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2007年8月14日

イスラームと生長の家 (3)

 さて、今回はイスラームにおける理性と論理性について考えてみたい。なぜそうするかというと、私は、イスラームと生長の家がこの特徴を共有していると思うからである。生長の家を学んだ人なら誰でも合意してくれるだろうが、谷口雅春先生が打ち立てられた“実相哲学”はきわめて理性主義的であり、論理性に於いて優れているということだ。しかし、2001年9月、ニューヨークの世界貿易センタービルを崩壊させたテロ攻撃は、非合理で、理屈に合わないと多くの人が感じたことだろう。私も当時、そう感じた。が、イスラームについて書いたアブ・エルファドル博士の2冊の本(教修会のテキスト)を読めば、現代のイスラーム内部には“清教主義者”(puritans)と“穏健主義者”(moderates)という2つの対立勢力が存在し、あのテロ攻撃は“清教主義者”が生み出したものだと分かる。また、私たちが気をつけなければならないのは、マスメディアは「普通でない」「異常な」ことに注目する一方で、穏健なイスラーム勢力についてはほとんど何も報道しないということだ。だから、私たちは「イスラーム」と聞けば、それは普通でない“清教主義者”のことだと考える傾向があるのである。
 
 そこで私は、これから少しの間、穏健派イスラームの考え方をいくつかの角度から眺めながら、生長の家の教義と比較してみたい。

 2006年9月24日の本欄で、私は、ローマ法王ベネディクト16世がドイツのレーゲンスブルク大学で行った講義によって引き起こされた論争について触れた。その当時、法王は暴力や非合理性とイスラームの教えとを結びつける発言をした、と大々的に報じられたのである。その結果、世界中のイスラーム信者から怒りや抗議の声が次々と上がった。私はその時、ヴァチカンのウェッブサイトで見つけた法王の講義文から次の部分を引用し、本欄に掲載したのだった。

「暴力的な改宗に反対するこの議論の中で、決定的なしかたで述べられているのは、このことです。すなわち、理性に従わない行動は、神の本性に反するということです。(中略)ギリシア哲学によって育てられたビザンティン人である皇帝にとって、この言明は自明なものでした。それに対し、イスラームの教えにとって、神は絶対的に超越的な存在です。神の意志は、わたしたちのカテゴリーにも、理性にも、しばられることはありません。クーリーはそこで、有名なフランスのイスラーム研究者のR・アルナルデスの研究を引用します。アルナルデスは、イブン・ハズムが次のように述べたことを指摘しています。『神は自分自身のことばにさえしばられることがない。何者も、神に対して、真理をわたしたちに啓示するよう義務づけることはない。神が望むなら、人間は偶像崇拝でさえも行わなければならない』」
 
 上の文章を読んですぐ分かる問題点は、前回の本欄で確認したとおり、コーランは暴力によるイスラームへの改宗を支持していないのに、それを支持しているかのごとく書かれていることである。また、私たちが心しておくべきことは、イスラームの伝統は、キリスト教や仏教もそうであるように、きわめて多面的であり、多様性に満ちているということだ。アブ・エルファドル博士は、著書や今回の教修会での講演の中で、この点も明確にしている。にもかかわらず、上記の文章では、イスラーム内部のそのような思想の違いを無視して、イスラームの教えが恰も単一的であるかのように扱っている。
 
Farabicenna  上記の引用文でさらに問題なのは、イスラームの伝統が、ギリシャ哲学とその本質的特徴である理性的思惟と無関係であるかのような書き方をしていることだ。オックスフォードのセント・アントニー大学でイスラーム学を教えているタリク・ラマダーン教授(Tariq Ramadan)は、この点を指摘している。2006年9月21日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に寄せた「A Struggle Over Europe's Identity」(ヨーロッパの独自性をめぐる苦悶)という論説の中で、ラマダーン教授はイスラーム信者に対して、上記の引用文のような「ヨーロッパ思想史からイスラームの理性主義の影響を消し去ったものの見方」に異議を唱えるよう訴えている。そして、「イスラーム理性主義者であるアル・ファーラビー(10世紀)、アヴィセンナ(11世Averroghazali 紀)、アヴェロエス(12世紀)、アル・ガーザーリー(12世紀)、アッシュ・シャティビー(13世紀)、イブン・カールダン(14世紀)」はヨーロッパの思想形成に「決定的な貢献」をしたといい、イスラーム信者は「ヨーロッパと西洋社会の基盤となった中心的価値観を共有している」と述べている。

Shatibikhaldun  私は今、イスラームの伝統は、コーランやスンナよりも論理と理性を常に優先してきたと言っているのではない。実際、日本のイスラーム学者の1人である中村廣治郎氏は『イスラム教入門』の中で、「カラーム」と呼ばれる理性的神学がイスラームの中に定着するまでには、「永い時間が必要であった」と述べている。中村氏によると、その理由は「コーランとスンナ(模範としての預言者の言動)を特に重視する保守的な“伝統主義者”の間で、神学的思弁そのものをビドア(異端的革新)として排斥する根強い傾向があったから」(p.78)という。しかし、12世紀までには、理性主義はイスラームの中にしっかりと根付いたのである。
 
 谷口 雅宣

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