・・・。
 

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月22日 14:02

「軍国主義」の定義については、通俗的なもので解釈していただいて結構です。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月22日 14:09

鈴木さん、

>>「第三者」については、例えば「君が代」の場合、単純に「君が代」という歌があって「その詩を読む人」がいて、それ以外の登場人物は「第三者」です。<<


 申し訳ありませんが、私はあなたのおっしゃっていることがよく理解できません。普通の意味の「第三者」は、当事者以外の人のことを言うと思いますが。「君が代」と「その詩を読む人」が当事者で、それ以外の「登場人物」が第三者ですか??? 「登場人物」って、どこに登場するのですか?

投稿: 谷口 | 2007年10月22日 23:41

私がコメントするのも変ですが鈴木さんの言われる第三者とは戦争を知らない若い人達に「君が代の歌詞についてそれが過去にどんな悲惨な結末を招いたか?を教え、又この歌が強制される様になると戦前の様に逆戻りし悲惨な戦争の道を歩む事になる」と歪んだ、偏った教育をする人達(一部の教育者、マスコミも含め)の事ではないか?と思うのですが、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月23日 00:21

>申し訳ありませんが、私はあなたのおっしゃっていることがよく理解できません。

 私は先生にご理解いただかなくてもかまいません。

 私は学者ではないという自分の立場をわきまえておりますから、法律用語そのもののつもりで使用しているわけでもなく、用語を比喩的にとらえて頂いてもかまいませんでした。

先生は文章を読まれるとき相手の文章のだいたいのニュアンスを汲み取られるという行為はなさらないのですか?

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月23日 00:39

「登場人物」の「登場」という言葉にひっかかられたのなら、

「君が代の読み手」「君が代を初めて耳にする聞き手」「それ以外の人」ではどうでしょう?

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月23日 09:16

 議論がはくねつしてますね。


投稿: 近藤敏子 | 2007年10月23日 11:50

鈴木さん、

 大分気分を害されているようで、申し訳ありません。

 ネット上のやりとりは、表情も動作も声音も伝わりません。文字だけのやりとりですから、誤解のないように細心の注意が必要であるというのが、私の考え方です。ですから「ニュアンス」などよりも、厳密な定義の上に立った議論の方が建設的だと思いました。

 しかし、あなたは私に理解を求めないとおしゃるのですから、この議論はもうやめましょう。

投稿: 谷口 | 2007年10月23日 15:09

 お返事ありがとうございます。
「理解していただかなくてもかまわない」と書いたのは、先生が「申し訳ない」と仰られたので、「いえいえかまいませんよ。理解を強要すつものではありませんよ。」というつもりで書かせていただきました。
 
 さて、議論、できればつづけさせていただきますが、何を議論いたしましょうか?

 正直、私の書きこんだ「君が代」についての肯定的な内容で副総裁先生と議論に進展した事に驚いております。


>誤解のないように細心の注意が必要であるとい>うのが、私の考え方です。
>、厳密な定義の上に立った議論の方が建設的だ>と思いました。

 とは言われるもの先生の私に対する「原爆への恨みがあるのか?」というような一方的な想像のみの御発言もされるではないですか。
 こちらもできるだけ先生の御都合に合せますが(先生のブログですから)、先生が常に論理的にご発言されていない事実はお認めになられた方が宜しいかと思います。
 

 

 

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月23日 15:52

あっ、あとこれで2回目に言いますが

「私、気分は害してません」(笑)

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月23日 15:55

>尾窪さん

 コメント入れてくださってありがとうございます。今回は非常に一人で発言して行くのが寂しかったので救われた感があります。(笑)
 
 ふつう議論までしなくとも尾窪さんのような感じで解釈していただけるとおもうのですが・・・。(雅宣先生、先生に対する批判ではありません。私の勝手に思い描く一般者への希望みたいなものだと思ってください。)

助けを求める訳ではないのですが、他の講師の方々のコメントを得られないということは、私のように「君が代」についてああゆう形での肯定的発言をするものは、「生長の家」において「異邦人」的存在なのでしょうか。そこが知りたい。(尾窪さんは御存知無いですよね。)

 尾窪さん、話しは変わりますが家が御近所です。まだ31の若輩者ですが宜しくお願い致します。

 雅宣先生、皆様ありがとうございます。

                 合掌

 

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月23日 16:57

鈴木さん
驚きました、鈴木さんが若いと言う事、家が近所と言う事、私は全く知りませんし、副総裁が御存知なのでてっきり東京の方かと思っていました、それは兎も角、確かにあの文章は分かりにくかったですよ、鈴木さんと私は発想が違うので何とか理解しようと何回も読み返しました、鈴木さんを異邦人だとは思いませんが「羊飼いの羊の中の狼」の例えの様に誤解される発言が活字になっている様に思います、副総裁とのやり取りも、口では「気分を害していません」と言われながら読む側から見ればちょっと角が立っていて、害していない様には感じられません、「鳩の様な素直さと、蛇の様な賢さ」イエスの言葉が浮かんで来ます、私は生ある限り是々非々で行きますので今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月24日 14:30

君が代はけんかするための歌ではなく、

なかよくするための歌だとおもいます。

投稿: 近藤敏子 | 2007年10月24日 15:56

鈴木さんへ

初めまして。
神奈川県在住の佐柄英津子です。

鈴木さんは、色々と真剣に考えておられるのですね。

一つだけ、申し述べさせていただきます。

日本文化の美点を語る時に、悪い例として他国の文化を引き合いに出すのは、公開の場では避けるのが、その国への礼儀であり、思いやりであると思います。

自国の国歌を大切に思うのは、どの国の人も同じですから。
日本の国歌の美点を語るだけでよいのだと思います。

自国の国歌、国旗を大切にすると同時に、他国の国旗、国歌を尊重するのが、国際人の良識であると思います。

                     佐柄英津子拝

投稿: 佐柄英津子 | 2007年10月25日 02:50

>他国の文化を引き合いに出すのは、公開の場では避けるのが、その国への礼儀であり、思いやりであると思います。

 佐藤様、はじめまして、御意見いただきましてありがとうございます。

 今回、アメリカの国歌を私の発言に出しましたのは先の雅宣先生の御発言にアメリカの事例がでてきたからでございます。

 

 

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月25日 12:29

佐柄さん
同感です。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月25日 16:04

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