ヴァチカンも“炭素ゼロ”へ?
宗教が地球環境問題に取り組むことは、ひと昔前までは好奇の目で見られていたが、今では“当たり前”のように考えられつつあることは嬉しい限りだ。環境マネージメントの国際基準である「ISO14001」を生長の家がいち早く取得したことは、本欄の読者なら旧聞に属することだろう。そして今年からは、教団の活動から実質的にCO2の排出をなくしてしまう“炭素ゼロ”の運動が生長の家では始まっている。ところが、世界最大の宗教であるキリスト教の“総本山”とも言えるローマ法王庁が、いきなり“炭素ゼロ”を実現したと聞いて驚いた。
キリスト教は、環境問題を起こした“元凶”のように一部では言われることがある。それは、『創世記』第1章28節に、神が人間を創造された際に、それを祝福して「生めよ、ふえよ、知に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と仰ったと書いてあるからで、ここから「人間は自然界を自由に利用し、支配して構わない」という人間至上主義が生まれた、と理由づけるのである。私は、この説をあまり好まない。『創世記』は、何もキリスト教だけの聖典ではなく、ユダヤ教もイスラームもそれを典拠とした教えを説いている。また、神道発祥の地であり、大乗仏教が華開いた地であるわが日本では、キリスト教など意に介しない多くの人々が、数々の環境問題を起こし、現在も森林破壊を続けているのである。
まぁ、このことはさておき、ヴァチカンの“炭素ゼロ”とはこういう話である。今日(9月4日)付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、ハンガリーのある新興企業がこの夏、ローマ法王庁に対して寄付を申し出たという。その寄付の内容は、ハンガリーのティツァー川(Tizsa River)にある“ハゲ山”ならぬ“ハゲ島”の15ヘクタールの土地にこの企業が植樹することにより、ヴァチカンが2007年に排出するCO2をすべて吸収させる、というものだ。これにより相殺されるのは、自動車の運転、事務所の暖房、バシリカ聖堂の夜間照明などから排出されるCO2だという。植樹でできた森は「ヴァチカン気候林」(Vatican Climate Forest)と名づけられ、ヴァチカンは世界で初めてカーボン・ニュートラル(炭素ゼロ)を達成した“国”となるらしい。
この寄付を受け入れるためのセレモニーの中で、ヴァチカンのポール・プーパード枢機卿(Paul Poupard)は、法王のベネディクト16世が最近、「国際社会は“緑の文化”を尊重しまた支援しなければならない」と述べたことを紹介したうえで、「『創世記』には、神は初めに地を豊饒にするための保護者(guardian)として人間を定められたと書かれている」と語ったという。ヴァチカンは最近、自ら太陽光発電装置を導入するなど、環境問題に取り組み出しているそうだ。また、この試みでは、ハンガリーは森林が回復して気候変動と経済の悪化が防げ、寄付をした企業は、ヴァチカンの“お墨付き”をもらうことで大きなパブリシティ効果が得られる。ハンガリーの“ハゲ島”は総面積が225ヘクタールあり、この新興企業以外にもヨーロッパの複数の国とコンピューター・メーカーのデルが、カーボン・オフセットのためのプロジェクトを購入済みという。
今年の夏の異常な暑さは、日本だけでなく全世界で観測されている。ギリシャでは今、全国に森林火災がひろがっているし、北極では氷の融解が急速に進んでいる。今日の『日本経済新聞』によると、日本の今年6~8月の天候は「予想外」のこと続きで、3ヵ月間の平均気温では平年比は+0.5℃とさほど高くならなかったが、8月を中心に猛暑となり、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市の「40.9℃」を最高に、全国101地点で最高気温を記録したそうだ。反面、6~7月は予想外の涼しさで、関東以北の梅雨入りの時期も、当初の発表より約1週間も遅れ、関東甲信地方は6月22日ごろとなった。この梅雨入りは、1967年と並んで観測史上最も遅かったという。梅雨明けもこれに伴って遅れたため7月が低温となり、8月の猛暑が一気に起きたことになる。
人類は汚職や疑惑や宗教対立にかける時間を大幅にへらし、衆知を集めて、もっと速く、もっと決定的に、化石燃料を基礎とした文明から脱却していかなければならないと思う。
谷口 雅宣
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コメント
ヴァチカンの"炭素0"は良いニュースではありますが新興企業の寄付、植樹に依るものと言う事とするならば自らの努力に依るものではなくヴァチカンの名を上げる為のものであり、手段はともあれ0になれば良い!と言う世俗的売名的に感じられます、躍り上がって発表する事でもないと思います、自らも努力されていると言う事ですが寄付による物を除いて発表されると慎ましさや謙虚さが見れて称えたい気が致します、もしイエスなら得意げに発表するでしょうか?
投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月 5日 15:57
例え寄付であっても多くの信者達と協力し合って成し遂げたのなら価値があり、大いにアピールして全世界を誘導する事は神仏の望まれる事だと思います。
投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月 6日 10:18
谷口雅宣先生、
奈良教区の山中です。その記事を私もヘラルド朝日で読みました。ヴァチカンも炭素ゼロに向けて動き出したことは、やはり喜ばしいことだと思います。
ところで、「大乗仏教が華開いた地であるわが日本では…」というくだりで思い出したのですが、私の職場の同僚で、イギリス出身の英語の先生が、日本人の肉食に関して、こんな話をしてくれたことがあります:
「イギリスでは日本人は肉食をしないというイメージが持たれている、なぜなら日本人(の多く)は仏教徒のはずだから。なので、実際に日本人が肉食をしているのを見て、私はビックリした」
キリスト教であれ、仏教であれ、その他の信仰であれ、その生命尊重の教えが実際の行動に結びついているかどうかが何よりも肝心なことなのだ、と改めて思い知らされた次第です。
投稿: 山中 | 2007年9月 6日 22:57
山中さん、
どうも、お久しぶり……。
仏教のお坊さんが“生臭”である割合は、どのくらいになるのでしょうね。そんな調査結果があると、興味深いですね。
投稿: 谷口 | 2007年9月 7日 23:52
【生臭坊主】
《魚肉・獣肉など生臭いものを食べる坊主の意から》戒律を守らない品行の悪い僧。また、俗気の多い僧。
お坊さんは、肉食禁止だったのでしょうか。肉食禁止の戒律があれば、“生臭”という言葉は適切なのかもしれませんが、一応門徒である私としては、気にかかる“言葉”です。
CO2排出量の相殺っていうけど、?です。
ヴァチカン自体がCO2排出量を削減しないと地球にとってプラスではないと思います。
投稿: 早勢正嗣 | 2007年9月 8日 15:20
イスラム、キリスト教、お坊さんの戒律で酒は飲むな!と言うのは聞いた事がありますが肉魚をたべてはならないと言うのは聞いた事がありません、只、豚肉、牛肉を食べてはいけない!又は血の儘でと言うのはあります、聖職者のみに課すると言うのは酷の様に思いますが「(命)を頂きます」と言って感謝して食べる事は必要だなとは思います、釈尊の様に下を見ながら小さな生き物でも蚊でも一切殺生しないで一生送られる方もおられます、それでも植物(生命あり)や目に見えない微生物を殺生せずには生きれないこの世界、神仏も許されると思います、では釈尊は無駄な事をされているのか?私はそうは思いません、一般衆生はその姿を拝見し同じように出来なくとも尊敬の念を抱き信じ何を考えどう生きるべきか?の教えを学び実践して行く事が信者としての姿勢ではないかと思います。
投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月11日 12:09