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2007年10月 8日

インドネシアが燃えている

 10月5日の本欄で北極の海氷の異常な縮小について書いた際、「東南アジアなどにある広大な泥炭地」が乾燥してCO2を排出することにも触れた。私は、そのメカニズムについてよく知らなかったが、7日付の『朝日新聞』がタイミングよくこれを取り上げて詳報している。

 それによると、樹木やコケ類が湿地や凍土に覆われると腐食せずに炭化するらしいが、これが数千年以上繰り返されて積み重なった地層を「泥炭層」という。地球上の熱帯地域の泥炭面積の半分はインドネシアにあるといい、日本では尾瀬やサロベツなどにもこれがあるらしい。泥炭は樹木やコケ類の死骸(主成分は炭素)を地下に固定化したもので、世界の陸地面積の約3%を占めるという。かつて熱帯の泥炭は、湿地に守られていたために燃えることは少なかった。ところが近年、温暖化にともなって森林火災が多発し、また農地開発などで土地の乾燥が進んでいるため、焼き畑の火が泥炭に延焼するようになったという。インドネシア林業省によると、10月2日現在、火災の数は全国で約1200カ所にも及ぶという。
 
『朝日』はインドネシア中部のカリマンタン州に記者を派遣して延焼中の泥炭地の取材をしているが、記者の報告にはこうある:「煙を頼りに、火元に向かった。数百メートル四方にわたって黒く焼け焦げた木々が横たわり、地面から煙が立ち上る。木々を燃やして後も火は地中に広がり、数カ月も燃え続けることがあるという」。
 
 インドネシアの泥炭地から放出されるCO2の量は、年平均で20億トンにもなる。このうち火災によるものが14億トンで、残りの6憶トンは、泥炭地の乾燥が進むことで微生物によって分解される際に排出される量だそうだ。日本全体のCO2排出量が約13億トンであるから、事態の深刻さがよくわかる。逆に言えば、日本がインドネシアに協力して泥炭地の火災を大幅に減らすことができれば、京都議定書の目標が簡単に達成されるどころか、日本全体が実質“炭素ゼロ”を達成することも夢ではないのだ。
 
 7日付の『新潟日報』に温暖化ガスの排出量に応じて課税する「環境税」の導入に賛成する人が4割を超えた、という記事が載っていた。6日に内閣府が発表した「地球温暖化対策に関する世論調査」の結果である。2005年に行われた前回の調査では、環境税導入に賛成が24.8%、反対が32.4%だったが、今回は賛否が逆転して、それぞれ40.1%と32.0%になったという。この調査は、今年8月に全国の成人3千人を対象にして面接を行い、1805人から回答を得た。環境省は、今夏の記録的な暑さや環境問題を扱った映画の影響があると分析しているようだ。私は前々から、環境税ないしは炭素税の導入を訴えているが、国民の意識が着実に変わりつつあることは嬉しい。しかし、環境税の導入には産業界の反対がネックになっている。排出権取引制度でも、日本は業界の反対で世界の趨勢から遅れをとりつつあるのが残念だ。

 が、「業界」全体を悪者扱いしてはいけないかもしれない。一部の先進的企業は、製品の省エネ化だけでなく、生産段階で排出するCO2の削減も目標としはじめた。10月6日の『朝日』によると、松下電器産業は、今後3年間で、生産段階を含むグループ全体で排出するCO2の量を30万トン減らし、2000年の水準に等しい年間360万トンにする方針を発表した。「グループ全体」というのは海外も含めるという意味で、国内では10月から、海外では来年1月から取り組みを開始し、世界にある294カ所の生産拠点すべてで排出削減運動を始めるという。生長の家の“炭素ゼロ”運動は今年4月から始まっているが、松下グループの運動は相当ペースが速いようだ。

 日本政府は、地球温暖化の被害が誰の目にも明らかなほど甚大になってから、環境対策に本腰を入れるつもりなのだろうか? それでは科学にもとづく予測や分析を無視することになり、また環境の“トップランナー”の位置を自ら放棄することにならないか。叡智と決断力のある宰相は、もはや日本から生まれることはないのだろうか?

 谷口 雅宣

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コメント

インドネシアの泥炭地火災、皮肉にもCO2を減らす為のバイオ燃料の原料となるアブラヤシの栽培が、拍車を掛けているという点が一番の問題のように思いました。

投稿: 鈴木 雅臣 | 2007年10月 9日 11:24

意識しない人は別として地球温暖化の被害は多くの人々の目にも明らかになっていると思います、その意味で大国、先進諸国の責任は重大ですが決断力を発揮出来る独裁国家、大国の共産国家でも中々実践出来ない現状です、資本主義国家ではなおさらの事です、叡智は有っても実施出来ない、只その様な現状であっても「掛け替えのない地球を守ろう」と言う地球規模での国際的な意識はあり、しばしば会合が開かれていますが表面だけで各国の思惑が絡み遅々として進展しない様です、従いまして私は命令権を有する強い国連の設立を要望致しますがこれ又大変な事、やはり報道機関と国民が一体となり民意を国政、又は国際社会に反映して行くしか今の所方法は無いかな?宗教界も大きな影響力があると思いますので生長の家を中心に働きかけ全ての宗教に広げて行って貰いたいと思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月 9日 11:42

合掌ありがとうございます(^人^)
auのGREEのニックネームで失礼させて頂きます

大変な事態で、驚きました(ToT)

確かに先生の仰る様に、日本が支援出来たら良いと強く感じます。
しかし、支援して炭素0になっても、やはり日本国内での取り組みも必要だと思います(^^;)

何れにせよ、早く解決しなければならない問題だと思いますm(_ _)m

再拝

投稿: 龍娘娘 | 2007年10月 9日 12:55

>逆に言えば、日本がインドネシアに協力して泥炭地の火災を大幅に減らすことができれば、京都議定書の目標が簡単に達成されるどころか、日本全体が実質“炭素ゼロ”を達成することも夢ではないのだ。

こういう考え方は誤りです。
これはインドネシアの余計なプラス分をゼロに近づけることであって、マイナスになるわけではありません。また自然が不可避に排出してしまった二酸化炭素と人間が人為的に排出した化石燃料とごっちゃにするのも誤りの元です。
実質“炭素ゼロ”ではなく見た目“炭素ゼロ”です。実は見た目差し引きゼロで自己満足させるのが京都議定書の欺瞞です。私はこういう考え方をカーボンローンダリングと自分のブログで書いています。詳細は省きますが京都議定書は炭素排出削減を粉飾するためのトリックなのです。
http://blog.livedoor.jp/y0780121/archives/cat_10001393.html

投稿: 佐藤秀 | 2007年10月 9日 13:54

佐藤さん、

 コメント、ありがとうございます。

>>こういう考え方は誤りです。

 私は京都議定書が完璧だとは決して思いません。不完全な部分が多々あっても、地球温暖化防止を目的として世界の主要国が合意した初めての国際条約として、せめてそこでの(最低限の)目標は達成したい、と願っています。各国が排出するCO2の中の、どれが余計であり、どれが余計でないかは、一元的には決定が困難でしょう。私がここで強調したかったのは、インドネシアの泥炭火災が「それほど大変である」という点です。悪しからず。

投稿: 谷口 | 2007年10月 9日 23:04

佐藤さんは幅広い知識と専門性を持っておられるのかも知れませんが「こういう考えは誤りです」に対して私は「その様な考えこそ誤りである」と思います、
日本との差し引きは例えであってそれだけ日本の排出量が膨大だと言う事でしょう、インドネシヤが減らしただけ日本が増やせば意味はありませんが日本が今の儘であればインドネシアの減った分は地球規模でプラスです、それに資本主義国家、共産主義国家等社会体制が異なっても主要先進国が努力いています京都議定書が欺瞞であるとか炭素排出削減を粉飾するトリックであるとかと言う物の考え方、生き方非常に暗く人類にとっても地球にとっても全く非建設的で有意義なものとは思えません。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月10日 11:47

佐藤さんの「また自然が不可避に排出してしまった二酸化炭素と人間が人為的に排出した化石燃料とごっちゃにするのも誤りの元です」ですが私は「自然が出そうが人間が人為的に出そうが排出CO2には変わりありません、要は地球温暖化の原因になっている物もの削減を人類全体で話し合い協力して行くと言う事が大事なのではないでしょうか?。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月10日 12:01

>どれが余計であり、どれが余計でないかは、一元的には決定が困難でしょう。

いや、地表(海水も含む)で循環する炭素量が増えるかどうかを基準にすれば可能です。化石燃料は炭素循環から外されたものを地表に出したのだから純増です。森林は元々炭素循環の中にある一形態ですから、森林火災で大気に放出しても炭素循環量は増えません。森林火災は人類出現以前からあって防ぐこと自体事実上不可能です。しかも、火災にあった熱帯林は日光照射効果で回復力も早いのです。放置しても自然に回復するのに、「協力」(何をどうインドネシアと協力するのか知りませんが)して日本での排出分をチャラにするのは、自然の炭素吸収力を横取りするようなものです。欺瞞とはそういう意味です。
また京都議定書での新興国から排出権を買うのも脱工業化した先進国の形を変えた投資で、むしろ(先進国のために)新興国の発展を加速させて炭素排出を促進する可能性が高いです。これも明らかな欺瞞です。

投稿: 佐藤秀 | 2007年10月10日 15:58

佐藤さん、

 あなたのご意見を聞いていると、「現在の努力はみな欺瞞である」とおっしゃっているように聞こえます。もしそうだとしたら、あなたはどのような方法を推奨されるのですか?

宮崎さん、

 詳しい情報を紹介くださり、ありがとうございます。
1つ教えていただきたいのですが、「焼き畑」という方法は、農業的には効果のある方法なのですか? また、生態系保全の立場からは、どう考えるべきなのですか?

投稿: 谷口 | 2007年10月10日 22:27

尾窪さん
>京都議定書が欺瞞であるとか炭素排出削減を粉飾するトリックであるとかと言う物の考え方、生き方非常に暗く人類にとっても地球にとっても全く非建設的で有意義なものとは思えません。

明るければいいというものじゃないんです。一言で言えばフェアでなければならないということです。欺瞞的なものがあればそれを改めようとするのが建設的ということです。

>「自然が出そうが人間が人為的に出そうが排出CO2には変わりありません、

以前のコメントがその回答のつもりです。

谷口さん
>、「現在の努力はみな欺瞞である」とおっしゃっているように聞こえます。

そんなことは全く言っておりません。ただ一人一人、各企業の努力ではとても追いつかない問題で、だからこそ、国際条約であっても、欺瞞があれば努力が水泡に帰すということです。
解決法は、自然生態系を一つの国家と見なし、炭素をその通貨と見なし、為替取引のような形で人間社会の通貨と交換することによって人間社会と自然生態系を相互牽制することです。自然生態系に経済主権を与ええます。森林は炭素の銀行となり、化石燃料という人間社会への貸し金で利子を取ります。恐らく、これだけでは訳が分からないかもしれませんが、私のブログで折々その方法を少しずつ書いています。

投稿: 佐藤秀 | 2007年10月10日 23:20

合掌
ありがとうございます

焼畑に付いて自分の情報をお伝えさせていただきます。
焼畑は原始的な農法ですが、自然と調和するというルールを守ってやれば有効な農法だと思います。

近年、ルールを守れなくなったのは、背景に人口増加の圧力があると思います。

カリマンタンでは家族または小さな集落単位で、山を切り開き一定の面積で農業をし、土地の栄養分が無くなると環境に配慮して離れた次の場所で山を切り開き農業をするというサイクルを繰り返してきました。
地力が回復した時期にまたもとのところに戻り農業をするという繰り返しですので、一定の規模以上に森を切り開くことは有りませんでした。

しかし、1970年代以降、ジャワ島の人口の増加対策の一環でカリマンタン島への移住が行われ、この人たちは収穫量が落ちると移動して焼畑をやるという方法でどんどん拡大されて、自然との調和は崩されてきています。

農業収入が少なく、肥料や農薬を購入する資金のない農民は、樹木や草を焼く事で酸性土壌をアルカリにし、病虫害の駆除を果たし、灰分の栄養で焼畑を続けているのです。
これらの人々のためには、定住農業ができるように輸送などのインフラ整備と現金収入が得られる作物を見出し、指導することが必要です。

わたしどもでもアグロフォレストリー(林間農業=植林木の間で現金収入の得られる作物を作る農業)で、有機栽培によるパイナップルやコショウやコーヒーなどの試験を行っています。

実現にはなかなか難しい問題が有りますが、この収入を地元農民が享受できれば焼畑もなくなり、森林破壊をしなくても良くなります。

商業的なプランテーション作りのための火入れは、毎年焼畑を行うわけではなく、最初だけですが大規模で生態系への配慮を欠いているように感じています。

ただ、一応、政府の土地利用マスタープランがあり、1000ha以上の事業は事業開始前に環境アセスメントを実行することが求められています。

ルールはルールでそれが実際に実行されているかどうかが問題なので、市民レベルでの監視が必要だと思います。

批判するだけでは彼らの生活行動は変えられませんので、自然をできる限り破壊しないで、人間生活と調和しながら生きるすべを、わたしたちも一緒に叡智を出し合わなければいけないのではないかと思っています。

草の根の活動で時間がかかりますし、地球温暖化の問題を考えると間に合わないという気もしていますが、自分にできる事を精一杯やるしかないと思っています。
ありがとうございます。

投稿: 宮崎林司 | 2007年10月11日 09:35

宮崎さんの真正面から、ありの儘の率直な意見、情報、報告、考え方、行動に全く感心致しました、日々の生活の中で微々たる事しか出来ていない自分にとっても世の中、見捨てたものではない、表面には出ないけれどもこの世には多くの一隅を照らす素晴らしい人々で満ち溢れている、この人間の叡智の結晶がきっとこの地球の危機を救うだろう!と言う希望を持たせて頂き本当に有難う御座いました。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月11日 11:23

佐藤さん、

>> 解決法は、自然生態系を一つの国家と見なし、炭素をその通貨と見なし、為替取引のような形で人間社会の通貨と交換することによって人間社会と自然生態系を相互牽制することです。<<

 “炭素税”の国際版のように聞こえますね。生態系へのコストを物やサービスの値段にきちんと反映させる制度を作ればいいと思うのですが……。

宮崎さん、

 インドネシアの事情が少しずつ分かってきたように思います。今後も、コメント等で現場の情報を教えてください。ありがとうございました。

投稿: 谷口 | 2007年10月11日 15:39

佐藤さん、
解答有難う御座いました、最後の部分はまだよく分かりませんが1、「明るければ良いと言うものではない」2、「フェアでなければならない」で1は暗ければ良いと言うものでもないと思います、2は「是」ですが温暖化防止に対する国際会議に対して欺瞞的なものが有ればと言う考え方そのものが暗い、それから
「火災にあっても熱帯林は放置しても自然に回復する」ですが回復するまで待つ余裕が無い状況になっているから叡智を出し合っている訳ですから神の代理者的格別な能力を賦与されている人類が手を加える事によって回復力を早める必要がある、「協力」とは資金と指導者だと思います、

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月11日 18:00

>“炭素税”の国際版のように聞こえますね。

人口に膾炙した概念じゃないのでそう思われても仕方ないかもしれませんが、基本的には全く違うとだけお断りしておきます。税ではなく自然を取り込んだ為替取引のようなものです。

投稿: 佐藤秀 | 2007年10月11日 18:59

佐藤さん
発想が大きく違うので考えられている事と別だと思いますが「森林の炭素銀行」について単純に考えてみました、「化石燃料と言う人間社会への貸し金?」借りた人間社会は貸し金を何に使うのですか?「利子を取る?」取った利子はどうするのですか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月11日 23:13

炭素1は10ドルの様にですか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月12日 22:35

尾窪さん
>借りた人間社会は貸し金を何に使うのですか

化石燃料そのものが借金です。で、それを使って大気中に溜まった二酸化炭素が借金の残高。残高多いほど利払いも増えます。
>取った利子はどうするのですか?
基本的に森林所有者が得るので森林自体が保存されることによって利益を生みます。つまり、植林が(木材を売らなくても)森林を増やすこと自体で利益を生む産業になります。逆に言えば、森林を伐採すれば損することになります。結果的に森林面積減少を食い止め、森林面積増大につながるでしょう。

投稿: 佐藤秀 | 2007年10月13日 10:39

佐藤さん
と致しますと利子と言うのはCO2排出国の資金、指導者(協力)と言う事になりますね、植林所有者は伐採する必要がないだけでなく不毛地を購入し植林して行くと言う植林連鎖になる、、と言う事で良いのですね、これなら理屈に合い理解出来ます、であるならば排出権(植林所有者の)を買う(CO2排出国が)と言う事になります、ここで大事なのは植林所有者の行動にかかって来ます、植林所有者が植林連鎖になる様に使って貰えば全てOKです、であるならば為替取引だとか炭素銀行だとかの説明はいらないと思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月13日 15:05

>利子と言うのはCO2排出国の資金、指導者(協力)と言う事になりますね

なりません。ちなみに全世界の国全てがCO2排出国です。利子を払うのは抽象的な借金主、分かり易く言えば化石燃料利用者。

>排出権
関係ありません。他の概念とごちゃまぜにしないようにお願いします。

投稿: 佐藤秀 | 2007年10月13日 19:21

全世界の国全てがCO2排出国で利子を払うのは化石燃料利用者、つまり佐藤さんを含め全人類と言う事ですね、と致しますと植林所有者とは誰の事ですか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月15日 11:36

尾窪さん
私は森林所有者と書きましたが、植林所有者とは書いた覚えないんです。何ですかそれ?
森林所有者なら、例えば国有林なら国が所有者ですけど、何でそんなことに疑問感じられるのか分からないです。本当にわかって質問されてるんですか? 私も時間が惜しいんですよ。

投稿: 佐藤秀 | 2007年10月16日 20:07

佐藤さん
森林所有者が国であるならば佐藤さんを含めCO2を排出する化石燃料利用者の支払う借金や利子は佐藤さんは否定されましたが副総裁の言われた"炭素税"ではないでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月16日 23:15

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