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2007年8月15日

イスラームと生長の家 (4)

 中村廣治郎氏は、理性主義思想家のアル・ファーラービーとアヴィセンナについて、次のように述べている: 「彼はトルコ系の学者でダマスカスで没している。アリストテレスに続く“第2の師”といわれるように、プラトン、アリストテレスの著作の注釈者として、また論理学、倫理学、政治学、知識論についての研究者として多くの著作を残し、のちの学者に大きな影響を与えた。(…中略…)このファーラービーに導かれ、アリストテレスの哲学を完全にマスターして壮大な哲学体系を構築し、晩年にはさらにそれをこえて神秘主義への接近を試みる“東方哲学”を構想したのがアヴィセンナことイブン=スィーナー(1037年没)である」(p. 92)

 日本のイスラーム学の重鎮で、コーランの邦訳者として有名な井筒俊彦氏は、大部の『イスラーム思想史』の中で1章を割いてアヴィセンナの哲学を描いている。井筒氏によると、「イスラームのスコラ哲学は彼(アヴィセンナ)をまって、体系化された」(p.264)のであり、「アヴィセンナはファーラービーとラーズィーの両方の学風を一身に代表し、抽象的思想の側面と、具体的実験的研究の側面とのいずれにおいても優秀な才能を示した」(p.272)という。井筒氏はまた、アヴィセンナの重要な著書『医学典範』について「この大著は東洋諸国はもとより、西欧においてすら近世に至るまで全医学界を実際に支配したのである」と述べる。さらに、アヴィセンナのもう一つの重要書『治癒』は、井筒氏の言葉で表現すれば、「イスラームにおける最も完璧な古典哲学の経典として、回教徒の間では今なおその権威を保ち、また12世紀にラテン語訳されて中世のキリスト教スコラ哲学の発展に重大な影響を及ぼした」(p.273)のである。

 このように見ていけば、理性と論理性がイスラームの伝統の大きな特徴の1つであることは、明らかである。このような事実が、私たちを含む西側の人間に正しく伝わっていないのは、西側のニュース・メディアによる偏った報道が原因の一部といえる。さらに言えば、イランで優勢なシーア派のイスラームでは、「理性」が独立した法源として認められていることを指摘したい。『The Great Theft』の中で、アブ・エルファドル博士がイスラーム法の法源についてまとめて書いてある所(p.31)には、「多くの法学者、とりわけシーア派法学者は、理性が独立した法源であると信じた」とある。

 アブ・エルファドル博士はまた、イスラームの“穏健主義者”の間ではイスラム法の理解を助けるものとして「理性」が高く評価されていると述べている。上掲書の157ページで、博士は「“清教主義者”にとって論理性は(…中略…)嫌忌すべきものである」と述べているが、“穏健主義者”にとって状況は相当違っている:

 「(清教主義者の)このような勝手な理解は、穏健主義とは根本的に対立する。穏健主義者はむしろ、こんな修辞的な質問を提示するのだ--神は我々が人生で直面するほとんどの問題をすでに解決されているのに、なぜ人間に理性を与えて下さったのだろう? イスラーム神学によると、神は天地創造の際に、最高の栄誉に値する1つの神秘を創った、と宣言されている。この神秘こそ論理性であり、理性(アクル)である。しかし、もし清教主義的な見方を採用すれば、神は人間の生に関わるほとんどすべてのことを疑問の余地なく解決されているのだから、人間が論理性や理性的能力を活用する余地はほとんどなく、残されているのはただ服従するだけ、ということになる」。

 さて、イスラームの理性に対する一般的な考えは明確になったと思うので、次にイスラームの考え方の中で、生長の家のそれと大なり小なり似通った、もっと個別的な考え方に焦点を当ててみたい。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○中村廣治郎著『イスラム入門』(岩波新書、1998年)
○井筒俊彦著『イスラーム思想史』(中公文庫、1991年)

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