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2007年9月15日

迷いはどこから来る? (6)

「趙州勘婆」の公案で、老婆が言う「真っ直ぐに行け」とはどういう意味かについて、読者からいろいろコメントをいただいた--①迷った自分の心を信じないで心の主(仏心)になること、②欲するところに従って矩(のり)を超えないこと、③自分の行く道が正しい道であって、実はその道しかナイと信じること、④内に神の国があると自覚すること、などである。それぞれが“正解”の要素を含んでいると思う。が、映画『厨房で逢いましょう』の主人公の立場に当てはめてみた場合、これらがどんな解決策を具体的に示しているのかは、判然としないものもある。①は「自分の人妻への恋心を信じるな」ということだろうか。また②は、人妻への恋の料理は続けてもいいが、「やりすぎるな」ということだろうか。一方③は、逆に人妻への恋を自信をもって貫徹せよということになるのか。また④は、人妻との関係に“神の国”を求めるなということなのだろうか。

 この公案に対する谷口雅春先生の解釈は、「真っ直ぐに行け」とは「実相を直視せよ」の意だ、と極めて明快である。しかし、そのことが具体的にどのような選択になるのかは、それほど明快ではない。先生の言葉を引用すれば、「2つの道を超えた真直の道であるから、右か左かの選択ではない。そのどちらをも超えたところの真実一路である」ということである。(『無門関解釈』pp.242-243)
 
 雅春先生は「2つの道」の喩えとして、病人が医薬品の服用を続けるか、薬を捨てるべきかに迷った場合を取り上げられ、このような「2つある道のうちの1つを選ぶと云うような、現象道の選択ではないのである。どちらの道をも放ち去って、ただ驀直に、本来一つしかない唯一路を往けと云うことである」と説かれている。迷いながらの選択であれば、薬を捨てることも、薬の服用を続けることも“迷いの道”であり、そのような心境では本来の自然治癒力が発揮されないとも書かれている。そういう意味では、『厨房で……』の主人公は、美人の人妻との関係を断とうが断つまいが、彼女への執着心を放下しないかぎり心の自由を得られず、したがって「迷い」から解放されないだろう。

 では、どのようにすれば執着心が放下できるのか? これは恐らく、一般論では片付けられない。「彼女から物理的に離れる」という選択肢が有効な場合も、そうでない場合もある。また、彼女の夫との“三角関係”に突入し、互いに傷だらけになった挙句に執着が放下できる場合もあれば、そうでない場合もある。あるいは、神想観を繰り返し実修することで、自分の特技で人妻を誘い自己の生を確認しなければならないような、そんな歪んだ生き方をしなくても、自分がそのまま“神の子”である実相を観ることができれば、「2つの道」のいずれも選択せずに彼女への執着心から解放されるだろう。この最後の選択肢が生長の家のお勧めだが、この映画の中ではそれは実現されない。この映画の実際のストーリーは、1番と2番の選択肢の中間あたりで展開していくのである。
 
 さて、ここで本シリーズのメイン・テーマにもどろう。「迷い」はどこから来るのだろうか? 聖経『甘露の法雨』には「真相を知らざるを迷いと云う」とあるが、この「真相」とは何の真相だろう? 「快苦は本来物質の内に在らざるに、物質の内に快苦ありとなして、或は之を追い求め、或は之より逃げまどう、かかる転倒妄想を迷いと云う」とも示されている。味や食感や香りの中に快苦があると思い、それを追究するのが料理人であるが、聖経のこの一節は、美食を否定したり戒めているのだろうか? 私はそうは思わない。生長の家は快楽主義ではないが、禁欲主義でもない。食事は肉体維持のために必要な営みであるが、それを人生最大の目的にするような生き方は、人生の真相を知らないと言わねばならない。一方、人を喜ばせる美味しい料理を作ることは「愛の表現」の一形態として充分有意義であり、芸術表現の1つでもある。しかし、芸術表現にも節度が必要で、これを人妻を絡め取る手段として使うことは、愛の真相を知らず、愛と執着とを混同した「迷い」である。
 
 これらの「迷い」は結局、「人間は肉体である」とする謬見から来たものだ。聖経にあるように、在るものを無いとし、無いものを在るとする転倒妄想が迷いである。つまり、人間の本質は神性・仏性であるのに、それが自分ではなく肉体が自分だと考え、実在でない肉体がここに在ると考える。そのような謬見は自ら選び取ったものであり、神が強制されたものではない。我々は常に謬見を棄て去り、神の膝にかき上がる自由をもっているのだが、自らそれをしないだけである。その意味で、迷いは「謬見をもつ自由」から来ているとも言える。いま謬見を棄てて真理を取れば迷いは無くなるが、神はそれを我々に強制し給わないのである。なぜなら、自らの意思で真理を取ることが最高の善であるからだ。
 
 谷口 雅宣

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コメント

ご回答有難う御座います、
シェフについてですが「自分の人妻への恋心を信じるな」と言う事だろう、、、と申されておられます、この意味は信じるも信じないも恋心を抱いているわけですからこれはどうとようもありません、只その恋心は(我心)五感から来る転倒妄想であるから信じるな!と言いたかったのです、心の主(神我心、仏心)になれ!と、、、
それで主人公は人妻との関係を断とうが断つまいが執着心を放下しない限り"迷い"から開放されないだろう、だからそんな歪んだ生き方をしなくても自分がそのまま神の子の実相を見る事が出来れば彼女への執着心から開放されるだろう!只
このシェフ又は一般的にはなかなか難しい様に思います、生長の家の教えや正しい宗教に触れていれば別ですが、、、
それから「真相を知らざるを迷いと言う」結局「人間は肉体である」とする謬見から来たものだ!在るものを無いとし、無いものを在るとする転倒妄想が迷い"である、"迷い"は謬見を持つ自由から来ているとの結論になっていると思いますが真相をなかなか知る事が出来ませんので迷いからの開放は残念ですがまだまだです、しかし実相を直視出来る様に心して日々を大切に過ごして行きますので今後ともよろしくお願い致します。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月16日 02:13

副総裁先生ありがとうございます。
そして、このブログを御覧になられている求道者のみなさん、ありがとうございます。
「迷い」についての議論を興味深く読ませていただきました。
生長の家の御教えは、単純・明快で分かりやすい反面、その説かれている真理は大変奥深いものがあります。
「迷い」についても「そんなものは本来無い!」という一言で理解できる人もあれば、事実こんなに迷って苦しんでいる状態があるのに迷いがないとはいえないと抗弁する人もいるでしょう。前者は「智慧」の深い人であり、後者は「知識」の高い人であると私は単純に分析します。

 また、生長の家の御教えを理解するためには、智慧も必要であるし、ある程度の知識もまた必要であると思います。

「迷い」につては禅宗の開祖達磨大師と二祖恵可(慧可?)禅師との問答が分かりやすいと思います。
恵可禅師(修行時代)が迷いはないと教えられているが、ない迷いになぜこんなに苦しむのか?という問いに対して、達磨大師は、「それではその迷いを取ってやるから、此処へ持ってこい。」と言われた。恵可は迷いをさがしたけれどとうとう見つけることができなかったそのとき、「汝の迷いを今取り除いたり。」と達磨大師が言われた。
この問答はなかなか深いと思います。

精神科医や臨床心理士が行うカウンセリングの手法でも、相手の話をとにかく受け入れて心の中にある鬱積したものを吐き出させてしまう、つまり「迷い」やその要因と思われること(恨み、妬み、劣等感、罪悪感、トラウマ等)と向き合うことで、それらが本来自分に何の損害も与えないつまらないものだということに気付かせる。つまり、積極的に存在し自分に実害を与えるものではないと知らせることによって患者(クライアント)自らが治っていく。この過程によく似ています。
「迷い」について生長の家の唯神実相哲学的立場から解釈することは、教えを深く知る上で意義あることだと思います。しかし、現実に「迷い」に苦しんでいる人を救うためには、一端その迷いとやらを吐き出させ、「なんだただ放せば(話せば)よかったのだ!」と自ら悟ってもらうことが大事なのではかと思う次第です。

投稿: こんちゃん | 2007年9月17日 15:47

こんゃんさん、、、、
慧可禅師と達磨大師の問答、一休禅師のトラを縄で縛る話しに共通していると思うのですが苦しみ(八苦)には原因があり、その原因は100人百色、1000人千色あり、もちろん似たようなケースもあるでしょうから「苦しみは本来無いと言う事を自ら悟ると言う事は容易ではありません」只それを悟って頂く為に伝道者が必要だと思いますのでこんちゃんさんの使命は大変重要だと思います、しっかり頑張って下さい。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年9月18日 11:52

尾窪さま、ありがとうございます。
「苦しみは本来無いと言う事を自ら悟ると言う事は容易ではありません」
確かに現実は仰る通りです。本来無い迷いを如何に放たせるか、ということが、伝道者の大きな使命の一つと思います。
お互いに精進していきましょう。

投稿: こんちゃん | 2007年9月18日 20:28

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