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2007年8月23日

本欄が書籍に (4)

Part8  読者の皆さんのおかげで本欄を書き継ぐことができているので、一定期間がたつと、書籍1冊分の文章がたまる。で、今回、出版されるのは『小閑雑感 Part 8』(=写真)で、昨年の7月から10月までに書いた本欄の文章89篇を収めている。そこで、この文章を書く参考にするため、前回、本文と同じ題名で文章を書いたのはいつか……と調べてみたら、昨年の10月18日だった。その時に扱った書籍の題名は『小閑雑感 Part 6』である。「おかしいなぁ~」と思いながら、私はさらに捜した。『Part 7』のことを書いた文章がないからである。私は、自分の本が出版される際には、発行日前に本欄で紹介することにしていた。だから、『Part 7』を紹介する文章がハードディスクのどこかに残っているはずだったが、結局、そんな文章は書かなかったことが分った。

 理由は特にない。『Part 7』の奥付にある発行日は今年5月1日だから、この頃は毎年、生長の家の4つの組織の全国大会があることを思い起こせば、その準備に忙殺されて、私が『Part 7』を本欄で紹介することを失念してしまった可能性が大きい。そして、気がついてみたら、その次の巻である『Part 8』がすでに出版されていたのだ。『Part 8』の奥付に記された発行日はこの9月1日であるが、現物はすでに日本各地で入手できる状態にある。これでは『Part 7』が冷遇されたことになるから、今回の新刊と併せて簡単に紹介しよう。

Part7 『小閑雑感 Part 7』(=写真)がカバーする期間は2006年の3~6月の4カ月で、収録文の数は93篇である。『Part 8』では、同じ4カ月間の文章が89篇あるのと比べると、若干多い。『Part 7』で最も多く扱った主題は「地球環境問題」で全部で42篇あり、「宗教・哲学」に関する文章は23篇だった。そのほか『Part 7』では「“ユダの裏切り”の理由」について3本、「皇室制度の議論を深めよう」と題する文章3本などが特徴的である。
 
 最新刊の『Part 8』では、「地球環境問題」と「宗教・哲学」と関係が『Part 7』とは逆転し、「宗教・哲学」に関する文章が34篇で「地球環境問題」は24篇に減った。私の関心が移動しつつあることが分かる。とは言っても、地球環境問題への関心が薄らいできたという意味ではなく、アル・ゴア氏の『不都合な真実』の成功以来、この問題に真剣に取り組む必要性は“世界の常識”になってきたから、私が本欄で口を酸っぱくする必要性は、逆に減ってきている。
 
 その代わりに、世界第2の宗教であるイスラームに関する記述が増えている。理由は、読者もご存じの通りだ。イラク戦争が泥沼化しつつあり、それに伴ってイスラーム過激派のテロ活動が中東地域の“戦場”だけでなく、先進国内部でも増えつつある。幸い日本は、まだ彼らの攻撃目標の外にあるようだが、イラク戦争で米英軍を支援している立場にあるのだから、いつ目標にされてもおかしくない。そんな時、「イスラームのことはよく分からない」では済まされないのである。イスラームという宗教が問題なのか、それとも当該国が置かれている政治状況が問題なのか、あるいは日米の中東政策が問題なのか……こういう問いにきちんと答えられないのでは、「万教帰一」を信奉する生長の家の人間としても、宗教者としても、あるいは日本国民としても恥ずかしい。そんな意識から、『Part 8』にはイスラームに関する文章だけで十数本ある。『Part 7』には数本しかないから、大きな変化である。

 そのほか、『Part 8』には昨年の生長の家教修会で取り上げられた「肉食」についての考察が、教修会での発表内容に即して5回に分けて書かれている。この問題は宗教的のみならず、地球環境や資源の問題とも密接に関連する現代の重要問題である。さらに、「北朝鮮の核実験」について3本、「核拡散時代への対応」について2本と、宗教とは離れているが、日本が直面する国際政治問題についても考えている。生命倫理の問題では、「夫の死後に妊娠する」こと、「代理母をどう考えるか」など、いずれも日本国内で実際に起ったことを取り上げて、私の信ずるところを書いている。読者の参考にしていただけたら、幸甚である。
 
 谷口 雅宣

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