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2007年8月12日

イスラームと生長の家

 今年の「世界平和のための国際教修会」はとても刺激的で、内容のあるものだった。第1日目に雪島達史・本部講師がオリエンテーションの中でも述べたが、今回の教修会は世界第2の宗教、イスラームについてである。「万教帰一」を説く生長の家の運動に携わる私たちは、かねてからこの宗教についてよく知りたいと感じてきた。谷口雅春先生はイスラームについて、しかし余り多くのことを話されず、また文章にも残されなかった。近年になって、とりわけ2001年9月11日、私たちの想像を絶する破壊と憎悪が宗教の名において行われたという事実に直面してからというもの、イスラームを知ることの重要性はますまず強まっている。
 
 この重要性は世界中で感じられていて、9・11以降、イスラームに関する数多くの記事が書かれ、本が出版されている。生長の家では“偉大な宗教”は皆、人類の中心的価値を共有していると説くが、イスラームの教えが本当にそういう“偉大な宗教”の1つであるかという疑問が、私たちの運動の中でも上がっていた。2004年にブラジルのサンパウロ市で行われた国際教修会では実際、そういう質問が私宛に寄せられたのである。それは、エドゥアルド・ヌネス・ダ・シルバという人からのこんな質問だった。

「谷口先生、日本では神道や仏教、キリスト教が広く信じられ、また、いろいろな角度から研究されてきました。しかし、モハンマドとイスラームについては、尊敬の念は払われていても、あまり詳しく説明されていません。現在、マスメディアがイスラームを盛んに取り上げているだけでなく、キリスト教社会とイスラームとの間に争いが広がっています。生長の家はイスラームをもっと理解すべきではないでしょうか?」

 教修会の席上、私はこの質問に「まったく同感です」と答えた。だから、やや遅ればせながら、イスラームに焦点を合わせた今回の教修会となったのである。

 教修会の第1日目には、前にも述べたように、私たちは名高い業績をもつイスラーム思想家で、カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授、カリード・アブ・エルファドル博士(Khaled Abou El Fadl)の講演を聴く光栄に浴した。さらに、同博士と質疑応答の時間をもつこともできた。これにより私たちは皆、イスラームに関する重要な一般的な知識を得ただけでなく、コーランの教えについても学ぶことができた。過去2回、2003年と2004年に行われた「世界平和のための国際教修会」では、すべての発表が生長の家の本部講師、あるいは本部講師補によって行われた。同じことが、2003年から2006年まで4回行われた日本での生長の家教修会についても言える。しかし、今年の国際教修会では、この慣習を破って、初めて外部の専門家を招請することになった。それは、世界第2の宗教とはいえ、イスラームについて、今日まで私たちはあまり知識がなかったからである。
 
 そんな状況の中で、このきわめて重大なテーマについてたった1日半、勉強会しただけで、私はイスラームについて何か決定的なことを言えるとは思わない。もちろん、今回の教修会以前にも、私はイスラームについてある程度の知識をもってはいた。アメリカを襲った同時多発テロ直後から実際、私はイスラームについて書いてきた。しかし、私が書いたものは散発的で、不完全なものだった。私のブログを読んでくださっている人は、その中のいくつかを思い出してくれるだろう。また、英語版の『信仰による平和の道』の冊子(Realizing Peace by Faith、2003年刊)やポルトガル語版(Caminho da Paz pela Fe、2004年刊)の中にも、イスラームについて触れた箇所があるのを思い出す人がいるかもしれない。しかし、これらの言及箇所は、ひいき目に言っても“予備的”であり、量的にも決して多くはない。

 言いわけがましく聞こえるだろうか。私が言いたいは、自分はイスラームやコーランの教えの専門家ではないということだ。残念ながら私はここで、世界中で今日まで続いてきたイスラームの伝統の複雑さや幅の広さについて述べる時間も、そのための学問的訓練も受けていない。これは、私がイスラームに関心がないという意味ではない。それどころか、今回の教修会の準備をしてみて、私はイスラームについてさらに深く知りたいと思うようになった。きっと今回発表をした本部講師の人々も、同じ思いをもっているに違いない。これはもちろん、私たちがイスラームに改宗するという意味ではない。しかし、この宗教の中には、キリスト教や仏教もそうであるように、私たちの心の琴線に触れる何かがあるのだ。それは一体なぜだろう?
 
 谷口 雅宣

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コメント

 今、イスラームについての雅宣先生のブログをひとつ、ひとつ遡って読ませていただいております。昔、イザヤ・ペンダサンこと山本七平さんの書かれたものに喰らいついて、ユダヤ教を理解しようと努めました。今回は、イスラムを理解したい・・という知的興味をそそられました。
 「この宗教の中には、私たちの心の琴線に触れる何かがあるのだ。それは一体なぜだろう?」となると、もう知的好奇心が爆発してしまいそうです。早く続編をお願いいたします!!

投稿: Hisayo Takahashi | 2007年8月13日 00:46

ビデオテープ有難う御座います、自宅に居ながらにして遥かニューヨークにいる気分にさせて戴きました、さて、「この宗教の中にはキリスト教、仏教でもある様に私達の心の琴線に触れる何か?があるのだ!それは一体何故だろう?」とありました、私はイエスも釈迦もムハンマドも啓示された宗教だからではないか?と思います、谷口雅春大聖師も同じく啓示された宗教であるのでそこに非常に親近感を覚えるものが有り、琴線に触れられるのではないか?と思います、つまり、霊的体験を基にした帰一の宗教だからと言う事です、霊的体験の無い、所謂学者や知的聖職者とは違った説得力を持って我々の心に響き渡って来るのです。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年8月13日 15:28

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