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2007年9月29日

食品表示の“怪”

 食品に関する表示というのは、何が本当で何がウソなのかよく分からないところがある。日本の食糧自給率がきわめて低いことは、新聞やテレビ等の報道で繰り返し言われている。だからダイズ、トウモロコシ、小麦などは日本で売られているものの大半は輸入品である。ということは、それらを原料として作られる醤油も味噌も、シリアルも、パンも、饂飩も、スパゲッティーも、輸入によって支えられている。そして、輸入品の大半はアメリカから来ていて、アメリカではダイズやトウモロコシの大半は遺伝子組み換えである。ところが、これらを原料とした食品で日本のスーパーなどで売られているものを見ると、ほとんどの食品は「国産大豆使用」とか「国産小麦使用」とか「遺伝子組み換えでない」と表示されている。その圧倒的量からすると、どうしてもどこかにウソが隠されていると考えざるを得ないのである。
 
 これは悪い例だが、いい例も指摘しておこう。日本で都会を離れた観光地へ行こうとすると、野菜や果物が豊富に育っている畑や果樹園を通り抜ける。そして、そういう土地の「物産店」へ入ると、当然のことながら農産物の加工食品がたくさん売られている。ブルーベリー、プラム、イチジク、ウメ、アンズ、山菜、キノコ、ニンニク……。これこそ本物の「産地直売」「地産地消」だと普通は思う。それにパッケージには、いかにもその土地の産物であるかのような印刷がしてある。ところが、その裏側に貼った原産地表示のラベルを見ると、アメリカ、トルコ、中国、フィリピン……などの外国名が印刷されているのである。これは一応、ウソはついていないから“正直”の部類に入るのだろう。が、複雑な心境になる……日本の農業はそれほど衰退しているのか、と。

 この種の「看板に偽りあり」の問題としては最近、中国が槍玉に上がっている。アメリカの企業が中国で製造して輸入したものの中に、品質管理がズサンなものが次々と見つかっているからだ。単にズサンなだけでなく、コストを下げるために意図的に有害物質の残る製造法を採用していた例もあったようだ。そんな場合、「だから中国はダメだ」という話になりがちだ。しかしこれは中国だけの問題ではなく、輸入する側の“コスト削減”の要請にも問題があることを忘れてはいけない。“コスト削減”の裏側には、もちろん“利潤追求”の意図がある。

 中国との関係で原産地表示の不思議なものは、いくつもある。その1つはウナギだ。つい最近まで、スーパーやデパートで売られる安価なウナギのほとんどには「中国産」と表示してあった。ところが、中国産の食品の問題が指摘されるようになってから突然、日本中の食料品店から中国産のウナギが消えた、との印象を読者はおもちでないだろうか? 「消えた」という表現が大げさならば、「中国産」という表示がほとんどなくなってしまったと言っていい。にもかかわらず、ウナギは売られ続けていて、値段もさほど上がっていない。需要と供給との関係を考えればあり得ないことだが、現実にはある。
 
 その疑問を一部解消してくれる事件があった。宮崎県のウナギ業者の産地偽装である。29日の『産経新聞』によると、宮崎市のH商店は昨年の11月から今年7月にかけて、台湾から輸入したウナギの成魚約500トンのうち400トンを国産と偽装し、また同市のI社はその1年前から今年7月にかけて台湾や中国から輸入したウナギ約1280トンのうち900トン余を「宮崎県産」と偽って販売していたそうだ。さらにこの記事は、こういう例は“氷山の一角”だと言わんばかりに、次のように書いている:
 
「業界では外国産を国産にして輸入する“里帰り偽装”のほか、中国で養殖・加工された冷凍かば焼きの完成品を国産商品の大箱に詰め替えた“リパック”などの不正のうわさや指摘が相次いでいる」

「相次いでいる」のに、当局は取締りにはあまり熱心でないようだ。今回の事件でも、宮崎県は28日、H商店とI社に対して「厳重注意の行政指導を行った」とあるだけである。国産品として高く売れた場合、中国産の評判が落ちることで日本の輸入・販売業者が原産地偽装をすれば儲かるという奇妙な関係になる。そういう意図をもった日本の業者こそ、本当は責められるべきではないだろうか?

 谷口 雅宣
 

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コメント

突然たどりついたプログに失礼致します。
単なる、間違いなら見捨てますが、貴方様が宗教界の主導者、すなわち影響力のる立場の方であるようなのであえて書かせて頂きます。

>しかしこれは中国だけの問題ではなく、輸入する側の“コスト削減”の要請にも問題があることを忘れてはいけない

なぜ中国をかばうのか理解に苦しみます。
医薬品でさえ 北朝鮮が、中国産は信用できないから、期限切れのものでいいから送ってくれと韓国に頼んだのは周知の事実。

また、小麦は麺類パン類に用いる、いわゆる食用小麦は
オーストラリア産です。

失礼ながら、宗教とはほとんどこのような事は無縁と思うことから、このような現象をもって信者さんにもの申すは如何と考えます。

地球温暖化はCO2の問題ではなく、地軸の問題であるとの方が有力視されつつあります。さらに、CO2を槍玉に挙げるのは一部の左翼的思想の便宜であるとの見方がされているのです。(産業革命から現在までCO2が増加しているのは事実です)

生長の家というものが、もともとその方向での御考えであるなら大変おせっかいなことで失礼致しました。

投稿: 大橋陽子 | 2007年9月30日 23:17

単なる雑感の事、、確かに現状をありの儘観察すれば副総裁が指摘されている通りだと思いますが資本主義社会で人々が自由な生活、経済活動をして生きて行く場合やむを得ず行き着く状況ではないでしょか?従いまして全部国家が100%取り締まる事は不可能でしょうし、人々の良心に頼っても余り責められない様に思います、要は消費する我々がそれを認識して買ったり、買わなかったりの判断を自己責任の上にすると言う事ではないか?と考えます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月 1日 11:03

大橋陽子 様:

 コメント、ありがとうございました。

 どういう御専門の方が存じあげないので、お答えが難しいのですが……。私の文章には「しかしこれは中国だけの問題ではなく、輸入する側の“コスト削減”の要請にも問題があることを忘れてはいけない」と書いてあるのです。どこにも中国を「かばう」ような言葉は含まれていないと思います。「中国にも原因があるが、日本にも原因がある」というのが私の論点です。

>> また、小麦は麺類パン類に用いる、いわゆる食用小麦は
オーストラリア産です。<<

 この統計は、どこから来ているのでしょうか? 私が得ている(財)製粉振興会のデータによると、平成17年度の日本の小麦輸入量は478万7千トンで、飼料用は「0」、食糧用はアメリカからが「257万7千トン」、カナダからが「114万2千トン」、オーストラリアからは「106万8千トン」です。

 それから、地球温暖化の主要因については、すでに国連のもとに組織された世界的な科学者の集まりから報告書が何回も出ており、これが科学的にも政治的にも認められています。

 

投稿: 谷口 | 2007年10月 1日 13:30

読者の皆さんへ、

 小麦の統計に関して、補足します。
 農林水産省の作物統計によると、日本国内の小麦生産量は、以下のようになります:

  年 産    生産量(千㌧)   自給率(%)
   14      829       15.5
   15      856       14.5
   16      860       14.7
   17      875       15.5

 輸入された小麦がどういう用途に加工されるかは、
以下のサイトが分りやすいです:

 http://www.seifun.or.jp/know/syurui_youto.html

投稿: 谷口 | 2007年10月 1日 13:58

大橋洋子様
よく左翼思想(良くないイメージで)うんぬんと言う事で批判があるのですが"左翼思想"について簡単に説明して貰えませんか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月 1日 16:30


雅宣先生

 合掌、ありがとうございます。
私も生長の家が示される科学的な事柄を真実として受け止めようとしておりますが、下記のような記事を目にすると「はたして真実はいかに?」と思わされることがあります。

http://tanakanews.com/070220warming.htm

 先生が科学的な記述に関して極めて慎重を期されていらっしゃるのは周知の事実ですし、すでにこの事に関して訂正されているかもしれませんが、以前書かれた御文章「ペンマウスを買う(2006.6.15)」や「ヒツジとヤギの共存(2006.2.9)」に登場する「左脳(論理)右脳(感性)論」も科学的根拠の無い擬似科学であるという記事を前回の「トンデモ科学」でのやり取りをしている間に目にしました。

 この件に関して「慎重を期されている先生でも、まちがった科学を信じてしまわれている事もある。」と考えてもよろしいでしょうか?

 また生長の家が「自由」をたたえているのであれば、宗教団体の立場として地球温暖化に関する多くの科学者の「VERY LIKELY(90%の確率)」という科学的な推測をあたかも「一つの科学的真理」のように伝えるのではなく、上記リンクのような科学的考察も(確率は低いとはいえ)平等に信者の目にふれさせるべきではないかと思います。

 一方では「政治に関与しない」といわれながら「政治的に科学的(その推測が多くの科学者に)認められているから」と言う理由で団体として行動指針を決定してしまうのは宗教団体としての立場として問題はないのでしょうか?

 温暖化問題の原因の考察が推測の域を脱しないものであるならば、私は「政治的に科学的に」と先生が仰られるより、むしろ非科学的に「直感によるもの」だと言っていただいたほうが個人的には「信ずる」に値します。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月 1日 18:01

鈴木さん、

 今回の貴方の書き込みは、これまでのものと相当調子が異なると感じました。何かに気分を害されているのですか? 私は貴方が満足するためにここで文章を書いているわけではありません。特に最後の文章は、理性的な貴方が書いたとは思えません。私が、「地球はあと25年後に人間が棲めない状態になる。これは私の直感である」と言ったら、あなたは即信じるのですか????

投稿: 谷口 | 2007年10月 1日 22:53

皆様
ここは個人のブログであっても生長の家のサイトなのです。もっと信仰について語り合うべきではないでしょうか。地球環境問題といい、食料問題といい、どのように綿密な調査、資料に基づいて論じようとも、私たちは所詮素人なのです。素人論議にどれほどの積極的な意義があるでしょう。私たちには宗教人として究めるべき公案が山積しているではありませんか。
皆様、一緒に信仰を深めてまいりましょう。

投稿: 仙川健一 | 2007年10月 1日 23:50

我が前面に出ると理性的でなくなる様に思います、地球環境問題、食料問題は素人だから論議に意義なし、宗教人として究めるべき公案、信仰を深めて行こう、、、前向きで変な所は無い様なのですが何故かシックリきません、
殆どの人が出家している訳でも無くお坊さんでもありません、グローバル社会の社会生活を営んでいます、世界の現実を有りの儘知り、対応しないで抽象的な論議ばかりして自己満足する事こそ何の意義も無いのではないか?と考えます、宗教人としての信仰をバックボーンに現実社会への働きかけ無くして何の意義があるのでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月 2日 10:15

雅宣先生 合掌ありがとうございます。

 私は気分を害している訳でもなく、先生の批判のつもりもなく、冷静に書き込みさせて頂いております。仕事の合間なので文章が雑かもしれませんが(笑)
 
 先生や読者の皆様に考えていただきたいのは、生長の家の組織としての活動の原動力がどこにあるかという事です。

 それは私がいうまでもなく信者の皆さんの精神面における「中心帰一の真理」への信仰が大部分を占めているのは事実です。

 それでは「中心帰一の真理」が科学的な根拠があるかといわれれば「無い」と答えなければならない。

 しかし我々信者が「中心帰一の真理」を信仰できるのは、釈尊の直感を信じ、釈尊の直感の正当性を汲み取った雅春先生の直感を信じ、その信念を継いでらっしゃる雅宣先生の直感を信じ、己を信じているからに他ならない。そしてその信仰の基盤になっているものは「天皇への中心帰一」という古来日本人からの伝統であります。

 多くの生長の家信者は「科学者の理論」を中心に活動されているわけではないと思います。

 しかも現在の生長の家の環境問題において信頼をよせている「温暖化の原因がCO2である」という理論は科学的真理とも言い得ていなし、非科学的真理ともいえないのです。

 その決して真理とはいえない科学者の考察を生長の家の信者が「即信じて」しまうのは、「多くの科学者の理論の正当性」を信じているわけではなく、中心者である「雅宣先生の直観」を信じているというのは信者をしめる高年齢層の度合いから言っても、先生の意に反するとはいえ現状の事実であると思います。

 「物」を信じている科学者のあやふやな考察には信頼はおけないし(科学的真理として確立していれば別です)、それらに信頼をよせて もしかしたら間違った科学を信じてしまうような雅宣先生の科学的見識を信じるわけでもありません、ただ「物質無」を信仰し、「行」をしてらっしゃる雅宣先生の直感のみには比較的信頼がおけるというのは(勿論、己の直観を信じない教祖への依存心ではありません。)、宗教の信者としてごく自然な事ではないでしょうか。

 

 

 
 

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月 2日 10:42

「あんたの意見は不必要だ」と怒られそうですが許して下さい、「気分を害していない」「批判のつもりもない」「冷静に」と言われていますが私から見れば冷静かも知れませんが気分を害されておられ(何処かでプライドを傷つけられた?)しっかり批判をされています、プライドの無い私は何を言われても構わないのですが学識が高く自分を否定された様に感じられると気分を害される様な感じが文面から感じられます(又害せられたら御免なさい)「生長の家の組織としての原動力が何処にあるのか?」それは副総裁をトップに幹部の方達が考えられる事であって一般の信者が考える事では無いと思います、釈尊も仰っていますが「羊飼いの羊の群れの後ろに狼が紛れ込み「私も羊である」と言っても誰も信じない様に姿形が修行者の衣を着ていても私の教えを聞き行わない者は私の弟子ではない、何億万キロ離れていようとも私の教えを良く聞き行う者は私の弟子である」と言う言葉は重要な意味があると思いますが、、、自分を是とし他を非としない様に慙愧の心の必要性を感じます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年10月 2日 12:24

 本当に気分は害していないのですが・・・
 ただ文章表現にトゲが生じてしまうのは、自分の人間性の未熟さにあることは自覚し、そうならぬよう精進します。

 また私の文章をお読みになられる先生や読者の方が逆に御気分を害されておられましたら、お詫び申しあげます。

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月 2日 15:48

>> また、小麦は麺類パン類に用いる、いわゆる食用小麦はオーストラリア産です。<<

> この統計は、どこから来ているのでしょうか?

麺類用の品質の高い小麦は「オーストラリア」から

パン用、パスタ用の品質の高い小麦は「カナダ」から

こんな風に載っているHPが見つかりましたのよ!!

http://www.kanbou.maff.go.jp/www/jki/kyokyu/wheat.pdf

投稿: 堀本靖子 | 2007年10月 4日 00:12

突然のコメント失礼いたします。ほしのと申します。(ペンネームです)


鈴木様へ

>私の文章をお読みになられる先生や読者の方が逆に御気分を害されておられましたら、お詫び申しあげます。

すみません。鈴木様のコメント、私は気分を害しました。生長の家をここで初めて知った方が見ていらしたら、怖い団体だと思われてドン引き(かなりたじろいで逃げの姿勢をとられること)されそうです。
ここは先生の個人のブログなので、意見が合わなければ閲覧しなければいいのに、と思います。そしてご自分の意見や宗教観はご自分のブログでも立ち上げて、主張なさればいいと思います。アクセス数(読者数)が多いブログで自分の意見を知らしめてやろう、というのは、便乗、功名心のようなものが感じられて。。

>読者の皆さんに考えていただきたいのは…

この言葉をここで言って良いのは、ブログの筆者である先生のみ、ではないのでしょうか?これはネットマナー違反ですよね。

最後に、「直感なら信じる」というのは妄信に繋がるので怖いです。常に理性を重んじている生長の家の姿勢がやはり安心で良いのだと思います。そして温暖化で地球が住めなくなれば信仰どころではないので、早急に、そして真剣に取り組まざるを得ないのだと思います。

投稿: ほしの | 2007年10月 4日 01:36

>ほしのさま

 御気分を害された事に関しましてはお詫び申しあげます。
 

>意見が合わなければ閲覧しなければいいのに

 雅宣先生も読者各人において「意見が合うところと合わないところがある」事を前提に御文章を執筆されてらっしゃると思います。
 そして、今まで私は反対意見ばかりをしている者でもございません。

>功名心のようなものが感じられて

 以前私はペンネームを用いていた(先生には本名を確認頂けておりましたが)のですが、できるだけ本名での投稿を先生が御希望されておられるように感じましたので、本名で投稿するようになりました。
功名心はございません。

>>読者の皆さんに考えていただきたいのは…
>この言葉をここで言って良いのは、ブログの筆>者である先生のみ、ではないのでしょうか?こ>れはネットマナー違反ですよね

 読者と言ってもコメントを観る人限定になりますが?それでも人への呼びかけがマナー違反なのですか?存じ上げませんでした。以後この言葉は使用致しません。

>、「直感なら信じる」というのは妄信に繋がるので怖いです。

 「信じる」という表現を使わずに、『「信ずる」に値する』とか『比較的信頼がおける』という表現で注意したつもりなのですが微妙なニュアンスをお伝えできなくて残念です。

 ここの所は雅宣先生にも御理解頂けなかったので反省します。

 しかし私は(以前からの私のコメントをもし読んでいただければ分かると思うのですが)科学的真理を信じない者ではありません。
                       
 ただ今回の場合科学的真理ではなく科学的議論の余地のある事を雅宣先生御本人だけでなく、成長の家の「信者」は「信じ」「行動」していく、しているわけです。
 
 これはわたしの個人の性格ですが、ある程度「信じ」なければ「行動」できないのです。
 
 現状の「温暖化の主要因がCO2である」科学的考察では「信じきれない」というのが正直な所です。
 
 けれど「行動を早くしなければ手遅れになる!」といわれ、行動しなければ生長の家と行動を共にできないというのであれば、自分の直観とは完璧に一致しないまでも、雅宣先生の直観を信じてみようという事になるのです。(まだ今のところ組織活動での環境運動はそういう理由でやっておりません。)
 
 「理性的でない」といわれれば御指摘の通りです。ただ組織の中に「今」入って、「今」行動しようとすれば、「理性的」と「科学的」をここでは同じ意味で用いるなら理性的な決定的な判断は不可能であるとおもいます。

 しかし「今」行動されている方々が、本当に「理性的(科学的)なのだろうか?」と疑問はあります。(その方々を批難している訳ではないので、誰にも質問した事はございませんしするつもりもございません。)
  
 
 また「直観」と言うものを信じないで宗教の信仰は成り立たないとも考えております。(ここの部分は反論あるかもしれませんが、今回議論の展開は避けさせて頂きますのであらかじめ御了承ください。)

 

投稿: 鈴木雅臣 | 2007年10月 4日 17:55

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