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2007年9月26日

函館港散策

 9月8日に生長の家講習会のために函館市へ行ったとき、港周辺を散策した。その際に撮影した映像を短いビデオにまとめたので、興味のある読者はご覧あれ。本当は駅の近くの「朝市」を撮影したかったのだが、夕方に朝市へ行ってもほとんどの店は閉まっていた。そこで翌朝の撮影も考えたのだが、日曜日は市は休みということだった。おかげで何か寂しげな風景ばかりが映っているが、この町は、平日はもっと活気が溢れているのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌、ありがとうございます。

前回の「トンデモ科学」について質問させて頂きます。

 聖経「天使の言葉」に「心霊科学の実験」例が出てまいりますが、生長の家では心霊科学というものを勿論一般の科学としては扱われていないと思いますし、トンデモ科学としても扱われてないとおもいます。
 しかし一般の方が生長の家の聖経や書物に登場する心霊科学とトンデモ科学を混同された場合、どういう説明をされているのでしょうか?
 「天使の言葉」に登場する「実験」の結果も再現は難しいとおもうのですが。

 ちなみに私は「天使の言葉」は好きで、たびたび仏前であげさせていただいております。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年9月27日 09:45

有難う御座います、何時もほのぼのとして良い気持ちにならせて頂いております、海外や全国津ヅ浦々を神出鬼没の如く光明化の為に回れられる際の一時の映像、奥さんが恥ずかしいと言う気持ちは分かりますが多くの人々が動向の映像を見たがっている事を思えば立場上已むを得ません、開き直って天真爛漫に普通にカメラにおさまって貰いたいものだと思います、今後とも楽しみにしています。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月28日 11:10

masaomiさん
「心霊科学」と「トンデモ科学」を混同されておられる一人だと思います、私はベートーベンの例にも出されていますがそう言う人が一人でもあったら(人類の歴史の中で沢山あると思います)魔術でない限りそれは真実なのではないでしょうか?神仏から見れば奇蹟ではありませんが人間から見れば奇蹟と捉えて良いのではないか?とおもいます、つまりその人を通して不信心な人間に真実を示されている(預言者、霊能者、、偽預言者、霊能者が多くて見分ける力を持たなければならない)のではないか?「実験の再現は難しいのではないか?」ベートーベン、釈迦、イエス、ムハンマド、モーゼ、谷口雅春、他奇蹟を顕現する人はそんなにはいません、誰でも可能と言うものではないのです、従いまして再現されなくても真実ではないと言う事は出来ないのではないかと思いますが、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月28日 17:00

尾窪さん、大変申し訳ございませんが、今回この質問、雅宣先生からの御回答か、生長の家の講師の方の御回答を希望しております。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年9月29日 09:00

masaomiさん
それは分かりますが講師の方は立場上この欄で回答する事は試されている様で難しいのではないでしょうか?ここは生長の家の専用ではありませんから、又私のは回答ではなく自由な立場、正解不正解関係なく、私個人の意見を言っているに過ぎません、勿論違う意見を多くの人から聞いて見たいのでまず私の意見を投げかけているのです、ですから私は回答者を指定したり無理に回答は求めませんから回答が無い時は其の儘にして次に進む事にしています、講師の方の回答がどうしても欲しいのでしたら誌友会、合同誌友会等々機会は何時でも幾らでもあると思いますが、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月29日 10:07

鈴木さん、

>>しかし一般の方が生長の家の聖経や書物に登場する心霊科学とトンデモ科学を混同された場合、どういう説明をされているのでしょうか?<<

 仮定にもとづいた質問なので答えにくいです。「一般の方」とおっしゃいますが、そんな抽象的な人は存在しません。貴方が質問しているのなら答えますが、抽象的な人物からの抽象的な質問には回答できません。それに説明のマニュアルなどありませんし……。

 という前提でひと言申し上げれば、『生命の實相』の霊界篇の霊媒や心霊実験に関する雅春先生の注意深い態度を思い出してください。「心霊科学」とは当時の呼称で、現在は別の呼称が使われているのではないでしょうか?

投稿: 谷口 | 2007年9月29日 10:23

masaomiさんの発想にはいつも驚かされております、私には全く無い世界を見ておられ、考えさせられます、ここに言われる「一般の人」とはmasaomiさん御本人だと推測いたしますが、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月29日 11:18

>「心霊科学」とは当時の呼称で、現在は別の呼称が使われている

雅信先生、ありがとうございます。
私個人としてもそのように考えておりました。
 ただ今回の件で色々「科学」についての記事を読みましたが、現在でもその定義はわりとあいまいなのですね。とても勉強になりました。


投稿: 鈴木雅臣 | 2007年9月30日 08:51

雅宣先生、お名前表記間違えました。大変失礼いたしました。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年9月30日 08:52

合掌 有難うございます

鈴木雅臣さんが「しかし一般の方が生長の家の聖経や書物に登場する心霊科学とトンデモ科学を混同された場合、どういう説明をされているのでしょうか?」..と質問されておりますが、私も「何故?」と思っておりました。

谷口雅宣先生にご回答を依頼されておられましたので心待ちにしておりました。

「という前提でひと言申し上げれば、『生命の實相』の霊界篇の霊媒や心霊実験に関する雅春先生の注意深い態度を思い出してください」..との回答をいただき、鈴木さんは納得されておられるようですが、私には納得できないのです。 もう少し具体的に説明をいただけませんでしょうか?

雅春先生が注意深い態度で書かれたものは「心霊科学」であって、生長の家の副総裁の雅宣先生が実験しても出来なかったものは「トンデモ科学」という風にも取れるのですが?

それから「それに説明のマニュアルなどありませんし」とありますが、「宗教の話」「霊的な話」にどんなマニュアルが必要なのでしょうか?


投稿: 堀本靖子 | 2007年9月30日 22:48

>堀本靖子さん

 私の質問が混乱を招いてしまった事をお詫び致しまして、今回先生の御回答より私が納得した事を申しあげますと、

 生長の家は『「現在科学と認められるもの」を「科学」として扱い、「現在科学として認められていないもの」は「科学」として扱わない』という当たり前な立場をとるという事です。

 そして注意していただきたいのは、「科学でないもの」を認めないわけではないという事です。

 心霊科学も現在では一般に「超心理学」というふうに別の呼称で「科学」としては扱われていません。生長の家でも古い著書に登場する「心霊科学」を現在では「科学」としては認められないけれども、その内容そのものを認めないわけでは無いということです。

 
『「科学」としては』の『しては』に御注意頂ければ分かりやすいとおもいます

 
 つまり『非科学的なもの』を認めてないわけではなく、『非科学的なもの』は『非科学的なもの』としてその存在を認めているという事です。

(どうやってそれが認められるのかは又別の議論になると思いますし、議論するべきものではないのかもしれません。←あくまで個人的な意見ですが・・・)

 
 そしてマニュアルについてですが、生長の家では一人一人、時と場所に応じて一つの真理を様々な形態に変化させて御回答をくださいます、ゆえに回答のマニュアルは持ってらっしゃいませんし、霊の話に限らず質問に対する回答にマニュアルがあるべきだと考えてらっしゃらないと思います。


 

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月 1日 09:31

 文章訂正します。

訂正前) 「つまり『非科学的なもの』を認めてないわけではなく、『非科学的なもの』は『非科学的なもの』としてその存在を認めているという事です。」

訂正後)

 つまり『非科学的なもの』のそのすべてを認めてないわけではなく、『非科学的なもの』は『非科学的なもの』としてその存在を認めているものもあるという事です。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月 1日 09:44

鈴木さん、大変申し訳ございませんが、今回この質問、雅宣先生からの御回答を期待してたのですが..
どこかで見たような文面ですが...

投稿: 堀本靖子 | 2007年10月 1日 20:27

雅宣先生から見捨てられたのかしら??

大橋陽子さんのコメントには意欲的にご回答があるのに残念です。

「農林水産省の作物統計」のような<マニュアル>があるからかしら...

投稿: 堀本靖子 | 2007年10月 2日 11:04

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